第8話:そうだとしたら
六月に入り、一泊二日の野外学習が始まった。心配だから着いていくと言い張る兄を振り切って家を出る。
ずっと引きこもっていた私は同級生に比べて体力が無い。キツい二日間になるだろうなとため息を吐きながら集合し、バスに乗る。
初日は飯盒炊飯と釣り体験。そして風呂の前にナイトハイク。という名の肝試し。夜の森はなかなかに迫力がある。同じ班の男子二人と大福ちゃんはテンションが上がっているが、心愛ちゃんは逆に無口になっている。
「お嬢さん、怖いならお姉さんが手繋いであげようか?」
なんて冗談めかして手を差し伸べると、彼女はむっとしながら大福ちゃんの方に行き彼女の腕にしがみついた。
「ええ。私?」
「……だって、あずきちゃん揶揄ってくるもん」
「ごめんって。にしても意外だな。君、幽霊とか信じないタイプだと思ってた」
「し、信じて無いもん! 信じてないけど! 夜の森ってなんか不気味じゃん!」
「そうかなぁ。私はむしろ好きだけど。静かで落ち着く」
と、言った側から甲高い悲鳴が響き渡ってきた。
「……肝試し要素さえ無ければなぁ」
「ええ? これが良いんじゃん」
と男子二人と大福ちゃん。理解できないと言わんばかりに顔を顰める心愛ちゃん。
「あずきちゃんもなんだかんだで怖いんじゃない?」
「いや、幽霊は平気だよ。長らく入院してたからね。夜の病院はたくさん出るから慣れてるよ」
「……冗談だよね?」
「ふふ。さ、進もうか」
「ちょ……やだぁ……変な話しないでよあずきちゃぁん……」
なんて怯える心愛ちゃんを揶揄いながら夜の森に足を踏み入れる。入院がちだった私は、野外学習も修学旅行も行ったことが無かった。今回が初めてだ。こうやって自然の中を歩くこともほとんどなかった。自然の中といっても、今はそこら中に人工物が置いてあるが。生首とか、地面から生える手とか。よく出来ている。
「あの手、本物だったりして」
「やめて。黙って進んで」
「拾って確かめてみるか?」
「拾わなくて良い。先進んで」
「心愛ちゃん、静かに怖がるタイプなんだな。もっとわーきゃー騒ぐがと思ってた」
「女子の悲鳴ってマジで耳痛くなるよなぁ」
「分かる。彼女とお化け屋敷行った時鼓膜死ぬかと思った」
「は!? お前彼女居たのかよ!? いつの間に!?」
「えっ。中三の二学期くらいから居るけど。言わなかった?」
「初耳だわ! 抜け駆けしやがって……」
と、男子二人がわーわーと言い合う中、心愛ちゃんが大福ちゃんの背中に顔を埋めながら「良いから早くゴールしようよ」と泣きそうな声で呟く。普段は私のことを守ってくれる頼もしい子なのに。なんだかギャップが可愛いなと思ってしまうと、同じことを思ったのか「柊木って意外と可愛いところあんだな」と、彼女が居ない方の男子が呟いた。その一言がなんだかモヤっとした。
「なにを言ってるんだ。心愛ちゃんは普段から可愛いじゃないか」
いや、分かっている。普段の彼女は気が強くて、はっきりと物を言う。その態度に私はいつも守られているけれど、そのはっきり言う気の強いところが苦手だという人も少なくはない。だから彼が普段の彼女を可愛いと思えないのも分かるし、モヤモヤしたのはそこじゃない。むしろ、彼が彼女を可愛いと思ったことが嫌だった。だけど普段の彼女が可愛くないと貶されるのも嫌だった。なんだか変な気持ちだ。
「……あずきちゃん、普段から私のこと可愛いって思ってるの?」
「うん? うん。可愛いと思ってるよ。あ! ち、違うぞ! 変な意味じゃないからな!?」
「……大丈夫。分かってるよ。あずきちゃんは大人だもんね。私みたいな子供はそういう目で見れないってことくらい、ちゃんと分かってるよ」
そう。私は彼女のことを未成年の女の子として見ている。子供として見ている。恋愛対象としてなんて見れるわけない。見てはいけない。はずなのに、彼女の方からはっきりと一線引かれた瞬間、胸がちくりと傷んだ。その痛みには気付かないふりをして、班のみんなと先に進む。ゴールするまで心愛ちゃんは大福ちゃんから一切離れず、私の方を見なかった。私が彼女に年齢のことを伝えた時彼女は言った。遠ざかった気がすると。その時はその言葉の意味はよくわからなかったが、もしかして彼女は私に恋をしているのだろうか。だとしたら——。だとしたら? 胸がキュッと締め付けられる。その瞬間、自分が先ほどの彼の一言に抱いた感情の正体に気づいてしまった。だけどまだそうだと信じたくなくて、きっと勘違いだろうと自分に言い聞かせた。
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