七転八倒
雲一つない青空が広がる。太陽の光が肌を明るく照りつける。
普段なら清々しい気分になり、つい両手を天に掲げて深呼吸をしていただろう。だが、今日の俺にとっては鬱陶しいだけだった。
度重なる不幸の連続で俺の心はすっかりと深淵に落ち込んでしまっていた。
仕事面では、リーダーを任されていたプロジェクトが自分の不手際で失敗に終わった。部下からは卑下するような視線を向けられ、成功した暁に約束された部長という役職もあえなく夢物語で終わってしまった。
恋愛面では、昨日、三年間付き合っていたカノジョから突如『別れを告げるメール』が届いた。原因がわからず、聞き出そうと必死にメッセージを送り続けたが、全て未読無視される形となった。
周りの友人たちが出世や結婚をする中、仕事・恋愛ともにうまくいかない自分を嘆き、昨晩は焼け酒を起こしてしまった。おかげで今朝は最悪な気分で目を覚ますことになり、心は沈む一方だ。
タバコを吸って気分を晴らそうとしたが、一時的な快楽があるだけですぐに元の状態に戻った。ポップな音楽でも聴いて気を紛らわそうとするが、脳裏によぎる過去の出来事のせいで集中して聴けやしなかった。
惨めな自分に対して、ため息をつきながら街道を歩いていく。
信号で止まり、ふと周りの景色に視線を送る。グルグル視線を漂わせると、街の高層ビルに映し出されたテレビで止まる。
テレビの画面には綺麗な女性がフラッシュにたかれていた。
フリルのついた可愛らしい服装を着飾り、前にいる記者に笑顔で答える。
画面下のテロップには『藤崎ユイ、アイドル活動再開を発表』と記載されていた。
「ユイちゃん、復帰したんだ……」
藤崎ユイ。
三年前まで俺の推しだったアイドルだ。精神的疲れによる体調不良が続き、アイドル活動の休止をすることになった。それを機に俺は推しを卒業した。
画面に映るユイちゃんは華やかな姿で記者会見に臨んでいた。
アイドルという仕事は大変だと聞く。歌・ダンスはもちろんのこと、プロデューサーやメンバー、ファンとの人間関係にも気を遣わなければならない。彼女が精神的に病んでしまったのも納得がいった。
しかし、その辛さから逃げず、真剣に向き合って克服した。そして、こうしてまた笑顔で復活したのかと思うと何だか胸を打たれた感覚に陥る。
俺も負けてはいられない。たとえどん底に沈んだとしてもまた這い上がればいい。
そう思った瞬間、強い日差しは活気づけるための動力源となり、ポップなミュージックは自分の気分を上昇させてくれるエネルギーになったような気がした。
心は自分の持ちようでどうにでもなるのだと実感した。
俺もユイちゃんみたいに頑張ろう。そして、また推し活を再開しよう。もしかすると、ユイちゃんとワンチャンあったりするかもしれない。それなら、カノジョとの別れなんて屁でもない。
自分の妄想を駆り立てながら胸に手を当て、キリッとした表情でスクリーンを見る。
そのタイミングで記者会見をしている彼女の横から見知らぬ男が現れる。
画面下のテロップの内容が『藤崎ユイ、結婚を発表』へと変わる。
何だと……
先ほどの高揚感はどこ吹く風の如く消え去っていき、失落に溺れる。
彼女のコメントが映る字幕に目をやると『いつも相談に乗ってくれて、頼りになる存在』と溺愛っぷりを表すような発言をしていた。
自分の中で駆り立てていた妄想がひび割れ、崩れていく。残ったのは真っ暗な闇だった。
不意に受けるダメージをよそに、ポケットからバイブレーションが鳴った。
こんな時に一体何のようだと腸が煮えくり返る。ポケットからスマホを取り出し、メッセージ内容を覗く。宛先は隣人からだった。
『今、あんたの部屋から火が上がって、消防車が駆けつけているよ』
メッセージの文が一瞬読み取れなかった。読み取れなかったというよりは読み取りたくなかったに近いのかもしれない。何回か読むことでようやく状況を理解する。背筋が凍りつき、体全体が逆立っていくのを感じる。
怒りは焦りに変わり、心臓の高鳴りは別のものに変わっていく。額からは生理的なのか、心理的なのか分からないが、大量の汗が出てきた。どうして火事が起こってしまったのか今朝の自分の行動を思い出す。すると、ある一つのことが脳裏によぎった。
そう言えば、俺はタバコの火をちゃんと消せていただろうか。
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