ヴラドとザコ、そしてドロシー
女王アリスのお国にはたくさんの住人がいます。ですがその誰もが、しゃべる動物たちであったり、トランプの身体をした兵隊さんであったりでした。アリスやドロシーみたいな、人間たちみたいな姿ではいないのです。
それでも彼らは人間たちみたいにしゃべりますし、感情だってあります。彼らなりの人生がありますし、そして命があるのです。
その命が、奪われていきます。赤い月ののぼるあやしい夜の闇の中、月よりも赤い血が流れていくのです。
「三キロ先までは狩りつくした。すこし侵攻を早めるか」
ヴラドがひとりごとのように言いました。自分に話しかけているのではないとわかったので、ザコはあえてお返事しません。
「それで貴様はいつまでついてくるつもりだ、ザコ」
こんどはちゃんと話しかけられました。ですからザコもお返事を考えなければなりませんでした。
「やだなあヴラドさま。『怪談の世界』の王であるあなた様に護衛のひとりもつかないなんて、おかしな話でしょう?」
にやにや笑って冗談みたいに言うザコに、ヴラドは鼻を鳴らすだけでこたえました。納得したわけではないのですが、あえて文句を言う気にもなれなかったのです。
ヴラドは自分ひとりでぜんぶをやるつもりがありました。女王アリスのお国を乗っ取り、とらわれたハートの女王を味方に引き入れること。そんなことはたいしたとでもないと思っていたのです。
ですけど『童話の世界』と『怪談の世界』にはそもそも力の差がありました。基本的に『童話の世界』の主人公たちに『怪談の世界』の者たちでは勝てません。それでもヴラドは自分が強いという自負がありましたし、女王アリスは不在のはずですから(と、ヴラドはまだ思いこんだままなのです)、そのお国にはほかに強い者などいないという予想もしていました。
それくらいならヴラドはひとりでもじゅうぶんやれると思ったのです。それでもハートの女王という不確定な相手がいます。彼女を仲間にしたいとは思いますが、それが成功しなかった場合、ハートの女王は敵になるかもしれません。そのことまで考えたら、ザコが護衛についているのも悪いことではないのかもしれないと考えてもいたのでした。
それにザコは不思議な存在でした。西洋妖怪ではありませんし、かといって東洋妖怪でもないような気がするのです。彼女、あるいは彼が何者であるのか、どうして自分たちに味方するのか、それをヴラドはちゃんとわかっていません。そんな信用できない者はそばにおいておいてしっかり監視するべきだとも思ったのでした。
「ついてくるなら遅れるなよ。私は貴様を待ちはしない」
そう言うとヴラドは進む速度を上げて、ついでに立ちふさがったトランプの兵士をとがった爪で切り裂きました。
「はぁ~い、ヴラドさま」
軽い調子でお返事して、それでもザコも、しっかりとヴラドについて行きます。
*
やがてヴラドとザコは目的地にまで到着しました。それは女王アリスのお国の真ん中、もっと言えば『童話の世界』の女王たちの領地の真ん中でもあります。そこにどっしりと構えられた大きなお城。ハートの女王がむかし住んでいて、いまは女王アリスが仕切っている本拠地。つまりハートの女王がつかまえられて閉じこめられている場所でもあるのです。
この場所までの道のりはまっすぐ続いていました。ヴラドとザコが進んできたまっすぐな道に、たくさんの血や肉が広がっています。動物たちの毛や羽根が散らばって、トランプ兵の身体だった紙きれが切り裂かれて落ちています。
襲われた動物たちやトランプ兵たちの叫び声はもう聞こえません。これまでの道ではずっとずっと聞こえてきた命の証は、もう途絶えたのです。
静寂が世界を包んでいました。戦争のただなかであっても、いまその場所はとっても静かに時間を流しています。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
お城の扉に手をかけて、ヴラドは静かにそう言いました。ザコが横から見上げてみますに、ヴラドはなんだかすこしだけ楽しそうでした。鋭い犬歯がお口におさまりきらずに剥き出しです。それが赤い月の光を受けてあやしく光りました。
扉が開こうとします。ですけど、そうはさせません。
――――――――
声が聞こえました。叫び声です。
そんな現実から逃げるみたいに、ドロシーは両耳をふさぎました。頭を抱えるようにしてうずくまります。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
ドロシーはなにかにあやまりました。それは襲われている動物たちになのか、トランプ兵になのか。でもどちらにしてもドロシーが悪いわけじゃないはずです。それでもドロシーはあやまり続けました。
