第15話:歳上の後輩
それから三ヶ月経って、学年が上がると、私より歳上の後輩が出来た。和泉明菜ちゃん。私より五つ歳上の、二十五歳の女性だ。私とは違って、入院なんて無縁そうな生命力の塊みたいな人。というのが第一印象。まさにその第一印象通りの人だった。実際、風邪を引いたことも数えるほどしかなく、入院なんてしたことないという。そんな彼女が高校に行かなかったのは、家族のため。父親を早くに亡くし、母親も病気で働けなかったから学業は後回しにして一旦社会に出たらしい。弟と妹が二人ずついて、妹に至っては小学校も被らないくらい歳が離れていたが、学業を後回しにしたおかげで来年からは初めて同じ学校に通えるかもしれないと彼女は心から楽しそうに語る。私だったら兄と同じ学校に通うのは嫌だけどなと苦笑いしながら、夜道を歩く。行き先は私の家の近所にある、カサブランカというバー。どう見ても成人には見えない見た目のせいでこういうバーには行きづらいのだが、ここだけは気兼ねなく入れる。マスターが既に、私が成人していることを知ってくれているから。
中に入ると、カウンター席にまばらにお客さんが座っていた。カウンターの向こうでシェイカーを振っていた中年男性が「今日は友達と一緒? 珍しいね」と私に声をかける。彼がここのマスターの古市さんだ。この店の店員は彼一人。弟子が一人いたらしいが、今は自分の店を持っているらしい。
「高校の後輩です」と私が答えると、店内がざわつく。常連の人やマスターは私が成人であることを知っているが、知らなければざわつくのも無理はない。高校に通っていると言わなくとも、この見た目だ。成人してるなんて言われたって信じられないだろう。そういう反応にはもう慣れた。常連やマスターに説明は任せて、カウンターの椅子を調整してよじ登る。
「ごめんね」
私は慣れているとはいえ、一緒にいる彼女はそうでもないだろう。一応謝ると彼女は「いえ。私もよく成人に見えないって言われますから。見た目じゃなかなか分かんないですよね」と笑顔で流してくれた。確かに明菜ちゃんも未成年に見えなくはないが、間違えられるとしてもせいぜい高校生くらいだろう。実際、高校生なんだけど。私みたいに小学生に間違えられるほどではない。
「先輩はいつも何飲むんです?」
彼女の問いに「ジャックローズ」と答えると彼女は「ブラッディーメアリーじゃないんだ」と冗談っぽく笑った。私は見た目と実年齢が合ってないことからよく吸血鬼っぽいと言われる。そのイメージからだろうか。
「辛いのは苦手でねぇ」
「まぁ確かにそんな感じはする」
「名前は好きだけどね。吸血鬼っぽいから」
「もしかしてジャックローズ好きなのって、赤いからですか?」
「赤いし、甘くて美味しい。あと名前がカッコいい」
同じカクテルで乾杯して、この店に通うようになった理由など、他愛もない話をする。二杯目に入ったタイミングで、彼女にずっと聞きたかった質問を投げかける。
「ところで、君は先生のことが好きなの?」
どの先生かというのは名指しせずとも伝わるだろう。彼女はそれほどまでに一人の先生に入れ込んでいる。
「森中先生ですか?」
「うん。そう」
「好きですよ。昔から」
照れもせずにサラッと彼女は言う。森中先生は彼女より一つ年下で、中学生の頃は先輩後輩の関係だったらしい。現在は生徒と担任。なんとも不思議な関係だ。
「そうか。……女性が好きなの?」
「はい。先輩も?」
「うん」
「今好きな人居るんですか?」
「居る。……困ったことに、四つも年下の子を好きになってしまってね。女性と言うより、女の子と言った方が正しいな」
正直に打ち明けると、彼女は「ふぅん」と特に大きなリアクションはしなかった。私にとっては大きな悩みなのだけど。分かっていて敢えて流してくれているのだろう。
「……明菜ちゃんは、恋愛経験はある?」
「まぁ、それなりに」
「なら……」
グラスを置き、彼女の肩に頭を寄せる。
「……先生は諦めて、私と付き合わないか?」
それは半分は冗談だったけれど、半分は本気だった。嫌だった。自分が心愛ちゃんに恋をしている事実が。一瞬だけでも良いから、忘れたかった。相手は誰でも良かった。
彼女は少し考えるように黙ったかと思えば、私の肩に腕を回した。その瞬間、兄の友人に向けられた視線が蘇って、思わず身体が震えた。
「……震えるくらいなら、そういうことしちゃ駄目だよ。お嬢さん」
そう言って彼女は私をそっと離すと、軽く私のデコを弾いた。彼女は後輩だけど私より五つも年上だ。私の方が子供だということを改めて分からされて、なんだか悔しくなると同時に、ホッとしている自分も居た。ドキドキはしているけれど、それは恋のときめきではなく恐怖からくるものだと思う。自分から誘ったくせにあしらってくれてホッとしている。我ながらめんどくさいなと苦笑して「明菜ちゃんは良いよな。ちゃんと、成人してる人を好きになれて」と、八つ当たりをする。すると彼女はどこか切なげに笑って言った。
「成人してても駄目なんですって。私は生徒で、向こうは教師だから。生徒一人を特別扱いするわけにはいかないって」
と。どうやら彼女は彼女で悩んでいるらしい。
「告ったの?」
「あれを告ったうちにカウントしたくないから否定するけど、両想いってことは判明しました」
「真面目なのは知っていたが、思った以上にクソ真面目なんだな。森中先生は」
「そうなのよ。堅物すぎるよね。びっくりしちゃった」
けど……と、彼女は続ける。
「そんなところも含めて、好きなんですよ。生徒たちのこと本気で大事にしてるんだなって」
