第13話 ケアレスミス
「あなたに何がわかるんですか!」
この男の口ぶりは、私の感情をわざと逆なでしているようにしか感じられない。
大声で叫んだ時ベルが近くにいなかったのは救いだった。
それでも満足気に微笑するグラハム。
こうなることも見越していたのだろうか。だとするとたちが悪すぎる。
「おや、怒らせてしまったのであれば、謝罪いたします。ですが、わかるのですよ。貴女が抱える憤りは。技術屋にも、同じようなことは幾らでもありますから」
そう告げると、目を伏せ切なげに表情を陰らせた。
急にしおらしくなったグラハムの態度に、まるで冷水を浴びせられたような感覚に陥る。
先程までの怒りも、どこかへ行ってしまった。
あとに残ったのはなんとも言えない気まずい空気。
とにかくこの男と話していると調子が狂う。
見ればグラハムはもうすでに元の張り付いたような笑顔を取り戻していた。
ころころと変わる表情、物言い。一体何を信じていいのか分からなった私へ、グラハムは沈みゆく夕日を背に、右手を伸ばしてきた。
「私が信用できなくとも、技術は万国共通で信頼できる唯一無二の共通言語です。コルミアの操竜士さん。私たちと一緒に来ませんか。技術の国、ベゼルダルの力をもってして、貴女の竜とともに、抱える悩みや不安でさえも救ってみせましょう!」
「……ッ!」
谷底から吹く、鉄の匂いと湿気を孕んだねっとりした風が渓谷を吹き抜ける。
私は差し出されたグラハムの腕を黙って見つめ返した。
朱色に染まったその掌は端正な顔立ちとは裏腹に、傷にまみれ、薬品か何かを被ったのか、一部がやけどの跡として残っている。
まさに技術屋の名にふさわしい手だった。
私の中でグラハムを信じたい理性と、決して信じてはいけないと言う感情が激しくせめぎあう。
ベルをもっと大きく育てて成竜にさえしてあげれば、活躍できるフィールドはたくさんあるはずだ。
もし今後竜運が再開される日が来たとしても、商会を引っ張るエースとして他をけん引できる。その姿を見て竜運に憧れる子供たちもきっと増えるはず。
様々な可能性や夢が私の脳裏に浮かんでは消え、浮かんでは消えていった。
「ガウ!」
「べ、ベル⁉」
あまりに集中していたからか、背後に戻ってきていたベルに私はまるで気が付かなかった。
グラハムは微動だにせずこちらの返答を街づづけている。立ち姿は祖国を体現するように機械じみていた。
(うぅ、信じてもいいのかな、この人のことを)
判断しかねた私は、最後の質問をグラハムへぶつけてみることにした。
「……ひとつ、お聞きしてもいいですか?」
「なんでしょう? 私にお答えできることであれば」
「その、グラハムさんの国、ベゼルダルでは竜運が衰退したと聞きました。それに加えてベルを含めた風竜種はこの谷の固有種です。あなたはいつ、どうやって、それほどまでに詳細に風竜種のことを知ったのですか……?」
「……ああ、なんだ。そんなことですか」
グラハムはあきれたように吐き捨てる。まるで自分の興味があることは別にあるとでも言いたげに。
しかし次に飛び出してきた言葉を聞いて、私は衝撃を受けた。
「そんなの、風竜種の腹を裂いて調べたに決まっているでしょう。こいつらの体内にある空気と私たちが普段吸っている空気を比較するのが一番手っ取り早い。当たり前のことでは?」
「なん……ですって……⁉」
グラハムはうろたえる私に失望した様子でため息をつくと、補足した。
「過程なんて、今はどうでもいいでしょう……と言っても納得してくれなさそうですね。はぁ。当時は貴重なサンプルを殺してしまわないように我々も最善は尽くしましたよ。確かに一気に大量の空気を摘出したせいで体は大きくしぼんでしまいましたが、ぎりぎり縫合が間に合ったので被検体も死んでいません。二、三度脱皮させたら傷跡も目立たなくなりましたよ。これで満足したでしょう? 技術の発展には、そういった検証が不可欠なのですよ。大丈夫、今度の実験では同じ轍は踏みませんよ。私が今後調べたいのは竜の中に何があるかではなく、竜に何ができるか、ですから」
ニヤリ、と口元を緩めるグラハムに、私はふるふると首を横に振った。
(だめ。この男に、ついて行ってはだめ! グラハムは竜のことを研究対象の部品か何かだと思ってる。そうでなければ、淡々とこんな恐ろしい話ができるはずないもの!)
