第18話 『深識遠慮』

 白い肌に白い髪、氷鬼のような凍てついた眼差しは見覚えがあった。先ほどの売店で称号持ちの写真を見たばかりだからだ。『深識遠慮』四条識月。その隣には虎を思わせる大男がにやにや笑いながら立っている。そちらも称号持ちだ。『迅雷烈空』真田雷。


 識月は無表情のまま、再度問う。


「それで、あなたたちは何をしているのだ?」

「その、この人が女性は囲碁が弱いというので、勝負していました」


 質問に答えた星河を識月がじっと見てくる。ただこちらを見ているだけなのに圧がすごい。星河は大空と初めて出会った時のことを思い出した。強い碁打ちは見るだけで分かる独特の雰囲気がある。


「なるほど。大体の事情は分かった」


 識月は頷くと、感情の籠もっていない声で星河に話しかける。


「あなたが新開星河か。いささか失望したな。大空の話によるともっと純粋に囲碁が好きな女性だと思っていた」

「……間違っていません。囲碁が好きです」

「あなたの眼窩は眼球の代わりにミカンさんでも詰まっているのか? 目の前の男性をよく見るといい」


 識月に言われて、自分があまり男のほうを見ていなかったことに気付く。碁盤の上で打ち負かすことしか考えていなかったのだ。青ざめて俯く中年男性を見て、ようやく自分の仕出かしたことを知る。女性の強さを証明するための勝負だったはずなのに、いつのまにか目の前の男性の心を折るために囲碁を打っていた。


「気付いたようだな。女性の強さを証明するのなら一度や二度の対局で充分だっただろう。それなのに、あなたは自身の囲碁の強さを用いて相手の心を折った。恥という概念を知らないとしか思えないな。囲碁は人を傷つけるための道具ではない」

「クカカッ! いーや、囲碁は道具だね!」


 識月の言葉を否定したのは雷だ。尖った歯をむき出しにして笑う。


「囲碁は道具だ。道具は人が使ってこそ輝く! 囲碁を使って金を儲けても良し、人を傷つけても良し! オレはお嬢ちゃんのこと中々気に入ったぜ! 大空や識月よりはオレ寄りの感性だなっ」

「わたしは……そんなつもりじゃ……」


 星河は何か言い訳めいたことを口にしようとして、それを飲み込んだ。先にやるべきことがあるだろう。対戦相手に思いっきり頭を下げて謝罪する。


「あの、やりすぎました! ごめんなさい!」

「……いや、俺の方こそ悪かった。あんたは強い。女が弱いってのは間違いだった。そっちのも、すまなかったな」


 禿頭の男が星河に頭を下げ、最初に打っていた女の子にも謝罪する。女の子も許すように微笑んだ。


 お互いに謝ったことで和やかな和解の雰囲気が流れる。照れくさそうに笑い合い、その空気を識月がぶち壊した。


「どうやら仲直りできたようだな。これが囲碁文化の度量の深さだ。イチゴさんの粒よりも脳が小さい女性差別主義者の猿だろうと囲碁は受け入れる」

「さ、猿……?」


 猿と呼ばれた男は動揺したように識月を見る。とんでもない口の悪さに星河も驚きを隠せない。


「うん? ああ、気にすることはない。私はあなたと違って老若男女を差別しない。人間ではなく猿だろうと別け隔てなく指導しよう」


 識月がさらに追い撃ちをした。ボロクソに言われた禿頭の男は、肩をがっくりと落として「その、すみませんでした……」と謝りながら去っていった。あまりにもむごい。


「あの、本人の目の前で悪口を言うのは良くないと思います」

「うん? 悪口のつもりは全くない。正直な感想だ」

「あの言い方で悪意が無いんですか!?」

「相互理解で最も大事なのは誠実であることだ。私は信用を得るために嘘だけはつかないようにしている」

「ああ、良かれと思ってそんな感じなんですね……」


 嘘をつかないことと思ったことをそのまま言うのはまた違うのではと星河は思った。雷が笑いながら識月の肩を掴む。


「クカカッ! 諦めな、嬢ちゃん。識月はこういう男なんだよ」

「こういう男とはどういう意味だ、雷」

「ああ、こういう男の人なんですね」


 良いほうに解釈するのならば、正直な男の人なのだろう。識月の言動には少し驚いたが、『大翔たいしょう時代の最新定石』の著者としては不思議としっくり来る。あの本での著者の率直な物言いには好感を持ったものだ。


 識月が星河の目の前に座り、碁盤の上に並べられていた碁石を片付けた。次の対局をするための準備だ。星河も慌てて片付けを手伝う。


「さて、まずはあなたの棋力を見せてもらおう。置き石は六つで良いだろう」

「オレも見学させて貰うぜ」


 識月に言われて置き石を六子置く。大空との最初の対局の時に置いたのと同じ置き石の数。六子では全く敵わなかったのを思い出す。もしかしたらその辺りの話も大空に聞いているのかもしれない。


 識月と六子局を打ちながら、横から雷が興味津々に覗き込んでくる。二人の称号持ちに実力を測られるのは非常に緊張した。それでも、認められるために自分の中で最善の一手を打っていく。識月との対局はすぐに決着が着いた。星河の中押し負けだ。内心で悔しく思うが、しかし、識月は無表情ながらもどこか感心したように頷いた。


「なるほど。大空が高く評価する訳だな。あなたにはメロンさんよりも大きな才能がある」

「クカカッ! こいつが素直に褒めるのは珍しいぜ、お嬢ちゃん」

「ありがとうございます!」


 勝てなかったのは無念だったが、自分が夢中になった本の著者に褒められて星河は舞い上がった。


「これならば私自身が指導する気にもなるな。ああ、指導するに当たって一つだけ条件をつけて構わないか?」

「はい、大丈夫です!」


 称号持ちの指導を受けられるなんて日華帝国最高の贅沢だ。条件の一つや二つ、快諾する以外の選択肢はない。星河は二つ返事で頷いたが、次の瞬間に笑顔を凍らせた。識月がとんでもないことを口にしたからだ。


「では久遠院大空との婚約を破棄しろ」


(えー!?)

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