第21話:受け取らないで

 それから数日後。廊下であずきちゃんを待っていると、見知らぬ男子に声をかけられた。スリッパの色からして、どうやら後輩らしい。曰く、一目惚れした女性を探しているとのこと。その人の名前は分からないが、スリッパやリボンの色から二年生であることは分かっているのだという。彼が熱く語る特徴を聞いて、一目惚れした人はあずきちゃんだとすぐに察した。私は咄嗟にもうとっくに帰ったと嘘を吐いた。彼は「ならこれを渡してもらえますか」と言って手紙を私に渡して去って行った。彼が見えなくなると、タイミングを見計らったようにあずきちゃんが教室から出てくる。


「……手紙もらった。多分、あずきちゃんに」


「うん。聞いてた。ありがとね。帰ったことにしてくれて」


「手紙どうする? 捨てとく?」


「いや、受け取るよ。流石に捨てられないよ」


「……」


「どうした?」


 彼はきっと知らない。彼女が成人していることを。知っていても同じようにラブレターを渡していたのだろうか。分からないが、成人していることを知っていても彼女に告白する人は普通に居る。彼女はそれに対して、一人一人丁寧に断っている。私もきっと同じように断られる。『私は大人で、君は子供だから』と。それを分かっていながら伝える人達のことを、私は内心軽蔑していた。なんで言うの。なんで困らせるの。私は言わない。彼らのように、一方的に好きを押し付けて困らせるようなことは私はしない。絶対にしない。したくない。何が一目惚れだ。ふざけるな。彼女が見た目だけで寄せられる好意にどれだけ悩んできたか知らないくせに。一目惚れなんて、そんなの見た目しか見てないって言ってるのと同じじゃないか。そんな薄っぺらい好意を綴った手紙なんて彼女に読ませたくない。


「受け取らなくて良いよこんなもの」


「えっ?」


 教室に入り、彼から受け取った手紙をゴミ箱に思い切り叩きつける。


「心愛ちゃん……?」


 彼女の困惑するような声で正気に戻る。やってしまった。引かれた。嫌われたくないのに、彼女の困惑する顔を見た瞬間、ずっと抑え込んでいた想いが口から溢れ出す。


「なんで、なんで毎回真面目に告白に対応するの。私には好きと言わせてくれないくせに。本当は分かってるんでしょう? 私の気持ち。明菜さんといつも何話してるの? あずきちゃんの好きな人って誰なの。なんで私には何も教えてくれないの。私が子供だから? なんで? なんで子供には言えないの?」


 聞き分けのない子供のようになんでなんでと繰り返す私に、彼女は抱きついてきた。私の気持ち分かってるくせにそんなことしないでよと突き放すと、彼女は「ごめん」と小さく呟いた。そこでようやく、彼女が泣いていることに気づく。私が泣かせた。そんな顔させたくないから、ずっと気持ちを押さえ込んでいたのに。想いを伝えるだけなら問題ないなんて嘘じゃないか。やっぱり言うべきじゃなかったんだ。思わずその場から逃げ出そうとすると、彼女は私の腕を掴んで引き止めた。


「お願い。逃げないで。話をさせて」


「出来ないよ話なんて。今の私はあずきちゃんのこと傷つけることしか言えないもん。……やだよ……私……あずきちゃんのこと好きなのに……大好きなのに……うぅ……」


 純粋な気持ちで好きだと言いたかった。あなたが誰を好きになっても、あなたが幸せならそれで良いと言えるくらいに。知らない人からのラブレターでもとりあえず受け取って返事をしようとする律儀なところが素敵だと言えるくらいに。

 私だけを見て。私だけを好きでいて。友達のままじゃ嫌だ。特別な存在になりたい。触れたい。触れてほしい。そんな欲望を抱くことを許してほしい。そんな気持ち、彼女に向けたくなかった。だから抑えていた。せめて、あなたと対等な立場に立てる日がくるまではと。それなのに、一度溢れ出した感情はもう止まらない。破れた袋みたいに、中身がぼろぼろと溢れてしまう。


「やだ……違うの……こんなこと言うつもりじゃ……」


 泣き崩れながらも、こぼれ落ちた想いを必死に拾い集めて元に戻そうとする私の手を取り、彼女は言う。


「違うよ。傷つけてたのは私の方だ。君の察しの良さと優しさに甘えて、こんなになるまで我慢させてしまった。……君のことを大切にしたいと、思っていたのに」


 そう言う彼女の声は震えていた。恐る恐る顔を上げる。俯いて表情は見えない。


「……話そう。心愛ちゃん。ちゃんと、話し合おう。私ももう、逃げないから。だから君も逃げないで。お願い」


 私の腕を掴んだ手に籠る力の強さから、彼女の本気度が伝わってくる。『大切にしたいと思っていた』それは、どういう意味なのだろう。その意味を今から話すのだろうか。

 ふぅと息を吐いて、彼女が顔を上げる。その真剣な瞳に写る私は酷い顔をしていて、思わず顔を逸らす。


「……大福にLINKしとく。今日はあずきちゃんと一緒に部活休むって」


「うん」


 メッセージを送ると『部長と副部長揃ってサボりかよ』と茶化すような返事が来た後『でもまぁ、大事な話なんでしょ。後輩ちゃん達は私達に任せなさい』と頼もしいメッセージが続いた。いつかこうなると分かっていたのだろうか。


「……帰ろうか。心愛ちゃん。うちにおいでよ。今日は家、誰も居ないから」


「……」


「あっ……いや、その、変な意味じゃないからな? 誓って、何もしないから」


「……うん。分かってる。あずきちゃんは大人だもんね」


「……そんな残念そうな顔しないでくれ」


「……私、好きなの。あずきちゃんが」


「分かってるよ。その好きがどういう意味かも、分かってる」


「っ……だ、誰もいないあずきちゃんの家で二人きりなんて、私、何するかわかんないよ?」


「何もしないだろ。君は」


「ど、どうしてそう言い切れるの?」


「君は私を傷つけることはしないから」


「傷つけてるじゃん。今」


「傷ついてないよ」


「嘘」


「嘘じゃないよ。私はもう大丈夫だから、全部吐き出して良いよ。ちゃんと受け止めるから」


「……」


「……ごめん。勝手だよな。言わせないようにしていたのは私の方なのに。ごめんな」


「……」


「私の家が嫌なら、君の家でも良いよ」


「……あずきちゃんの家行く」


「ん。じゃあおいで」


 差し出された手を恐る恐る取る。大人とは思えない、私の手より一回り小さな手。その手に引かれて、小柄な背中についていく。


「……あずきちゃん」


「なぁに。心愛ちゃん」と返ってきた声は優しい。「好き」と溢すと、彼女は振り返らないまま「うん」と短く相槌を打つ。私も好きとは言ってくれなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る