一日目の終わり
それからいろいろあって、ザコは負けました。全身傷だらけで歩くのも精一杯に逃げ出したのです。
「あっははは……! ほんと世界はおもしれえ!」
ダークアリスはもう追ってきません。その無意味さに気がついたのでしょう。だからザコは逃げ切ったんだとわかって、地面に転がりました。おかしそうに、まだまだ笑いながら。
「
あっはははは。と、まだひとしきり笑うと、うんしょっとザコは起き上がりました。やっぱり、もうすっかり全身の傷はなくなっています。
「でもどうしようか。あたしのことを知ってるやつらが敵にいるってのは、いろいろめんどうだな。かといってなあ」
ぶつぶつ考えごとをしていたザコですが、そこですっかりひとりごとはやめました。気がついたからです。
「ザコ」
うしろに、正体がバレちゃまずい相手が近づいていたのです。ザコはいつも通りのお顔を作って、ふりかえりました。
「あらあらヴラドさま。おいたわしいお姿で」
「貴様は元気そうだ。残ってドロシーを殺しておけ」
「あなたさまが不覚をとった相手に、あたしなんかが勝てるわけないじゃないですかぁ」
傷ひとつない、とっても元気そうなザコを、ヴラドはいぶかしむように見て、それでも「それもそうだな」と言いました。
「ダークアリスとやらはどうなった?」
「あいつはほうっておいてだいじょうぶです。『怪談の世界』の敵じゃない。だけどハートの女王も取りこんでいるみたいだから、ハートの女王がこちらにつくことはないでしょう」
「そうか」
ヴラドはだいぶ疲れていました。ですからザコの言葉に信用ならないところがあるとはわかっていても、いったん無視します。
「とりあえず引く。第一日目は、我々の負けだ」
だが、つぎこそは。そうヴラドはあきらめていませんでした。
ですけどとりあえず、彼らは『怪談の世界』に引き返したのでした。
――――――――
「ああああぁぁ! ムカつく!」
ダークアリスは地団太を踏みながらお城の奥に進みます。どしんどしんと石畳の廊下を鳴らしながら。
「おやまあ、やっぱり負けたのかい。アリス」
薄暗い廊下のさきで、そんな声がしました。その言いかたにダークアリスはムッとします。
「負けてないし! 勝てなかっただけだし!」
廊下のさきの固く閉ざされた地下牢に向かって、ダークアリスは言いました。
「はーははは。それを負けたって言うのさ。
「わかってる! わかってるもん! ごちゃごちゃうるさいのよ、ハートは」
かんしゃくを起こしたダークアリスですが、ハートの女王は「はーははは」と楽しそうに笑うだけです。
「まあ、気長にやることだねえ。戦争にだって勝たなきゃいけない。『童話の世界』がなくなっては元も子もないからね」
「わかってるっての。はあ」
ダークアリスは落ち着いて、薄暗い地下牢獄の廊下に座りこみました。まだまだ
「
ついうっかり猫になってしまいましたが、どうせいまはハートの女王くらいしかそばにいません。ダークアリスはすこし肩をすくめるくらいですませました。
それと似たような感情で思います。ほんとうのアリスの心配なんてする必要なかったわ、と。
――――――――
――『怪談の世界』。
お日さまみたいに明るいお月さまと、もっともっと明るくてさわがしい町並み。ドンチャンドンチャン祭囃子が鳴り響いて、どこにもかしこにも灯りがともっています。
どれもこれもが夜を押し返そうとしているみたいです。でも夜は休むことなく押し寄せてきますから、ちょっと手を伸ばせば暗い闇にふれられました。それはぞっとするほど冷たくて、たくさんの不安で心をざわざわさせてきます。
「はい、アラジン。ドーナツを取り分けてあげたわ」
アリスはにこにこしながらどっさりとドーナツが乗ったお皿をアラジンに差し出しました。たいしてアラジンはいやそうなお顔をしています。
「……いや食うけど。いただきますけども。……もっとなんつうか、甘くない食いもんはねえのか?」
『怪談の世界』にお出かけして半日以上が経ちました。『怪談の世界』の妖怪たちはアリスたちに気づいていなかったのか、襲ってくることはありません。だからアリスたちはまだずっと平和なままで旅を続けていました。そのあいだアラジンは、というより女王アリスご一行さまは、甘いお菓子しか食べていないのです。アリスはともかく、アラジンはもう甘いものには飽き飽きでした。
「はい、メイジーも。クリーム多めにしておいたわ。アラジンには内緒よ」
「聞こえてるけどな」
「あっしはみなさんの護衛ですんでお気遣いなく。食うもんは自分で用意してますし」
「メイジー、その干し肉おれにもくれよ」
「遠慮しなくていいのよ、メイジー。すわってすわって。女の子ほかにいないんだからガールズトークしましょうよ」
「
「ほらみてこのケーキ、ウサギさんの形なのよ。おいしそうでしょ」
