請負の対価
翌朝、俺は一年F組の教室に八時三十分に着いた。ちょうど朝SHR開始十分前の予鈴が鳴る。先週までの分散登校期間を除いて、俺はいつもこの時間に教室に入る。全体の三分の一か半分ぐらいが席に着いていて、その中の後の方の藤垣さんの席にも当然のように本人が座っている。何時ものことだが勉強してるらしい。
とりあえず、今日は原田にポスターやら公約の話をして、細かいところを確認すればよい。別に藤垣さんに話すのは詳細が分かってからで良いだろう。幾ら面識があって、生徒会とも絡んでて、尚且つ梅野と直接的な関係にない絵の描ける人が今のところ藤垣さんしか居ないからといって、わざわざ朝一で本人にその話を出来るほど俺は話すのが上手いわけじゃない。
昼休みになって十分もすると教室は静かになる。我らが桃高生は近隣高校の生徒よりは素行が良いので黙食の指示に従ってる訳だ。食堂もその関係で営業していないので、この時クラス全員が自席に着いている。
そして、それから三分もしないうちに席を立つ人が一人だけ居る。静かな教室に椅子を引く音を躊躇いなく立てる人、もうクラスの半分ぐらいは冬服を着始めたのにも関わらず白いセーラー服をわざわざ捲っている人、つまりは藤垣さんだ。藤垣さんがこんな感じなのは入学してからずっとなので流石に慣れてきたが、性格通り暑がりだとは知らなかった。
四限が終わって昼休みに入るのが十二時四十分、一時にもなれば他にも食べ終わる人がちらほらと席を立ち始める。スマホを見ながら適当に時間をやり過ごして、ここから少し離れた席で昼ご飯を食べている原田を待つ。いい頃に原田の元へ出向いて、一通りの話を終えたときには、原田も絵を描ける知り合いは河本と藤垣さんしか居ないことが分かった。
「いやあ、でも藤垣さんの絵が凄いのは岩間くんだって知ってるでしょ」
「うん、あれは勢谷さんが言ってたけど本当に写真みたいだった」
更に付け加えるなら、文化祭のときなど目の前で見ていたのでよく分かるが、速いのだ、描くのが。A4のコピー用紙に印刷した日本列島の地図をものの五分で大人一人分くらいの大きさに拡大したのが特に印象深い。
原田は続けて、昨日見た総会の絵が出来上がるまでの話をした。
「下絵? まあなんか絵の元になるやつを三日で十五枚、いや二十枚くらい描いて僕に見せてきたわけ」
いまいちイメージが湧かない話だが、原田の話は続く。
「それで『この絵は手間が掛かるけどこっちの奴よりデザイン的にはいいと思う、どう?』
とかいって僕に意見を求めてくるんですよ。」
「いや、そんなの素人に分かるわけないじゃんね」と自分でツッコんでおどけている。原田には同情するが、要はそれが請負わせたことの対価なんだろう。文化祭で一度手伝ってもらって、分のある俺はそんなことを思った。
ここで原田の視線が教室の後へ飛んだ。つられて見てると、食べ終わるといつもうるさい三宅さんとその友達が騒いでいて、その周りにスマホをいじったり勉強してたりする人が居るだけだ。なんてことない。でもって原田はなんでこんなにニヤニヤしているんだろうか。
まあいい。次いで、一応河本の絵についても訊いてみる。やはり美少女専門だそうで、如何にもヲタク好みの絵を描くそうだ。ただ、紙とペンの藤垣に対して河本はパソコンを使って描くので色を付け易いらしい。なるほど、話を聞く限りでは選挙ポスターはカラーだろうから、河本に頼むのもそういう面からはアリかも知れない。
とそこで、俺の肩が叩かれた。振り返ると藤垣さんがいた。俺が何か言おうとしたとき、しかし向こうは、既に勝手に喋ってた。曰く、
「たやすいよ? カラーの選挙ポスター」
原田は、はにかみながら「やっぱり聞いてたんだ」と返す。
請負の対価は思ったより全然高かそうだ。
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