第6話 矛盾した主張



 地下鉄を出て、燦(さん)燦(さん)と照り付ける太陽が竹中の眼を刺激した。その眩しさに思わず、光を手で遮ってしまう。

 都会の外は、蝉(せみ)の囀(さえず)りが人人の喧騒と同化するように、鳴り響き、竹中の背には、名状し難い重圧感がどっとのし掛かる。しかも、照り付ける太陽がいっそうに竹中の体力を奪い、少し歩くだけで、眩暈(めまい)を覚えてしまう。

 竹中は、人人の流れを逆行――多分、皆は、地下鉄目掛けて歩いているのであろう――する。そんな人間達を竹中は煩わしく思うものの、恐らくこちらに向かってくる人間からしたら、自分の存在も充分に煩わしいものなのであろうと感じた。

 しかし、それも駅周辺のみで、大通りまで出れば、人の流れは疎らになり、歩く速度も上がってくる。さすがに都会のど真ん中で、真夏の昼間に大勢の人間達と押しくらまんじゅうをやる趣味は、竹中にはない。

 頬を垂れる汗が非常に不快で、ハンカチで何度も頬や額、首回りなどを拭う。

「あんた危ないじゃない!」

 女の怒鳴り声が聞こえ、竹中は反射的に後ろを振り向いてしまった。すると、三十代くらいのOLが革ジャンを着た男と何やら揉めていた。しかも、その革ジャン男の髪型はモヒカンだった。パンクバンドでも組んでいるのであろうか?

 モヒカン男は、「ああ?」だの「知るか、クソアマ」などと、子供のような文句ばかりを垂れて、女に掴み掛かる。

 さすがに管轄外とはいえ、刑事という立場にいる竹中は、そのトラブルを見て見ぬふりはできず、二人の間に割って入った。

「おい! 何やってるんだ!」

 そう云って、竹中はモヒカンの腕を掴み、女の服から手を引き剥がした。

「っせーな! この女がいちゃもん付けてきたんだよ!」

 モヒカン男は、そう云って、乱暴に竹中の腕をふりほどいた。

 確かに、この男にしてみれば、一方的に女の方から因縁を付けられたように感じるのかもしれないが、それでも、女の様子から、この男が何かしらの迷惑行為を働いたことは明らかだ。

「だが、その女性の反応から明らかに君が何かをしたように俺には見えたんだがな――」

「はぁ? 何? おっさん、女の味方ってわけ?」

「別にそういうわけじゃない」

 モヒカン男は、不満そうに竹中を睨み付けた。すると、更さらに凄い剣幕で、女が云った。

「この男、歩き煙草をしていたんですよ! それで、もうちょっとでその煙草が手に当たりそうになったんです」

「何ぃ?」

 そう鬼のような面になり、竹中は、男のもう片方の手を見た。すると、確かに、女の云う通り、モヒカン男の手には、煙草がぶら下がっており、灰がぽろりと落ちた。

「っせーな! 別に犯罪ってわけじゃねーだろうがぁ!」

「万が一、この女性にその煙草の所為で、火傷を負わせた場合は、過失傷害の罪に問われるし、火傷の場所によっては、一千万以上の罰金が科せられることだってあるんだぞ」

「知ったことじゃねーよ! 何も起きなかったんだから良いじゃねーか!」

「そもそもこんな、人通りの多い場所で、歩き煙草なんてするな! これで、万が一子供とかが火傷をしたら、一体どうするつもりなんだ!」

「知るか! 大体、てめぇ何様のつもりなんだよ! いきなりしゃしゃり出てきやがって!」

 云われて、竹中は溜息を吐き、そして、胸ポケットから警察手帳を取り出した。それを見たモヒカン男は、ぎくりとした表情になり、逃げるようにして、立ち去った。

 その様子を見た、竹中は、警察という職業は本当にヤクザと同じくらいに、相手を威圧する職業なのだなと、つくづく思った。

「ありがとうございます」

 女はそう竹中に向かって頭を下げた。それを受けて、竹中も「いえ、自分は、刑事として当然のことをしたまでです」と、遠慮がちに云った。

「ですが、現に危なかったんですよ? この封筒に火でも付いたら大変なことになってしましたし――」

 そう云って、女は封筒を見せた。

 そこには、『ドラえもん製造計画』と印されていた。それを見た竹中は、はっと手を叩いた。

「それって、政府が発表した?」

「はい、これで、明るい未来を築くプロジェクトです。まあ、この計画に対して、あまり良く思わない人もいるみたいですが、私は、この計画に希望を見出しているので、積極的に参加しているんです!」

「なるほど、いつか絶対に実現させて下さい!」

「はい!」

 そう云って、女と別れた。確かに、自分は、あのモヒカン男の云う通り、少し、あの女性の甘かったかもしれない。

 しかし、見た目で判断するなと云われても、やはり、あの容姿では、一見して、あのモヒカン男が何かをしでかしたと誰もが感じるであろう。

 あの男は、あまり見た目も態度もクリーンではなかった。



 竹中は呆けた面で、署内に設置されているテレビに目を向けた。すると、そこには、この前の女性が関わっていると思われる『ドラえもん製造計画』の話題がニュースで取り上げられており、先程まで、だるんとチーズのように溶(と)けていた目を、一気に見開いた。

 ――ええ、ご覧下さい! 今、ドラえもん製造を行っている研究所の前には、沢山の人集りが出来ています。この人集りは、どうやら今回の『ドラえもん製造計画』に反対しているデモ隊のようです!

 そう踵を接した人間達が、研究所に向かって怒号を投げ掛けている様が映し出され、その忙しなさが、画面を通して、竹中にもひしひしと伝わった。

『ドラえもん製造計画反対!』と書かれたプラカードを掲げる群衆がザッザッと軍隊のように足音を鳴らし研究所に近づいて行く。

「わぁ、大変そうですね」

 そう後ろから、風間が話し掛けた。

「ってか、こんなに大勢の人間が反対とはな――何でだ? 夢があって良さそうじゃないか――」

「まあ、見方にもよりますよね。このデモに参加している人間は、大抵がパイロットや車掌、タクシーの運転手など、公共交通機関に何かしらの関係がある仕事をしている人達ですね」

「どうしてだ? ドラえもんが開発されれば、便利な世の中になるじゃないか」

「だけど、人によっては、そんな便利な世の中を好まない人間もいるんですよ。例えば、どこでもドアが開発されたとしましょう。確かにあれば便利な物です。しかし、もし、それが開発されてしまうと、今度は人人は公共の交通機関を使う必要はなくなってしまいますよね?」

「ああ、そうか――」

 云われて、竹中もこの団体が、なぜ、この計画に反対してしるのか、理解できた様子であった。

 そんな物が開発されてしまったら、そういった交通の仕事をしている人間の仕事はなくなり、無職にならざる得ない。

「おまんまの食い上げだな?」

「はい、その通りです」

 その竹中の言葉を理解したと受け取った風間も首を縦に振った。

「だから、そんなことは断固として許せんと感じた人人が立ち上がったわけです。ドラえもんが開発されてしまったら、それによって、損をする人間が少なからずいるわけですからね」

