アリスの冒険のはじまり


 もうすっかり夜も明けて、お腹の感じからするとお昼ごろかな、とアリスは思いました。ですけど『怪談の世界』はお空に雲がかかったみたいにうす暗くて、霧が出ているみたいにぼんやりしています。なんだかじめじめしているし、アリスはあんまり好きじゃありませんでした。

「ねえ、まだ遠いの?」

 お口をとがらせて不満そうにアリスは言います。案内するために先を歩いているフランケンがゆっくりしているので、そのことについてもアリスはまどろっこしさを感じていたのでした。

天狗山てんぐやまを越えれば、すぐだ」

 フランケンは振り返ったりもせずにそう言いました。アリスの質問へのお返事にしてはちょっとかみ合っていません。

「東洋妖怪の領地は、みっつの難所に守られている」

 フランケンが言葉を続けます。ですけどやっぱりアリスの質問に答える感じのお話しではありませんでした。フランケンはいついつでもマイペースそうに見えます。

「天狗山。鬼ヶ谷おにがたに千年社せんねんやしろ。さっきも言ったが、天狗たちはなわばり意識が強い。ただ越えていくだけというなら、天狗山は、もっともむずかしいだろう。ほかのふたつは、こっそり通ろうと思えば、通れるからな」

「でも天狗山ってのがいちばん近いんでしょ?」

「そうだ」

 こんどはアリスの質問にちゃんとフランケンは答えました。

「俺は、西洋妖怪だ」

 またあんまり関係のないようなことをフランケンは言い出します。

「西洋妖怪と東洋妖怪は、基本的に仲が悪い」

「お茶会とかしないの?」

「西洋妖怪である俺は、東洋妖怪の天狗たちに、会うわけにはいかない」

 やっぱりフランケンはアリスの質問を無視します。まあアリスはほがらかな性格なので、ちょっと無視されたくらいじゃ怒ったりしませんけれど。

「天狗山を越えるのに、天狗に会わないなんてのは不可能だ。だから俺は、ここまでだ」

 お話しにちょうどぴったりだったのでしょう。フランケンは立ち止まって、アリスたちのほうを向きました。大きな手を伸ばして、進んできた方向の、もうちょっと先を示します。

「ここから天狗山だ。あとは、おまえたちだけで進め」

 そう言うと、そっけなくフランケンはきた道を戻ろうとします。それをアリスはあわてて引き止めました。

「ありがと、フランケン。マドレーヌをあげるわ」

 にっこにこでアリスはお菓子を手渡しました。あいかわらずのぶっきらぼうでしたが、フランケンは受け取ります。

 おっきな手を上にあげて、こんどこそフランケンは帰っていきました。


 ――――――――


 鬼ヶ谷。

 かつての『妖怪の王』が、攻め込んできた『敵』を攻撃したときにえぐれてできた、大きな大きな谷でした。それがいったいどんな戦いだったのか、その『敵』とは誰だったのか、いまではもう誰も覚えていません。ですけどその深い谷の底にはいまでも番人として、『妖怪の世界』でも特に強い、鬼たちが住んでいるのでした。

「オヤジ!」

 ちいさくてもとっても強そうな、筋肉の詰まった赤い身体を見せびらかして、キドウは『鬼たちの王』に叫びます。自分の身体と同じくらい大きい金棒を地面に突き下ろすと、鬼ヶ谷全体がちょっと揺れました。

『鬼たちの王』はキドウの呼びかけにもこたえずにお酒を飲んでいます。ですけどぎょろりとしたおそろしいお目めは、キドウのほうを向きました。

「この戦の『将』に、なんでオレサマを選んだ。『童話の世界』のやつらは強え。あんたが先頭に立って戦うべき相手だ」

 自分の父親に、そして『鬼たちの王』相手に、キドウははっきりと言ってやりました。キドウは怖がっているわけじゃありません。むしろ自分ひとりでも『童話の世界』と戦うつもりすらあります。ですけど自分の父親が、『鬼たちの王』が、やるべきこともやらずにお酒ばっかり飲んでいるのが気に食わなかったのです。

「おまえ」

『鬼たちの王』は酔っぱらっているのか、それともお口から飛び出したするどい牙が邪魔だったのか、舌っ足らずな調子で息子に言います。

「『妖怪変化リテラ―』を使ったな」

 舌っ足らずはあいかわらずですが、『鬼たちの王』は低くて強い声で言いました。おそばでその声を聞いた手下の鬼たちのいくらかが、あまりのおそろしさに震えあがってしまいます。

