第15話 修行計画

 数分か、それとも何時間か。大空に抱きしめられて、時間の感覚が分からなくなる。不思議と嫌じゃなかった。むしろ心地よくすら感じる。


 大空がそっと星河を解放した。大空の体温が離れていくのが名残惜しい。


「……」

「……」


 大空は照れているのか、少し顔を赤くして沈黙している。気まずい沈黙を打ち消すために、星河は目先の目標の話をすることにした。


「あ、まずは三年後の前に、二週間後にお義姉ちゃんに勝たないとですよね! 気が早かったかもしれません!」

「ああ、そうだな」

「はい! 絶対勝ちます!」

「絶対は難しいな。むしろ今のままでは勝率はゼロだと思う」

「ゼロ!?」


 厳しい戦いだとは思っていたが、そこまでだとは思っていなかった。星河は打ちひしがれた。


「わたしには才能があると言ってくれたのに、嘘だったんですね……」

「仕方がないだろう! 三ヶ月なら充分に強くなるはずだったのに、いきなり一ヶ月だぞ!」

「やっぱり大空様もお義姉ちゃんみたいな美人のほうが良いんだ……。わたしとは遊びだったのですね。しくしく……」


 わざとらしく泣き真似をしてみると、大空は星河の肩を掴み、真剣な瞳で見つめてくる。


「遊びのはずがない。二度とそんなことを言うな」

「えっ、あ、はい、すみません。冗談のつもりでした」

「それに、その、星河も充分に見た目が良いと思うぞ」

「あ、ありがとうございます……」

「……」

「……」


 あまりにも率直な物言いに照れてしまう。星河の顔が熱くなったのが大空にも伝染したのか、二人とも黙って俯く。慣れてきたのか、この沈黙も悪くない気がしてくる。大空が咳払いをして話の続きを始める。


「あくまで今のままでは勝てない、という話だ。使用人たちと打っているだけでは麗奈には勝てないかもしれんが、適切な教育を受ければ充分に勝てる可能性はある」

「なにか強くなる方法があるんですか?」

「当たり前だ。俺は『日華無双』だぞ。まずは俺と打ってみろ。どこが弱点なのかを判別してうえで適切な指導をしてやる」

「おお」


 自信満々に断言する大空を尊敬の念で見つめる。たしかに国内最強棋士である大空の言うことを聞けば強くなれそうだ。星河は先ほど棋譜を並べるのに使った碁盤と碁笥を用意した。屋敷に来てからも大空と打つ機会はなかったため、指導とはいえ高揚してしまう。大空もどことなく楽しそうだ。


 指導碁は和気あいあいと進んだ。二人きりなので人目を気にせずに話しながら打てる。星河がちょっと攻めた手を打とうものなら「ほーう、そういうことをするのか」「ええ、しちゃいます」「こいつめ」「えへへ」等と中身の無いやり取りをしてじゃれ合う。どんな相手でも囲碁は面白いが、大空が相手だと一段と楽しく感じると思う。


「楽しいですね。こんな時間がずっと続けばいいのに」


 思っただけでなく、思わず口にも出してしまった。星河の呟きに、大空が口元を綻ばせる。


「ああ、そうだな」


 優しさをにじませる同意の声に、心が通じ合っているような気持ちになった。温かいものが胸のうちに染み込んでくる。


 やがて一局が終わった。大空が全てを理解したように鷹揚に頷く。


「なるほどな。こういう感じか」


 自分の弱点はどこなのだろうか? 星河は期待した瞳で大空を見つめた。


「こういう……こういう感じか。うん、なるほどな」

「大空様、それは聞きました」


 焦らす大空に期待が膨れ上がっていく。もったいぶらずに早く教えてほしい。しかし、大空はうんうん唸っていて様子がおかしい。首筋に冷や汗をかいているように見える。大空は数分ほど考え込んでから、降参したようにこう言った。


「うん、全然分からん。序盤、中盤、終盤、全部弱いようにしか見えん。どうしてこんな弱い手が打てるんだ?」

「大空……様……?」


 裏切られた気持ちで見つめる星河に、大空は後ろめたさを感じたのか慌てたように言った。


「まあ待て。囲碁で強くなるための手段は沢山ある。俺が指導できないからと言ってまだ慌てる必要はない」

「他にも強くなる方法があるんですか?」


 ああ、と大空は頷き、指を三つ立てた。


「ああ。一つ目は研究会だな。これは久遠院の家系の者だけで集まって囲碁の研究をする会だ。父上が強い花嫁にこだわる理由もここにある。強い棋士を家系に取り込めば研究会の質も上がるからな。久遠院の研究会には俺も参加している」

「なるほど。ではわたしも研究会に参加させて頂ければ強くなれますか?」

「無理だろうな。星河はまだ囲碁がド下手だから研究会に参加しても何も理解できまい」

「もっと優しく婉曲的な言い方してください! 大空様、将来奥様の手料理を食べる時も直球で不味いって言いそうですよね!」

「お前の手料理を不味いなんて言うはずがないだろう」

「……」

「……」


 星河はまた照れた。大空様の中では、将来の奥様はわたしなんだ……。また星河の照れが伝染して大空も俯く。口元がどうしても緩んでしまう。大空がまた咳払いをして、何事も無かったかのように続ける。


「二つ目は棋院に院生として通うことだな。院生は国家棋士を養成するための囲碁教育制度だ」

「お義姉ちゃんが通っているところですよね。そうか、わたしも棋院に入れば強くなれますか?」

「まあな。だが院生の試験は年一回だ。次は十二月だな」

「そ、そんな……」

「そう落ち込むな。星河には棋院に通ってもらうつもりだ。試験のことは意識しておいて損はない」

「それ、お義姉ちゃんに勝てたらの話ですよね?」


 大空が目を逸らした。星河は助けを求めて大空に縋りつく。


「大空様ー。助けてくださいー」

「ええい慌てるなと言っているだろう! そこで三つ目だ。星河には碁会所に通ってもらおうと思う」


 碁会所とは街中にある囲碁を打てるお店のことだ。席料を払った客同士が打つのが一般的である。


「碁会所だと、強いお客さんが来ないと練習になりませんよね?」

「実は久遠院の家系の者に奇特な人間がいてな。研究会に参加もせずに、碁会所を運営している。そいつを師として碁を教えて貰うと良い。ちょうどお前も会いたがっていたことだしな」

「わたしが会いたがっていた?」


 首を傾げる星河に、大空はその者の名前を告げる。


「称号は『深識遠慮』。名は四条しじょう識月しづき。『大翔たいしょう時代の最新定石』の著者、と言えば分かるだろう」

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