「なるほどなぁ。確かに、科学が発展するに連れて、職を失う人間もいるのも事実だ」

「はい。後、公共交通機関に務めている人間以外にも、旅行会社、マジシャン、推理作家などもこのデモに参加していますね」

「旅行会社は判らんでもないが、マジシャンと推理作家は、なぜだ?」

「マジシャンは、消えるのが仕事です。しかし、ドラえもんが開発されたら、あらゆる不思議を演じることができなくなってしまいます。せっかく、大衆の前から消えても、通り抜けフープを使ったとか、スモールライトで小さくなったとか、云われるのが関の山ですからね」

「なるほど、そうなると、推理作家も――」

「はい、これも同じで、密室トリックやアリバイトリックなどが使えなくなりますね。幾ら、鉄壁の密室を作っても、通り抜けフープで、楽に演出できちゃいますし、どんな鉄壁のアリバイがあっても、どこでもドアがあれば、地球の裏側にいても、殺人が行えてしまいます」

「確かに、嫌だなぁ。ワトソン君、謎が解けたよ。犯人は、通り抜けフープを使って、この密室から脱出したんだ――なんて云われたら」

「はい、ですから推理作家も、ドラえもんには大反対なのです」

「推理作家は、何も書けなくなるからな」

 珈琲を一気に飲み干し、空になった缶を竹中は、ゴミ箱に投げ入れた。

 だが、空き缶は、ゴミ箱の端っこに当たり、変な所へと転がっていってしまった。それを見た竹中は、苦虫を噛み潰し、いそいそと重い腰を上げ、その缶を拾いに行った。そして、缶の前まで来て、それを拾おうと腰を屈めた直後だった。

 突如、廊下の方から「離せよ!」というドスの効いた声が木(こ)霊(だま)し、何事かと思った竹中は、缶を拾うことも忘れ、慌てて廊下に出た。そして、その異変に気が付いた風間も後を追うようにして、廊下に出る。

 すると、そこには、竹中の同僚である州(す)崎(ざき)昌(まさ)義(よし)が困ったような顔をして、鼻にピアスを付けた男と口論になっていた。

 その鬼気とした状況を見た竹中ももただ事ではないと、感じたのか、州崎の側に駆け寄った。

「どうしたんだ州崎?」

 竹中は怪訝そうに云った。それを受けて、竹中達の存在に気が付いた州崎は、溜息を吐き、云った。

「どうしたもこうしたもない。――これ」

 そう云って、州崎が竹中に見せたのは、パイプと何やら葉っぱを乾燥させたような物だった。だが、それを見た竹中と風間はそれが、何であるか瞬時に理解した。

 それは合法ハーブ――所謂、危険ドラッグと呼ばれている物であった。

 州崎は、再び溜息を吐いた。

「これを吸って、パニックになって病院に運ばれたんだよ。まあ、幸い命に別状はなかったんだが、それで、これを何処で入手したか、聞いているんだ」

 そんな州崎と竹中のやりとりを見た鼻ピアス男は、きっと睨みを利かせて、云った。

「別に法律で禁止されてないんだから、良いじゃねーかよ!」

「だが、それでどれだけの人間が迷惑したと思ってるんだ。おまけに、看板まで壊して、立派な器物破損だぞ!」

 そう凄む州崎。確かに、その薬物は未だ法律では、禁止されていないとは云っても、物を壊したのであれば、立派な器物破損で、法に触れる。

 それを聞いた竹中もさすがにこの事案は、薬物が幾ら法で取り締まることができないと判っていても、その件に対して、放置することができなかった。無論、逮捕することはできないが、それでも厳重注意や薬物の購入場所くらいは吐かせることができるのでは? と、感じたが、やはり、その考えは些か甘かったみたいである。

 鼻ピアス男は、「うっせー!」だの「調子に乗るな!」などといった暴言を吐くばかりで、正直、購入場所を吐かせるどころか、反省の色すら伺うことができない。

 器物破損の罪に問われるといっても、それで、牢獄にぶち込むこともできないため、仕方なく、その鼻ピアス男を解放することにした。

 


 州崎は同僚の竹中の勧めるラーメン屋で、昼食を取り、腹も膨れている御陰なのか、非常に満足げな顔をして、路地を闊歩した。

「なあ? 美味かっただろう? あそこは、俺が、入社してからずっと通い続けている店なんだぞ?」

「ああ、ラーメンって結構、くどくどしているイメージがあったから、あまり行きたくなかったんだが――」

 州崎は、元元胃が弱い。だから昼などは、できれば、さっぱりした物で済ませたいタイプの人間なのだ。

 しかし、今日竹中に連れられて行ったラーメン屋は、州崎がイメージしているような、所謂こってりとしたラーメンとは掛け離れ、昔懐かしのあっさりとしたラーメン。支(し)那(な)蕎麦(そば)に近い感じだった。

 しかも、値段の割には、量も結構あるので、物足りないということもなく、適度な満腹感もちゃんとあるのだ。

 近頃のラーメンとは、明らかに一線を引いており、そこの主人曰く、他のラーメン屋と差別化を図るために、敢えてそういうあっさりとした味付けにしているらしい。その御陰か、競争の激しい地区なのにも関わらず、経営は安定しており、顧客もそれなりに掴めているというらしいのだ。

 二人の口からは、満足感ゆえの、豪快なげっぷが出て、はしたないとは思うものの、この満足感の前には、そんなのは些細な問題でしかなかった。

「まだ時間あるよな? 何処かで珈琲飲まないか?」

 意気揚揚とした表情で、州崎は云った。それを受けて、竹中も「良いねぇ」と、ノリノリな様子で、云った。

 ――と、そんな時だ。大通りに出た二人の前には、何やら列を成す群衆の姿があり、その群衆は己の主張をプラカードに書き、大声と同調させるようにして、何度も何度も、力強く、そのプラカードを上げ下げさせる。

「あれは――デモか?」

「みたいだな――?」

 きょとんとした二人は、その列を凝視し、そして、プラカードにも目を向けた。

 一瞬、ドラえもん関連かと思った――なにせ、ニュースや新聞などで、この話題が執拗に報道されているため――竹中と州崎であったが、そのプラカードには『大麻を合法化せよ!』との文字が書かれており、その大胆且つ無謀な主張に二人は、思わず苦笑した。