「使わなきゃ、『将』ですらねえ小僧にも傷を負わされただろうよ。てめえ、『童話の世界』を舐めてんじゃねえだろうな」

「舐めきっている。儂を誰だと思っている。『鬼の王』、シュテンさまだぞ」

 シュテンはもっともっとおそろしい声で息子へ言います。ちいさなキドウとは比べものにならないほどの大きな身体です。そのお顔だけでキドウと同じくらい大きいかもしれません。シュテンはそんなお顔をまえのめりになって、キドウへと近づけました。お酒臭い息に、キドウはすこしいやなお顔をします。

「『妖怪変化リテラ―』を使わされたのは、おまえが弱いからだ、キドウ。『童話の世界』がおそろしいなら、隅に引きこもって震えていろ」

 キドウはよっぽど怒って、金棒を叩きつけてやろうかとさえ思いましたが、我慢しました。キドウはシュテン相手であっても負けるつもりはありませんでしたが、自分の父親ですし、『鬼たちの王』でもあります。ケンカをしてもいいことなんてひとつもありません。

「てめえこそ、飲んだくれて高いびきでもかいてろ。やる気がねえってんなら、オレサマがぜんぶ、やっといてやる」

 父親を、『鬼の王』を見下すように言って、キドウはその場所をはなれました。そして小鬼ゴブリンたちのいる、谷のもっと上の階層に向かいます。


「これはこれはキドウさま」

 おしゃべりのできる頭のいいゴブリンがキドウに気づいて、あわてて近づいてはふかぶかと頭を下げました。お膝をついて地面におでこをこすりつけるくらいふかぶかです。

「散れ。邪魔だ」

 キドウは地面にうずくまるゴブリンを蹴っ飛ばして言います。ほかのゴブリンたちもキドウに道をあけました。だからゴブリンたちが群がっていた、甘いにおいのする者たちが見えてきます。

「ほんものの鬼のおでましですか」

 金色の髪を四方八方にうようよさせている女性が言いました。そのうしろにはべつの女の子をふたり、かばっています。そしておそばには血だらけで倒れているゴブリンたちがちらほらいました。いまでも近くにいるゴブリンたちはよだれをたらして少女たちを狙っています。

「脱げ、女」

 キドウは自分よりすこし背の高い女性に向けて言いました。あごを高くして無理矢理見下ろすような恰好をします。

「多少知性があるだけで、あなたたち小鬼かれらと変わりませんね」

 軽蔑するまなざしで女性は言います。うねうね動く金色の髪がぴたりと動きを止めて、敵を狙うように先っぽをとがらせました。

 キドウはがしがしと頭をかきます。なんだか今日はイライラすることが多すぎる。と、そう思いました。

「てめえが『将』か確認させろ。身体のどこかに刻印があるはずだ」

 そう言ってキドウは自分の左腕を見せつけました。二の腕に、大口を開けた怪物と齧られた丸い果実の刻印があります。(これが『怪談の世界』のシンボルマークです)

 キドウの言葉の意味を理解しても、まだなにか裏があるかと思って女性はためらっていました。

「べつに小鬼こいつらにひん剥かれたいならそれでもいいぜ。おとなしく確認させるなら、『童話の世界』を滅ぼすまでは、小鬼こいつらに手は出させねえと約束してやる」

「鬼の言葉なんて信じられません」

「そうか。それで、どうすんだ?」

 女性はやっぱり警戒するように黙っていましたが、やがてあきらめて、胸元のボタンをはずしました。左胸をはだけさせて、心臓のあるあたりを見せつけます。そこに『童話の世界』のシンボルマークがありました。

「うしろのふたりは?」

 マークを確認してから、キドウは女性が守っているふたりにも目をつけました。

「ターリアはわたしと同じ『王』です」

 鬼たちにとらわれて危険な状況ですのにぐっすり眠ってしまっている彼女を、女性はちらりと振り向きました。ですが、もうひとりについては言葉にするのをためらいます。

「もうひとりは?」

 すこしいらだちながら、キドウはもう一回たずねました。

「グレーテルは、『王』じゃ、ありません。ですが」

「わかってるよ。小鬼こいつらに手は出させねえ」

 そう言われて、すこしだけ女性はほっとしました。まだ鬼の言うことを信じきったわけではありませんが、金色の髪の毛は緊張をといて、うねうね状態にもどります。

「てめえは、たしか、ペルシネットだな。『将』がふたりもいるなら十分だ。ほかのやつらをおびきよせる、餌としてな」

 それだけ言うとキドウはペルシネットたちに背を向けました。ペルシネットは自分たちが『童話の世界』の仲間たちを危険にしてしまうことを心配して、やっぱり鬼たちをやっつけて逃げ出そうかとも考えましたが、さすがに自分たちだけではどうしようもなさそうだと諦めます。みんなが助けにきたときにいっしょに戦って倒しましょう。そう決心するしかありませんでした。

 キドウはゴブリンたちに指示を出して去っていきます。それからはたしかに、ペルシネットたちをゴブリンたちがおそってくることはなくなりました。



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