第12話 異国のストーカー
人生で一番後悔した日、と聞かれると、私は将来この日のことを必ず挙げるだろう。それくらい悔やんでも悔やみきれない失敗を犯してしまったのだ。この失敗が、のちにあんな結末を招くなんて、予想だにしていなかった――。
ちょうど、ロスカの工場を尋ねてから数日後のこと。
お粥屋のお仕事を終えた私は、いつもの如く散歩中。ベルも食事を終えて、呑気に並んで日向ぼっこをしていたところだった。
「ねぇ」
「ガウ」
崖の上でそろえて塔を見上げる。
どんよりと曇った空に、赤銅色に染まった塔。
鉄塔の内部を吹き抜ける風が、低い唸り声を響かせていた。
塔の先端を見つめながら、私は尋ねる。
「ベルはこれからどうしたい? 小さくなって、私とお店で働く?」
「グルゥゥ」
ベルは首を振って喉を鳴らす。私の提案を断っているようにも見えた。
「えへへ。そうだよね。ベルが一番、空を飛びたいもんね」
「グァ!」
バサリ、と背後で翼を広げる音。遅れてゴウと砂埃の混じった風が、フライトジャケットの襟をバタバタとはためかす。
かぶった砂粒をパタパタとはたき落として、再び塔を見上げた。
目と鼻の先にあるはずなのに、あの塔は私の手の届かないところにある。
「遠いね、ベル」
「ガゥゥ……」
落ち込むように首を垂れたベルの頭に、私は肘からもたれかかった。鼻の先に垂らした掌を、ベルの長い舌がぺろりと舐める。
「ふふっ」
私は角の生え際を撫でながら、こちらを見上げるくりくりとした目玉にほほ笑み返す。
「偉いねぇ、ベルは。今すぐにでも塔を登って、思いっきり羽を広げたいはずなのに、こうやって我慢できて」
登って、と聞いた瞬間、キラリと瞳が輝いた気がした。私は構わずにそのまま語り続ける。
「私は館長みたいに頭がよくないし、きっと、ロスカよりも馬鹿だけどさ。変なところ、頑固、なんだって。だから、待っててね、ベル。私、いっぱい考えるから。一生懸命毎日考えて、ベルがまた空を飛べるように、何とかして見せるから」
「ゥルルル……」
あごの下をくすぐると、ベルは心地よさそうに喉を鳴らす。私たちはそうやって、寂しい荒野の崖っぷちで、静かに身を寄せ合った。
しばらくそのままベルを撫でていると、ふと指先に引っかかりを感じる。体をかがめて下からのぞき込むと、あごの下の一部の鱗が、わずかに白化し浮かんでいた。
脱皮が近いのだ。
これまで数え切れないほどベルの脱皮を見届けてきたので、その予兆はすぐにわかった。
先日足のサイズを測ってみたものの、その数字はずっと変わっていない。それなのに、この子は脱皮をし、少しでも体を大きくしようと頑張っている。
ベルも、自分にできることを続けていたのだ。
(私の周りには頑張っている人ばっかりだ。先輩だって普段はケラケラとしているのに、裏では誰よりも努力している。何もできていないのは、私だけ。こんなんじゃダメだ――)
肩に力を入れたところでベルが突然、私の腕を甘噛みした。
ちょっと驚いた後、一気に脱力してしまう。
わかっていても、ベルのかわいさにいつも甘えてしまう自分が憎い。でも、かわいいものはかわいい。こればっかりは仕方ない。
見上げれば、雲の間に青空がのぞいていた。
もうすぐ本格的な冬が来る。もう春先まで晴れた天気は拝めないかもしれない。
「えへへ、ベルはほんっとかわいいねぇ。なんだか、もやもやした気持ちがどうでもよくなっちゃった。あ、そうだ。また追いかけっこでもする? ベル!」
私は座っていた岩から飛び降りる。それを見たベルが喜びに目を輝かせた。
「いやはや、気持ちがいい場所ですね、ここは」
突然背後よりかけられた少し訛りのある声。
振り向けばそこには、金髪碧眼の青年が立っていた。
灰色のジャケットにチェック柄の帽子と、ここいらでは見ないファッションスタイル。
私は突然現れた怪しい男を警戒する。
「すみませんが、どちら様でしょうか」
「ああ、申し遅れました。私は技師のグラハムと申します」
男はうやうやしくも帽子を脱ぎ、一礼して見せる。その丁寧極まりない所作が、逆にうさん臭さを倍増させていた。