「大麻ってあの大麻だよな?」

「ああ、どうやら、そのようだな――」

 その無茶苦茶な主張に二人だけでなく、道行く人人も唖然とした様子であり、そんな周囲の反応を見ていると、このデモの効果はあまりないな――と、二人は感じた。

 少なくとも、今日明日に大麻が解禁されることはないであろう。

 しかし、それでも、先頭を行く、白衣を着た医者だか研究者のような風貌の男は、拡声器を片手に必死になり、己の主張を声にして、この街に木霊させた。

「皆さんは大麻という存在を誤解しています! 大麻は、様様な依存症や糖尿病、はたまた癌など――百種類以上の病気に対応できる万能の薬なのです! すでに、アメリカの二十三の州などで、合法化され、カナダなどの先進国などでも、大麻に対する規制の緩和が進んでおります! 先進国は日本だけなんですよ! 個人の所持は、ともかくとして、医療などでも禁止されているのは! 日本は、もう少し大麻という薬物に対して、寛(かん)容(よう)になるべきだ! 大麻は覚醒剤のような危険な薬物ではない! 万能薬だ!」 

 そう声を荒げる。

 確かに、内容は些か滅(め)茶(ちや)苦(く)茶(ちや)のようだが、それが本当なら、凄いと思う。しかし、やはり、日本では、大麻の寛容化は遠い未来――或いは、永遠に訪れないのではないか? と、確証もなく二人――否、正確には、周りの人間のすべてが思ってしまう。

「私は、大麻に関する書籍を三十冊以上も出し、海外での評価も得ています。日本だけなんですよ! 大麻を悪として見ているのは、すでに、他の国は、大麻を薬として扱い始めています!」

 そう白衣を着た男は、眦を決したように、拡声器で叫ぶ。そして、その後ろを行く人間達もそれに同調し「そうだ! そうだ!」と叫ぶ。

 まあ、こうしてみると、この世には様様な主義主張があるものだと、二人は感嘆する。

 そして、しばらくは、そのデモ隊の列を唖然として眺めているが、突如、竹中の横を一人の男が、勢い良く横切り、そして、デモ隊に向かって特攻した。

 その光景に、一瞬、何が起きたのか、理解できなかった二人であったが、それが、乱闘騒ぎなのだと理解した二人は、驚愕した。

 そして、男が叫んだ。

「大麻合法化反対! 薬物の蔓(まん)延(えん)を許すな!」

 そう男が叫んだ。

 デモ隊達は「なんだ! 貴様!」「何処から沸いて出た!」などと罵倒するが、決して手を出そうとはしない。正当防衛に当たるにせよ、ここで下手に暴力を振るってしまえば、自分達の身もただでは済まないことを自覚しているからだ。

 そして、その特攻した男と共に、周りからも突如、そのデモに反対する声が、飛び交った。

 それを否定するようにして、周りを警備していた人間が、列の中に入り、ど真ん中で暴れている男を取り押さえる。

 しかし、それでも、周りで野次を飛ばす輩は、一線を越えていないがために、拘束することができない。

 竹中もさすがにこの事態に困惑するも、もたもたしているうちに、もう一人、デモ隊の中に特攻して行った。奴らはこのデモを滅茶苦茶にするのが目的の様子だ。

 そして、さらに竹中は、我が目を疑うような光景に出会した。

 なんとこの前、歩き煙草をして、女とトラブルを起こした、あのモヒカン男が反対派の中にいたのだ。しかも男は、この前の自分の失態を棚に上げて、「薬物を許すな! 世の中をクリーンにしろ!」などと、マナーも禄に守れないくせに、然も当然かのように主張する。

 あのモヒカン男は一体何がしたいのか――。理解できないが、それでも正直、そのモヒカン男のブーメランのような発言には竹中も呆れてしまった。

 そして、やれやれと横を振り向いたら、今度は、隣にいた州崎も、何やら珍しい生物でも見たような表情をしており、その州崎の表情を見た竹中は、訝しく思い、州崎の視線を追うように、自分もそちら側を向いた。

 すると、驚いたことに、そこには、この前、危険ドラッグを吸って、署まで連れて来られてた鼻ピアス男の姿があったのだ。

 しかも、男は、大麻賛成派側に付いているのかと思ったのだが、見てみると反対派側に付いていた。その光景にさすがの竹中も驚いた。

 先日、危険ドラッグを吸って署まで連行された男が、目の前で、「大麻反対!」などと叫んでいるのだ。こんな意味不明な光景がこの世にあるだろうか?

 ドラッグを辞めて、心を入れ替えたにしても早過ぎる。

「あの――男、危険ドラッグは良いのに、大麻は駄目なのか?」

 驚きを隠せず、ついつい言葉を漏らす州崎。だが、目の前の光景を見れば、そんな州崎の反応も当然のように思えてしまう。

「ああ、正直、俺も理解できん――」

 竹中もその光景にもはや、返す言葉をなくす。

 しかも、呆れたことに、「大麻反対! 失せろゴミクズ共が!」などと云って、中指を立てて、挑発している男のTシャツには、『DRAG&SEX』などと書かれており、背中には、骸骨が、「あへぇ」などと蕩(とろ)けそうな顔をして、腕に注射器を突き立てている絵がプリントされている。

 説得力が殆どない。

 そして、一人、また一人と、デモ隊の中へと飛び込んで、騒動をさらに大きくする。どんどん乱闘騒ぎが大きくなり、さすがに、警備隊だけでは、収拾が付かなくなり、パトカーが何台も駆け付ける騒ぎに発展。

 辺りには砂埃が蔓延し、その漠然とした光景の向こう側から聞こえてくるのは、「死ね、ジャンキー!」「シャブ中を制裁しろ!」などと云った罵詈雑言――というよりも、反対派の一歩的な暴言。

 反対派は無(む)闇(やみ)矢(や)鱈(たら)に暴力で解決しようとしているため、このような騒ぎになってしまったのだ。

 そして、竹中と州崎もさすがにこの状況下で野次馬を気取るわけにも行かなくなり、乱闘の中に駆け込んで行く。

 本当にこの反対する団体は何を考えているのか――殆どが、ヤクザかチンピラ混じりの男達で、大麻反対を叫ぶにしても、品がなさ過ぎる。これでは、大麻合法化を主張する団体のほうが、まともに見えてきてしまう。

 そして、竹中と州崎も「止めろ」などと云って、乱闘を何とか終息させようと奮闘するが、その直後「ひぃぃぃぃぃぃ!」という、なよなよした聞き覚えのある叫び声が、竹中の耳朶に触れたため、竹中は思わず、その声のする方へと首を向けてしまった。

 もぞもぞとした頭が、ひょっこりと、揉み合っている人人の間から突き出ている。周りの人間よりも、幾何か、背が低い所為であろう。

 そして、その存在に身に覚えのある竹中は、そちら側へと移動し、そして、その人間の手を引き何とか、人混みから救出する。

「だ、大丈夫ですか! 藍さん!」

 そう、竹中自身も、知らず知らずのうちに凄んでしまっていたのか、鬼のような面を藍に向けてしまう。

「ひぃ! ぶ、ぶたないでぇ!」

 そう屈み込み、小兎のようにぷるぷると身体を小刻みに震えさせる。どうやら、突然の出来事に遭遇してしまった所為なのか、変に錯乱している様子であった。

「じ、自分です! 竹中です! 藍さん、大丈夫ですか!」

「た、竹中さん?」

 ひょこっと、藍は顔を上げた。その姿はまるで、あどけない少女のようでもあったが、今はそんなことに構っている余裕はなかった。

「だ、大丈夫ですか? 何やら巻き込まれた様子でしたが――」

「は、はい、道を歩いていたら、突然、あのような騒動になってしまいまして――」

「あの大麻合法化デモに参加していたのですか?」

「いいえ、たまたま通り掛かっただけです。それで、あのデモ隊の主張が結構興味深かったので、その場で足を止めて、聞き入っていたのですが――そしたら、あのような騒動に巻き込まれまして」

