桃富の駅

 国道を横切り、橋を渡って、駅前の商店街を抜けるまで、藤垣さんは俺の話に相槌をうち、ときどき質問をし、いつの間にか、話は色んな方へ広がっていった。しかし、藤垣さんが梅野と関わって居たことには驚いた。もっとも、話を聞く限り藤垣さんだって梅野のことをよく思わなかったのは節々から伝わってくるから、彼女にポスターを頼んでよかったと思う。


 桃富の駅に着くと、藤垣さんと俺は定期券で改札を抜けてから別れた。お互いに違う方面の電車に乗るのだ。藤垣さんは改札を入ってすぐの所、駅舎と繋がっているホームで金崎や横石といった都会へいく始発の電車を待つ。もっとも、藤垣さんはすぐ次の馬並で降りるのだが。藤垣さんに手を振ってから俺は跨線橋を渡って、向かいのホームへ行く。

 両側を線路に挟まれたこのホームにやって来る電車の半分は当駅止まりで、俺の乗る狛枝や遠野、槻津町へ行く電車は大抵待たされる。乗っても、五つ目の巻野は遠い。都合よく準急が来たら別だが、一時間に一本のそれに当たることはまずない。俺は自販機で三ツ矢サイダーを買うとその辺の長いベンチに座った。色褪せた広告入りのそれは、座ると軋む。

 キャッチフレーズ・・・・何が良いんだろう。三つの公約と絡めたやつ。

 「よい学校をつくる」いや、これは分かりやすくて短いけど、当たり前過ぎて記憶に残らないよな。ってか幾ら副会長でも一介の生徒には学校をつくれない。

 「よりよい学校生活を」さっきより良いけど、インパクトがない。

 そうだな、「よい」って言葉を入れた上で、よい学校の何か。


 ──間もなく、三番線に当駅止まりの電車が参ります。白線までお下がり下さい──

 唐突に放送が流れる。音質の悪いスピーカーから流れる声はかなりがさがさしている。

 いや、終点の電車に用は無い。よい学校の何か。生徒会に絡めた・・・・、いやそれだと挨拶を盛んにと繋がらないか。

 しばらくして、やってきた電車からはちらほらと人が降りて来る。その中に、ブレザーを来た女子高生がいて、俺の座るベンチの向こう端に座った。清楚な見掛けの割にベンチは軋んだが、まあそういうもんだろう。ところで、うちの学校の女子の制服はセーラー服だから当然うちではないし、そもそもうちの生徒だったら桃富止まりの電車に乗ってない。育ちの良さそうな身なりと深い臙脂色のブレザーからして、本金崎の御堀端の私立にでも通ってるのかもしれない。

 まあ案外重い女子高生は良いのだ。お、そうだ、他校との違いに絡めるってのはどうだ?

 いや、公約に役立てられそうな他校との違いを俺は知らない。浮かぶのは、校舎がボロい、体育の走る授業がやたら多い、特別教室にエアコンが無い、一般教室のエアコンだって暖房は使えない、だから冬はストーブを焚くらしい・・・・もうやめよう。そもそもこれだって生徒会ごときにはどうにも出来ない。

 降りて来る人の波が途切れたころ、車掌が走って車内の点検をするのが見える。わざわざ車庫に入る電車で、急いでする意味があるのか分からないが、職務熱心なのだろう。まあ、熱心にやって欲しいのはそうだ。勉強だって部活だって、熱心にやるのは良いことだ。どうだろう、「熱心な桃高生に」や、そこまで大仰なこと言えないか?


 やがて、九十度近く腰を曲げて、杖をつきながらも風呂敷包みを背負った婆さんが降りてきた。抹茶色の着物に黄色の帯締めをしたその婆さんは、俺と女子高生の間にドサッと座った。ベンチは当然とんでもなく軋み、壊れるんじゃないかと思うような音を立てる。あれは重いとかどうとかではなく、座り方の問題だと思う。腰が曲がるとああいう風にしか座れなくなるのか・・・・。