「たしかに、あっしもウサギは好物です」
「奇跡的に会話がかみ合ってやがる」
「わたしのお国にもウサギがいてね。しかもおっきな時計を持ってて、いっつもいそがしそうなのよ」
「なにそれおいしいんっすか」
「まだ食べたことないわ」
「じゃあ還ったら締めましょう」
「おれの話も聞いてくれる!?」
アラジンはたまらず大声をあげました。あんまりうるさいのでアリスとメイジーもおしゃべりをやめてアラジンを見ます。見られたアラジンはちょっと困ってしまいました。ずうっとおしゃべりにまぜてもらえなかったからつい叫んでしまいましたが、べつにお話ししたいことがあるわけではなかったのです。
「まあまあ、アラジン王、紅茶でも飲んで落ち着いてください」
ずっとお菓子や紅茶を取り分けていたクラウンが新しい紅茶をアラジンに差し出します。そういえばのどが渇いたなとアラジンも思ったので、紅茶を受け取って一口飲みました。
ですがアラジンはお口に入れた紅茶をいきなり吐き出してしまいます。
「なんだよこれ! 甘すぎるぞ!」
甘いドーナツを食べたばかりなのでお口の中がたいへんに甘くなってしまいました。あんまり甘いものが好きじゃないアラジンは頭が痛くなってしまいます。
「はて、これは」
紅茶を淹れたクラウンも不思議そうでしたが、見るとアリスが親指を立てて得意そうな笑顔をうかべていました。
「ティーポットに角砂糖を入れておいたわ」
「おれを殺す気か!」
アラジンはまた大声で文句を言います。
『まったくおおげさな主人である』
『女王アリスの見事な手品でした』
どこからともなく赤と青の魔人があらわれてアラジンの両隣で拍手をはじめました。それとクラウンも、アリスに親指を立ててお返事していましたので、もうなんだかアラジンはがっくりしてしまいました。
「おれ、留守番してりゃよかった」
*
そんなアリスご一行さまのピクニック中に、おそばの草むらががさごそとゆれました。「みなさん、警戒を」。メイジーが言って、彼女は銃をかまえました。
「…………」
銃口を向けられても怖がることもなく、とっても大きな男が、夜の中から姿をあらわします。彼は血が通っていないみたいな灰色の身体をしていて、ところどころ機械みたいに銀色に光っていたりもしていました。おっきなネジが刺さったりもしているように見えますし、おかしな見た目をしています。
「それ以上近づいたら敵とみなして攻撃します。その場で止まって、要件を言ってもらえますかね」
「俺はフランケン」
まずその男は両手をあげて名乗りました。ですけどべつに怖がっているわけじゃ、やっぱりないみたいです。なんにも考えていないみたいにからっぽな表情と声をしていました。
「『童話の世界』の、侵攻部隊だな。おまえたちこそ、目的を言え」
ところどころ考えごとをしていたみたいに変な間があくようなしゃべりかたでした。電池が切れかけたおもちゃみたいです。
「敵にわたす情報なんて」
「おじいさんに会いにきたの」
メイジーがかけひきをしていたのにアリスが横からほんとうのことを言ってしまいました。メイジーはいやそうなお顔をうかべましたが、こうなることはなんとなくわかっていたので諦めたみたいです。
「なんでわたしたちが戦わなきゃいけないのか、ぜんぜんわからないんだから」
アリスは腰に手を当ててぷんぷんとした表情を作りました。フランケンはあいかわらずなんにも考えていないみたいなお顔をしています。
「ぬらりひょんか。わかった。案内しよう」
「案内なんかなくっても」
「わーい。じゃあ、お願いするわ」
アリスがばんざいして飛びはねるので、メイジーは本当に諦めて、銃を降ろしました。確認してみますと、クラウンとアラジンがもうピクニックセットをかたづけ終えています。すぐに出発できそうでした。
「だが、距離がある。ひとまず今日は、宿を用意しよう」
フランケンは言って、さきに歩いて行きました。メイジーは敵が用意した宿なんてあぶないと思いましたが、どうせアリスは聞きません。やっぱりうれしそうにフランケンを追っかけて行ったので、ほかのみんなもアリスを追いました。
――――――――
こうして戦争の一日目が終わっていきます。たくさんのところでたくさんの出会いがあって、たくさんのみんなが傷ついて、そしてそれぞれの思うままに動きました。誰かがちょんとつっついて動かした物語の続きは、もう誰かさんのおもわくを抜け出して、めちゃくちゃに飛び回り始めています。いつかそれが止まろうとするとき、どんな結末になるのでしょうか。それはまた、こんどお話しいたしましょう。
それではまた、続きの続きでお会いするときまで。ひとまずは一ページ目の、終幕です。
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