「――なるほど」

 竹中は、そう云って、デモ隊の方へと目を向けた。すると、学生運動のように荒れていた騒ぎも徐徐に落ち着き始めた。

 見たところによると、逮捕者も出た様子だった。そして、拘束されたスキンヘッドの男は、「俺達は平和を愛する人間だ! 大麻の存在を許すな!」と、こんな馬鹿げた騒動を起こしておいて、白白しく主張する。

 他にも、「大麻反対! この国の平和を守れ!」などと叫んでいる男もいる。その男の腕には『I'm masochist』という文字が彫られていた。この男は、そのスペルの意味を本当に理解しているのだろうか? と、竹中は訝った。

 そして、若干、服を乱した州崎が「そっちは大丈夫だったか?」と、竹中の方へと近寄ってきた。

「ああ、少なくとも、お前よりは綺麗な身でいることができたよ」

 竹中は、鼻息を漏らした。そんな様子を見て、州崎も「なら良かった」と、息を吐いた。

「大麻の合法化を許すな! この街、国の治安を守れぇぇぇぇぇぇ!」

 まだ、そんなことを云っている。

 警備隊はその嘆いている男の服を掴み、手錠を掛け、パトカーの中に押し込んだ。

 そして、三人はその男の無様な姿を唖然とした表情で眺めていた。

 


 完全に反対派の人間の起こした騒ぎは沈静化され、デモ隊も予定通り、街を闊歩して行ったが、それでも彼らが去った後には、まるで恐竜でも現れたかのような荒んだ惨状があった。

 これは、反対派の人間が暴れた所為なのであるが、彼らは、なぜ、大麻合法化にあそこまで血眼になったのか、正直、周りの人間は理解しかねた。

「ところで、竹中――この方は?」

 そう州崎は、藍に目を向けた。

「藍愛子さんだ。お前だって知っているだろう? あの走る密室の事件を解決して、先日、篠原和敏を逮捕するのに貢献してくれた、あの藍さんだよ」

「ああ、貴方が――」 

 州崎は瞠目した。

「お噂はかねがね聞いております」

 州崎は手を差し出した。恐らく握手をしようとしていたのだろう。しかし、それを受けて、藍は突如しゃがみ込んでしまった。

「ひぃ! ぶ、ぶた――」

「ぶちませんから! 州崎は自分の同僚ですから! 気をしっかり持って下さい!」

 藍は、先程のショックもあってか、ひたすらに「人間恐い、人間恐い、人間恐い、人間恐い――」と、目を虚ろにして、小兎のように震えていた。

 それゆえに、面識のある竹中ならまだしも、まったく見ず知らずの州崎は恐怖対象だったのだろう。

 そんな藍の態度に些か、州崎はショックを受けた。

「あ、あの大丈夫でしょうか何処かお怪我は――」

「あ、え、えっと――」

 未だ、精神的に不安定なところがあったが、それでも、何とか、なよなよとした足取りになりながらも立ち上がった。

「い、いえ、大丈夫です。どうもお恥ずかしい姿をお見せしてしまい――」

 一応、男性恐怖症とかを患っている様子ではない。しかしそれでも、今、州崎の目に映る藍はなんとも弱弱しかった。

「まったく、一体奴らは何がしたかったんだ? 見たところ、街の治安を守るとか云っていたが、奴らが一番この街の治安を乱していたじゃないか!」

「本当だ! 奴らこそ、この街の害だ!」

 ――と、二人は藍を励ます意味もかねて、あの大麻反対派の連中の行動を強烈に糾弾した。

 しかし藍はそんな二人とは裏腹に、怪訝そうな表情になり、荒れた街の惨状を凝視した。

「藍さん?」

 その不審な藍の表情を不思議そうに竹中は覗いた。

「やはり気分が優れませんか?」

 と、州崎。しかしそれに対して、藍は「いいえ、大丈夫ですよ」と、返す。

「とにかく、我我はこれから珈琲を飲もうという話をしていたのですが、どうでしょう? 藍さんが宜しければ、一緒にお茶をしませんか?」

 決してナンパ目的というわけではない。だが、隣にいる州崎も、藍には興味津津といった感じであり、こくこくと首を縦に振った。

 それを受けて藍も「そうですねぇ」と、幾らか落ち着きを取り戻したのか、ぽけぇっとした顔になり上を向く。

「じゃあ、ご一緒させて頂いても宜しいでしょうか?」

 その藍の言葉に、二人は一度顔を見合わせ、「是非!」と返した。

 その様子から、竹中はともかくとして、州崎も、案外満更でもなさそうであった。否、むしろ竹中と同等か、或いは、それ以上の好意を寄せている様子であった。

 出会いのない独身男は、いつでも女に飢えているものなのだ。



 一番見晴らしの良い席に座った三人はメニューを開いた。

「藍さんは昼食はもう済んだのですか?」

「はい、先程――。これから私もお茶をしようと思っていたので丁度良かったです」

「それは良かった」

 と、鼻を伸ばした州崎。そして、竹中はそんなチーズのように蕩けきった同僚の顔を訝しそうに睨んだ。

 二人は、この喫茶店には何度も来ているため、注文を選ぶのにそこまで苦労しなかった。悩むのはせいぜい珈琲の種類ぐらいだ。

 竹中は気分を変えてマンデリン。州崎はいつも通りブレンド。

 二人は早早にメニューから目を離し、藍の様子を伺った。藍はメニューを刮(かつ)目(もく)して、表情を緩やかにしたり、難しい顔になったり、笑顔になったりで、普通であればこんなものぱっぱと決めて注文してしまうものなのであるが、藍からはその行為すら楽しんでいるような節が見受けられた。

 確かにその藍の行為によって、時間を食われてはいるものの、決して二人にとっては、それは苛立たしいものではなく、むしろ、木や花を眺めているような穏やかな感覚に等しかった。

 だから二人はそんな藍に対して、特に「決まりましたか?」とか「どれにしますか?」などといった言葉をかける気にはなれず――そんな言葉をかけるのが申し訳なく感じてしまう――むしろ下手に注文が決まったような素振りを見せると、藍を焦らせてしまう恐れがあったので、自分達もまだ決まってませんよ、といったアピールをするべく必死に藍を真似るようにして、メニューを凝視した。

