第12話 欲の向く先、向ける先

 プルルルルルルル、プルルルルルルル。



 泥島先生の方からよく耳にする着信音が鳴る。泥島先生は慌てることなく、ポケットからスマホを取り出してその相手を見た。一瞬だけ眉間にしわが寄る。


「はいもしもし、泥島ですけど」


 そう言って先生は立ち上がり、体育館の外へ出た。


「結月、結月」

「何?」


 結月はレイを見上げる。身体に残る倦怠感が何をするにも邪魔をして、立ち上がる気にも動く気にもさせない。



「その……そんなに落ち込まなくて大丈夫だよ。えっと、モノガタリは万能じゃないけど、強い一面も持ってるから、上手く使いこなせば……」


「別に落ち込んでるわけじゃない。ただ武器を持ったせいで身体が怠いだけ」



 本当に落ち込んでいるかどうかなんて、他人から見たらわかりやしない。変に気を遣わせないために言った、というのも勿論ある。


 しかし、普段だったら絶対に抱いているはずの劣等感が、いや、確かに抱いていたはずなのに、今は何も感じていない。面影を残さずさっぱり消えてしまったかのように。負の感情がさらりと消えていき、身体の怠さに意識が向く。



「……さっき、木の枝を武器にどんどん変えていってたけどさ。どんな欲望なの?」



 テイルキーパーの欲望がデリケートなものであるなら、今すぐこの言葉を撤回するつもりではあった。



「凄く説明が難しい欲望でね……。「依存」っていうんだけど……」



 しかし、結月の予想に反して、案外すんなり受け入れられたのだ。



「依存? 木に依存してるってこと?」


「いや、そうじゃないの。無意識に働くことがほとんどなんだけど、ある一つの対象に「依存」することで、対象が持つ本来の力とか変化をコントロールできる、みたいなもので……どうかな? これでわかったかな?」




 結月は思考を巡らせる。


 本来の「依存」からかけ離れた効果に納得できないでいる。本来持つ言葉の意味と、欲望が持つ効果を合わせて考えた時、結局は自分でコントロールできてしまっているのだから、「依存」ではないのではないか。


 しかし、「本来自分が持っていない力」に頼りきっている欲望だと考えると、「依存」とも呼べる。頼れるものが全て無くなった時、レイの欲望は無意味となるのだ。



「ああ……うん、なんとなく」


 ――もしかして、いや、もしかしなくとも。


「欲望って結構……持ち主の解釈で変わったりする?」



 レイは目を細める。悩み、結月から視線を背ける。レイなりに、ちゃんと答えようとしているようだった。


「最初に閃いた解釈から、欲望の効果を変えた人を見たことが無い……かな。私も、こういう使い方しかしたことがないし」


「固定観念か。……もしくは本当に最初で決まるのか?」



 結月は小さくそう呟く。


 欲望と呼ぶくらいなら、もっと柔軟なものじゃないかと考える。今日欲しいものと、来年の今日欲しいものは絶対に違うのに。なんて、そんな理論じゃ通用しないのか。


「ああー、すいません。お待たせしてしまって」


 泥島先生が戻ってきた。申し訳なさを微塵も感じないような物言いだが、その表情は曇っている。



「町瓜くんに是非とも会いたいという方々がいまして、もうすでに到着しているようなんですよね」


「いいですよ。どんな人ですか?」


「嫌な同業者です。桧尾さんも知っているような、とんでもない戦闘バカです。彼らの気が変わる前に早く行きましょう」



 レイの方を振り返ると、顔から血の気が引いている。



「レイ、大丈夫か? そんなにやばい人なのか?」



 トラウマを思い出しているのか、今は語れそうにない様子だった。というのも、結月がレイの前に立ち、手を振っても、目を合わせても、声をかけても返事が無い。


 客人を待たせる訳にもいかない。仕方なく校門に向かう。レイは口を堅く閉じていたが、遠目で校門を捉えた頃にようやく口を開いた。



「こ、殺される……」


 ずんと重い空気が三人の空間に広がる。横目で泥島先生の方を見るが、レイの発言を何とも思っていないようだった。思わず足が止まりそうになると、泥島先生の手がすっと背中に伸びてきて押される。


「……え?」


「そのままの意味だよ……。先生、私会いたくないからエンのところに行ってきていいですか?」



「桧尾さんは別に構いませんよ。相手方が会いたいと言ってるのは町瓜くんだけですので」



 殺されそうな状況で置いて行かれそうになり、絶望がさらに増す。



「レイお前見捨てる気か⁉」


「ごめん、でも結月ならきっと大丈夫って信じてるから!」



 レイと今まで過ごしてきた中で一番大きな声を聞いた。それと同時に、人間を捨てたような逃げ足の速さを見せつけられる。あれもきっと「依存」だと思うと、余計に腹が立った。


 しかし、もう相手の目には映っているだろう。今から結月が逃げても追ってくるのは考えなくてもわかる。ましてや、レイが殺されるような思いをした相手だ。何をされるかわからない。



 小柄な男が長い白色の前髪の隙間から血色の瞳を覗かせていた。


「どぉーも。ARCANA・永久指名手配に所属してるダル・エンヴィー。君が町瓜結月くんだね?」



 ダルは前髪をかき上げ、ゴーグルバンドで押さえつける。右目が残った前髪で隠れたままになっているが、本人は何ら気にしていない様子であった。


 季節外れの白いフード付きのコートの下から、重装備が見え隠れする。一つ一つの名称や用途が分からなくとも、映画の中の軍人や特殊部隊の人たちが着用しているものと同じものでは無いかと結月の中で察しがついた。



 その背後には茶髪で体格のいい高身長の男が黄色の眼光をギラつかせる男が立っていた。



「……どもっす。コイツと同じくARCANA・永久指名手配所属のバックス・レイダーっす」



 黒のインナーに薄灰色のコート、その背にはあまりに目立つ刀を装備している。背を這うような低い声に生気は宿っていない。



「どうも初めまして。Tale Keepers of Truismの町瓜結月です」



 結月は精一杯の作り笑顔を見せる。その裏では、恐怖で今にも逃げ出したいという気持ちがあった。

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