モンティ・ホールの底抜けて

元とろろ

モンティ・ホールの底抜けて

 嫌にはっきりと目が覚めた。

 寝起き特有のとした感じはない。

 身を起こそうとすれば冷え切った全身からゴキゴキと音が鳴る。

 寝違えたというほどでもないが不快な痛みが首から腰までを苛んでいた。


「なんだぁ、ここは……」


 白く眩しい、しかし熱のない光が降り注いでいた。

 照らし出されるのは寒々しい灰色のコンクリートだ。

 馬鹿馬鹿しいほど巨大なコンクリート塊の中身から真四角の立方体をくりぬいたような空間だった。

 問題なのはそのくりぬかれた内側に俺がいるらしいということだ。

 こんなところにきた覚えはない。

 前後左右を振り向いても、壁には扉や窓どころか継ぎ目の一つも見当たらない。

 天井は照明が強すぎて目を向けられない。

 そして床だが、そこにはいかにも稼働しそうな四角く区切られた場所がある。

 くすんだ銀色の額縁のような一辺三メートルほどの枠が床面に組み込まれているのだ。

 枠の内側も周囲と同じコンクリートらしいが、その対辺の中心を結ぶ一つの筋目がそれらが一繋ぎの物ではないことを示していた。


 落とし穴か、あるいは地下道にでも続いているのだろうかと思わせる枠。

 それが三つ並んでいる。


 他に出入り口らしいものがない以上、俺自身このどれかから入ってきた、というよりは恐らく何者かに連れ込まれたのだろう。

 その何者かの行動を待った方がいいかもしれない。

 俺にはこの出入口らしきものの開け方はわからないし、三つ全てが出口であるという保証もない。

 下手にいじった結果、地の底へまっ逆さまということもあり得ると思えた。


 枠の内側には立たないように気を付けながら、思い付く部分に目を凝らし手を触れてみる。

 冷たく固いだけである。

 やはり俺一人ではどうこうしようもなさそうだった。


『聞こえますか。聞こえますか。こちらデスゲームマスターです』

「ああん?」


 悪ふざけのような名乗りを耳にして、思わずチンピラじみた声を洩らしてしまった。

 よくよく考えれば悪ふざけのような現状には合っている。だからと言って苛立ちが収まるわけではない。


『聞こえているようですね。それではル-ルの説明を開始します』


 こちらの反応には興味がないらしく、明らかに機械加工されたその声は淡々と話を続けた。


『お察しのこととは思いますが、このゲームの趣旨は単純な運試しとなります。お客様がいらっしゃる部屋の床には三つの扉があることにお気づきでしょう。この内のたった一つが外への出口となる正解の扉、残り二つは不正解の扉となっております。お客様にはお好きな扉を一つ選んでいただき、その上に立っていただきます。お客様の選択が確認できましたら、こちらからの遠隔操作で扉を開かせていただきます。正解であれば無事脱出、お客様の勝利となります。そして名高いギャンブラーであるお客様のことですから不要な仮定かとは存じますが、万が一、不正解となった場合は申し訳ありませんがご無事の保証はできかねます。さて、お客様からはなにかご質問はございますか?』

「目的はなんだ」

『あなたのギャンブルが見たい。それだけでございます』


 意味が分からない。

 俺は小物だ。

 どんな理由でもこんな大掛かりな事をされるいわれはない。

 俺は名高いギャンブラーなんかではない。ただ単に博打がやめられずに方々の賭場に顔を出しているというだけだ。

 口が裂けても一流とは言えない。ちゃんと数えたわけではないが確実に負けた数は勝ちより多い。借金を負ったこともある。

 この界隈で生きているというよりは、首を突っ込んでもどうにかこうにか死んではいないというだけで、誰かに一目置かれるという立場ではない。

 俺のギャンブルなんか見ても面白いものではないのだ。そもそもギャンブルを見たいというならゲームの内容にももっとこだわるはずではないのか。

 扉を一つ選ぶ。ギャンブルではあるのかもしれない。しかしゲームと呼ぶにはあまりにも雑過ぎる。

 俺のギャンブルが見たいという言い分は一切信用できる要素がない。

 一方で誰かの恨みを買った覚えもない。なにか因縁ができるとすればこの前まで背負っていた負債が怪しいが、それも大した額ではなかったしそもそも清算できている。今更命を懸けさせられる筋合いはない。


 思うに、誰でも良かったのではないか。

 適当な小物を捕まえて理不尽な状況に放り込む。そういうことを娯楽にしている大きな力を持ったロクデナシの爪先にたまたま引っ掛かったというのが一番納得できそうだ。

 そしてなんにせよこの状況に抗う力は俺にはないのだ。

 言いなりに扉を選ぶしかない。

 ヒントはなし。運任せ。俺もいよいよ野垂れ死にか。はずれの扉の下が何であれ、ここから出られなければ餓死である。そして3つの扉の中に本当に正解があるという保証もないのだ。

