第4話 連理と陰陽
――午後二時。
道路を走る車は、自分達の乗る車を目にすると、まるで何かに怯えるように、車の速度を落とす。それもまあ当然のことであろう。
なにせ、自分達が今乗っている車というのは、パトカーなのだから――。
周りを走る人間達は、まるで、町でヤクザを目の当たりにしたような顔になり、のろのろと真面目な速度で走る。皮肉な話であるが、こういう時はヤクザであろうが、警察であろうが、関わり合いたくないと云う意味では、ほぼ同類――。この状況下で、自分達を正義の味方――ヒーロー――として見る人間は誰もいない。
子供の頃は、パトカーが格好良く、警察官は正義の味方だと思っていた。しかし、大人になって、段段と警官という存在に対して、警戒心を持つようになり、何も悪いことをしたわけでもないのに、警官が横を通り過ぎただけで、人人の鼓動は早鐘を打つのだ。
いつの間にか、憧れから恐怖の対象になっていた。それは、警官は大人には厳しいが、子供には優しい存在だから、当然といえば当然であるのだが――。
そして、今、鷹(たか)野(の)景(けい)太(た)郎(ろう)自身が警察官という職に就き、あの時の憧れは本当に幻想だったのだと、思い知る結果になった。
今、自分達は、この町の平和を守るために見回りを行っているが、平和とは名ばかりで、本当は自分達は、その眼(まなこ)を異様にぎらつかせて、虎の如く獲物を探しているのだ。自分達にはノルマがある。どれだけ違反者を捕まえられたかというノルマが――。まったく、警察の仕事も難儀なものである。
鷹野は、胃を抑えながら、医者から処方された薬を、信号が赤で、車が止まっているうちに、隣に置いてあった水と一緒に飲み干した。
その様子を隣で見ていた新(につ)田(た)洋(よう)介(すけ)が眉間を顰めて云った。
「何か悪い病気――ってわけじゃないよな? 癌とか――」
「物騒なこと云わないで下さいよ。普通の胃腸炎です。ちゃんと検査もしました」
「なら良いんだが――ストレスか?」
「ええ、何せ、神経を使う仕事でしょ? ですから――。まあ、僕自身、昔からお腹が弱かったので、そういう疲労やストレスっていうのは、真っ先に胃や腸に出るんです。新田さんは、お体の方は大丈夫なのですか?」
新田の方は、鷹野と比べて、もう随分ベテランだ。それなりに年も行っている。
「俺は、頭痛だな――」
そう云ってポケットからいつも持ち歩いている頭痛薬を取り出した。
「後は、中身のみならず、外見もな――」
そう、笑いながら、新田は帽子を取った。その中には、まるで金のようにぴかぴかと光り輝く禿(は)げた頭があった。
「あと、更に云うなら、お前同様、俺も昔、頭が弱かった」
「頭痛持ちだったんですね――」
「いや、いつも赤点ばっかり取ってて親や教師から殴られてた」
はははっと、鷹野は、渇いた笑いを溢した。やはり、上司の冗談だと笑わなくてはいけないと判っていても、どうしても、遠慮や配慮などとという余分な感情が介入してきてしまい、素直に声を大にして笑うことができない。
その所為で、そのぎこちない笑いの後に、まるで天使が通ったかのように、気まずい沈黙が車内を包み、鷹野自身、新田と何を話そうかと、四苦八苦してしまう。
と、そんな気まずい空気の中、ラジオから女の声が聞こえてきた。
――さぁ、始まりました! ミュージックラジオ。今日は皆さん待望の、ビートルズ特集! 今日も皆さんを、興奮と感動の世界へと誘いましょう!
「お、ビートルズか!」
「好きなんですか?」
鷹野は、この気まずい沈黙を見事に払拭してくれた、ラジオに感謝しながら、云った。
「ああ、学生の頃は、ビートルズを聴きながら勉強をしていた」
と、そんな昔話を語り始め、柔和な空気が車内を包むが、そんな車内の空気はあっという間に瓦解してしまった。
何と、すぐ隣の道路を一台の車が物凄い速度で、駆け抜け、パトカーを追い抜いたのだ。
――では、まず最初の曲から参りましょう! ビートルズでバースデー!
「おい、鷹野! あの車を追え!」
「はい、判りました!」
You say it's your birthday!
