第14話 夢
(あれ、ここは……)
目を開けると、私はいつの間にかどこか見覚えのある建物の一室に立っていた。
何処か落ち着く古紙の匂いに、ところ狭しと並ぶガラスのショーケース。
見上げれば鉱石灯のシャンデリアが天井で揺れている。
壁面には茶色く変色した古めかしい絵画や年表の数々。
(竜運……会館……?)
まどろむ思考の中で、場所と名前がおぼろげながらも一致する。
しかし周囲の景色に違和感を覚える。
今の竜運会館はほとんど明かりも落とされて、資料館のショーケースもすっかりほこりをかぶっているはず。
いつの間にリニューアルをしたのだろうと首を傾げていると、背後から元気の良い少女の声が聞こえてきた。
「ロスカいつまで見てるの! 私、もう先に行っちゃうよ!」
ハッとして振り返ると、そこに立っていたのは灰色髪の少女と、茶髪の少年。
「竜運の道具っていろんな形があるんだなぁ。こんな複雑な形、どうやって作るんだろ」
腰に手を当てて苛立つ少女に対し、少年は上の空でショーケースに張り付いたまま。
「いーくーよー‼」
「あででででで!」
とうとう我慢できなくなったのか、少女は少年の耳を引っ張った。
そのまま少年は引きずられるようにして会館の外に連れ出されていく。涙目でこちらへ向かって手を伸ばしながら。
それを見て、思い出した。
(あぁ……私はこの日を覚えている。なんて懐かしいの)
私は確信する。夢を、見ているのだと。
この景色も、幼い自分もロスカも、すべてはるか昔の記憶にしまい込んでいたものだ。
私は頬を緩めながら彼らの後を追い、太陽が照りつける会館の外へと足を踏み出した。
彼女らの行き先はもちろん知っている。竜運商会の荷受け所だ。
私は迷うことなく足を進めつつ、天を仰ぐ。青空の下、何匹もの竜が翼を広げて行き交っていた。
街のシンボルでもある鉄塔はやはり錆びついているものの、頻繁に竜が登るため今より幾分輝いていた。
目線を戻すといつの間にかもう荷受け所の前に立っていた。いよいよ夢らしい。
見れば、ちょうど幼い私達を前にして受付の男が困ったように後ろ頭を搔いているところだった。
「お願いします! 荷物を運んでください!」
必死に訴える幼い姿の自分。伸ばされた両手には、凹みや傷が目立つブリキの缶。
「荷物って言っても、運ぶのはお嬢ちゃんだろ? うーん、人の運送ができる操竜士は常に忙しいし……」
受付の男は受け取った缶の蓋を開け、ため息をついた。
「それに、これだけだとなぁ……」
中には、ぎっしりと軽銅貨が詰められていた。
当時の私はお金の価値なんてわかっていなかった。子供の両腕に収まるブリキ缶いっぱいあれば、大金だと信じ切っていた。
あれほど軽銅貨があったとしても数えるのが大変なだけで、ランチ一食分ぐらいにしかならない。
運送の規定料金にも満たっていないのだ。今なら分かる。
だから、受付が困り果ててしまうのも仕方のないことだったのだ。
「どうして……! こんなにたくさん集めたのに……!」
小さな私は、大粒の涙を浮かべる。
「ケチジジイ」
「いてっ! こ、このガキ!」
涙ぐむ私の傍らで、ロスカが受付の男に蹴りを入れた。
怒った男はロスカの背中を掴むとひょいと吊り上げ、ふてぶてしい態度の少年を睨みつける。
まるで勝負にはなっていなかったが、ロスカも譲らず睨み返す。
「何の騒ぎだと見に来てみれば、うちは新規事業でベビーシッターでも始めたのかな?」
聞き覚えのある渋い声に振り向くと、若き日の館長が肩をすくめていた。
はだけたフライトジャケットの胸元には、操竜士を表す銀色のタグが輝いている。
「しょ、所長! 違うんです! こいつらが仕事の邪魔を!」
ああこの頃はまだ所長だったな、なんてしみじみしていると、館長はしゃがみこみ、幼い私の頭を左手でゆっくりと撫でた。
「どうしたんだい、嬢ちゃん。悪いお兄さんに泣かされたのかい?」
「所長っ……!」
何か言いたげだった受付に、館長は空いた右手を軽く上げて制止する。そして何事もなかったかのように語り続けた。
「あのお金は、どうやって集めたんだい?」
「えっと、えっと……。いっぱい、が、頑張って、あつめ、て……う、うえぇぇぇん」
