第五集

 翌朝。

 大伴くんに伴われ、俺は朝食が用意されているという食堂に行った。

 一階の食堂は広く、細長い机が整然と並んでいた。そこそこ席が埋まっていて、多くはアジア系だったけれど、西洋系の顔立ちも少なからずいた。さすがは世界都市。


 「こっちだ」日本語が聞こえてきた。

 見れば、奥の窓際で、手招きしている一団がある。


 「壱岐殿、大丈夫ですか?」「心配していたぞ」「無理はするなよ」みんなが口々に声をかけてくる。どうやら壱岐くんは、年少メンバーとしてかわいがられているようだ。

 「茶をもらってきました」そう現れたのは、四十近いかと思える御仁。見たところ最年長のようだが、みんなの席の前に茶を置いている。偉ぶったところがない。さすがは国の代表。

 みんな出身は確かだろうし、学問の勉強に来ているだけあって穏やかそうな人たちばかりだ。とりわけガタイがいいヤツもいない。その中でも壱岐くんは一番背が低く小柄だけれど――成長期はこれからだ、うん。

 同じ遣唐使と言っても、技術者、留学僧は都中の施設や寺に住込で学んでおり、大使ら官人は近日中に帰国するとのことで別棟にいる。よってここに集うのは留学生のみ。異国で同じ目的を持つ者同士、和気藹々としているように見えた。

 そんな中でも大伴くんはあたりまえのように俺の隣に座り、「これ美味しいよ」だの「こっちが酢。使う?」だのと何くれと世話を焼いてくれ、「大伴様は、相変わらず壱岐殿に甘い」とみんなが苦笑いである。

 壱岐くんは、大伴くんの愛玩動物なのかな? 

 それとも――。


「じゃあ、そろそろ学校へ――」

「う……」

 みんなが席を立つタイミングで、俺は口元を押さえた。「急に気分が」

 「おい、大丈夫か」「掌客殿を呼ぼう」みんなが口々に言うのを俺は遮り、

「掌客殿には、ここ数日ご迷惑をかけ通しなので、何も言わないでください。今日は部屋で休んでいますから、みなさまはどうぞ、学校へ」



                  ◆



 俺は、戸口に背を向けたまま、ベッドに横になっていた。

 「私といると危ない。当面は他の者を派遣する」昨夜、許宇様はそう言っていた。だから、傔従くんが昼食を運んでくるまで、この部屋には誰も来ない。


 許宇様は自分が狙われていると言っていたけれど、そうじゃない。

 彼が一人でいる機会はいくらだってある。わざわざ人がいるところで狙う必要なんかない。そして襲撃の際、必ず一緒にいたのは――壱岐くん、ただ一人。


 扉の奥に、人の気配がした。

 傔従くんが出入りできるように、閂は抜いておく――そう、食堂で宣言もした。俺は、掛布団を鼻の下まで引き上げる。

 扉がゆっくりと開いた。しばらくの沈黙の後、それが閉められた。

 足音がこちらに近づいてくるのを確認して、俺は掛布団を払って起き上がった。


「お待ちしていました」

 そこには、驚愕の表情を貼り付けた、あの御仁がいた。


 え、この人? 何で? 壱岐くん、息子くらいの年齢じゃないの? 正直、驚いたけれど、相手が誰であろうが、やることは決まっている。

 俺はベッドから立ち上がり、御仁と対峙した。


「悪意あってのことと思っておりましたが、まさか貴方の仕業だとは――。至らぬ点があるのでしたら、この若輩者に、ご教授いただけないでしょうか?」


 狙いは壱岐くんとはいえ、彼が恨みを買うような真似をするとは到底思えない。きっと誤解があるに違いない。

 だから大丈夫、話せば分かる。相手だって正体を知られてしまったなら、大事になっては困るはず。相手の未来が潰れるようなことになったら、壱岐くんだってきっと辛い。だから穏便に済ませよう――それが両者最善の落としどころだ。


 御仁はフン、と鼻を鳴らすと、「相変わらず、人を小馬鹿にした物言いだな」忌々し気に、そう吐き捨てた。そして震える指で俺を指さしながら、 

「単なる欠員補充で急遽選ばれた、禄に唐語も話せない身でありながら」

「名門大伴の御曹司に擦り寄り」

「挙句、掌客にまで取り入り」

「何の才能もない卑賎の身で、その見た目で誰も彼もたぶらかして」

 ――は?

「どうせ、老いぼれをたらしこんで、使節の一員に捩じ込んでもらったんだろう」

「ふざけんな!」

 気づいたら、段々大きくなっていた御仁に負けじと怒鳴り返していた。

「全部違う、全然違う! そんなくだらない作り話を考えてる暇があったら、一頁でも多く本を読んで、詩作にでも励めよ、ばーか」

 御仁が、目に見えて震えだした。そこで我に返る。

 まずは下手に出て、傾聴。そこから対話の糸口を――そう思っていたのに。何やってんだ俺!

 御仁が辺りをキョロキョロし出し、背後の文机に目を留めた――と思ったら、そこに飛びつき、何かをガッと握ってこちらを振り返った。


 右手には小刀が握られている。


 思わず後ずさるが、半歩でベッドに思いっきりあたった。傍らの小机に置かれていた茶器一式がベッドに落ち、床に転がって派手に割れる。 

 生温かい日常生活に埋没していた俺はすっかり忘れていた。道理では測れない人の心があることを。これは――本気でヤバい。さあっと血の気が引いていく。


 コン! 小気味いい音がした。

 見ると、閂にしていたはずの木の棒が、扉の下に落ちている。真っ二つになって。

 バンっと扉が派手に開く。「そこまでだ」許宇様が、そこに立っていた。

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