 そうしたほうが、藍もメニューを決めるのに慌てずに済むだろうという、二人なりの藍に対する配慮でもあったのだ。

「――決まりました」

 藍はそう云って、パタンとメニューを閉じた。それを聞いた二人も、「ああ、奇遇ですね。自分も今決まったところです」「僕もですよ」と、白白しい態度を取った。

「そうですか」

 藍は笑顔で手を上げて「注文宜しいでしょうか?」と店員を呼び寄せた。

 藍に呼ばれ、店員は一目散にこちらに駆け寄ってきた。別にこちらはそんなに急いでいるわけではないから、そこまで慌てて駆け寄ってくる必要はないのだが――。

「ご注文をお伺い致します」

 店員は、ペンと伝票を取り出した。

「私はこのカプチーノと、あとこのハーブ入りクッキーというのは、どの種類のハーブを入れているのでしょうか?」

 そう藍は、メニューを指さした。やはりハーブ好きの藍からしたら、ハーブを使った創作料理というのも気になるらしい。

「オレンジブロッサムですね」

 と、店員。それを受けて藍は「じゃあ、それを一つ」と柔和な表情で云った。それに引き続き、竹中と州崎は「マンデリン」「ブレンド」と、電光石火の勢いで注文を済ませた。

 店員は「かしこまりました」と云って、奥へと引き下がってしまった。

「それにしても――」

 と、店員が奥へ行ったのを見計らって、州崎が云った。

「先程の連中――目的は何だったのでしょうか?」

「目的ですか?」

 藍はきょとんした風に云う。そして竹中も「確かに――」と、難しい顔をして、腕を組む。

「あの連中は大麻の合法化を反対していました。その理由は表向きには、治安の悪化を防ぐため、クリーンな街作りなどという類のものでした。しかし、あの連中の態度からは、そんなクリーンな雰囲気は微塵も感じられなかった」

 見た目が殆ど、ヤクザかチンピラである。恐らくあの光景を見た周囲の人間達は、合法化を訴えるデモ隊にではなく、反対派の連中に脅威や恐怖を覚えたであろう。

 治安の正常化を訴えるのに、あれでは本末転倒である。州崎はそう感じる。それは当然、州崎のみならず、竹中、藍――あの周囲にいた人間、すべてが感じたであろう。

「あの光景、そしてあの主張――明らかに矛盾していると思いませんか?」

「そうだな。だが、あいつらはそんな矛盾しつつも、暴力に訴えてまで阻止しようとしていた。あの必死さがどうにもわからん」

 唸るように竹中は云った。そして、藍は眉をハの字に曲げて云った。

「そうですねぇ。中途半端な気持ちであれば、そんな暴力に訴えてまで、あの運動を阻止しようなどとは考えないでしょうし」

「そうなんですよ。奴らの行動や主張というのは色色なところで矛盾している。治安を維持すると云っておきながら暴力に打って出る。ですが、その必死な行動の裏には、生半可じゃない必死さを感じることができました。中途半端な気持ちの人間がそこまでの暴挙に果たして打って出るでしょうか?」

 そう竹中が云い終えたのをまるで見計らったかのように、店員が「お待たせ致しました」と注文の品を持ってきた。

 竹中の前にはマンデリン。州崎の前にはブレンドが置かれて、藍の前にはカプチーノとハーブ入りのクッキーが置かれた。

「あらま、可愛いですね」

 カプチーノの表面を見た藍の表情からは、先程までの暗雲が見事に払拭され、晴れやかなものになった。

 そんな藍につられて、二人もカプチーノに目をやった。

「ほう、ラテアートですか――これはまた見事だ」

 と、瞠目する竹中と州崎。

 カプチーノ表面には、兎の可愛らしい絵が描かれており、普段、この店では珈琲以外の品は頼まない二人からしたら、そのカプチーノの表面に描かれた絵は新鮮だった。

「中中の職人芸です」

 喜喜とした表情で、ポケットの中から小型のデジタルカメラを取り出し、藍は「記念に一枚」とそのラテアートをカメラに収めた。これで、勿体なくて中中飲むことができない――などといったことはなくなった。

 藍は「冷めないうちに」と、その表面に描かれた兎にまるで口づけでもするかのように、艶やかで、ふっくらとした唇をカプチーノにつけ、啜った。藍の飲む姿を見た二人は、表面に書かれた兎に対して、筆舌にし難い程の嫉妬を覚えた。何とも大人げない所業である。

「ところで――」

 と、藍が喋り出したので、嫉妬で目の前が見えなくなっていた二人は、ようやく我に返った。

「多分、大麻の合法化を訴える方方は、また違う場所でデモを行うと思うのですが、その時はどうなるのでしょう? 幾ら、乱闘の恐れがあるとはいえ、言論の自由が認められているこの国で、そのような理由でデモ活動をするな――とは云えないと思うのですが」

「そうですね。それは立派な言論弾圧です。それに、そんなことをしてしまえば、反対派の思う壺ですしね」

「何とか、乱闘が起きても、速やかに沈静化できれば話は早いのですが――」

 しかし、今日のあの現状を見る限り、また騒ぎになりそうである。三人はそれが他人事であるにも関わらず、難しい顔になり、解決策を思案した。

 藍も「中中難しい問題ですね」と、いつになく難しい表情なるが、やがて、ぽんと手を叩き、晴れやかな表情になった。それを見た二人は「何か思い付いたんですか?」と喜喜とした表情を見せる。

「はい、手っ取り早い方法を思い付きましたよ?」

「ほうほう、それは是非聞いてみたいですな」

「僕も是非聞いてみたいですね」

 と、二人は藍の考える方法に興味津津といった形で、耳朶を傾けた。そんな二人を見た藍は、気を良くしたのか、自信満満といった表情で語り始めた。

「もう、いっそのこと、戦車でガガガァーっと――」

「できるかァ!」

 二人は同時に叫んだ。



 しばらく時間が経過したが、それでも、反対派の人間の不可思議な行動に対して、何も解決できないでいる。

 まあ、仮にやり方が少し野蛮だっただけで、奴らは本当にこの世から、ドラッグという物を抹消しようと考えていた――或いは、願っていたのだとしてもだ、あの中には一人、危険ドラッグをやって、州崎に捕まった人間も混じっていたのだ。さすがに、あれから、まだ二日しか経過していない。しかも、あの鼻ピアス男を解放した時も、暴言は吐いたが、謝罪の一言も反省の色も見られなかった。

 さすがにそんな男が、この短期間で改心し、あんな運動にまで積極的に参加するとは考え難い。

 それに、三日前に街中で竹中が出会った、歩き煙草をしてたモヒカン男もだ。街をクリーンに、治安を維持する――などと叫んでいたが、歩き煙草をして、危うく女性一人に火傷を負わせそうになった人間の言葉とは思えない。どう見ても舌(した)先(さき)三(さん)寸(ずん)の方便にしか取れない。しかし、それでもあのモヒカン男は、他の連中と同様に、そんな舌先三寸の言葉に必死になっていた。