そう語る彼女は生徒ではなく、先輩の顔をしていた。やっぱりこの人は大人だ。私よりずっと。
「まぁだからって、素直に諦めてやる気なんてないんだけど。先輩は? 彼女のどんなところが好きなんですか?」
問われて改めて考える。一番最初に浮かんだのは見た目だ。最初にそれが来るのかと自分に呆れるが、彼女は「いいんじゃないですか別に」と笑って続ける。「見た目だけって訳じゃないんでしょう?」と。酒のせいか、素直に言葉が出てくる。合法ロリと言われることにうんざりしていること、だけど別に自分の見た目は嫌いではなくむしろ好きであること。心愛ちゃんはそれを分かってくれる。合法ロリと弄ることもしないし、気を使いすぎることもしない。だから好き。
「……だから、十六歳の未成年の女の子に恋愛感情を抱く自分がどうしても許せないんですね。幼い見た目の自分を、幼い見た目の成人女性ではなく、性の対象としてみても法に触れない幼女扱いする人間と同じになりたくないから」
明菜ちゃんが言う。まさにその通りだった。自分が向けられたくない感情を大好きな女の子に向けてしまっている。それが気持ち悪くて仕方ない。
「先輩はきっとその子のことを一人の女性として見ている。だから見た目と年齢しか見ていない奴らと同じではないと、私は思いますけど」
明菜ちゃんは言う。だけど私は、自分の感情を認められない。そう答えると彼女は「だからって、私で誤魔化そうとしないでくださいよねぇ」と苦笑した。
「……悪かったよ。けど、君だってそうやって誤魔化した経験はあるんだろう?」
「ありますよ。何度も。私は森中先生みたいに堅物じゃないんでね」
そういう彼女はあっけらかんとしている。それを後ろめたいとは思っていないのだろう。
「……私のことは、堅物だと思う?」
「思いませんよ。先輩は大人として正しいです。……森中先生の対応も、教師としては正しいんだと私は思います。でもだからって、私は諦めろって言われてもお断りしますけど。先輩も、諦める必要はないんじゃないですか」
「伝えられるわけないだろう。私は……」
「今伝えなくたって、彼女が大人になってから伝えれば良いじゃないですか」
「……でも、それだと……」
「その間に彼女が誰かと付き合ってしまうかもしれないって不安なんですよね」
「……うん」
「なら、向こうから告白するように仕向けちゃえば良いんじゃないですかね。成人から未成年に恋心を伝えるのは倫理的にどうかと思いますけど、逆なら問題ないと思います」
そう言って彼女はマスターに同意を求める。グラスを拭いていた彼は話を振られたことに気づくと困ったように笑った。曰く、彼は恋をしたことがないという。「その年で? モテそうなのに」と別のお客さんからヤジが飛ぶ。マスターは「よく言われる」と苦笑いしながら続けた。
「触れたいとか独占にしたいとか、そういうのは俺には分からない。でも、誰かを大切に思う気持ちは分かるよ。恋は分からないけど愛は分かる。人を愛することは悪いことではないよ。愛を伝えるだけなら、年齢関係なく問題ないんじゃないかなって、俺は思うけど……駄目かな」
私が彼女に向ける感情はなんの問題もない。本当にそうだろうか。
「確かに私はあの子を愛しています。でも、それだけじゃないです。あの子に対して邪な気持ちを抱いてしまっています。そんな自分を許すなんて出来ません」
私がそう言うと彼は「そうか。やっぱり君の感情は、俺の思う愛とは違うんだね」と困ったように相槌を打った。彼には本当に恋が分からないらしい。彼の考える愛は性欲やら独占欲やらを除いた純粋な好意だけということなのだろうか。それなら正直羨ましい。だけどきっと、彼も分からないことで苦労してきたのだろう。複雑そうな顔を見ればそれはなんとなく伝わってきて、羨ましいという言葉を飲み込んで、カウンターテーブルに突っ伏す。涙が止まらない。隣に座る彼女は何も言わずに背中をさすってくれた。
「……ごめんね。困らせてしまって」
「学校では先輩ですけど、実際は私の方が歳上です。……だから今は、素直にお姉さんに甘えていいよ。お嬢さん」
「……歳上ぶりおって」
カウンターに突っ伏したまま返す。はははと、調子が狂うような明るい笑い声が聞こえた。
「……ありがとね。おねーさん」
「どういたしまして。お嬢さん。……十六歳ってことは、成人まではあと二年ですよ。先輩がそうやって告白を躊躇っているうちに、案外あっさり二年経っちゃうかもしれないですね。私達大人からしたら二年なんて、気づいたらすぎてるものでしょう?」
「……エルフの時間感覚で言われてもな」
彼女はエルフと呼ばれている。エルフというのは、ファンタジー作品によく出てくる人間によく似た種族だ。見た目は人間と大差ないが、人間よりはるかに寿命が長く、十代二十代くらいの見た目で百年以上生きているという設定のキャラクターが多い。彼女はこのように時間感覚が十代の子達とは違う。私は十代ではないけれど、二年を気付いたらすぎているとは言えない。長いと感じる。高校入ってから早くすぎてほしいという思いがあるからかもしれないが。
「何言ってんの。種族的には吸血鬼の方が長生きでしょう。知らんけど」
と、彼女はけらけらと笑い「人間に換算したら私達多分、赤ちゃんどころか受精卵ですらないですよ。卵子ですよ卵子」と適当なことを言う。思わず笑ってしまう。本当に、明るい人だ。そして大人だ。私よりずっと。そんな人が、私の恋を肯定してくれた。私自身はまだ許せないけれど、少しだけ楽になった気がする。
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