暗い月が星を明るく魅せてくれた。

その日もバイトをしていた。小さな洋食店に、私を呼ぶ声が響いた。「薊実くん!?」同じ高校の男子がバイト先に現れたのだった。彼は髪の短い私を初見で男の子と勘違いしてから、女の子だとわかった今でも敬称を変えなかった。普段真っ黒い制服しか見ていない故か、私服姿の彼はいつもより幾分か顔が明るく見えた。いつも誰かとふざけていて、一人でこんなところに来るのが意外だった。

「仕事中だから。声大きい」私は少し声を低くして彼を制した。選択授業でしか会ったことがないのにまるで友達のように話しかけてくるなと呆れながら。

「ごめん。ねえ、どれがおすすめ?」

「バイトにおすすめ聞くとか……そうだなあ、これとか。」以前食べたメニューがちょうど開かれていたので指差した。「じゃあそれで」「はーい。」私はその他のテーブルの注文も聞いてから厨房に戻った。


「今の友達?」

「あ、高校の子です。あとこれ注文です。」どうやら風邪は治ったようで、魁斗はバイト先に復帰していた。久しぶりに聞く声はいつもより少し冷たく聞こえて、私は視線を逸らす。一つ上のお兄さんがなぜかとても子供じみて見えた。気まずくなってすぐにホールへ逃げるように戻った。店長夫妻はそんな私たちを見ながら「仕事はちゃんとしなさいよー」と笑っていた。

 

 翌日はちょうど選択授業のある日だった。いつもは気にならない真衣の授業前の用意の遅さが妙に気になった。「早く行くよ」「どうしたのそんなに急いで」真衣ののんびりとした答えにはっとするが、自分でもどうしてかわからなかった。正確には、その人の声が聴きたい、会いたいという感情が受け入れられなかった。告白の返答をいつまでも先延ばしにしておきながら、なんだか無責任な気がしてならなかった。


 教室はいつもと変わらず騒々しかった。昨日バイト先に来た彼の声は、彼のグループの中では特段大きいわけでも通るわけでもない。それなのに何故か鮮明に聞こえた。選択授業は自由席だった。私は無意識に彼が視界に入る位置に座った。真衣もそれに続いて横に座った。「......好きなの?」先生がやってきて話をする間、真衣は翠月を指して私に耳打ちした。唐突なその言葉に私は持っていた筆を落としてしまった。真衣には魁斗の話をしていなかった。彼女は無邪気に純粋に彼への好意の有無を聞いているのだろう。そんなことはわかっていた。それなのに改めて好きなのかと聞かれ、自分の無責任さを再度刺されたような気分になった。「昨日バイト先に来たの」きっと今日彼を追ってしまうのはそのせいだ。急に名前を呼ばれたのが頭に残ってるから。真衣はへえと返しならがら落ちた筆を拾ってくれた。その日の授業の内容は何一つ覚えていない。


 彼を想うたび胸が痛い。まるでそんな安い恋愛小説の作者に自分が描写されている気分だった。そしてページを捲る前から、読者である真衣には私が翠月に恋をしたように映ったのだろう。


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