歪な満月
宿木 柊花
第1話
あの日から毎晩のように見る夢がある。
燃えるような夕日の中で黒髪の女の子に手を伸ばす夢。
女の子は振り返らずに人混みに消えてしまってボクはそっと伸ばした手を胸にあてる。
何か言いたくても言えない想いをまた一つ胸の箱に押し込めた。
空にぽつんと浮かぶ満月を見上げて夢は終わる。
「調子はどう?」
母は今日も私が好きだった饅頭を携えてやってきた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
これがいつもの受け答え。
饅頭をもらって淡い緑色のお茶をすする。
いつか私もこの饅頭になるのではないかという不安をお茶と共に飲み込む。
母は心配性なのかよく様子を見に来てくれる。
ただ、私はそれが少々息苦しくもなっていた。
母が去ってようやく部屋に一人になる。
ほっと一息つく。
記憶がない私は母の頻繁な来訪を拒むことが
記憶を失ったあの日、私はどこで何をしていたのか。
聞いた話によると私は塾へ行く途中、通り魔に
通り魔は私の通う私立中学校の生徒を立て続けに襲っているらしい。
私の覚えている記憶は
事件のことも犯人のことも全く覚えていない。
私立中学校に恨みを持つ通り魔が見つからない事からリモート通学が通常になるも、多くの生徒が転校していったらしい。
親友だという『かなで』も転校したらしく連絡も取れない。
いつも一緒に通っていたのに何も言わずにいなくなるなんて……。
一通りの勉強も終え、窓からは満月が顔を覗かせていた。
夕飯までもう少し。
私はベッドで少しだけ眠ることにした。
またあの夢。
今日は少し違う。
まばゆい光に照らされて黒髪の女の子が背中を向けている。
音もない静寂に包まれながら私はそっと手を伸ばす。
必死に。
両の手のひらを広げている。
女の子の横顔がチラリと見えた。
……かなで!
かなでは誰かを突き飛ばすとこちらに手を伸ばす。
届きそうで、指先が触れた時、
私はその手を振り払っていた。
高さ十数メートル。女子中学生が腕一本で同じ体重のしかも落ちている中学生を引き上げることはまず不可能。
まとめて落ちるのは想像に難くない。
昔から知っている川、水深が浅いことも分かっている。助かる確率の方が圧倒的に低い。
落ちるなら、私だけでいい。
小さくなる欄干に女性の背中が見えた。後ろでまとめられた髪の上で
私は全てを理解した。
「ごはんよ」
目を開けると母が覗き込んでいた。
「今、行きます」
「そう? 無理なら持ってくるけど」
「もう大丈夫です」
柔らかく微笑み、母はそっと扉から出ていく。
そんな母の背中には去年の誕生日にプレゼントした手作りの歪な満月が揺れていた。
「満月……」
母は足を止めて振り返る。
「何か思い出せそう?」
母はやはり柔らかく微笑んでいた。
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