第17話:伝えるだけなら、いいんじゃないですか

 明菜さんは森中先生のことが好きで、森中先生も彼女のことが好き。だけど明菜さんはあずきちゃんとよく飲みに行っている。他の学生と違って、二人は成人同士だ。大人同士だ。そしてレズビアン同士だ。だからといって友情が成立しないなんてことはないと思うが、私だったら、好きな人が別の人と二人きりで頻繁に会っていたら嫉妬せずにはいられない。なんとか抑えているが、森中先生はこのことについてどう思っているのだろう。

 ある日のこと。相談したいことがあると私が森中先生に言うと、先生はわざわざ相談室を開けてくれた。相談室なんて初めて入った。他の教室とは雰囲気が違って、ソファやぬいぐるみが置いてある。くつろぎスペースって感じだ。先生は紅茶もありますよなんて言って、棚からカップを出してきた。なんだか申し訳ないなと思いつつも、お言葉に甘えてソファに座る。


「……あの、先生」


「はい」


「……先生は、その、女性が好きなんですか?」


「ええ。そうですよ。私はレズビアンです」


 電気ポットのお湯が沸くのを待ちながら、先生は振り向きもせずに答える。和泉さんとあずきちゃんがたびたび二人きりで飲みに行ってることについて、先生はどう思うのか。聞きたいのはそれだが、どう聞けば良いか悩んでいると、ふと、先生の手がカップを持ったまま固まっていることに気づく。いつまでその状態でいるのだろう。ポットのお湯が沸くまではそこまで時間はかからないと思うが。


「お湯、沸いてません?」


 聞いてみると先生はハッとして、カップにお湯を注ぎ始めた。やはりなにか考え事をしていたらしい。先生はこほんと一つ咳払いをして、紅茶を淹れたカップを私の前に置くと、その正面にもう一つのカップを置いて、私の向かい側に座る。なんだか面談みたいで少し緊張してしまう。


「相談というのは、恋愛相談ですか?」


「は、はい……まぁ……えっと……先生は、恋愛経験はあるんですか?」


 とりあえず聞くと、先生は「ええ。大学生の頃に、一度だけ」と、少し間を置いて答えた。聞かない方が良かっただろうかと思ったが、先生はそのまま語ってくれた。二十歳の頃に付き合っていた女性が居たが、ずっと好きな人が居て、その人のことが忘れられなくて結局彼女とは、上手くいかなかったのだと。


「忘れられない人って、和泉明菜さんですか?」


 私がそう踏み込むと、先生は「それで、相談ってなんですか?」とあからさまにごまかす。元カノの話は良くて明菜さんの話はタブーなのかと苦笑する。しかし、私の相談はそこに突っ込まないと出来ない。


「誤魔化さなくてもみんな分かってますよ」


「柊木さんの相談事ってなんですか?」


「……好きな人が居るんです。その人は女性で」


「同性への恋は別におかしなことではありませんよ」


「分かってます。でも……その人、私より四つも年上で。大人なんです。対して私はまだ、子供で……」


「……なるほど」


 相手があずきちゃんであることは言うかどうか悩んだが、言うことにした。その上で、もしかしたら彼女が明菜さんのこと好きなんじゃないかという話もする。先生は「えっ、甘池さんがですか?」とそれはないんじゃないかと言わんばかりの反応だった。二人が恋愛関係になるという不安は、先生には無いのだろうか。明菜さんなんてあんな、女たらしって感じの人なのに。


「……あずきちゃん、前に明菜さんと飲みに行ったらしくて」


 私がそう言うと、先生は「あー……そうなんですね」と微妙な顔をした。どうやらそのことに関しては知らなかったらしい。


「先生、明菜さんとは付き合ってないんですよね?」


「ええ……まぁ」


「私、不安なんです。あずきちゃんが、和泉さんに取られてしまいそうで。だから正直、先生には、早く明菜さんと付き合ってほしいです」


 思わず本音が飛び出してしまった。先生も「そう言われましても」と困った顔をしている。


「……エゴだって分かってます。でも、どちらにせよ、私は子供だから、想いを伝えることすら出来ないですから。諦めるしかないって分かってるけど、誰かに取られるのは嫌なんです。彼女には私が大人になるまで、誰とも付き合わないでほしい。わがままなんです。私」