「ごめんなさい、アリスさん。わたしには」
「やあやあドロシー。弱虫ドロシー」
耳をふさいでいても聞こえる声で、オズが言いました。オズの声はいつも、耳から聞こえるというより心の中に直接入ってくるみたいな感じがします。
「うるさい、オズ。そんなの知ってる」
ドロシーは知っています。自分が弱いことを知っています。弱虫で臆病で、とってもだめな子であると知っているのです。
「アリスに任された国の番をしないまま、殺されていく動物や兵隊を見て見ぬふり。そんなのでよく
「だって、わたしなんかじゃ」
「だって、でも、どうせ。ふたこと目にはそればっかりじゃないか。ああ、やだやだ。そんな言い訳をアリスにもするんだろう。そして許されるのを待っている。アリスは強くて優しい、本当の主人公だから、こんな弱虫ドロシーだって許してくれる。それできみは、自分は悪くなかったんだと安心するんだ」
「わたしは悪くない。だってわたしは悪くない。わたしにはなんにもできないんだから。みんなを助けることなんてできないんだから」
ドロシーは叫ぶように言いました。ほんとうに叫んでしまっては敵に見つかるかもしれませんから、声はちいさめでしたが。
「できないことなんてない」
オズは強く言いました。あんまりにも強い言いかただったので、びっくりしてドロシーは顔をあげます。
「この世界にはできないことなんてないんだよ、ドロシー。できないことがあるとしたら、それはやらなかったことだけだ。きみができないとあきらめてしまったことだけだ」
ぶるぶるとドロシーは首をふります。オズがうるさかったのです。それにやっぱり、世界にはできないことだってたくさんあるような気がしたからです。
そんなドロシーにあきれて、それでもオズは言葉を続けます。
「すくなくともきみはぼくを救ったじゃないか。マンチキンの国で、ウィンキーの国で、エメラルドの都で。きみはきみの冒険で、あの世界を救ったんだ」
ぶるぶると、さっきよりも大きくドロシーは首をふりました。
「トトがいたもん。カカシもブリキも、ライオンもいた」
「だけどきみもいたんだ、ドロシー」
「わたしはなんにもしてない! みんなが世界を救ったの!」
ついにドロシーは叫び出しました。敵に見つかるかもなんて考えてもいません。
「そんなことを言うなよ、ドロシー」
悲しそうな声でオズは言います。
「きみがあの場所にいたことを、きみがみんなと冒険したことを、なんにもしてないなんて言うなよ」
「でも」
「きみがいたからぼくは救われたんだ。嘘で塗り固めるしかできなかったぼくを、きみが救ったんだ」
ドロシーは黙ってしまいます。たしかに物語でドロシーはオズの嘘を見抜きました。だからそれを否定はできなかったのです。
「きみはやればできる。あの冒険で、きみはそれを証明してみせた。きみは故郷に帰れたし、それどころか世界を救った。やればできるんだよ、ドロシー。問題なのはいまきみが、なにもしていないということだ」
ドロシーは鼻水をすすります。ほんとうはドロシーだってわかっているのです。
「きみは、きみのたいせつなアリスの国が襲われているというのに、なにもしていない。べつに戦えって言ってるんじゃないんだ、ドロシー。泣いたって逃げたって、騙したってズルしたっていいんだ。だけどきみは自分の家に閉じこもったまま、ただ耳をふさいで目を閉じて、なにも聞かずになにも見ずに、なんにも知らないままで終わらせようとしているだけじゃないか」
「どうすればいいの、オズ」
ドロシーは決心して言いました。それを聞くのは動く決意をしたことの合図です。
「国なんかどうなったっていいさ。だけど住人は逃がさなきゃならない。それとどうしてもさせちゃいけないことだってあるだろう」
「させちゃ、いけないこと……」
考えて、ドロシーはひとつ思いつきました。女王アリスのお国で起こりそうなたいへんなことといえば、たぶんそのひとつだけです。
思いついてしまえばあとは簡単です。行動すればいいのです。
これまでずっと、ドロシーは、戦ったり襲われたりすることをこわがっていたのですが、それもやることが決まってしまえばどこかへ行ってしまいました。やらなきゃいけないことに集中して、ドロシーは走り出します。
――――――――
「だめですぅ!」
ドロシーは息切れした声で、それでも大きく叫びました。お城の扉を開こうとしていたヴラドが振り返ってドロシーを睨みます。
「なんだ。まだ生き残りがいたか」
なんということもないような声でヴラドは言うと、鋭い爪を輝かせます。
「ひいいいいぃぃ!!」
だからドロシーは怖くなって、叫び声をあげました。
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