第11話 大空の棋譜
大空はここ数日ばかり公式戦の準備で忙しく、星河を久遠院家に連れてきたは良いが、ろくに構うことが出来ないでいた。まあ久遠院家の使用人たちは囲碁に強い人間ばかりのため相手には困るまいと放っておいたのだが、しばらくすると、使用人たちの様子がおかしくなっていることに気が付いた。
「星河様、家事を手伝ってくれようとしてくれるんですよ。心優しい御方なんですね」「星河様、打ちませんか打ちませんかってせがんでくるのが可愛くてねえ」「坊っちゃん、あんな良い子逃しちゃダメですよっ!」
いつの間にか星河は使用人たちに馴染んでおり、しかも評判が大変に良い。
どうやら所構わずに使用人たちに囲碁を打ちませんかとせがんでおり、そうやって打っているうちに仲良くなったらしい。星河が使用人たちに気に入られるのはまあ分からなくもない。見てるこちらが思わず笑ってしまうぐらい本当に楽しそうに打つのだ。
特に泰子と知世は事あるごとに星河の話題を出してくる。知世が笑いながら、
「星河様、大空様の筋肉がすごいって褒めてましたよ」
等と言うものだから、大空はつい良い気になって日課の鍛錬の時間を増やしてしまったりもした。
しかしながら、星河は使用人と打ってばかりで、大空を一向に訪ねてこないのが解せない。同じ屋根の下に『日華無双』がいるのだから、毎日のように打ちたくなるのが自然な発想では無いだろうか? いや、別に構わない、別に構わないのだが。少しばかりもやもやしながら夜を自室で過ごしていると、部屋の外から「大空様」と声をかけられた。
ふん、ようやく来たか、と口元をほころばせた大空は入室を許可した。
「ようやく現れたな、妖怪ウチマセンカ」
「妖怪ウチマセンカ!? それ、わたしのことですか!?」
自覚が無かったらしい妖怪は目を丸くした。
「様々なところに出没しては打ちませんか打ちませんかと鳴くらしいじゃないか」
「な、鳴き声じゃありません!」
少しからかうと頬を膨らませる。ころころと表情が変わって見ていて楽しい。
星河の顔を見てもやもやが晴れた大空は、上機嫌で碁盤を取り出した。本来であれば素人が大空と対局するなら高額な対局料がかかるのだが、まあ婚約者の星河だったら打ってやらんでもない。
「どれ、俺も一局打ってやろう」
「あ、大丈夫です。今日はそのために来たのでは無いので」
「……」
いらっと来て思わず星河の頬を引っ張ってしまった。とても柔らかくよく伸びる。
「ほーう、この俺との対局を断るとは偉くなったものだな?」
「いひゃいです、いひゃいです。ひゃにするんですかあ」
反応を見れば分かるが大して痛がってはいない。案の定、離してやると星河はけろりとして続きを話しだした。
「泰子さんに聞きました。本日、公式戦だったんですよね? お疲れかと思いましたので、対局は遠慮させて頂こうかと」
「む、まあな」
国家棋士の公式戦の持ち時間は五時間。一日がかりの対局はそれなりに疲労が大きい。
「勝敗を聞いても良いですか?」
「構わん。勝った」
「すごい!」
「……ふん、当たり前だ」
無邪気に喜ぶ星河を見て大空は機嫌を良くする。
しかし、対局するためで無いのなら、何の用でここに来たのだ? もう夜も遅く、女性が一人で男性の部屋を訪れて良い時間でもない。星河は頬を染めながら、何か言いたげに上目遣いでこちらを見ている。妙に艶っぽい表情に少しだけ緊張してしまう。
「実は、その、あの、大空様のを……見せて欲しいんです……」
「何を、見せて欲しいんだ?」
思わずごくりと唾を飲む。
「棋譜、です」
「棋譜……棋譜?」
今、棋譜と言ったのか? 大空は拍子抜けした。
「はい! 是非、大空様の公式戦の棋譜を見せて欲しいんです! 勉強になるかと思いまして!」
なんだ、結局囲碁の話ではないかと苦笑する。
強い人間の棋譜を並べて上達の手がかりにする棋士は多い。自身の棋譜が勉強になると正面から言われるのは、まあ悪い気分ではない。日華帝国の公式戦は勝ち続けていると試合数が増えていく。負けるほうが珍しい大空は試合が多く、必然、公式戦の棋譜が山程ある。保存している棋譜を取り出すと、星河に手渡してやった。
「わあ、わあ」
目を輝かせて喜んでいる星河を見ると、大変に気分が良い。どれどれもっと喜ばせてやろうかと、大空は碁盤と碁笥を取り出した。
「どれがいい? 並べながら解説してやる」
「いいんですか!? じゃあこの『煙霧迷宮』さんとの一戦をお願いします!」
「数少ない負け試合を指定するのはやめろ! 人の心が無いのか!」
考えてみれば自分の棋譜を並べながら人に解説する機会はあまり無い。一手の理由を説明するたびに「すごい!」と喜ぶ星河を眺めるのは中々楽しく、またたく間に夜は更けていった。
小鳥の鳴き声で目が覚めた。いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
「おはようございます、大空様」
傍らで泰子が頭を下げる。碁を打ちながら眠っていたはずなのに、身体に毛布がかけられている。泰子が用意してくれたのだろう。あくびを噛み殺しながら挨拶を返す。
「ああ、おはよう」
泰子の笑いをこらえているような表情を見て、首を傾げる。そういえば、何か温かいものが身体にくっついている。毛布の中で謎の物体が「打ちませんか……」と呟きながら蠢いた。毛布をめくると、星河が涎を垂らしながら大空を枕にして熟睡していた。
泰子がくすくすと笑う。
「仲がよろしいのですね」
「これは、その、違うんだ」
自分でも何が違うのか分からない。照れくさくなった大空は、体重をかけてくる星河に苦戦しながら、朝から泰子への言い訳に時間を使うことになった。
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