実験施設で胸元に鋭い刃をあてがわれるベルの姿が脳裏に浮かぶ。
そんなこと、許されるはずがない。
「私のことをお誘い頂き、そしてこんな時間まで回答を待ってくれてありがとうございます」
「おお、よかった。私の考えを、理解して頂けたのですね!」
グラハムの顔がぱっと輝く。
「いいえ、違います」
私はぴしゃりと言い放ち、拒絶の意味も含めてグラハムを睨みつけた。
歪んだ笑顔が、徐々に怪訝な表情へと変わっていく。
私は一呼吸した後、グラハムのペースに戻されないようさらに畳みかけた。
「グラハムさんは聞く限りすごく優秀で、ついて行けばきっと、私の目的にたどり着く近道になると思います。でも、それにベルを巻き込むことはできません」
「ですがこのままで本当にいいのですか。問題は解決しませんよ」
グラハムは負けじと食い下がる。
しかし何度も首を横に振ると、とうとう根負けしたようだった。
「困ったお嬢さんだ。まあ、私は街のホテルに泊まっていますので、気が変わったらいつでも」
金髪の男は帽子を深くかぶりなおし、くるりと踵を返すグラハム。
最初にあったときの美青年という印象はとうになくなっていた。
美しい皮を被った怪物。
そんな言葉がぴったりだと思った。
彼の提案を鵜呑みにせずに良かったと心からほっとする。
気づけば太陽はもうほとんど沈んでいて、時計の針は街に帰る時間を指していた。
でもここから街までは一本道。
一緒に帰るのはめちゃくちゃ嫌だったので、私は黙ってグラハムの背中が小さくなるのを見守った。
が、しかし。
「あ、そうだ、言い忘れていました」
グラハムはぴたりと立ち止まると勢いよく振り返り、目の前まで足早に戻ってくる。
「この街はもう沈む船。あなたを取り巻く状況が好転することなんてこれから先万に一つもないでしょう。再三になりますがご決断はお早めに。それともう一つ」
グラハムはずいと顔を寄せてくる。
近い。近すぎる。
距離感も考え方も、その挙動でさえ、狂っている。
次にこの男の口からなにが飛び出して来るのかと、私は身を強張らせた。
「帰り道がわかりません。街まで案内をお願いします」
今度は、開いた口がふさがらなかった。
「ガウ?」
遠くの地平線からわずかに顔を出した月光を浴びる二人と一匹の間に、ベルの「どうしたの?」とでも言いたげな鳴き声だけが響き渡った。
全力でノーを突きつけたかったが、それはできない。
曲がりなりにも運送業に従事していた身としては、配送依頼は断れない。
私は渋々首を縦に振った。
もちろん道中一言も言葉を交わすつもりはなかった。商会でもそんなサービスはやっていない。
だがグラハムにそんな私情を理解してもらえるわけもなく。
結局延々と耳にタコができるほど小難しい話を一方的に聞かされ続けたのだった。
しかもそれは、街にたどり着いても止まらず、彼が宿泊するホテルにたどり着いて、こちらが制止するまで終わることはなかった。
(あ、悪夢だった……)
おかげでベルとふたりっきりになった後も、残響のように耳元にあのもったいぶったような声が張り付いて離れない。
私は来た道を戻り、竜舎へベルを連れて行く。
「はぁ、めちゃくちゃ疲れた……。ふあぁ、もうこんな時間だよ。お休み、ベルぅ……」
「ガウ! ガウガウ!」
一緒にかごに入りワイヤーを操作して竜かごをもとの場所へと戻すと、私は大きなあくびをしながら帰路につく。明日も早いので帰ったらすぐに寝なければ。
そんなことばかり考えながらふらふらと夜の街を歩き、ベッドを前にすると倒れ込むように深い眠りについてしまった。
竜舎の鍵を、すっかり閉め忘れてしまったことにも気づかずに――。
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