第2話:積もっていく
枕元に置いてあるスマホが震えた。一度震えると、溜まっていたものを吐き出すように、母からのLINEが延々と流れてくる。スマホの画面が眩しくて、目の奥が痛い。私は画面をひっくり返して、近くにあった段ボールの中へ突っ込んだ。なかったことにする。明日、昼間になればほとんどのメッセージは送信取り消しとしか表示されない。ごめんねとも言われないけれど、そっちの方が気が楽だ。残っている連絡だけを確認して、了解と返信するだけで事足りる。大人になった私はスマホを遠ざけるだけで、母からのへんてこな攻撃から自分の身を守ることができた。だからちょっとした夜の粗相は妥協して許す。そうすることに決めていた。
母は他の家族の部屋に掃除機はかけにいかなかった。父の部屋にはいつも大量の本が積まれていたし、兄の部屋には散らかりっぱなしのゲームの配線が根っこみたいに張り巡らされていて、私の部屋の方がよっぽどすっきりとしていた。
「悪い人、じゃない……」
口に出しておかないと、うっかり自分の気持ちだけで切り込んでしまいそうになる。今日は何だか、重たい夜だ。私が寝返りを打つと、ビニール袋がシャカシャカ音を立てた。今はもう、母が私の家に入ってきて綺麗に片付けることはない。はっきりした内と外の境目があるだけで、随分ましになった。
またスマホが鳴った。今度は電話のようで、段ボールが震えている。しばらく待つと切れるのに、またすぐに震え出す。仕方なく出ると、母の舌たらずな声が聞こえてきた。
「波緒、遅いってぇ! こんな夜中に用事もないでしょ。なんですぐに出れないのよぉ」
うるさいなぁ、と軽口を言う時も気を遣う。母が軽口だと受け取るように、自分でもびっくりするほど明るい声を出してしまう。母が少しでも口をつぐんでいると、沈黙の間中すごい勢いで言い訳が自分の頭をめぐる。
うるさいって別に本当にそう思ってるわけじゃなくて、お母さんの言ってることが図星すぎてむかついたって言うか、反抗期みたいな感じのノリだから。ただびっくりしただけだから。実際に何もないし寝ようとしてたしね。本当だからね。私、お母さんみたいに頑張ってないの。私の家すごい汚くて、この間も大事な書類どっか放っちゃって部屋中ひっくり返して探した。それはあったんだけど、引っ掻き回したから今までおぼろげに覚えてた配置も分からなくなっちゃって、毎日ものを発掘してる。掃除ができないの。私、びっくりするほど掃除ができないの。家帰ってくると疲れちゃってもうどうでもいいやって放っちゃう。ってそう言うことを言いたいんじゃないんだけど。でも本当に、お母さん来たら倒れちゃいそう。そのぐらい汚いんだよ。
母の笑い声が聞こえてきて、ようやくほっと息を吐き出した。スピーカーにして、最大音量にする。もし私の言い訳を聞かせたら、母は家を飛び出して、喜び勇んでやってくるだろう。どこかに埋もれている掃除機を難なく見つけて、アパートだけど近所迷惑も考えずに掃除するかもしれない。壁にかかっている時計はもう午前二時半を指していた。今から寝ても四時間ぐらいしか眠れないなら、もう起き続けてしまうのも手だ。急いで言い訳を考えた反動か、あまり頭が回らない。母は最近あったことや、ほとんど喋らない父への愚痴を呑気に喋っている。良さそうなタイミングで相槌を打つ。
「もう波緒だけだよ。私の話聞いてくれるの」
「反応薄いかもしれないけど、お父さんも聞いてると思うよ」
「ううん、あの人は絶対聞いてない。興味ないからね。だから波緒が聞いてくれると本当に嬉しいの。ありがとうね」
バレないように薄く笑った。そんなことないよ、と息をするようにするりと言えてしまう。母の話は特に私のことを必要とせずにどんどん進んでいく。時間はたっぷりあるから、ゴミをまとめるのは終わらせてしまおう。電気をつけるために布団から這い出すと、布団の上に置いていたものが、床に落ちた。
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