ラジオから軽快な音が流れるが、二人はそれどころではなく、その猛スピードで走る車を追った。
「そこの水色のキューブ! 止まりなさい!」
と無線を通じて新田の声が道路中に響いた。しかし、前を走る車は速度を落とすどころか、むしろ上げて、パトカーを振り切ろうとした。
そんな異常を目の当たりにした二人は、いよいよただごとではないと感じ、警笛を目一杯鳴らして、車を追った。
「鷹野! あの車、様子がおかしい――もしかしたら――」
「ええ」
飲酒――否、もしかしたら、違法ドラッグなどを所持している可能性があると見て、鷹野はハンドルを切った。
Yes we're going to a party party!
その流れてくる陽気なメロディーはまるで、この現状を揶揄しているようでもあり、何回も訊いたあの思い出の曲も、この時ばかりは不協和音にしか聞こえず、新田は苦虫を噛み潰すが、それでもラジオを消すという思考には至らず、ただただ、眼前の不審車両に視線も思考も釘付けになる。
そして、車はカーブを曲がり、細い路地に入るが、二人は逃さない。器用にその暴走車の後を追う。
相手の車からは、明らかに自分達を撒こうという意思が感じられ、こうなると、意地でも追い詰めてやるという警察官としてのプライドに火が点いてしまう。二人は執拗に、車を追った。
畝(うね)畝(うね)と細い路地を曲がり、再び広い道路に出た。相変わらず、前の車は速度を緩める気配はない。
「あの車――絶対逃がさん!」
そう、ハンドルを握る鷹野の横に座る新田が、なぜか躍起になっており、その眼には、炎が灯る。そして、鷹野はそんな新田に気圧され、まるで、尻を叩かれる馬になった錯覚に陥る。
――パァァァァァァァァァァ!
その警笛に思わず、二人は、驚愕した。突如、前の車が鳴らし始めたのだ。しかも、それだけじゃない。前方の車が妙にふらふらと左右し始めたのだ。
それを見た二人は、怪訝に思うも、そこから更なる悲劇を連想し、ぞっと顔を蒼白に染めた。
「まさか――前の車、酒に酔ってるんじゃ――」
鷹野が呟いた。それを受け、新田は般若のように無言で頷いた。
Dance!
車はよろよろとまるで、踊るような走行をする。それを目の当たりにした二人も、あわあわと焦燥の色を露わにするが、何も手出しができない。
そして、どんどん車は路肩に寄って行く。それを見て新田は、「まずい!」と、声を上げた。
それとほぼ同時に車はガードレールに勢い良く衝突し、更に、そのままガードレールを突き破り、民家の壁へと衝突した。
そして、暴走を繰り広げていた車は、そのまま制止し、まるで先程の悪夢が嘘のように、寂寂とした雰囲気を放ち始めた。
鷹野は、パトカーを路肩に停車させる。二人は急いで車から降りて、車に駆け寄った。
「おい、大丈夫か!」
そう、車を覗き込む新田。しかし、運転手は、頭から血を流しており、絶命していた。頭から流れた血が、車内に飛び散っており、その惨状を物語っていた。だが、新田が、目を吊り上げた理由はそれだけではなかった。
何と、運転手の男の首には、縄で首を絞められたような跡があったのだ。しかし、車内には、誰も居ない。
「どうしたんですか?」
そう、鷹野が新田の顔を覗き込むが、目の前の死体に釘付けになっている新田は、何も話そうとせず、わなわなと震え続けていた。
――と、ふと、鷹野が横を振り向くと、新田の他にもう一人、わなわなと震える女性の姿があった。
見た目は、二十代前半――否、下手したら十代にも見えるその若若しい女性は、唖然と口を開けて、その光景に釘付けになっていた。
そして、女の横には、なぜかキャリーケースがあった。
――午後三時。
あるアパートの一室で、死体が発見されたと、通報が入り、竹中は現場へと急行した。すると、そこには、既に風間が待機しており、風間の仕事の速さに関心しつつ、死体に被さったシートを捲(まく)った。
シートの中からは、苦悶に満ちた男の表情が現れ、そのあまりの表情に一瞬、肩がぴくりと動くが、それでも、平静を取り戻し、その慧(けい)眼(がん)を死体に向けた。
「男の名前は島(しま)崎(ざき)蓮(れん)二十八才フリーターです」
「フリーターかぁ。何処で働いているんだ?」