何とか一生懸命説明しようとしたが、少女は言葉に詰まり、泣き出してしまった。
(そうだったな。あの頃の私はどんくさくて、いつも言いたいことが言えなくて。孤児院でもよく年上の子たちに泣かされてたっけ)
泣く私の姿を見かねてか、宙ぶらりんのロスカがたどたどしい口調で横槍を入れる。
「そいつ、毎日自由時間を使って、ずっと石炭配達の手伝いしてたんだ。他の奴らが遊んでる時も、雨がひどくてやめとけって言った時も。変なところ頑固だからな。おまけに竜バカだし」
「……なるほど」
館長はおもむろに立ち上がると、受付台の上に置かれていたブリキ缶を手に取った。
「君、これちゃんと数えたかい?」
ちら、と館長は受付の男に目線を送る。男は「え?」と短く声を上げ、持ち上げていたロスカをすとんと下ろした。
ロスカはどさくさに紛れてもう一度男の足に蹴りを入れると、館長の後ろにそそくさと隠れる。
「こ、この! って、しょ、所長、数えなくったって、そんなの分かり切って……」
「本当に?」
じゃら、と缶を館長がゆすると、銅色に紛れて輝きを放つ大きな銀硬貨が顔をのぞかせる。
「まさかそんな……てっきり軽銅貨だけだと……」
男の顔が一気に青ざめた。
「ほら、間違ってたなら小さなお客さんたちに謝って。俺たちの商売はお客さんあってのものだからね」
「す、すみませんでした……」
頭を下げる男に、ロスカはフンと偉そうに鼻息を荒くし、私は涙でぐしゃぐしゃになりながらも困惑した表情を浮かべていた。
それもそのはず。ブリキ缶の中身は私自身が一番よく知っている。
あんなピカピカの銀貨なんて、受け取ったことも、触ったことすらなかったのだから。
(ふふっ、変に手先が器用なんだから、館長ってば)
銀貨は館長がこっそり仕込んだものだったのだ。
「し、しかし、所長! この子の依頼は、荷物として自分を運んでほしいって話ですよ!」
「え、マジ? 俺お金受け取っちゃったけど……」
引きつった笑いを浮かべながら館長が振り返ると、澄んだ瞳が背後に四つ並んでいた。
「……どうするんですか。こんな依頼、他の操竜士に回せとおっしゃるのですか?」
受付の男がじとっと館長を半開きの目で見つめた。
「~~っ! わかった! わかったから! 俺が受けるさ! それでいいんだろ? ベンさんの分の配達は午後になると断りを入れておいてくれ」
「了解でーす」
受付の男はそれみたことかと薄ら笑いを浮かべながら、館長の手からブリキ缶を受け取るとカウンターの中へと戻って行った。
その場には館長とロスカ、そして幼い私が残される。
子供たちの目線は、先ほどからずっと館長を見つめたままだ。
「だからわかったってば! いつまでもそんな目で見るんじゃない! ちゃんと運んでやるから!」
館長の口から運ぶ、と聞くや否や、先ほどまで泣いていた私は小躍りするように跳ね回る。
「やった! やったぁ!」
頭を抱える館長の横で、ロスカが悪態をつく。
「おっさん。噓ついたら、俺ぶん殴るから」
「はぁ、君口悪いね……。なんでこんなことになっちゃったんだろ……」
思わずクスリと笑った次の瞬間、幼い私だけを残して世界が目まぐるしい速さで移り変わった。
名残惜しいが、夢の場面が切り替わったようだ。
周囲の風景は、再び竜運会館の展示室へと戻っている。
眼の前には、ずいぶんと成長した姿の私がいた。
十二、三歳ぐらいだろうか。緊張した面持ちで胸に両手を当てて、何かをじっと待っている。
(もしかしてこの日って……)
私が思い出すよりも早く、背後から声が聞こえた。
「おまたせ」
館長だ。さっきより少しやつれている。その腕には大きなブランケットの塊を抱えていた。
「か、館長! お、お疲れ様です!」
「そんなにかしこまらなくていいよ。はい、今日からこいつは君のものだ。大事にするんだよ」
少女に手渡されたブランケットがバサリとはだける。中からは薄いクリーム色をした、両手サイズの柔らかい卵が姿を現した。
「わぁ……」
少女は館長そっちのけで、瞳を輝かせる。
とその時、か細い腕のなかで、卵がもぞもぞと動き始めた。