「実はね、街を散策しているときにたまたま貴女と立派な竜を見かけたので、こっそりついてきたんです。するとどうでしょう。やはり好奇心は意外な結末をもたらしてくれる。いやぁいい場所じゃないですか。絶景だ」
グラハムは両手を谷に向かって広げ、こちらを肩越しに振り返る。整った顔立ちに長いまつ毛がわずかに風で揺れていた。
こんな美青年が市場の買い付けなんか行った暁には、露店のおばちゃんたちに引っ張りだこだろう。
しかし今までの間、私は彼の存在に気づきもしなかった。
コソコソ私たちについてきて、何をしていたのだろうか。
「えっと、こっそりついて来た、とおっしゃいましたけど、今までは何を……?」
男は爽やかな笑顔を浮かべつつ、やや不穏な言葉を口にした。
「それはもちろん、こっそりお二方のご様子を岩の陰から伺っていましたよ」
「えぇ……」
露骨なストーカー発言に思わず表情筋が引きつった。
(変な人だ! 間違いなく、変な人だ‼)
男は何を考えているのか、くすくすと口元に手を当てて笑う。
「すみません。珍しかったのですよ、竜がね。遠くはるばるベゼルダルからやってきたんです。異国人だと思って大目に見てください」
「ベゼルダル……から?」
「ええそうですよ。……何か問題でも?」
「いえ、こんな辺境の街ではあまり外国の人を見かけませんので」
グラハムは帽子のつばに手をかけ、ニィ、と妖しく微笑んだ。
「おかしいことなんて何もないでしょう? 今この街を沸かせている輸送機の心臓部は、まぎれもない我が国の技術。ベゼルダルの技術者たちが血と汗と涙を流し! 途方もない時間をかけて作り上げた傑っ作なのですから! 列車を動かすに足るほどの推進力を生まない、蒸気機関などという夢物語にうつつを抜かして我が国の後塵を拝した他国製品とはワケが違う‼」
グラハムは突然興奮した様子でこちらへ詰め寄り、火のような勢いでまくし立ててきた。そのあまりの豹変ぶりに私は思わずたたらを踏んでしまう。
「ガウ!」
見かねたベルが一つ吠えると、グラハムはハッと冷静さを取り戻す。
「コ、コホン。つまりですね、貴国の列車開発の監修役として、ベゼルダルの技術者がこの街にいたとしても、何らおかしな話ではないでしょう……?」
アンテナが告げている。この男は怪しいと告げている。
他人への警戒レベルを、私は最大限まで引き上げた。目の前をすまし顔のグラハムが横切る。
「いい竜ですね。触ってもいいですか?」
「……ベルが嫌がらなければ、いいですけど」
私はグラハムに気付かれないよう、ベルに目配せを送った。当のベルは理解しているのかいないのか、ぱちくりと目を瞬かせる。
竜に触るためにはコツが必要だ。
普通に触ろうとすれば、竜の機嫌を損ねて尻尾の一撃を食らうことも珍しくない。
ベルは温厚な竜なので、そこまで手荒く仕返しをすることはないはずだけど、ちょっと、威嚇して吠えるぐらいはするだろう。
ストーカー男もびっくりして尻もちぐらいはつくかもしれない。
私は興味がないふりをしながらも、グラハムの伸ばす手に注目した。これから起きるイベントにワクワクしながら。
「ふむ、いい子だ。おや、鱗が浮き始めてますね。脱皮前ですか」
「……え」
グラハムの手は、ちゃんとベルの鱗に触れていた。というより自然に撫でてさえいる。ベルも気持ちよさそうにあくびをしている。
私は肩透かしを食らってしまった。
「どうかしましたか?」
背中で尋ね返してきたグラハムに、やや上ずった声で返事をする。
「……い、いえ。そう、そうなんです。脱皮前、です」
「ほう! 風竜種がこんな高度で脱皮できるとは。すばらしい! 普通ではありえないことです。では興味本位でもう一つだけ、お尋ねしますが――」
肩越しに振り向いたグラハムの目を見た瞬間、私の背筋に戦慄が走る。妖しい光を湛える彼の瞳に、言葉にできない恐怖を感じたのだ。
その視線は私を見ているようで、見ていない。
昏い瞳孔の奥には、ただ真っ暗な闇が広がっていた。例えるならば、これから解剖する実験動物でもみるかのような目だ。グラハムの口角が吊り上げられ、感情を押し殺した声が吐息と共に口から吐き出される。
「この竜は幼体だと見受けられますが、ここ最近本当に成長、していますかぁ?」
心臓が、一瞬にして凍り付いた。
(なんで――)