「まったく、訳がわからん」

 竹中は、カップの底に僅かに残った黒い液体に目をやった。

「大体、なんで危険ドラッグをやっている人間が、大麻の合法化を反対するんだ? むしろ、あそこにいた連中はどう見ても、賛成派の人間だろう。なのに、あんな暴動を起こしやがって――」

「竹中さんは、あの方方が皆、反対派にいることがやけに気に入らないみたいですね」

 と、藍は、カプチーノを啜った。

「いえ、気に入らない――というか、理解しかねるのですよ。先程も云ったと思うのですが、奴らの言動と行動が明らかに矛盾している。危険ドラッグをやっている人間や歩き煙草を平気でやるような輩が、あんな治安のために大麻合法化に対して反対と叫んでいることに――」

 そう竹中は溜息を吐いた。それは州崎も同様で、先程のこともあってか、妙に憔(しよう)悴(すい)してしまっている。

 この状況下で落ち着いているのは藍だけである。

 そんな藍の様子を見た竹中は、もしや――と感じたのか、吊り上がった目を藍に向けて云った。

「藍さん、もしかして、貴方は今回のことも?」

「なんとなくですが――。ですが、もし、本当に私の感が当たっているのであれば、あの方方は皆、ある罪を犯していることになってしまうんです」

 その藍の言葉に思わず二人は、驚愕し、「つ、罪だって?」と、勢い良く席を立ってしまった。

「仮の話です。まだ、そうと決まったわけではありませんよ。それに、憶測だけで逮捕もできないでしょうし――」

「だけど、藍さんはそう感じているのですよね?」

「まあ、辻褄は合ってしまいます」

「い、一体――奴らは、何の犯罪に関与しているのですか?」

 そう凄んだ面で、竹中は藍に迫った。

 そして、藍は若干、竹中の勢いに押されながらも自分の推理を語った。



 次の日の夜、藍のした推理が本当に正しいのかどうか、竹中と州崎は、あの反対派の一味でもある『DRAG&SEX』のTシャツの男を見つけ出し尾行した。

 因みに、今、奴が着ているTシャツにはAnal Cunt――肛門、女性器という意味である――とプリントされており、竹中は一体、あの男は何処であんな変なTシャツを購入しているのか、非常に気になったが、今は、そんなTシャツよりも男の行動、そして、男が本当に犯罪行為に手を染めているのか、そちらの方が気になった。

 変なTシャツの男は、マンションから出てそのまま近くのコンビニへと直行した。まさか、ただの買い物だったのだろうか? だとしたら、単なる取り越し苦労に終わる。

 そもそも、あの藍の推理だって単なる憶測の域に留まっている。なのにも関わらず、二人は、あの変なTシャツの男を馬鹿正直に尾行している。正直、不合理且つ非論理的なのは二人も重重理解している。

 しかし、それでもその憶測を導き出したのが、あの藍なのだ。もうそれだけで、二人に取っては行動を起こすには充分過ぎる程の大義名分ができてしまっている。

 だから、自分達の行動が無駄になる可能性が大だとしても、その藍の推理を単なる憶測だと片付けることはできないのだ。

 それに、やはりあの反対派の連中の行動は明らかに不可解で、常(じよう)軌(き)を逸(いつ)していた。

 だから、藍の推理が当たっているにせよ、外れているにせよ、反対派の連中が何かを企んでいるのは、もう疑いの余地はないのだ。

 だから、二人はとにかく、藍の推理が外れている可能性を考慮しつつも、一心不乱であの変なTシャツの男を尾行しているのだ。

 外れていたのなら、それで良しと思えば良い。

 それに、藍にはいつも事件などで世話になっている。都合の良い時だけ、その推理は違うだろうなどとは、何の確証もなしに二人は云えない。

 むしろ、藍の云ったことはかなり意表を突いてる。だが、それでも、かなり大掛かりな犯罪なため、二人としては、できれば外れていて欲しいのだが――。

 様様なことで思考を巡らせているうちに、男がコンビニの中から珈琲を片手に出て来た。

 そのまま足を自宅に向けてくれれば良かったのだが、男はまだ何か用事があるらしく、そのまま自宅とは逆の方向へと足を進ませた。

「まさか――本当に?」

 そう怪訝そうに顔を歪め、州崎は云った。州崎は竹中ほど、藍の推理に立ち会ったわけではないから、正直、まだ半信半疑だ。だが、噂だけはちゃんと聞いている。

「できれば、藍さんの憶測であって欲しいのだが――」

「だけど、今まであの人の推理は全て的を射ていたんだろう?」

「ああ、まあな」

 そう苦虫を噛み潰す竹中。

「だったら、今回の藍さんの推理も当たる可能性があるんじゃないのか?」

「ああ、充分にあり得るな。だから恐いんだよ」

 尾行を続けて行くうちに、辺りは煌煌としたネオンに囲まれて、一気に明るくなったが、そこに飾られている看板の殆どは、パチンコ屋やラブホテル、キャバクラなどが目立ち、辺りの光景に反して、二人の心情は滅入るばかりであった。

 こんな所を一人でぶらぶらしたくないが、あの男はそんなことはお構いなしに、ネオン街を闊歩して行く。

 そして、男はあるビルの前で立ち止まった。そして、男がビルを見上げているのを見た二人は固唾を呑んだ。

 やがて、男が携帯電話を取り出して、誰かを呼び出した。その光景にますます懸念を抱く。

 男は、そのビルの前で腕時計を確認しながら、先程、コンビニで買った珈琲に口を付け誰かを待つ。その待ち人は誰なのか、どんな目的で会おうとしているのか、それはまだ二人には判らない。

 しかし、ここで少なからず二人は悪寒を感じている。二人をそんな剣(けん)呑(のん)な気持ちにさせてしまっているのは、やはり、この場の空気もそうなのだが、何より、目の前の男の挙動不審な態度であろう。

 周囲を気にしているような様子で待っている男の印象は、もはや、不審者以外何者でもない。自分が見回りをしていたら、間違いなく職務質問をしているであろう。

 しかし、それでも今は、じっと堪えて我慢する。ここで変な動きをして、尾行していることに気付かれては、本末転倒である。

 だから、今は獲物を狙う虎のように、ひっそりと物陰に隠れて、男の様子を伺うことにした。

 男は相変わらずビルの前を行ったり来たりしているだけで、完全に待ち惚け状態になっている。もしかしたら、待ち人はもう来ないのでは――? と、思うものの、それでも竹中は、執拗に待ち続ける。相手が来るまで――。