 弱者を嘲笑うのが目的であるならむしろ全部はずれであってもおかしくはない。


『制限時間はございません。どうぜごゆっくりお考え下さい』


 ふざけていやがる。考えてわかるものでもないだろう。

 苛立ちをぶつけるように自身の上着を叩く。固い感触があった。ポケットにサイコロが入れっぱなしになっていた。


「これで決めるかあ?」


 1か2が出れば右の扉、3か4が出れば真ん中の扉、5か6が出れば左の扉。いい加減だがそれで決めたって誰も文句はないはずだ。


 カラン。


 コンクリートの床に投げたサイコロは5の面を上にした。

 ならば左の扉。

 そう思っても俺の脚は動かなかった。


 クソみたいなギャンブルだが、それでもこれが俺の最後のギャンブルになるのかもしれないのだ。

 適当な決め方をして文句を言うやつはいないだろう。しかしそんな決め方は俺自身が嫌だ。そんな思いがこみ上げる。

 せめてサイコロではなく自分で決めよう。なんの根拠も見いだせずカンに頼るしかないとしてもだ。


 改めて三つの扉を観察する。

 筋目。枠。つるりとした表面。体と首を傾けて、様々な角度から眺め回す。

 違いは全くわからない。

 それでも自分のカンに頼ると決めたらごくあっさりと決まった。

 右の扉だ。

 右という事にこだわりがあるわけではない。

 ただ、今ここにある扉を前にして、右の扉を選びたくなった。

 理由はない。

 もはや迷うことはなく、俺は右の扉の上に立った。


『なるほど、お客様の選択を確認いたしました。それでは正解発表のお時間です……と言いたいところですが。ここで特別なチャンスを差し上げます。なんと今からお客様が選ばなかった扉の内、不正解の扉を公開いたします。そしてなんとなんと、お客様はその後で扉を選び直すことも可能とさせていただきます。それではご確認ください、不正解の扉はこちらです』

「ああん?」


 ガタン。


 低く重い音が響いた。

 すぐ隣、真ん中の扉があった場所に大きな空洞が開いていた。

 覗き込めば底の見えない闇である。


「ふざけてるな、本当に」


 クソみたいな声が伝えた内容。これはモンティ・ホール問題というやつだったか。

 理屈についての記憶は曖昧だが結論だけは覚えている。入れ替えた方が得、そのはずだ。

 なぜそうなるのか、改めて考えてみよう。


 まず、現状では二つの扉が残されている。それぞれ正解である確率は2分の1、ではない。

 ここで改めてコイントスのような手段で開ける扉をランダムに決めるなら、その選択が正解の扉と一致する確率は2分の1になるのだろう。

 しかし今回はそうではない。俺がさっき選んだ扉をそのまま選び続けるのも、選んでいない扉と選択を入れ替えるのも、ランダムに選択し直すという行為とは全く別の物なのだ。


 俺が最初に扉を選んだ時、それが正解である確率は3分の1だ。そして今、俺がその選択を変えなかったとして、正解である確率は3分の1のままだ。3つの中から1つを選んだという状況は変わっていないからだ。

 変化と言えばはずれの扉の内一つが公開されたことだが、それは正解の確率に関わる事象ではない。俺が選んだ扉が正解でも不正解でも、必ず一つは不正解の扉が残っているはずであるし、あのクソみたいな声の主はそれがどれか把握しているはずだ。だから不正解の扉を一つ開けるという行為は俺がどの扉を選んでいても実行可能だったし、そこに確率が出る幕はない。


 そして俺が今選んでいる扉が正解である確率が3分の1であるということは、残りの正解の確率は残りの選択肢が内包していることになる。選択した扉を入れ替えればそれが正解となる確率は3分の2。

 考えてみればおかしなことではない。最初に選んだ時に正解を選ぶ確率は3分の1、それは正解が1つ、不正解が2つだからだ。

 そして今、不正解の扉が1つ開いたことで、残った扉は正解が1つ、不正解も1つ。

 

 正解と不正解が1対1になっている。

 ならば先に選んだ扉が正解であっても不正解であっても、選んだ扉を入れ替えるという行為の結果、正解と不正解は必ず入れ替わるのだ。

 ここで扉を入れ替えれば、3分の2のはずれという確率がそのまま3分の2の当たりに化ける。

 モンティ・ホール問題の正しい答えは、ここで選択を入れ替えることだ。


 それでもだ。


「さっさと開けろよ」


 俺は右の扉の上に立ったままそう言った。

 俺は博打打ちとして三流だが、それでも博打打ちなのだ。

 俺は俺のカンを信じるともうとっくに決めていた。

 左の扉に乗り換えるのが賢い選択だ。

 だがそれが正解になるのは俺が最初にカンを外した場合の話なのだ。


 俺のカンなんて大したもんじゃない。なにか感じたわけではなく、正真正銘ただの勘だ。

 俺自身が信じられる人間じゃないことは俺が一番知っている。

 それでもだ。


『なるほど、それでは扉は変えないと。その選択に後悔はありませんね?』


 クソくらえ。

 確率通りに不正解を引けば、俺は深い穴に落ちながらきっと後悔するのだろう。

 それでも俺は俺に賭けたのだ。俺自身の選択を最後まで信じたかった。

 一人のギャンブラーとしての、これが意地なのか見栄なのか。

 胸を張れることなのか。


「勝てばいいんだろ」


 勝てばいいのだ。

 どんなに馬鹿な選択でも結果だけが全てだ。

 不思議と覚悟だけは決まっていた。


 ガタン。


 低く重い音。

 足の下のコンクリートの感触は失われ、全身に浮遊感を感じながら、俺は後悔はしていなかった。

 そして、光が――。

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モンティ・ホールの底抜けて 元とろろ @mototororo

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