第4話 血詠葬のモノガタリ (3)

 一直線に走るエンを逃がすものかと、血液の剣が宙を飛び一斉に襲い掛かった。


 足の動きを止めて滑りながら、物は試しと言わんばかりに弧を描いて斧を振りかぶる。分断された血液の剣は一度その形を崩して、液体となり地面に落ちるが、すぐに元の剣の形になりエンを襲う。


 エンにとって己の無鉄砲を恨むのは何度もある。まさに、今回もそうであった。


 足が滑りやすい状況で無理に走り出そうものなら、また先ほどと同じように転倒してしまうことが容易に考えられた。


 だからこそエンは宙を舞う血の剣を無視して、全ての元凶――先代勇者スーケルの元へ辿り着くことを念頭に置いた。


 そして、信頼に賭けた。



「飛び道具はそっちだけのものじゃないよっ!」



 レイがそう叫ぶと、エンの視界の隅を新緑色の矢が何本も通り過ぎて行った。けれどその矢は先代勇者の元へは飛んで行かず、その奥の壁や床にばかり刺さっていく。レイは空を舞う剣をひたすらに狙い続けているのだろう。エンの背後でべちゃべちゃと液体が落ちる音がする。



「思う存分遊ばせてもらおう!」



 エンはしっかりと地面を踏み、確実に前に進めるように気を付けながらスピードを乗せる。先代勇者が斧の間合いに入ったところで上から思い切り振りかぶる。奴はそれを妙なオーラを纏う剣でしかと受け止め、力勝負へと持って行こうとする。


 刃物と刃物の力勝負、それはエンが最も嫌いな勝負であり、避けられない勝負でもあった。


 その場のノリとカッコよさで武器を振るう癖があるエンは、真っ当な修行を積んだ凄腕の戦士などではない。ましてや、設定とは言え、熟練の勇者であり剣士であるスーケルに正面勝負で勝てる訳が無いのだ。


 勝つためには誰かが正解を導き出す必要があった。


 何処に行き、どう身体を動かし、敵のどの部分に刃を当てるか。


 それらを明示したのは、誰でもなく啓斗であった。



『宿る力の奥底などは存在しない、〈虚空音〉の領域へようこそ』



 啓斗が構えたのは半透明の水色と青色の混じり合った美しいペンデュラム――「虚空音」のモノガタリは人の力を底上げするバフ効果がある。しかし、その代償と言わんばかりに対象者の音を条件付きで全て奪う。


 啓斗が思う「正解の場所」にエンが辿り着くと、その瞬間からエンの音が全て奪われる。その代わりに狙うべき弱点や正面勝負でも勝てるようなバフを彼女に付与する。


 虚空音の効果が発生しているときは、啓斗にとってエンは駒に過ぎない。


 エンは先代勇者の力勝負を切り上げて姿勢を崩した。先代勇者の周りを素早く移動し、適切な位置を探している。骨と皮しかない先代勇者はエンの動きに目がついていけず、構えの姿勢のまま固まってしまっていた。


 それでも血の剣はエンを狙い続ける。一つ一つをレイが弓矢で狙い落すが、レイにも疲れが溜まって反射速度が落ちてきた。


 エンがニヤリと笑う。先代勇者の右斜め後ろ。「虚空音」の効果がある無音の場所。



 先代勇者とエンの間には数多くの矢が地面に刺さっていた。


 エンの身体に半透明の水色のオーラが纏う。


 斧を構え、地面を蹴る。先代勇者の背丈よりも高く飛び、振り下ろす。


 先代勇者は剣を構え、エンの斬撃を受け止めた。


 斧は剣を砕き、先代勇者の姿勢が崩れる。エンは見逃すものかと、勢いを落とさないまま先代勇者に打撃を与えた。鈍い、骨が砕ける音が広間に響いた。



「よしっ……」


 エンは先代勇者から距離を取り、次のアクションを待った。


「レイ、今だ!」


 啓斗がそう言うと、レイは何かを察したのか弓を離し、木製の矢を握る。


「わかったっ!」


 先代勇者の周りの地面に刺さった大量の矢が一瞬で姿を変える。地面からうねり出た木の根のようなものもあれば、ただの植物に変わったものまであった。


「エン! 離れて!」


 虚空音の効果も終わり、エンは反射的に植物から離れる。ジャングルのように急成長した植物たちを呆然と眺めていた。植物は先代勇者に纏わりつき、その動きを止める。


 そんな、魔法のような現象。それだけでも結月の胸を踊らせる。



「結月くんもあんな感じで特別な力が使えるんだよ」



 胸の奥がぐっと熱くなる。感極まったとか、そんなものじゃない。

 熱くて、熱くて、それでも手放したくないこの炎は一体何か。



「敵を囲うあの植物を、どうしたい?」



 啓斗の優しい声が悪魔の囁きにも聞こえるのは、どこかに罪悪感があるからだろう、と結月はわかっていた。思うことを本当にしていいのか、判断を委ねたかった。


 モノガタリに入る資格のある者は、欲望を刺激されると次第に抑えられなくなる。その性質を一番理解していたのは啓斗であったし、上手くコントロールするのも啓斗の役割であった。



「どうしたい、じゃ曖昧だね。最初だからわかりやすく――」

「いや、啓斗の言おうとしてることはわかった」



 結月はあえて啓斗の囁きを遮った。それ以上、心の内側に潜り込んでしまわれるのが気に食わなかったと言えるだろう。


 どうしても自分だけのモノにしたい炎が心の奥にある。啓斗が言いたかったことは、この炎をそのまま具現化できる、ということに違いない。だからこそ、ゲームの中のキャラクターが感覚で魔法を使うように、意のままに「猛火」を発現させる。


 植物たちの根元に小さな火種がふと現れる。マッチのような、小さな火種。次第に火が燃え移り、猛火となり、植物を灰にしていく。予想通り先代勇者にも燃え移った。




 モノガタリ以外に、魔法のような奇跡を起こす方法。

 モノガタリに入り込める者――テイルキーパーだけが使える唯一の奇跡。

 物語を破壊しかねない危険性。どうしようもない時の最終手段。




 テイルキーパーの心の奥底にある、欲望の力。




 轟々と燃え上がる植物を見て皆は確信した。エン、レイ、啓斗はそれぞれ違った思惑の視線を向ける。ただ、共通の想いがある。結月は「同胞」だと。


 町瓜結月はテイルキーパーの素質を持ち、何かしらの欲望を抱える者なのだと。



「エン、危ないよ。こっち行こう?」



 エンに声をかけたのはレイだった。レイは強引にエンの手を引き、燃え盛る植物と叫ぶ先代勇者を横目に、結月と啓斗が待つ棺桶の近くまで連れて帰ってきた。


 四人は炎の勢いが収まるまで静かに待っていた。


 やり遂げた結月は炎から目を離せずにいた。


 炎の勢いが弱まり、先代勇者が居たであろう場所には灰と骨だけが残っていた。


 エンは熱い、熱いと文句を言いながら骨をかき集める。結月は心底ぞっとしていた。ただ、エンは全く気にする素振りを見せない。


 集めた骨を棺桶に雑に投げ入れ、蓋を閉めた。



「現実世界に帰るために、一芝居打つか……面倒だなぁ」



 エンは再び蓋を開け、驚いた表情をする。そして、瞼を閉じて胸の前でこぶしを握った。



 本来の物語のエンディングに沿ってこの世界を終わらせる。


 それがテイルキーパーの役割であった。


 地面が歪んで、目に見える全てのものが崩れ始める。音が次第に遠くなり、意識も遠くなっていった。





 ◇

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