 こんな話、誰に話したって答えは二択だ。『年齢なんて関係ない』か『大人と付き合うべきではない』か。私は前者の答えを期待していない。そんな答えは気休めにもならない。だけど、子供は大人と付き合うべきではないという正論も聞きたくない。じゃあどんな言葉をかけて欲しいのか。分からない。

 先生は真面目な人だ。成人同士だろうが教師という立場である以上、生徒の想いに応えるべきではないと言うほど。真面目を通り越して堅物だ。そんな先生から返ってきた答えは意外なものだった。


「……想いを伝えるくらいなら、良いと思いますよ」


 意外すぎる答えに思わず聞き返す。「先生は、私みたいな子供と成人の恋愛はありだと思ってるんですか?」と。それに対しては首を横に振った。その動きに迷いはなかった。


「いいえ。無しです。同性同士であっても、成人である以上は未成年と付き合うべきではないと思います。例えば一つ二つしか変わらない先輩後輩がお互いが未成年のうちに付き合い始めて、どちらかが先に成人したという場合は別ですが」


「じゃあなんでですか? あずきちゃんに明菜さんを取られるかもしれないって不安だからですか?」


「ち、違います。そうではないです。えっと……確かに私は、成人と未成年の恋愛に関してよく思ってないです。でも……駄目だと言われても、恋に落ちてしまうことはあります。それはもう、どうしようもないことだと思います。ですから、付き合うのは駄目だとしても、想いを伝えるくらいなら良いと思います。その純粋な想いを利用して汚そうとする大人は居ますが、甘池さんはきっと、そういう人ではないでしょうから」


 確かに、あずきちゃんは悪い人ではない。流花の知り合いと付き合っていた男とは違う。


「……でも……」


「一番良いのは、大人になってから告白することだとは思いますけどね。どうせあと一年ですし。でもきっとあなたは、その頃には彼女に恋人が出来てしまっているのではないかと不安なのでしょう?」


「……はい。でも……私が大人になるまで誰とも付き合わずに待っててなんてわがまま、本人に言ってしまっても良いんでしょうか」


「私が言うのもなんですが、柊木さんは少し真面目すぎると思います。恋なんてものはわがままなものですし、そのわがままを受け入れるかどうかを決めるのは向こうです。あなたではありません。例え受け入れられなくとも、逆上して相手を傷つけるような人ではないでしょう? あなたは。きっと、甘池さんもそう信じてくれているはずですよ」


 そう言って先生は優しく笑う。私は先生のことを少し誤解していたのかもしれない。先生なら、諦めなさいと言ってくれると思っていたのに。話すだけなら良いと思うなんて言われるとは思わなかった。


「……森中先生に真面目すぎるって言われるって、よっぽどですね。……先生、私が相談したこと、誰にも言わないでくださいね」


「もちろん言いません。私、口堅いですから」


「そんな気はします。……お忙しい中お時間取ってくださり、ありがとうございました」


「いえ。生徒の相談にのるのも教員の仕事ですから」


 先生に頭を下げて、相談室を出る。あれだけ真面目で誠実な先生が言うのだ。少しだけなら、悪い子になっても良いのかもしれない。だけど、彼女は私の想いを受け止めてくれるだろうか。


『優しいよね。君は。私が言わないでほしい言葉は言わないでくれる』


『私も君のこと友達だと思ってる』


『これからも、友達でいてくれるよね』


 野外学習の時に彼女に言われた言葉が蘇る。私は本当に、彼女に告白しても良いのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る