第16話 指導依頼

 帝都で最も高い建物を知らぬものはいない。日華棋院が建造した天原閣てんげんかくである。十五階建てのうち十三階以上は国家棋士による公式戦が行われ、関係者しか立ち入ることができない。一方、それより下の階は囲碁関連施設が立ち並び、一般客による賑わいを見せている。


 久遠院大空は五階の対局場にて待ち人を待っていた。一般客も使える対局場のため、人は多い。大空に気付いた二人組の女性客が、興奮した様子で声をかけてきた。


「あの、久遠院大空さんですよね? サインをお願いしても良いですか?」

「構わない」


 こうしてサインを求められる機会は多い。差し出された色紙にすらすらとサインを書く。ついでに握手にも応じると、キャーと黄色い声が上がった。称号持ちのこうした対応が、囲碁の普及に繋がることもある。大空はファンに優しい対応をするように心がけていた。


 そんな大空に、二人の男が声をかけてきた。待ち合わせの時間のきっちり五分前だ。


「よう、大空。久しぶりじゃねえか」

「先月会ったばかりだろう」

「クカカッ、つれないことを言うなよ。オレは毎日でも会いてえんだよ」


 先に声をかけてきたのは大男だ。身長180cm程度の大空よりもさらに頭一つぶんは大きい。豪快に笑った口には尖った歯がよく見える。大空はその風貌と棋風から狼に喩えられることがあるが、それに倣うと目の前の男は虎である。年齢は二十代半ば、大空よりも歳上であるが、大空が敬語を使わなくても気にする様子はない。帝より賜った称号は『迅雷烈空』、名は真田さなだいかづち


 雷が大声で笑うと、隣に立つ男が温度を感じさせない声でそれを叱る。


「声がうるさいぞ雷。あなたは他人の鼓膜を潰さないと死ぬ病にでもかかっているのか?」


 もう片方の男は大空よりも頭一つ小さい。しかし小柄な身体に対して態度は過剰なまでに尊大だ。青白い肌に白髪、凍てついた無表情から雪男を思わせる男だった。この大空よりも一つ歳下の幼馴染は笑うところを滅多に見せない。帝より賜った称号は『深識遠慮』、名は四条しじょう識月しづき


「大空、あなたのほうから声をかけてくるのは珍しいな」

「ああ、頼みたいことがあってな」


 そう、この二人を呼んだのは大空だ。星河の指導について、そういったことが得意な人間に相談しようと思ってここで待ち合わせたのだった。


 三人の称号持ちが揃ったことで、ファンの女性たちがさらに歓声を上げる。


「四条識月さんですよねっ! サインお願いしても良いですか?」

「あなたたちの頭には脳の代わりにリンゴさんでも詰まっているのか? 棋士にサインをねだる暇があったら詰め碁の一つでも解くといい」


 氷点下のような声で識月はサインをすげなく断る。識月の冷たい対応に大空は慌てた。


「すまない、こういう奴だが、悪い人間では無いんだ。許してやってくれないか」

「キャー、識月さんに生で罵倒されちゃったー!」

「識月、お前のファン少しおかしいぞっ!」


 もしかして普段からこういう対応しているのだろうか? 女性たちは喜びながら帰っていった。大きな問題にならなかったので安堵する。


 雷と識月が椅子に座り、大空に用件を促す。


「それで大空、頼みたいことってなんだ?」

「ああ、それなんだがな」


 大空は二人に星河のことを話した。二週間後に麗奈と対局すること。勝ったほうが大空の花嫁となること。星河の現在の棋力では麗奈には勝てないこと。そのため、星河を鍛えて欲しいこと。


 そこまで聞いたところで、識月が当然の問いを発した。


「解せないな。あなたは『日華無双』だろう。鍛えるのならば、あなたが教えるのが一番良いのでは?」


 もちろん大空としても最初はそうするつもりだった。自分で直接星河と打ってみたところ、自分では全く指導できなかったことも話す。


「星河がなぜあんな稚拙な手を打てるのか分からん。普通に考えれば分かるだろうと思う」

「クカカッ。強すぎて弱い人間の心が分からねえかっ。まあ大空はそういうところがあるよな」


 雷が大笑いするのを忸怩たる思いで見る。しかし事実なので黙るしかない。


「雷と識月は多くの弟子を取っているだろう。星河を鍛えてやってくれないか」

「そうだな、オレは構わねえぞ。指導料は二週間で一万円ってところだな」


 雷は守銭奴として有名だ。高い指導料を取ることで有名だが、しかし評判は良い。日華帝国の公務員の初任給が数十円程度であることを考えると、とてつもない値段だが、その価値のぶんの働きをするのは知っている。


「……検討しよう」


 大空が渋い顔で頷いたのを見て、雷が目を丸くする。


「ふっかけたつもりだったんだがな。思ってたよりも星河って女に惚れているらしい」

「そういう訳ではない。ただ負けて欲しくないだけだ」

「クカカッ、それを世間ではぞっこんと言うんだがな」


 星河のことは気に入っているし花嫁になって欲しいしずっと一緒にいて欲しいと思っているが、惚れている訳では無い、と思う。憮然とした大空に、今度は識月が答えを返す。


「私のほうは席料を払えば碁会所で指導しよう。一日一円だな」

「……安いな」

「もちろん、まずはその小娘に会ってみて指導するかを判断させてもらう。私が直接指導するほど上手くないこともあり得るからな」

「ああ、当然だ」


 識月は口が悪いので誤解されやすいが、囲碁の普及に尽力している男だ。教育にも力を入れているおり、安い値段で熱心に指導している。毒舌に泣かされる生徒も多いらしいが。


 大空は当初の予定通りに識月に依頼することに決めた。識月に断られた場合は雷に頼む予定だったが、その必要は無かったようだ。棋力を見てから指導するか決めるつもりらしいが、そこの心配はしていない。星河の才能ならば、必ず識月に認められるだろうからだ。


「識月、頼めるか」

「問題ない。星河という娘には碁会所を訪ねるように言ってくれ」

「ありがとう。雷も、わざわざ来てくれたのに悪いな」

「構わねえよ。良い儲け話が聞けたしな」


 ニヤニヤと笑う雷に疑問を感じて大空は首を傾げる。しかし、重要な懸念事項があったため、すぐにその疑問は霧散してしまった。大空は識月を真剣な瞳で見つめた。


「識月、とても大切な注意事項がある」

「なんだ?」

「星河は本当に囲碁を楽しそうに打つし、才能があるし、笑顔が可愛い子なんだ」

「私は何を聞かされているのだ?」

「だから、つまり、その、惚れるなよ?」


 雷と識月が顔を見合わせる。雷は大笑いし、識月は無表情のまま肩をすくめた。



   *



 大空が識月に指導依頼したその夜。

 新開麗奈は、新開家の屋敷にて客人に頭を下げた。相手は称号持ち、敬意を払いすぎるということはない。


「どうか私に指導して頂けませんか?」

「構わない。私は囲碁を愛している。あなたが同じように囲碁を愛しているのならば、私は全力で指導しよう」


 称号持ちの男は、碁盤に黒石を六つ並べた。六子局。


「ただし、これから言う条件をあなたが了承するならば、だ」


 そうして、四条識月はとある条件を口に出した。麗奈を見極めるような条件を。

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