第46話 現実に「天使」はいない

 現実に目を向ける。


 エンはまだ時間を稼いでくれているが、その身体には傷が増えてきている。


 ――これ以上、エンに任せてはいけない。



 パン、パンッ……。



 銃声が鳴り響く。そろそろ痺れを切らしてくる頃だ。


 結月はダルに向かって走り出す。その雅な装飾ともいえる、尻尾やらマフラーやらが非常に邪魔に感じた。それでも足は軽い。


 結月はふとジャンプしてみる。ダルが天使の羽を持ち自由自在に飛べるのなら、自分にも何かできるのではないか。これだけ狐風な姿をしているのだから、ちょっとくらい運動能力が良くなってもおかしくないと思ったのだ。


 予想は当たっていた。一メートルは軽く超える住宅の塀の上に飛び乗る。


 ダルは宙に浮いて、エンの相手を厄介そうにしている。高さはぐっと縮まった。



「っ……!」



 ダルと目が合う。

 興味の矛先が結月に向く。


 ――不思議だ、怖くない。


 死の恐怖、仲間を傷つけられる恐怖、失う恐怖、何もできない恐怖。怖いという字のつくすべてが結月の中から消えていく。不安も、孤独も、何も感じない。


 ただ結月の心にあるのは、燃え盛る決意。



「ダルっ!」



 結月は塀から飛び、ダルに覆いかぶさるように乗っかる。ダルの翼が必死に耐えているお陰か、ゆっくりと地面に墜ちていく。


 腕の中で抵抗するダルは、結月の腹部に銃口を突き付ける。


「もう大丈夫だから……」



 結月は青い炎を手全体に纏わせる。


 ダルが結月の命を狙うように、結月はダルの欲望を狙う。


 臆することなく、ダルの腹部目掛けて炎を差し込む。


 結月の指先は布に触れなかった。その奥にあるはずのシールドにも触れない。


 次に伝わってきた感触は、ヒビが入って砕けた、かつて球体だったと思われる、冷たいもの。硬いかと思いきや、少し触れるだけで崩れる。


 ――これが、欲望?


 青い炎の勢いが激しくなっていく。欲望そのものが触媒になっているかのように、炎は瞬く間に広がっていく。指先にあるものの、感覚が無くなるまでそう時間はかからなかった。



「ダル、俺はやったよ。お前を……助けたよ」



 気が付けば、ダルは背中の翼や天使の輪を失っていた。低速落下していた二人は地面に叩きつけられるが、それほど高くなかったため身体を打ったくらいの衝撃で済んだ。


 ダルは意識を失い、そのまま空を見上げながら地面に倒れた。その表情は、苦しみでも悲しみでもない。何かから解放されたかのような、すっきりとした顔だった。


 結月は元の姿に戻っていた。傷だらけになったエンは、少し離れたところで泥島先生に応急手当をしてもらっていた。


 結月が拳を突き上げて笑う。それに気づいたエンも同じように笑った。



「ゆ、づき……」


 ダルは薄ら目を開けて、そう呟いた。


「……ダル」

「ハハ……マジで成功、しやがった。のね?」


「もちろん」


 結月はそれ以上に言いたいことがたくさんあった。



 そうしなかったのはきっと、燃えて感じなくなっていた感情が一気に戻ってきたからだろう。恐怖や不安、言葉にできない感情も、目の前を見えなくする感情も、全てが戻ってくる。


 それ以上言葉を交わそうものなら、泣いてしまいそうだったのだ。


 ダルはそれだけを言って、また目を閉じた。不安になった結月はダルの呼吸の有無を確認するが、至って正常に息をしていた。



「ふう……」


 夜が勝利を迎え入れる。

 気が付けば、永久指名手配の人たちが揃ってダルの方に来ていた。


「……お疲れ様です」


 こういうとき、何を言えばいいのかわからなかった。

 やれることは全部やったはずだ。最善の結末を導き出せたはずだ。


「ありがとうな」


 バックスの言葉にほっとする。


「本人の希望と、俺の案で……ダルの欲望を燃やして消してしまいました」

「いいさ。それでいい。死人が出ないのが一番だ」


 ロウニーとブロスがダルを担いで運ぶ。ARCANAの救急部隊らしき人の姿も見える。きっとそのまま病院に運ばれるのだろう。


「おっと、英雄には次々客が来るな。俺はダルに付き添うから、これで」

「またどこかで会いましょう」

「……ああ」



 永久指名手配の後姿を見送った後、絆創膏やガーゼだらけになったエンが結月の近くまで来ていた。



「お疲れ。本当に欲望を消すとは……すごいことをやってくれたね」


「欲望なんて、その時々で変わるんだからこれぐらいできないとな。俺らしくない」


「固定観念から逃れた、と同時に、ARCANAの常識も破ってさ。大したものだよ。多分後から泥島先生の熱烈インタビューくらうから、注意しておきな」


「えぇ……」


「私は報告書……っていうかほぼ反省文みたいなのを、書かないといけないから。じゃあね」



 エンは去り際に、神妙な面持ちをしていた。普段ならそれを気にする結月だが、今日という日は特に何も思わなかった。


 入れ替わり立ち代わるかのように、啓斗とレイが結月を訪れる。



「あ、さっきエンが行っちゃったけど」


「エンはちょっとせっかちなところがあるからね。色々やることがあるんでしょ、きっと」


 楽観的なレイの返事に少し安心する。非日常に変わりない日常が、戻ってきたみたいで。


「ごめん、結月くん。欲望世界から中々目覚められなくて……」


「それは他の永久指名手配の人も同じだし、大丈夫、気にしてないよ。俺とエンがなんとかやったから」


「やっぱり、目覚めが早いっていうのはアドバンテージになるね。これからも期待してる。今日はお疲れ様」


「お疲れ様! 結月くん」


「二人はこの後どこかに行くの?」


 啓斗とレイは声をそろえて言った。



「「事情聴取……」」



 よくよく思い出してみれば、事の発端はTKOTにある。


 ほぼ不可抗力とは言えど、モノガタリを暴走させたのは自分たちであり、事を大きくしてしまった原因ともいえるだろう。


 こうやって近隣住民が避難していることも考えると、責任の所在を問われるのもおかしくない。



「結月くんも後で本部の人から聞かれると思うよ……」



 苦笑いをしながらそういう啓斗を見るに、相当面倒なようだ。


 それでも事件を終結させたことには変わりない。



 結月はトラウマを乗り越え、欲望を自分のものにした。そしてダルを救い、仲間たちを助けた。結月の中に確固たる自信がついたのだった。



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