第3話 久遠院の花嫁探し
「
なんらかの家事の用事で呼び出されたと思っていた
いまいち話を理解できなかった星河に、れい子は苛立たしげに説明を繰り返す。
「久遠院家は知っているでしょう?」
「はい」
もちろん知っている。日華帝国において、囲碁の段位を認定する権限を持つ家系はたったの四家しか無い。その中でも久遠院家は最も囲碁が強いと言われている。なにしろ帝が囲碁の強さを認めた称号持ちの六名のうち、その半数が久遠院の出身なのだ。
「その久遠院の跡取りが、囲碁に強い伴侶を探しているのよ。選定試験の招待状が来ているから、麗奈さん、星河さん、参加してきなさい」
星河は心のなかで首を傾げた。久遠院は囲碁に貪欲な家系だ。久遠院に籍を入れる者には圧倒的な囲碁の強さが求められるのは有名な話である。久遠院家の跡取りが伴侶に囲碁の強さを求めるのは当たり前で、その花嫁探しに麗奈を参加させるというのは、分からなくはない。この国で囲碁が最も強い家は、最も権力と財力を持つ家と同義。れい子としては、麗奈を嫁がせて久遠院との縁を作りたいのだろう。
しかし、どうして星河も選定試験に参加する必要があるのだろう。棋院で腕を磨き続けている麗奈とは違い、星河はもう六年も囲碁を打っていない。とても久遠院に見初められるとは思えない。
義母の機嫌を損ねないようにしながら、星河は疑問に思ったことをおずおずと口に出した。
「あの、わたしも選定試験に参加しても良いのでしょうか?」
「私だって星河さんを参加させたくはありませんよ。しかし、久遠院から招待状が来ている以上は仕方がないでしょう」
れい子が心底嫌そうに顔をしかめる。
なるほど、久遠院から星河宛にも招待状が届いているから断れないという訳だ。父の
「星河さん、はっきり言いますが、私は麗奈さんが久遠院家の花嫁に相応しいと思っています。くれぐれも麗奈さんの邪魔をしないように、大人しくしていてくださいね」
「はい。分かりました」
どちらにせよ、星河にできることは何もない。とにかくれい子の不興を買わないように静かにしていよう。そう思いながられい子に一礼して部屋を出たところで、珍しく麗奈に話しかけられた。
「星河、あなた、まともな着物はあるの?」
話しかけられたことに驚きながらも首を横に振る。名家を訪ねるのに適した服装など星河には与えられていない。義姉に声をかけられるのは本当に久しぶりだ。星河は舞い上がった。いくら無視をされても、麗奈のことが好きな気持ちは変わらない。
「ついてきなさい」
麗奈にそう言われて、麗奈の部屋までついていく。麗奈は部屋の中から着物を持ってくると、星河に手渡した。
「これはもう着ないからあなたにあげるわ」
「あ、ありがとう! お義姉ちゃん」
やっぱりお義姉ちゃんは優しい。そう思いながら貰った着物を大切に抱く。
「星河、私、負けないから」
挑むような口調で麗奈は言う。負けない……久遠院の花嫁選定試験のことを言っているのだろう。その通りだ、お義姉ちゃんは誰にも負けない。麗奈を応援するように笑顔を向ける。
「うん、お義姉ちゃんなら絶対誰にも負けないと思う!」
「そうじゃなくて……いえ、いいわ」
どうやら望んだ解答では無かったらしい。麗奈はどこか歯がゆそうな顔をしながら去っていった。
麗奈に貰った上質な着物を着て、麗奈と二人で久遠院家を訪れる。
久遠院の屋敷は新開の屋敷の数倍の広さを持つ大豪邸だった。
木目の美しい重厚感のある玄関から入ると使用人が出迎え、そのまま何十人も入りそうな大きな和室に案内される。客間には既に多くの女性がいて、それぞれが緊張した面持ちで正座して座っていた。
選定試験と聞いていたが、いくつも並んだ長机には鉛筆以外には何も置かれていない。
新開星賢亡き今、新開家の立場は弱い。麗奈と共に、下座のほうに座る。
きょろきょろと周りを見る。
想像していたよりも人数が多い。囲碁の強いお嫁さんを探しているという話だったと思うが、碁盤も無いのにこの中からどうやって決めるのだろうか?
しばらく待っていると、若い男が部屋に入ってきた。それだけで、周囲の女性たちが息を呑んだのが聞こえた。
同じ人間とは思えないほど、美しい青年だった。魅力的な線を描く顔の輪郭に、短く整った黒髪が良く似合っている。身体は引き締まっており、袴から出る逞しい腕を見ても日頃から鍛えているのがよく分かる。力強い印象を与える瞳と、不敵な笑みが、どこか野生の獣を思わせる男だった。羽織った袴に描かれた三つの葉は久遠院家の家紋だ。
「
大空の挨拶はそれだけだった。歳は十八歳と聞いていたが、堂々とした態度のせいか大人びて見える。
(あの御方が……久遠院大空様……)
日華帝国に生きる者で久遠院大空の名を知らぬ者はいない。六人もの称号持ちが同じ時代を生きる苛烈な時代にあってなお『日華無双』の称号を帝より賜った最強の棋士。強い碁打ちは見るだけで分かる独特の雰囲気があると言う。大空は若くして既に、最強の棋士に相応しい風格を備えていた。
「今日はよく来てくれた。今から封筒を配布するが、俺が合図するまでは開けないでくれ」
大空の指示に従って、久遠院家の使用人たちが封筒を配り始める。
大空の声は不思議と心地よく聞こえる。聞き惚れていると、星河の目の前の机にも封筒が置かれた。
「封筒を開けてくれ。端的に言う。久遠院に弱い人間はいらない」
大空がひどく優しい声で言うので、一瞬理解が遅れた。いらない? 弱い人間は不要だと、言ったのか?
この場の人間が一斉に封筒を開け始め、星河も慌てて封筒を開けた。中には、紙が入っていた。紙は白紙かと思ったが、裏側になにか図のようなものが書いてあるのに気付く。
碁盤に、いくつかの黒石と白石が書かれた絵。絵の上には、”黒先白死”と書かれている。これは……詰め碁だ。
「三分やる。その詰め碁が解けた者だけが残ってくれ」
(えー!)
思わず声を出して叫びそうになるのを、星河は懸命に抑えた。
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