「かかかかかかかか、館長! ううううごうごうご、動いてる!」
「あっはっはっは。もうだいぶ風に当てていたからな。そろそろだとは思っていたが、ちょうど間に合ったみたいだ」
館長は「卵の殻を食べ終わるまで、動かしちゃダメだよ」と告げると、雲のように輪郭が揺らぎ、やがて消えてしまった。
その場には、卵を抱く少女だけが残される。
薄い卵を観察すると、殻の内側から尖った爪か何かが何度も立てられていた。
しかし、殻を破るに至らず、ひたすらその動作は繰り返される。
「がんばれ、がんばれ……っ!」
少女は背中を丸め、ひそひそ声で卵へとエールを送り続け、そして――。
「ピ!」
とうとう破けた殻の内側から、小さな竜が顔を出した。
苔色の生き物はもぞもぞと動いて殻の中からはい出ると、折りたたまれた背中の翼を精いっぱい広げる。
「わわ、いけない! 名前のことすっかり忘れてた!」
感動に打ち震えていた少女は、慌てて資料館の中を見回した。
そして、先ほど少年姿のロスカが張り付いていたショーケースの上にかかる、大きな古い絵画で目を止めた。
そこに描かれていたのは、まだ自然にあふれていた頃のコルミアの街と、野生の竜の絵。タイトルには、旧字体で【自由】を意味する言葉が書かれている。
少女が目線を戻すと、生まれたばかりだというのに竜は翼を羽ばたかせ、ああ、やっと自由になれた、とでも言いたげに四肢を伸ばしている最中だった。
「……決めた! あなたの名前は、リベリウス。誰にも邪魔されない、自由な翼って意味よ!」
「ピ?」
竜は小首をかしげて少女を見つめ返す。
「んー、でも、ちょっと長いし古臭いかも……。もうちょっと呼びやすいあだ名も必要ね。リベ、ベリ、ベリウス……。そうだ! ベル! ベルがいいわ!」
「ピィ!」
小さな竜は嬉しそうに体を震わせた。
「これからよろしくね! ベル‼」
「ピィッ!」
誰もいない静まり返った資料館の中で、少女と竜は、見つめ合う。
(そう。これが、私たちの始まり。私とベルが出会った、最初の日――)
目が覚めると、まだ部屋は暗かった。
私は少し涙で濡れた目元をこすり、起き上がる。
「なんだか、懐かしい夢を見ちゃったね……あはは……」
ひとりそうつぶやくと、私は周囲を見回す。いつもは出勤時間ぎりぎりまで目を覚まさないはずなのに、時計の針は深夜を示している。
珍しいなと、私は首をかしげた。最近寝不足が続いているというのに、どうしたことだろう。私はベッドからはい出すと、キッチンに向かい、ポットから水を注いで一気に飲み干した。
乾いた喉から水が全身に染み渡る。
「ふぅ、水はいいねぇ。いよっ、さすがは水の都コルミア渓谷の天然水! ありがたや、ありがたや」
パンパンと手を叩き、水に感謝を告げる。
私はまた起きてしまった時用にもう一杯水を注いで、ベッド脇のサイドテーブルに運んだ。
再び布団にもぐりこみ、眠れるかな、と不安を覚えたその時だった。
私の耳に微かだが人の声が聞こえてくる。なにやら外が騒がしい。
(こんな時間に、ご近所迷惑な人たちだなぁ)
しばらく声の主たちが去っていくのを待ち続けたが、一向に声が収まる気配はない。
(うぅ、一言注意してあげたほうがいいかなぁ。私以外にも、同じように寝付けない人がいたらすっごく困ってるだろうし……)
私は大きくため息をついてから体を起こし、カーテンを少し開いて外を眺める。
驚くことに、こんな夜更けにもかかわらず多くの人が通りに集まっていた。
(なにかあったのかな?)
街灯の下に集まった人たちは、ひとりの男を囲んでいる。男は身振り手振りを交えて、興奮した様子で街の人に何やら大声で話をしていた。耳を澄ませてみるも、窓越しだとくぐもっていてよく聞こえない。
私は窓枠の錠前を回すと、重たい鉄枠を開け放つ。
その瞬間、男の声が鮮明なものへと変わった。
「だから竜が! 竜が竜舎から逃げ出して鉄塔の下で暴れてるんだよ!」
竜、と聞いて、私は無意識に首にかかった操竜士のタグを握り締める。
「嘘、でしょ……?」
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