もうひとりのアリス


 夜を纏ったみたいな濃いグレーの髪は腰まで伸ばしています。お肌は貧血気味みたいに薄く青ざめていて、真っ赤なお目めをまんまるにひらいたまま笑う姿はちょっと怖くもあります。薄ピンクのワンピースの上から白のエプロンドレスを着ていて、緑色の大きなリボンを頭につけていました。そしてそう、匂いはなんだか、ひなたぼっこをしている猫さんみたいな感じがします。

 どれもこれもがアリスじゃありません。だけど彼女は、どこからどうみてもアリスみたいなのです。

「アリス、しゃん……?」

 もういちどドロシーはアリスを、もうひとりのアリスダークアリスを見ました。うん。やっぱり違います。どこからどうみてもアリスみたいですが、どこからどうみてもアリスじゃないのです。

「…………」

 ですけどそんなことはヴラドには、『怪談の世界』のみんなには関係ありません。扉が開いてアリスがあらわれて、それでヴラドもすこし驚いたのですが、けっきょくはどうでもいいことなのです。アリスだろうがダークアリスだろうが、邪魔をするなら倒せばいいだけ。

 さきにドロシーを、始末してから。

「『一幕武装ブックオープン』」

「…………!?」

 それは、消えるようにとつぜんでした。ですけどドロシーの瞬間移動と違って、その動きが、そのすべてが、ヴラドには見えていました。

 ひとあしに地面を蹴って、アリスはヴラドに詰めよったのです。こっそりとドロシーに攻撃しようとしたヴラドに近づいて、その鋭い爪をふせいだのです。まばたきくらいの一瞬でアリスの手に握られていた、不思議な形をした剣で。

「こっそり! うしろからなんてズルっこ! はんそく! やーい!」

 アリスはヴラドの攻撃を受け止めながらべーっと舌を出しました。まるで万年筆のペン先みたいな形をした剣から黒いインクみたいなものがちょっと飛び出します。そしてそれが、ちょっとだけヴラドのお洋服を汚しました。

「なるほど」

 ヴラドは力を入れて剣を押し返して、アリスから距離をとりました。お洋服の汚れを気にしてごしごしとこすります。

「それが『童話の世界』の特異な武装か」

「ドロシー、だいじょうぶ? はい、立って立って」

 ヴラドの言うことにお答えしないまま、アリスはドロシーをひっぱって立たせました。そんなようすはだいたいアリスみたいなのですが、やっぱりどこか違うのです。お目めがまんまるに開いたままお口だけで笑っているところとか、声に気持ちがこもっていないような気がするところとか、言い出したらきりがないのですけれど。

「ザコ、どういうことだ、これは」

 アリスにお話ししても無視されそうだったので、ヴラドはザコをにらみつけて問いただします。

「ちがう。……そいつは、アリスじゃない」

 ザコは首をぶるぶる振ってお答えします。たしかにほんもののアリスだって生きているのですが(しかもとっても元気に生きています)、そこにいるアリスはアリスじゃないのです。アリスじゃないとザコにはわかったのです。

 ザコのお返事にヴラドはほんのすこしだけ考えました。ですけどやっぱりやることは変わらないので、すぐに動くことにしました。ドロシーをひっぱりあげて背中を向けているアリスにうしろから攻撃するのです。

「アリスしゃ」

「にゃんにゃん」

 なんだかこのアリスは猫さんみたいに鳴くことがときどきあるみたいでした。

 それはともかく、アリスはドロシーに注意されるのよりちょっとだけ早く、ヴラドの攻撃を防ぎます。背中を向けてすっごく無防備に見えましたのに、アリスはとっても簡単なことみたいにヴラドの攻撃を剣で受け止めたのです。

 黒いインクが、またすこし剣のさきから飛び出て、夜の闇の中に散らばりました。その剣の中身にもインクが入っているみたいで、なんだか黒い液体がゆらゆらしているのが透けて見えています。

「心配しにゃいでも」

 あっ、と、間違えちゃったみたいに肩をすくめて、アリスはひとつ、咳ばらいをします。

「心配しないでも、わたしは・・・・『怪談の世界』のお邪魔はしないわ」

 こんどはアリスのほうから力をこめてヴラドを押し返しました。ドロシーのお手てを引いてヴラドと正面から向き合います。

 ヴラドはアリスの言うことがよくわからずに首をかしげました。そのかたむいた景色の中から、なにかが消えます。

「よくも、オズを!」

「…………!?」

 消えたと思ったドロシーが一瞬で耳元にいて、そしてヴラドのかたむいた頭をもっと蹴り飛ばしました。いろいろありましたが、そういえばオズがヴラドに切り裂かれていたのを思い出して許せない気持ちになったのです。

 ドロシーはいま怒っている気持ちしか考えていません。アリスの登場でびっくりしたぶん、怒った感情はゆっくりゆっくり、エンジンがかかるように燃えていきました。じっくり時間をかけて燃え上がった炎は、簡単には消えないのです。ドロシーはいま、背中を切り裂かれた痛みとか、アリスみたいでアリスじゃない誰かがあらわれたこととか、『怪談の世界』を相手に攻撃してしまったこととかを気にしてなんかいないのです。

 ヴラドを蹴り飛ばしたドロシーは空中でもういちど、銀の靴のかかとを三回あわせました。二回連続の瞬間移動です。こんどは地面を転がったヴラドの上から攻撃するために。

「ああ、まったく」

 ドロシーはどうせ消えます。アリスの高速移動と違って、ドロシーの瞬間移動は見ようとしたって見えはしません。だからヴラドはあえてドロシーのことなんか見ないことにしました。蹴られた頭をおさえてひといきつきます。

「もう、真面目にやらなきゃならんのか」

 ヴラドは言いました。そのとき、その頭の上にドロシーがあらわれます。

「ぜったい、ゆるさない……!」

「それはこちらの言うことだ」

 ヴラドの身体からたくさんのコウモリが飛び出して、夜の闇みたいに広がります。

「『妖怪変化リテラ―』」

 ヴラドはもうほとんど、夜そのものになってしまいました。


 ――――――――


「わたし、『童話の世界』とか『怪談の世界』とか、そんなていどのものに興味ないの」

 アリスは、ダークアリスは言います。

「ね、ザコ。……アマノザコ・・・・・

 まるでクラウンの仮面みたいにお口を大きく笑わせて、アリスはザコに切先を向けます。

「……あれえ、なぁんで知ってるかなあ、このお嬢さんは」

 ザコも、とってもおかしそうに、笑いました。



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