第2話

 夢を見た。


 とてもとても暗い場所。唯一ある天窓からは柔らかな月明かりが差し込み、藍色の空に無数の星が遊んでいる。

 指先は熱く足先は冷たい。

 妙に荒い呼吸とうるさいほどの鼓動が反響する。ザラリとした壁は冷たくの心そのもの。

 ……さみしい。


 あ、天窓から誰か覗いている!

 手を伸ばしても届かない。声を出そうとすると喉が焼けつくように痛む。

 壁を叩いて頭を揺さぶるような音を出したけれど誰かは気付かないのか、ふと背中を向けてしまう。

 ……ああ、また行ってしまう。

 天窓の端でキラリと何かが揺れて消えていった。

 ……次はないかもしれない。

 足元に悠然と輝く満月を思いきり踏み散らした。






 何か分かりそうだったことは覚えている。


 私はここ数日高熱で意識の浮上と下降を繰り返して危険な状態だったのだという。

 意識のハッキリした今はその時のことは覚えていない。


 薬を飲んでまたベッドに転がる。

 やることがなかった。

 勉強する気力もなく、今日はただベッドに横になっていた。こういう時以前の私なら何をしていたのだろうか。何かを思い出そうとすると脳が膨れて爆発するんじゃないかってくらい痛んでそこから思考力がゼロになってしまう。


 改めて部屋を見まわす。

 本棚には参考書や辞書、図鑑ばかりでエンタメ要素は限りなくゼロに近い。ノートは新品の物で日記もない。

 ゲーム機もなければパソコンもスマホもなく、ある電子機器といえば電子辞書くらいなもの。

「……電子辞書か」

 本棚の本はキレイなのに、結構使い込んでいたのかそれだけは塗装がげたり傷が目立つ。

 電源を入れると『ようこそ かえで』と表示された。以前の私は律儀にユーザー名を登録していた。

 比較的キレイなキーボードの端に文字の削り取られたボタンがあった。

「履歴?」

 押してみると検索履歴がズラリと表示され、あまりの情報量の多さに脳ミソがぐらついた。

 カタカナの長い名前、意味のない羅列のようにも思えるアルファベットもある。だが揃ってみんな『該当なし』と表示された。

 ーー何を調べたかったのだろう?


 電子辞書を適当において散策を続ける。

 変わったところは特になさそう。

 強いていえば鏡がないことくらい。

 でも、不思議ということではない。以前の私は今のように部屋が生活空間というわけではなかったのだろう。そう考えれば部屋に鏡は特別必要ということはなかったのかもしれない。






 空が色を変え出した頃、話し声が聞こえてきた。

 誰か訪ねてきたようだ。

 階段を複数人が登ってくる。音がどんどん近づいてくるにつれて私の鼓動も激しさを増していく。

 数回のノックののち、

『具合どう? 刑事さんが話を聞きたいって来てるけど大丈夫?』

 刑事。

「分かりました。大丈夫です」

 手櫛てぐしで髪を整えて部屋を出る。

 鏡がないのはこういう時に不便だった。





 客間。

 テーブルとソファーしかない小さな部屋に大人が二人窮屈そうに座っていた。

 若い方がガサガサと紙を広げる。

 私は母に促されて向かいに座った。

 テーブルの上に人数分のお茶が並んだ。まだ薄く湯気が回っている。

「すみませんね無理に来てしまって、お体は大丈夫ですか?」

 母くらいのおじさんが頭を掻きながら言う。

「大丈夫です」

 そう答えるとおじさんの隣に座る若い人が写真を並べた。母に一礼して私の目をじっと覗いてきた。

 久しぶりの母以外の人に心臓が暴れまわって体に熱が溜まるのがわかる。

 茹でダコになるのも時間の問題だ。

 隣に座った母が背中をさすってくれて少し落ち着いた。目の前のお茶をクイッと飲み干す。

「すぐ終わりますので。この人たちに見覚えはありませんか?」

 それは同じ制服姿の男女の写真。誰だかは分からないけれど見知った顔もある気がする。


 その中の一人に『かなで』がいた。


「これは通り魔事件と同時期に行方不明になったとされる人たちです。見覚えのある人はいますか?」

 見覚えのある人……。

 みんなそこまで特徴があるようには……見えない。

 みんな同じ、顔?

「……」

「大丈夫ですか?」

 身体を乗り出す若い人が粘土のようにグニャリと歪む。

『どお-さりぇえまますぇ……』

 おじさんは何を言っているの?

 水の中で喋っているみたい……。

 大きな地震でも来てるの?

 グラグラと揺れて、天井も、壁も、床も、ぐるぐるぐるぐる。

 おかしいな。私は動いていないのに。

 明るくなったり暗くなったり電球が切れそうなのかな……?

 あらら、真っ暗だ。

 遠くで母の声がする。

 くぐもってよく聞こえないけれど、なぜだかすごく安心する。

『だいじょーぶ。なーにも心配いらないよ』

 温かい手が心地いい。

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