 そうしてお婆さんは、座っても杖も風呂敷も下ろさず、隣の女子高生の方を見た。

 「ちょいとそこのお嬢さん、本を読んでいるところ悪いが、尋ねてよいかのう?」

 そう言われて、女子高生はちょっとびっくりしたようだが、「いえいえ、なんでしょう」とお婆さんに訊いた。婆さんは、

 「中平山の麓、柎ヶ家という駅に行きたいのだがどの電車に乗ったらよいか分かるかのう」

 そう言われて女子高生は戸惑う。そりゃそうだろう。中平山はこの辺じゃ有名な山だが、それの麓の駅は知らない。

 「すぐには分かりませんけど、ちょっと待っててもらえますか」

 女子高生はそう返した。婆さんを見て、わざわざ駅員のところまで行くのはしんどそうだと思ったのだろうか、席を立つと頭上にぶら下がる時刻表と、その横の路線図をつぶさに見る。俺はなんとなくいたたまれないので、サイダーを口にしながら向かいのホームをぼんやり見ていた。口の中だけシュワシュワしながら、幾ら若い女子高生だって、いつかはあんなに年を取るのだ、と思ってると、暫くして女子高生の返事が聞こえてきた。

 「次に来る区間準急狛枝ゆきに乗っても、柎ヶ家へゆく中平線と分岐する遠野の駅迄は行けません。仮に狛枝で後の電車に乗るくらいなら、このままここで待ってその後に来る槻津町ゆきの各駅停車に乗った方が良いでしょう。多分遠野迄座れますが、遠野に着くと向かい側に柎ヶ家の手前の大畑という駅に行く電車が止まってます、これも遠野で待てば柎ヶ家まで行く電車がその後に来ますから、それに終点まで乗れば柎ヶ家です」

 やたら丁寧な説明を、お婆さんは頷きながら聞いて、最後に

 「なるほど、狛枝止まりの後に来る槻津町ゆきに乗って、遠野で大畑ゆきの後の柎ヶ家ゆきに乗れば良いんじゃな」

 「そうです」と女子高生は安心して答えた。見掛けの割に頭は矍鑠としていた婆さんは、女子高生に着物の袂から出した何かをお礼にあげていた。


 誰だって年は取るのだ、俺があれ位腰が曲がったとき、果たして何を考えるかは分からないが、ああいう親切な女子高生が居たらありがたいのは確かだろう。それから、ああいう年になったら、今自分が演説やら選挙ポスターやらで悩んでいることを覚えているのだろうか。いや副会長だ、子細は覚えていなくとも苦労して副会長になるくらいは覚えてるだろう。苦労して、ね。こういう何気ない日々もいつかは良い思い出になるのだろうか。

 息を切らして走る体育の授業だって、消去法で選んだ音楽の、暑い教室で歌う翼を下さいだって、今そんなつもりじゃなかったって思うことは、腰が曲がればよい思い出になるのだろうか。そりゃあ、なってて欲しい。なんなら遅いくらいだ。毎朝満員電車で、背広を着ているときにだって、思い出せる良い思い出が幼稚園とか小学校だけじゃあ流石にキツい。


 いつの間にかサイダーもぬるくなった頃、やっと電車が来た。「区準 狛枝」と書いた板が下げてあるが、ここではもう各駅停車だ。車内は空いていて、俺は入ってすぐのところに座った。

 向かいの、お嬢様学校の女子高生は次の八ノ台で降りた。それで思ったが、自転車に乗れば十五分でつく距離を、自転車に乗れないからと電車で帰る藤垣さんが素直に羨ましい。

そうそう、キャッチフレーズ。

 ──今嫌でも、年をとったら、良い思い出になる──

 だから俺にはそこまで出来ない。

 ってかもうちょっと短く──よかったと思える──

 何をだ? 学校で良いだろう。御堀端の私立だって、そりゃ羨ましいが、それでも「この学校でよかった」と思えるように・・・・


 翌朝俺は、ノートの切れ端に「桃高全員が『この学校でよかった』と思える学校に」と書き、その下に三つの公約とその内容を書いてあるそれを、藤垣さんに渡した。八時二十分に学校に着いたが、やはり藤垣さんは既に席に着いていた。

 「岩間にしちゃあ良いこと言うじゃん!」

 褒めてくれた。それから、そのフレーズが浮かぶもとになった女子高生と婆さんの話を簡単にした。藤垣さんは俺の話を聞くと、さっき渡したノートの切れ端の裏に簡単な絵を描いた。見れば、真ん中に縦書きで『この学校でよかった』と大書きしてあり、前後の文はその左右に小さめに書いてある。両脇にはそれぞれ女子高生とお婆さんが向かい合う形に立っている。背景は夕焼けを思い起こさせる、黄色と橙色のグラデーションにすると走り書きがある。仕事が早くて助かる、と言うか俺だって演説原稿が出来上がってないのに早すぎるくらいだ。それで御願いしますと頼んでから、俺は自席に戻った。

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