 奴の待ち人は果たして、男なのか――。それとも女なのか――。

 どれくらい息を潜めていただろう。十分のようにも感じたし、一時間のようにも感じた。明らかに時間経過の感覚が麻痺しだした頃に、待ち人と思しき人物が男の前に現れた。

 その人物を見た竹中と州崎は思わず、驚愕した。

 男の目の前に現れたのは女だった。しかも、見た目的にも薄汚れた男とは明らかに違い、身なりもブランド物で装飾したりして、綺麗に整えてある。かなりセレブな雰囲気なのだが、そんな女が一体、薄汚れた男に何の用があるのか――。付き合っているというには不(ふ)相(そう)応(おう)であるのは明確である。二人は非常に気になるが、何も行動が起きないため固唾を呑み、現状を見守った。

 そして、二人はちょいちょいっと何か言葉を交わしたかと思ったら、何処かへ移動した。それを見て、州崎は「おい、行くぞ」と、二人の背を追う。竹中もそれに釣られるようにして、駆け出した。

 セレブのような煌煌とした女性、かたや薄汚れ、ファッションセンスゼロのアナルカント男――。この異様な組み合わせは何をどう見ても、決してカップルには見えない。

 だから、男女肩を揃えて何処かに向かっているとはいっても、竹中と州崎は、その足がホテルに向かっているとは、まったく考えられなかった。

 そして、その二人の思考をまるでなぞるかのように、二人の足は、ラブホテルの並ぶネオン街から外れ、細い路地へと入っていった。

 薄暗い闇が二人の背を覆い、二人が何をやっているのか、良く見えなくなり、竹中と州崎は一瞬困惑するが、多分、向こうもこちらの尾行には気が付いてないと思い、二人に接近し、視界に入る位置まで距離を縮めた。

 そして、二人の足が止まった。

 男がしきりに辺りを確認しているのが見え、竹中と州崎は、即座に物陰に隠れた。幸い、相手には気付かれていないようだ。

 そして、男は、ポケットの中から袋を取りだした。それを女に渡す。女はそれを受け取り、財布から金を差し出した。

 その光景――もう、その男女の関係は明らかだった。

 ――売人と顧客。

 それを即座に直感した竹中と州崎は、物陰から飛び出した。

「おい、貴様ら! 一体、何を売買したんだ?」

 そう州崎は男の方を睨んだ。それを受けて、男は「まずい!」と思ったことを声に出し、脱兎のように駆け出した。

 それを見てこいつらは明らかに違法な売買をしていたと直感し、竹中は男を追いかけた。

「待て!」

 男は全力で走るが、こちらは追跡のプロだ。幾ら相手のほうが少し若かろうが、走りでは負けない。体力もこちらのほうが上だったようで、大通りに出たと同時に力尽きたのか、男は道路のど真ん中に倒れ込んだ。

 竹中はその男を取り押さえ、手に手錠を掛けた。

「ほら、立て! 一体何のやりとりをしていたんだ!」

 と、男の服の中から何かが落ちた。竹中はそれを訝しげに睨み、拾い上げた。

 それは大麻の葉っぱと覚醒剤の粉が入った袋だった。

 そう、この男は違法薬物の売人であったのだ。



 その後、この一件がきっかけとなり、街に蔓延る薬物の売人が芋蔓式に検挙されていった。その中には、あの歩き煙草をしていたモヒカン男、危険ドラッグをやって捕まった鼻ピアス男の姿もあり、さらに、あのデモで逮捕された人間の自宅からも大麻の苗や覚醒剤と思しき白い粉の入った袋が、次次と押収された。

 そう、あの大麻合法化の反対派の連中は、皆、大麻などの違法薬物の売人集団だったのだ。

 そして、それを藍は見事に推理したのだ。

「見事です――藍さん」

 そう、藍の推理を初めて間近で見た州崎は素直に感嘆した。

 藍は「それほどでもないですよ」と苦笑しながら、二人のティーカップにハーブティーを注ぐ。

 カップからは何やら、ほんのりと甘い香りが漂った。それを見た竹中が「これは何ですか?」と訊いた。

 このやりとりは、竹中と藍の間ではいつものことなのだが、今回、初めて藍のお茶会に参加する州崎は少し困惑した雰囲気を見せた。

 まさか、ハーブティーを飲みながら推理を聞くことになるとは思わなかったであろう。しかし、藍はいつもそうやって、己の推理を語ってきたのだ。今になって止めることはできない。

「オレンジブロッサムです」

「どこかで聞いたことがありますね?」

「あの喫茶店じゃないでしょうか? あの時、私の頼んだハーブ入りのクッキーの中に入っていました」

 そう、嬉しそうに語る藍。その笑顔を見た州崎も違和感を覚えつつも、藍が嬉しいのであれば、別にどうでも良いか――と、今まで心中にあった凝(しこ)りみたいなものを落とし、素直な気持ちで藍の入れてくれたハーブティーを楽しむことにした。

「オレンジブロッサムはその名の通り、オレンジの花を乾燥させてた物で、ほのかな柑橘系の香りを漂わせます」

 藍に云われ、竹中と州崎はカップに鼻を近づけて香りを嗅いだ。確かに、ほんのりとした柑橘系の香りがする。それが何とも心身を癒し、どこか優しい気持ちにさせてくれる。

 そんな二人の落ち着いた表情を見て藍が再び語り出した。

「オレンジブロッサムには、緊張や不安といった心のトラブルを解消してくれる作用があり、眠れない夜などにもこのハーブティーを飲めば安らかに眠ることができます。もちろん、お仕事などで疲れた時も、効果的です。日本人は働き者ですからね」

「そうですね。自分も最近ハーブティーを色色勉強しているのですよ?」

 竹中は決して藍に対して、何かしらのアピールをしているわけではない。多分、心からの素直な言葉なのだろう。

「それは嬉しいです。日本人はただでさえ、ストレスを感じやすい環境に身を置いているので、こういったハーブなどがもっともっと広まって欲しいのですが――」

「そうですね。ハーブは――否、これはハーブのみならず、緑茶や珈琲などにも云えることなのかもしれないのですが――。こういった物は、心を和らげるリラックス効果が基本的に備わっていますからね」

「はい、ハーブティーなどはそれに加えて、様様なブレンドで味や効能も変わってきますので、俄然研究のしがいのある物なのです」

 そう嬉しそうにハーブティーを飲む。柑橘系の甘い香りが漂った。

「何よりオレンジブロッサムは、この濃厚な香りと穏やかな甘みが一番の特徴で、癖のある他のハーブとは違い、誰でも気軽に美味しく楽しめるという利点があります。多分、普通の果実よりも香りは強いのではないでしょうか?」

 確かに、藍の云う通りだ。こうやって、ティーカップから燻(くゆ)る湯気が、まるでアロマオイルのように甘い濃厚な香りを周囲に漂わせている。

「オレンジブロッサムはお茶にする他にも、お風呂に入れたり、ポプリにしたりと、この香りを生かすことができ、さらに果実同様、ビタミンが豊富に含まれているので風邪などの予防にもなりますし、女性の方であれば、健康的なお肌を意地し、シミなどを防ぐこともできます」