「すぐ近くにあるカラオケボックスで働いてますね。どうやら、結構、金にだらしない男だったらしく、他の人間と良く金銭トラブルを起こしていたみたいです」
「じゃあ、動機はそれかもな――」
「はい、自分も、その可能性が濃厚だと感じて、色色調べてみたんですが、特にトラブルが多かったのが、同じカラオケボックスで働く石(いし)井(い)勤(つとむ)という男だったみたいです」
「なるほど――その男にとりあえず、事情聴取をした方がよさそうだな――」
と、シートをすべて捲り、何か不審な箇所が無いか全身を隈なく見渡した。大凡の見解では、誰かに縄のような物で絞殺されたということになっている。現に、首には、縄の跡がくっきりと残っており、絞殺であることは、もはや疑いの余地はない。
竹中は首の跡をさらに良く見てみる。すると、首から何かペンダントのような物が下がっていることに気が付き、竹中は、手袋をして、それを被害者の首から取った。
「なあ、これは――」
そう云って、竹中はそのペンダントを風間に見せた。
「これは――曲(まが)玉(たま)って奴じゃないですか? 古代の日本人が装身具として身に付けていた。色は黒ですか――もう一つ、白の曲玉があれば、対(たい)極(きよく)図(ず)になりますね」
しかし、その曲玉は黒――というより、少し、色が落ちており、どちらかと云うと、灰色に近かった。
「まあ、それの詳しい情報はどうでも良い。誰も気が付かなかったのか?」
「みたいですね。恐らく、服の内側に入り込んでしまっていたので、誰も気が付かなかったんだと思います」
風間は苦笑した。竹中は、呆れたように鼻息を漏らし、一応、そのペンダントを証拠品として、押収した。
そして、竹中は今度は全身を流し目で見た。すると、死体の腕に何やら、誰かに激しく引っ掻かれたような跡があり、その傷を見た竹中は、訝しそうに云った。
「なあ、風間――この傷は――」
「まだ、判っておりません。大凡の見解では、誰かと争った時に付いた傷――ということになっているのですが、それにしては、執拗に引っ掻かれているというか――」
「まるで、獣の爪痕のようだな――」
「はい」
島崎の腕の傷は意外と深く、肉が抉(えぐ)れていた。余程、乱闘が酷かったのかと、竹中は、思(し)惟(い)した。
現に、部屋の中は酷く荒れており、その様子を見る限り、事件当時、何があったか――最早、想像に難しくはなかった。
また、部屋に置いてある小物は、どことなく女性物と見紛うような物が多く、花柄のクッションや桃色のカーテン、更に、ハローキティのカレンダーなどが飾られていた。女性も一緒に同居していたということなのだろうか?
「後、隣の住人に聞き込みをしたところ、確かに、一時半くらいにこの部屋で口論と争う音を聞いたとの証言がありました。ぱっと見た感じ死亡推定時刻もほぼ一致するため、間違いないと思われます」
「犯人は見てないのか?」
「はい、残念ながら――」
風間は肩を落とした。
まあ、実際、そこまで円滑に捜査が進むなどと、あまり考えていなかったため、竹中は、息を吐きつつも特に消沈する様子は見せず、再び視線を死体に向けた。むしろ、目撃証言の有無よりも、竹中は、この腕に付いた傷の方に思考を取られてしまい、そんなことで、いちいち落胆などしていられない。
――と、ここで、鑑識の人間が、竹中の下へと駆けてきた。そして、その皺で塗れた鑑識の顔は、こんなにも惨憺たる空気が流れているのにも関わらず、妙に晴れやかであった。
「警部! やりましたよ! 先程、玄関付近を調べていたのですが、ドアノブに指紋が付いていました!」
「何だと! 本当か!」
そう、鑑識の吐いた言葉は、この場に似つかわしくない言葉なのにも関わらず、そんなことは、歯牙にも掛けず、竹中も喜喜とした声を上げた。
「ええ、これで、幾何か犯人の特定が容易になるかと思いますね」
そう云って、鑑識は、竹中を、玄関まで誘導した。後ろから風間も付いて行く。
「ここです」
そう、鑑識は、ドアノブを指さした。すると、そこには、べっとりと、血が付いており、そこから指紋も確認できた。
