第22話:待ってて

「どうぞ」


「お邪魔します」


 玄関に足を踏み入れる。靴が一つもない。人の気配もない。


「麦茶で良いかな」


「う、うん」


「部屋で待ってて」


「うん……」


 彼女に言われて、彼女の部屋に行く。大福達と一緒に何度か遊びに来ているが、一人で来たのは初めてかもしれない。

 誰も居ないというのに「お邪魔します」と声をかけて部屋に入る。ピンク色のベッドに鎮座する巨大なクマが私を出迎えてくれた。クマに背中を預けて彼女を待つ。時計の音がやけに大きく響く。落ち着かなくて、膝に顔を埋めて身を縮める。

 扉を開く音が聞こえた。テーブルに物が置かれる音がして、足音が近づいてくる。彼女の気配を隣に感じる。


「……心愛ちゃん、顔あげて」


「……やだ」


「……分かった。じゃあ、そのまま聞いて」


「……うん」


 彼女は語る。私の気持ちになんとなく気づいたのは去年の野外学習の時で、その時に自分の気持ちにも気づいたのだと。


「自分の気持ち?」


 突っ込むと、彼女は少し間を置いて、躊躇うように震える声で一言。「嫌なんだ」と。


「嫌? 何が?」


「……君のこと、そういう目で見てしまう自分が。純粋な気持ちで好きだと言いたかった。君が誰を好きになっても、君が幸せならそれで良いと言えるくらいに」


 涙声で彼女がこぼした言葉は、私が彼女に抱いていた想いと全く同じだった。顔を上げると、真剣な顔した彼女がそこに居た。濡れた頬に手を伸ばそうとすると、彼女は身を引いた。咄嗟に手を引っ込め、ポケットに入っていたハンカチを渡す。


「あ、ああ……ありがとう」


「……私に触られるの、嫌?」


「びっくりしただけ」


「……」


「……ごめん。本当は怖い。君が私に向ける好意が。だけど、それ以上に……私が君に抱いてしまう欲望が……怖い」


「……欲望って、あずきちゃんも、私に触れたいって思ってるってこと?」


 それに対しては彼女は答えず、俯く。しばらく黙り込んだ後、彼女は俯いたまま、言葉を選ぶように途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「君のこと、大切に思ってる。大人として子供を守るという責任感もあるけど、君を守りたい理由はそれだけじゃない。私は——」


 その先の言葉に詰まる。待っていると、意を決したように顔を上げた。そして言葉を放つ。「私は君に恋をしている」と。

 しばらく沈黙が続いた後、彼女は膝を抱えて顔を埋めた。そしてそのまま、嗚咽を漏らし始める。抱き寄せようと伸ばしかけた手を引っ込めると、いつかの流花の言葉が蘇る。


『怖いのに、気持ち悪いのに、触れてもらえないのが辛い。あの日から彗さん、ずっと我慢してる。私のためにずっと。抱きしめてもくれない』


 その気遣いが重苦しいと、彼女は言っていた。触れることを躊躇うのは自分のためだと分かるけど、だからこそ辛いのだと。

 意を決して、彼女の身体に腕を回す。彼女はびくりと跳ねた。震えている。息も少し荒い。明らかに怯えている。だけど、抵抗する素振りは見せない。それどころか、恐る恐る私の背中に腕を回した。


「……あずきちゃん。私のこと、怖い?」


 問うと彼女はこくりと頷いた。だけど、突き放そうとはせず「大丈夫。君は私に危害を加えたりしないって、分かってるから」と自分に言い聞かせるように呟いた。そして、大きく息を吐いて語り始めた。


「……昔、兄の友達に言われたんだ。その身体でセックス出来るのかって。それ以来、他人から向けられる恋愛感情が、怖くて。好きって言われるの、嫌で。でも、嫌だって、はっきり言って、傷ついた顔されるのも、嫌で。無視するのも、逆上されたらって思うと怖くて、出来なくて。ごめん。嫌だったよね」


 逆上されるのが怖くて告白を無視出来なかった。だけど、私に対しては私達は友達だよねと容赦なく圧をかけてきた。ポジティブな見方をすればそれは、それくらいしてもこの人は怒って自分に危害を加えないだろうという信頼の証だったのかもしれない。


「君の優しさに甘えて、友達だよねって圧をかけたくせに……本当に、ごめんな」


「ううん。……むしろ、嬉しい」


「え?」


「私にはそれくらいしても大丈夫だって、信頼してくれてたってことでしょ」


「……そうきたか」


「……自惚れたこと言ったかな」


「いや……うん。信頼というよりは、甘えだと思う。本当に信じていたら、圧かけたりしないよ。……心愛ちゃん」


「なに?」


「……卒業するまで、誰とも付き合わずに待ってくれる?」


「それはこっちの台詞。私が大人になるまで待ってて。あずきちゃん」


「……うん。待ってるよ。誰とも付き合わない」


 そう言った後、彼女は躊躇うようにこう口にした。「君が好きだよ。心愛ちゃん」と。その瞬間、身体の芯から火がついたように熱くなり、ドッドッドッドッと重い心音が響く。彼女にも聞こえてしまったのか、押し返された。


「その……すまん」


「う、ううん……ごめん。うるさかったよね……心臓の音……」


 気まずい空気になってしまった。このままここに居続けるのはまずいと思い、彼女に一言声をかけて部屋を出る。彼女は「気をつけて帰るんだよ」と言うだけで外まで送ってはくれなかったが、電車に乗る頃にメッセージを送ってくれた。『また明日、学校でね』と。その後『好きだよ』と続いたが、そのメッセージはすぐに取り消されてしまった。取り消されたメッセージに『私も』と返信する。すぐに既読が付いたが、返事は来ない。

 家に着いた頃にもう一度確認すると返事がきていた。『うん』の二文字だけ。その二文字を送るのに十分もかかっていた。今度はこちらから『好き』とはっきり送ってみる。既読はすぐについたが、返事は十分後。『卒業したらちゃんと返事する。だから待ってて』と。『分かった。もう好きって言わない』と返すとまた十分ほど置いて『別に、言ってもいいよ』と返ってきた。どんな顔で打っているのかと想像して、好きな人を困らせたいと言っていた明菜さんの気持ちが少しだけ分かってしまったような気がした。

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