カグヤは月に想いを馳せる


 その夜には真っ赤な満月が浮いていました。その輝きはまるで血涙を流すのをこらえているかのようでした。

 こらえている? いったい誰が?

 この場合は、世界が、でしょうか。

「…………」

 黙ったままカグヤはただその月を見上げます。すでに夜も更けておりますが、カグヤは外行きの着物を着こんだまま、その美しい黒髪はひと房の乱れもなく整ったまま、ただ姿勢よく軒先に正座して、真っ赤な月を眺めているのでした。

 いやな予感がします。カグヤは黙ったままそう思いました。余計なことを口に出すこともありません。それでもふとしたときに必要のない言葉が溢れてしまいそうですから、カグヤは口元を扇子で隠しました。

 いろんなことがありました。カグヤは実のところ月なんて眺めていなくて、ただ自分の心の中を見ているだけなのでした。

 本当ならいまごろ、あの月に帰っているはずでしたのに。カグヤは帰りたかったわけではありません。むしろ月に帰ることは怖れていたことでもありました。だからいまのカグヤのありかたは彼女にとってとても満足いくもののはずでした。

 やっぱりわたくしなんて……。そう思って、その思いをカグヤは飲み込みました。口に出してはいません。心の中でのことです。それでもそんなふうに自分をだめな子のように考えるのはいけないことだと思えたのです。

 女王となった、いまのカグヤには。

「女王なんて」

 カグヤはつい、そのように言葉にしていました。それはたぶん言ってはいけないことなのです。世界が、物語がカグヤをそう決めたのなら、それを否定してはいけないのです。

「わたくしには、荷が重い」

 それでもカグヤはそう言いました。故郷の月を見上げると、つい弱気になってしまいます。そうとわかっていても、見上げずにはいられません。

 帰っても地獄。残っても地獄。

 世界は平和で、そして地獄です。

 だからがんばらないといけないのです。自分よりすごい自分をみんなが求めているから。そんな期待を裏切りたくないから。

 がんばるという地獄を、続けなくてはいけません。

「…………」

 カグヤは言葉を飲み込みました。それからすっと、衣擦れの音だけをさせて静かに立ち上がります。そうして。

 なにが起きるかはわからないけれど、なにかが起きたときのために、なにかを準備しておきましょう、と、お屋敷をさまようのでした。



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