第11話 会談

 ※ ※ ※ ※ ※


「それで。折り入っての話とは、これだけか」


 真鍮製の片眼鏡に白髪交じりの男性は、目を通していた書類を重厚な作りのデスクの上にばさりと落とした。

 臙脂色の刺繍が施された濃紺の制服に、金色の紋章が胸元で揺れている。眼鏡の奥には、身に着けたどの装飾品よりも鋭い眼光がのぞき、眉間に刻まれた深い皺は、ただでさえ険しいその顔つきをさらに厳めしく見せた。

 それに負けじと、卓上プレートに金箔で刻まれた『コルミア市長』の文字もキラリと輝く。


「やっぱり、この程度の論文じゃだめかぁ」


 書類をかき集めるあごひげを伸ばした壮年は、数日前リオの前に姿を見せた、竜運商会の統括者、エルメス館長その人である。


「どうだこれ。いるか、ギュンター?」


 エルメスは懐から葉巻を取り出し、机に座る男へ差し出す。


「いらん。タバコはやめた。家内がうるさくてな」

「あらら、残念。あちらで手に入れた上物なのに。市長になってから健康に気を遣えってか?」

「まあな。吸うなら窓際で吸ってくれ。部屋を煙たくされたらかなわん」


 デスクで男は頬杖をつき、しっしとエルメスに手をはらった。


「ふぅん」


 エルメスは窘めるように一度デスクへ目をやると、カツカツと革靴を鳴らしながら窓際へと向かった。その姿をギュンターは目線だけで追っていく。


「うーさぶさぶ」


 わざとらしく身震いをしながら、窓を開けたエルメスは葉巻に火をつけた。紫煙がふわりと風になびき、よれたフライトジャケットにまとわりつく。


「変わったな」

「んー?」


 窓に両手をかけたエルメスは、肩越しに後ろを振り返った。部屋の中では、ギュンターが相も変わらずしかめっ面で対面の壁を睨みつけている。エルメスは少し疲れたように苦笑を漏らすと、灰色に濁った空を見上げた。


「変わるさ。世の中ではいろいろなことが起こり、変わらなければ取り残されてしまう。市長さんこそ変わったんじゃないか。海外の技術を取り入れるなんて。昔とは真逆じゃないか」


 ギュンターはデスクの卓上の砂時計を気にしつつため息をこぼす。


「変わってないさ。今も、昔も。目的のためなら、手段は選ばんよ」


 ぎろり、と空と同じ灰色をした目玉がエルメスを射抜いた。


「そう思っているのは、自分だけかもしれないぞ」


 肩をすくめたエルメスは、パンツのポケットから小さな四角形の金属の箱を取り出し、中に葉巻の先でくすぶる灰をトントンと落とす。箱の側面には、凝った装飾が施されている。


「やはり変わったよ、お前は」


 舌打ちをしたギュンターの目の前で、砂時計の砂が落ち切った。


「面会の時間は終わりだ。その葉巻の火が消えたらさっさと出ていけ」

「ハイハイ」


 エルメスは葉巻を銀の箱に強く押し付けると、わざとらしく音を鳴らして蓋を閉じた。


「窓は閉めるな。そのままでいい」


 ギュンターの一言にエルメスは窓に伸ばしかけた手を止め踵を返す。

 そのままデスクの上に置き去りにされていた書類の束をパシンと手に取ると、公務室の扉へと歩を進めた。

 フライトジャケットにまとわりついた葉巻の甘ったるい香りが、ギュンターの鼻をかすめる。

 フン、と鳴らされた鼻と上質な木材で作られた扉が閉まり詰まった音が、同時に響いた。


 エルメスが去った後、部屋には静けさが戻り、柱時計の針が鳴らす規則正しい音だけが繰り返される。

 やがてカチリと長針が天井を指し示すと、ボーンと低い鐘の音が時刻を告げた。

 時間ぴったりに先ほどエルメスが去った扉から今度は制服に身を包んだ別の男が入室し、ギュンターへ敬礼をする。

 デスクから放たれた抑揚のない声が、飾り気のない部屋の空気を引き締めた。

 ギュンターは一瞥もくれず、抑揚のない声で短く問いただす。


「で、進捗は」

「最終段階に入っています」


 鋭利な棘のような視線。男は直立不動を崩さない。ギュンターは椅子に深く腰掛けなおすと、眉間の皺をより深くする。


「明日中に終わらせろ。もうじき渓谷と王国の間に横たわる広原地帯に、猛吹雪がやってくる。性能のアピールには絶好の機会だ。それまでに何としても完成させろ」


 立っていた男の眉がピクリと動いた。ギュンターの双眸はその一瞬ですら見逃さない。


「ですが、もうすでにかなり工程は詰まっています。これ以上は……」

「つべこべ言うな。夜間労働してでも完成させろ。この機会を逃せば次はない。我々はやるしかないのだ」

「し、しかし」

「二度は言わせるな」

「はっ!」


 やや血の気を失った男の頬に冷や汗が一筋流れた。ギュンターは手元の砂時計を再び逆さまに置きなおす。透明なガラスの中で、砂が音を立てて流れ始める。


「時間を無駄にするな、行け」


 短い返事と共に、男は左足を半歩下げると、くるりと体を百八十度回転させ部屋に背を向けた。大股で去る男が扉に手をかけた時、ギュンターの低くささやくような声が部屋の冷え切った空気をかすかに揺らす。


「警戒しろ。万が一に備えておけ。どんな手を使ってでもやり遂げろ」

「……承知、しました」


 男は一度動きを止めて答えた後、音もなく閉まる扉の向こうへと消えていった。

 誰もいなくなった公務室でギュンターはおもむろに椅子から腰を上げ、冷気を吐き出す開けっ放しの窓辺に身を寄せ外を眺めた。

 分厚い金属の窓枠の向こうには、コルミアの街並みが渓谷の崖際まで続いている。

 ふわりと一粒の雪が屋根の上から姿を現し、窓枠に落ちると、またたく間に昏い水滴へと変わった。

 隣に並ぶように、エルメスが落としていった葉巻の灰が冬風に震えている。


「あの野郎」


 ギュンターは悪態をつきながら腰を下ろし、強く息を吹きかけた。灰は散り散りになりながら粉雪と共に街へと降り注ぐ。


「ふん」


 鉄塔を除けばこの街で一番高い建造物。

 庁舎の一番高い窓辺に立つ男は、重たい鉄製の窓を勢いよく閉めると、雪の降る渓谷にガシャンと冷たい錠前の音を響かせたのだった。


 ※ ※ ※ ※ ※

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