館長も、エリザさんも、先輩でさえ知らない、私だけの秘密。それをこの男は、たった一度。
ほんの少しの時間手を触れただけで、見破ってしまったのだ。
先ほどまで静まり返っていた心臓が、今度は激しく胸を叩き始める。
じわり、と額に汗が浮かんだ。私は動揺を悟られないよう、極めて平静を装い言葉を頭で組み立てる。
「なぜ……それをあなたに話さなければならないんですか」
「おっと失礼。つい好奇心が抑えきれなかったもので。技術屋の癖ですかねぇ。知りたくなるとどこまでも追及してしまいまして。あれ? あれあれ? 貴女、少し呼吸が乱れてますねぇ。どうしました? 図星ですか? もしかして他の人にはずっと隠してました? 秘密でしたか? 申し訳ありません、こんなにも簡単に見破ってしまって。ねぇ?」
(この人、何者……⁉)
眉間に皺が寄るも、返す言葉が思いつかない。こちらからは相手が見えないのに、相手はこちらのことを知り尽くしているような錯覚さえ覚える。私は体温を失いかけた手を握り締めた。
グラハムは聞いたこともない鼻歌を上機嫌に歌いながら、私の耳へ口元を寄せてくる。
「もしかしたらそんな貴女のお悩み、私の知識で解決できるかもしれませんよ?」
思わず、ごくりと生唾を飲み込んだ。
ベルの成長が止まっていることは、竜運廃止以降、常に悩みの種だった。
散歩をしながら、ずっとベルが好む空気を探し続けていた。
やっと食べてくれる空気を見つけても、成長は芳しくなく、歯痒い思いは限界に近かった。
だからだろうか。こんな怪しい男の提案であったとしても、バッサリと切り捨てるにはあまりにも魅力的すぎる話だった。
心の天秤が、大きくぐらつく。
ちら、と視線を感じる先へ顔を向けると、ベルが心配そうにこちらをのぞき込んでいた。
「キュル……」
身を縮めて喉を鳴らすベル。夕日に照らされた幼竜の影は、とても、とても小さく私の両目に映った。
「……ベル、ごめんね。私は、大丈夫。ちょっと話しているから、向こうでかけっこの準備運動してて欲しいな」
ニコリといつもと同じ笑顔をベルに向けると、ベルは安心したのか、嬉しそうに吠え岩砂漠の方へ駆けていく。その背が岩陰に見えなくなった後、私はグラハムに向き直った。
相変わらず自信に満ち溢れた顔は腹立たしかったけれども……ベルのためなら。
私は意を決して、尋ねてみた。
「グラハムさん。風竜種について、何か知っているなら教えて。風竜種は風を食べる竜だってことは、みんな知っている。高いところの澄んだ空気を好んで食べることも有名。でも、なぜ竜が成長したり縮んだりするかは、商会でさえ知らないの。ただ分かっていることは空気にも良し悪しがあって、特に鉄塔の上で食事をさせたら、成長が早いということだけ」
「ふむ、なるほど」
グラハムは少し考えるようにあごに手を当てながら私が指し示した鉄塔の先端をじっと見つめた。ほどなくしてこちらへと目線を戻したときには、またあの自信に満ち溢れた笑顔を口元に称えていた。
「風竜種についてですか。そうですね。成長に伴い、彩り豊かに体色を変える種、という認識です。少し学術的な話になりますが、竜種そのものは自然界に存在するレプチニウムを摂取することで成長します。風竜種はとりわけ、気体化したレプチニウムを摂取する種でしょう。気体化したレプチニウムがより多く存在するのは、地平から数えて十二空層目ほどの高さ。今私たちがいる場所は地平よりわずかに高いとはいえ、濃度はよくて数%なはずです。これはかなり低い数値。つまり貴女は、竜の体長を維持するので精いっぱいだった。違いますか?」
グラハムの説明は私にとって難解を極めたが、最後の一言だけはよく理解できた。
実際私の手帳に書かれた数字が示す通り、推察は図星だった。
体長の変化はここ数年間横ばいになっている。
「なるほど。悲しいですね。鉄塔に登り、おいしいエサを食べたいのにそれができない。仕方なくこのような寂しい場所で小さくならないようひたすら現状維持し続ける毎日。隣で見ていて貴女は虚しくありませんか?」
グラハムの嗜めるような言動に、思わず顔がカッと熱くなった。
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