私のお城が崩される時
黄間友香
第1話:溜まっていく
ベッドの上の物を、バラバラと落としていく。三日前からワイシャツや下着が散乱している床に、ベランダから取り込んだ服がさらに積もった。通販の段ボールやコンビニ弁当の空箱はまだベッドの上だけど、服と混ざるのは嫌だからそのままにしておく。置いてあるものが崩れないように、私は体を滑り込ませるようにして横になった。
明日ゴミをちゃんと出そう、と毎日決意している。アラーム通りに目は覚めているのに、起き上がれない。服の塊を布団の中からぼんやりと見て、家をでる二十分前になってようやく起き上がるようなことをずっと続けている。明日こそ早く起きれますようにと祈りながら、私はゴミ袋の口を縛った。溜め込んでいるゴミ袋は、靴置き場を侵食してきている。台所の床には洗った後のペットボトルや空き缶が袋に入りきらずに転がっていた。
ごちゃごちゃとした空間の中にいても、目をつむってしばらくするとふっと身体から力が抜けていく感覚がある。今日もちゃんと眠れるということ——大人になってからは毎日しっかりと眠れるようになったのにもかかわらず——に安心する。今日はスーツをちゃんとハンガーにかけた。
幼い頃、夜な夜な行われていた母の教育はさっぱり身につかなかったのだと証明するために、自分の周りを汚くしないと落ち着かない。
夜、私がうとうとしていると、時々母は私の部屋に入ってきて掃除機をかけた。私の部屋は鍵をかけられなかった。母は何杯もお酒を飲んでいて、気も大きくなっている。タンスを移動させてみたり、テーブルや椅子でバリケードを作って入れないようにしたことはあるけど、母はドアを開けるまで扉を叩き続けるからすぐ止めた。母はズカズカと遠慮なく入ってくると、掃除機を持ったまま、まず私に顔を近づける。酒臭さの前にギュッと目をつむると、はーっと息をかけてきた。
「ねぇ、
私の中で何かが木っ端微塵になる。それがどういう気持ちなのかうまく表せないけど、すごく粉っぽくてパサパサとしている。きちんとする、しないへの拘りが強いのは、常に母から言われていたからなのかもしれない。自分以外の誰もができることを、私だけができないというニュアンスが気持ち悪かった。
母からすれば、小言の一つでしかない。柱に傷をつけていくぐらいたやすく、半ば成長の記録を打ち付けていくように、私の部屋に入るたびに、きちんとしなさいと言う。
部屋には廊下からの明かりしか入ってこない。汚いねぇと呆れながら、母が掃除機のスイッチをいれる。部屋を綺麗かどうかを判別するのなんてほとんどできないと思うのに、私の部屋は汚らしくて耐えられないらしい。部屋が暗いままでも電気プラグは星の蓄光シールが貼ってあって、難なくプラグを挿せる。掃除機の音は夜の静けさを割って入ってきた。部屋の角に掃除機が当たる音がする。時々バラバラと音がして、私が床に積み上げていた漫画が崩れると、母は舌打ちをした。通学カバンを持ち上げて、寝ている私のすぐ横に置くこともあった。地面に置いたりもするのに汚いなと思いながら、少しだけ距離をとる。毛布にくるまって耳を塞いで壁を見つめていても、母が私のことを見ているのが分かった。
掃除機をかけ終わると、母は再び私のところへやってくる。母がベッドにどかっと座ると、スプリングが軋んだ。毛布の上からぽんっと叩かれる。肩を叩く程度の大したことないものなのに、不思議と体の中にこもっていくような痛みがあった。いつまでも体の中で響いて、どうしようもなく悲しくなる。酔っ払いだから誰かを夜中起こしても構わないと平気で思っている母が嫌だった。
「自分のことぐらいちゃんとしなさいよ。お母さんだって夜、自分の時間が欲しいんだからさぁ」
寝たふりをすると揺さぶられて起こされるので、とりあえず頷く。母の手が、私の首の後ろのところを掴んだ。首の周りをほぐすように指で円を描く。どう? 上手でしょ? と誇らしげな母の手が、気管を強く押した。私の喉がグッと鳴ったところで気がつかない。
「お母さんマッサージの学校行ったことあるんだもん。筋が良いって言われたんだよ。お仕事としてやろうと思ってたんだから。お金もらって、マッサージしようと思ってたんだからね。それぐらい上手いんだよ。感謝してよね」
もうお金取ろうかな、と鼻歌まじりに言うのを何度も聞いた。母の昔話には多少のバリエーションがあって、ある時は英語の教員免許の話をしていたし、別の時は生花の先生からずっと褒められ続けたという話をした。どの話もセンスが良いというところで終わったけど、私は黙っていた。母のマッサージは上手いと言われればそうかもしれない。体の硬くなっているところを、母のあたたかい手は的確に把握していた。でもこんな、今すぐ寝たい時にやってもらっても全然嬉しくない。筋ばっているところを掴まれて、またむせる。
「波緒さぁ、お母さんのことちょっと嫌いでしょ」
涙が耳に入って気持ち悪かった。母が寄りかかるようにそう言う時、そんなことないよ、とは死んでも言うもんかといつも思っていた。母は私の布団に入ってきて、人形にするみたいに私の髪を適当に撫でる。
「みんな態度に出てるんだよね。こんだけ世話してるのに何が足りないの?」
足りすぎているから無理なんだと言って、分かってくれるとは思えない。嘘でも適当に合わせておいたら、母は満足して部屋にやって来なくなっただろうか? 私の背中にくっついて、私の返事をじっと待っていた母は。私が頑なに何も言わないでいると、小さくため息をついて部屋から出ていく。掃除機はわざとらしく階段にぶつけられていたけど丈夫で、十年は使われていた。
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