第14話 比翼の鳥

 空牙は一通り話して満足したのか、すぐに帰っていた。部屋には大空と星河だけが取り残される。


 久遠院大空にとって父の空牙は嵐のようなものだ。いつだって唐突に来て、事態を引っ掻き回してから帰っていく。だから星河の呟きは甚だ不本意だった。


「大空様そっくりのお父様でしたね……」

「あれと俺のどこが似ているというのだ」

「嵐みたいなところがそっくりです」


 あまりにも的確な表現だった。空牙と同じような扱いをされるのは少し堪えたが、そう言われては苦笑するしかない。


「すごい人だろう? 俺の意思に関係なく俺の花嫁を決めるのを疑問にも思っていない」

「そうですね。ただ、悪気は無さそうでした」

「そうだな。悪い人ではないんだ。ただ、囲碁のことしか考えていないだけだろう」


 そう言いながら、それは俺も同じだなと思った。そっくりというのは案外と本質かもしれない。父が帰って気が抜けたら、めまいがした。座っているので倒れることは無いが、星河のほうに寄りかかってしまう。星河が心配そうにこちらを見ている。


「大空様、大丈夫ですか? わたしがこの屋敷に来てからあまり寝ていないように見えます」

「寝ていないのはいつものことだ。気にするな。国家棋士は勝ち続ける限り、公式戦が増えていくからな。今月は特に忙しい」


 公式戦に備えた研究をしていると、どうしても睡眠時間が削られることになる。


「わたしにできることがあれば良いのですが……そうだ。どうぞっ」


 正座している星河が膝をポンポンと叩いた。


「膝枕しましょう。どうぞお休みになってください」


 無邪気な笑顔を見ていると、照れているこちらが馬鹿らしくなってくる。


「そうだな。世話になろうか」


 大空は星河の膝の上に頭を乗せた。暖かい体温が感じられて、疲れが溶けていくような気持ちだった。星河が頭上から話しかけてくる。


「大空様はどうしてそんなに頑張っているのですか?」

「……そうだな。お前には話しておこうか。俺はな、久遠院家の養子なんだ。空牙は実の父ではない」


 大空の屋敷にいる者は全員知っていることだ。星河に話しても構わないだろう。星河は黙って大空の話を聞いている。


「住んでいた孤児院で囲碁を教えてくれた人がいてな。運が良かったのか、俺にはたまたま才能があった。星河も知っているだろうが、日華帝国では囲碁が強い者には道が拓ける。俺の引き取り手もすぐに現れたよ。それが、久遠院空牙だ」


 話しながら、自分は恵まれているなと思う。囲碁を学ぶ環境としては久遠院が用意したものは最高だった。星河のように囲碁を打つことすらできない環境とは比ぶべくもない。


「父の指導は厳しかったが、嫌ではなかったよ。父も血の滲むような努力をしているのは知っていたからな。その背中を見ているうちに、俺も久遠院の名を背負って戦おう、自然とそう思った」


 始まりはただの父の真似事だったが、今となっては大空にとっても久遠院の誇りは大事なものだ。


「孤児だった俺を拾ってくれた両親には感謝しているんだ。父が久遠院家を大事にしているのなら俺は久遠院の名を背負って戦うし、父が望むなら久遠院に相応しい婚約だってするさ。まあ、多少は好きにさせてもらうがな」


 星河を見ていると、婚約相手を自分で探した甲斐はあったと強くそう思う。


「自分で選んだ道だ。久遠院の名を背負って戦うことに否やはない。だが、その重圧に疲れることもたまにはある」


 帝から『日華無双』を賜るまでに強くなった大空に、誰も彼もが最強の久遠院であることを期待する。それが重荷と感じることも、正直に言えばある。それを星河に吐露してしまった。少し弱気になっているなと思った。星河の体温に安心して、弱音を吐いてしまう。そんな大空の頭を、星河が愛おしそうに撫でた。


「だったら、その重圧の半分は、わたしも引き受けたいと思います」

「半分?」

「ええ。だって、空牙様は三年後に結婚を認めてくれるとおっしゃってました。だったら、今日からわたしも大空様の婚約者として、久遠院の名を背負って戦うことになる。そうですよね?」

「はっ! なんだお前、もう称号持ちと並んだ気でいるのか」


 空牙が結婚を認めたのは、三年後に星河が称号持ちと同じぐらい強くなっていた場合の話だ。日華帝国最強の棋士たちと並ぶつもりでいるとは恐れ入る。大空が笑っても、星河は微笑みを崩さない。


「ええ、並びます」


 と星河は断言した。


「わたし、毎日のように大空様の棋譜を並べています。大空様のことを分かっている、なんて言うとおこがましいかもしれませんけど、でも、大空様が傷つきながら戦っているのは分かります。だから、信じてみようと思ったんです。わたしはわたしの才能を信じ切れないけれど、でも、ああやって戦っている大空様が信じるわたしの才能は信じることができます」


 星河は大空の棋譜を全て覚えているようだった。自分が戦った証が少女の胸の内に溶け込んでいくのを想像すると、少しばかり誇らしい。


「拾っていただいたご両親に感謝していると言っていましたね? それならわたしだって、拾っていただいた大空様に感謝しています。あなたが戦うのなら、その負担を一緒に背負いたい」


 大空と星河の視線が絡み合う。


「一緒に戦いましょう、大空様。わたしたちは愛では繋がってないかもしれないですけど、囲碁では繋がっていますから」


 大空は周りの人間に恵まれていると思っている。大空が戦うことを助けてくれる人たちは山程いる。だが、こうやって一緒に同じ高みで戦おうとしてくれる女は、果たして出会ったことがあっただろうか。


 もしかしたら、大空は本当に生涯の伴侶に出会ったのかもしれない。遥か高みへと飛び立つための比翼の片割れに。


「全く、お前はいつでも俺の欲しい言葉をくれるな」


 大空は起き上がると、星河を抱きしめた。


「え、え、えー!? 大空様っ!?」

「黙っていろ。言葉の責任は三年後に取ってもらうからな。今はこれぐらいで勘弁しておいてやる」


 腕の中であたふたしている星河がひどく愛おしい。互いの境界が分からなくなるまで、大空は星河を抱きしめ続けた。

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