「なるほど、でしたら冬などにも嬉しいですね」

「ええそうですね。今は少し時期は違ってしまいますが、もうそろそろこのオレンジブロッサムが活躍する時期になりますね」

 そう云って、藍は持っていたティーカップを置く。それと共にハーブの話題が途切れたので、竹中は事件の話題へと移行した。

 その慣れた話し方に隣で何も喋れず、黙黙とハーブティーを飲んでいた州崎は瞠目した。

「それでなんですが、藍さん――あの反対派の連中は、やはり貴方の推理した通り、違法薬物の売人であったらしく、貴方の推理の御陰で、一斉検挙をすることができました。今回も一体、何とお礼を云ったら良いものか――」

「いいえ、お役に立てたのならばそれで充分です」

「で、ですが、確かに憶測だったとはいえ、どうしてあの反対派の連中が違法薬物の売人であったと思ったのですか? むしろ、ああいう連中は自分達の商売をおおぴっらにする意味もかねて、賛成するはずじゃあ――」

 そう、竹中に負けじと州崎が滔(とう)滔(とう)とした口調で云った。

「確かに、単なる薬物の使用者であるなら、大麻の合法化には大賛成でしょう。しかし、違法薬物の売買を生業としている人間となれば話は百八十度変わってきてしまいます」

「ど、どうしてでしょう?」

 と、怪訝そうな表情を浮かべる州崎。

「あのドラえもん製造計画を見ても判る通り、大抵あの手のデモや反対運動というのは、自分達に不利益な現実が迫ってきたら危機感からそういう行動を取ってしまうものです」

「ええそうですね。あのドラえもん製造反対デモも自分達に不利益が被るような、公共の交通機関の人間や旅行会社、さらにはマジシャンや推理作家が殆どでしたし――」

 と、あのブラウン管越しの群衆を思い浮かべながら竹中は云った。

「そうです。それらの方方は、実際にドラえもんが製造されると、確実に不利益を被る方方です。じゃあ、今回の大麻合法化が法的に成立し、そうなった場合、どういう人間が確実に不利益――或いは被害を被るでしょう?」

「そ、それは、やはり子供や環境的に宜しくないと考えている方方ですかね?」

「確かに、あの反対派の方方の中に、幼稚園や学校の先生――日教組の方が一人でもいたのならそういう意見が出て来てもおかしくはなかったでしょう。しかし、あの反対派の中にそのような人はいましたでしょうか?」

「いいえ――あんな連中が教育関係の仕事に関わっていると思うと、心底恐怖します。もしそうだとしたら、日本の未来は本当に真っ暗だ」

 州崎は顔を青くした。

「ええ、ですから、あの方方の唱える治安のため――という言葉は明らかに方便であるのが見て取れます」

 その藍の言葉に、二人はあの時の乱闘の様子を思い浮かべ、苦虫を噛み潰した。

「ですが、方便であったとしても、あの方方は本気で大麻の合法化を阻止しようとしていた節が確かに見て取れました。これで私は微かな違和感と共に、ある思考を持ちました」

「ある思考――ですか?」

「はい、そうです。大麻を合法にしたら、一体、あの方方にどのような不利益があるのか――」

 まあ、治安は荒れるかも知れないが、近年大麻に対する考え方は全国で変わってきている。それを調べた竹中は、大麻の合法化はあの白衣の男の云う通り、そこまで悪いものでもないように思った。

 だが、それによって生まれる不利益な出来事というのが、どうしても思い浮かばない。

 しかし、藍曰く、そこまで辿り付いたのであれば、後は簡単に結論が出ると云う。

「それは、彼らが違法薬物を売買している売人だからであり、彼らは合法化によって商売ができなくなってしまうから――」

 その飛躍し過ぎた解釈に竹中と州崎は困惑した。

「ど、どうして――僕は、その理由がまったく判りません」

 そう若干、口調を乱す州崎。それを見て、藍は苦笑し「も、申し訳ありません。判りやすく話しますね」と、云った。

「云い換えてしまえば、違法薬物の売人は――その薬物が違法であるから、商売ができるのです。考えてみて下さい。仮に大麻が合法化されたら、果たしてどうなるでしょう?」

「ど、どうなるって――」

 ふと、考えて見た。大麻が合法化された未来のことを――。

 竹中と州崎の頭の中で展開された光景は、煙草や酒同様、大麻も店頭や自販機で買えるようになり、さらには、自分自身で育てるなんて人間もわんさか出てくる。

 しかも、昔の日本では大麻が雑草のように何処にでも生えていたと聞く。もし、遠い未来でそんな昔のような光景が実現してしまえば、大麻その物を買う必要がなくなり、欲しくなれば、ちょっと外で取ってくるなんてことも充分にありえる。

 そして、その思考に至り初めて二人は何かを悟ったかのように瞠目した。そして、そんな二人の思考をまるで読み取ったかのように、藍は話を再開させた。

「そうです。もし、合法化でもされたら、大麻は様様な所で容易に購入が可能になってしまいます。そんな中で、誰が、そんな好き好んで怪しい売人から大麻を買うでしょうか?さらにそれだけではありません。大麻が合法化されれば、覚醒剤などの他の違法薬物をやっていた人達も、わざわざ違法薬物に手を出す必要性がなくなり、大麻の方へと流れてくるでしょう」

 大麻の効能は、癌などの病気に効果があるだけでなく、酒や煙草、さらには、ギャンブルなどの依存症にも効果があると云われる。――となれば、他の薬物の依存症にも効果があると考えるのもまた必然。

 それに、リスクがあまりなく、気軽に使用でき、効果もあるのであれば、そちらに流れるのも当たり前の話だ。

「しかし、そんな事態になってしまえば、違法薬物で生計を立てていた人達の商売は滞らなくなり、最終的に売人は衰退の一途を辿ることになってしまいます。そのいつ訪れるか判らない未来にあの方方は危機感を抱いた。だから、大麻の合法化に反対していたのです」

 視点を変えて初めて見えてくる光景に、二人は再び感嘆した。

 同じ薬物を扱う人間でも、使用者としての立場と売人としての立場――こうまで変わってくるとは思わなかったのだ。

「大麻合法化は彼らにとってはとてつもない脅威です。ですから、あの方方が大麻合法化のデモを行えば、あの反対派の人達もデモの粉砕に訪れるでしょう――」

「ええ、ですが、それは逆に売人の摘発にも繋がります」

 そう竹中は、力強く云った。



 竹中が道を歩いていると、再び列を成して闊歩する群衆を目にした。

「児童ポルノを許すな!」

「子供達の人権を守れぇ!」

 とその団体は叫んでいた。

 彼らの身なりは非常に綺麗で、中には背広にスーツ、ネクタイをしている人間もいた。一目で、教育関係の仕事、或いは、子持ちの親だというのが判った。

 だが、もし、この団体の身なりがこの前の反対派のように汚く、暴力的であったのではれば――。

 ――違法ポルノ業者かな?

 そう竹中は思った。

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