恐らく犯人は、血の付いた手でこのドアノブを捻ったのであろう。そうなると、あの島崎の両腕に付いた傷も犯人が付けたということになる。
だが、今は、そんなことは後だ。犯人に一気に詰め寄るだけの証拠がここに残っているのだ。だったら、後は、前進あるのみ――。
ここからは、ぐだぐだと、頭で考えるのではなく、とにかく、足を使う捜査へと移行させるべく、風間を引き連れて、現場を離れた。
まずは、現状で一番嫌疑の深い石井勤のもとを二人は訪ねることにした。
あれからすぐ、署に連絡を入れた鷹野。それから三十分もしないうちに、他の警官達が応援に来てくれて、鷹野自身も何とか余裕が出来た。
幸い、怪我人はいなかったものの、車を運転していたドライバーは死亡。しかも、首には絞めた跡が付いており、単純な事故ではなく、殺人事件として扱わざるを得なくなった。
そして、鷹野の隣には、危うくあの暴走車に轢かれそうになり、気の滅入っている様子の女性がいた。
先程まで、天手古舞いで女性の相手をしていられず、隅に座らせていたのだが、何とか、暇ができた鷹野は、ぎこちない表情でありながらも、女性に話し掛けた。
「あ、あの大丈夫ですか?」
「え、ええ――何とか――」
へなへなと、困惑したような表情を見せる女性を見た鷹野は、不意に目を反らした。真っ正面から女の顔を見てしまい、変に動揺してしまったのだ。
「で、でも良かった――。一歩間違えば、あの事故に巻き込まれていましたからね。本当に奇跡です」
「はい、我ながら、自分の強運に感謝しているところです。それとも神のご加護でしょうか?」
女は、苦笑した。女の首にはロザリオが掛かっており、それを目の当たりにした鷹野は、キリシタンかと思った。
幾何か、晴れやかな声になってきたので、再び鷹野は女性の方へと顔を向けた。すると、再び、あのキャリーケースが目に付いた。何処かに旅行でもするつもりだったのだろうか? 鷹野は非常に気になった。
「あ、あのお名前を伺っても宜しいでしょうか?」
と、動揺を隠せず、幾何かどもった口調になるが、女の方は、そんなことはまったく、歯牙に掛ける様子もなく、笑顔を向けて云った。
「あいあいこと云います」
「あいあいこ――?」
きょとんとした表情になりながら、鷹野は云った。
そういえば、ナミビア共和国にはアイアイという名の硫黄泉の温泉があったな――と、鷹野はふと思った。
「えっと、藍は、藍染めの藍と書きまして――」
「藍染めのあい――ですか?」
ますます困惑してしまう鷹野。そんな様子を見た藍は、更に続けた。
「えっと、監修の監という字に草かんむりです」
「ああ、はいはい」
監修の監なら容易に想像できた。恐らく、普通に書くこともできるはずだ。
そして、僅かに晴れたような鷹野の表情を見た藍は続けた。
「そして、下の名前のあいこですが――恋愛の愛に、子供の子です」
「は、はあ、ご丁寧にどうも――」
あまりにも丁寧な自己紹介に、思わず鷹野は頭を下げてしまった。
「ところで、藍さん――本当にお怪我はなかったのですか? 一応、物凄い事故であったので、病院で検査をすることをお勧めしたいのですが――」
「いえ、特に怪我はしていませんので――。お気遣いありがとうございます」
と、ぺこりと藍は頭を下げた。
「まあ、怪我がないのであれば、何よりなんですが――」
未だに懸念が払拭できないのか、藍の全身を流し目で見る。だが、藍の全身を見終えて、再び頬に紅を散らし、鷹野は目をふっと反らした。
まあ、ぱっと見た感じ、特に何処か怪我をしているわけでもなさそうなので、鷹野は、ほっと安堵の息を漏らした。
――と、そんなぎこちない藍との遣り取りをしていると、向こうから、苦虫を噛み潰し、頭を抱えた新田がこちらに、とぼとぼと近づいて来た。
「ったく、参ったよ。まさか、殺人事件に発展するなんてな――」
部外者である藍の目の前であるにも関わらず、溜息混じりに新田は云った。
「殺人事件?」
新田の言葉を聞いた藍は、訝しそうに云った。それを受けて、流石に、まずいと思ったのか、鷹野は「あ、に、新田さん――」と、あたふたとしながら云った。
「えっと、それって所謂、走る密室でしょうか?」
「あ――まあ、そうですね」
新田は、漸く藍の姿を認知し、しまったといった表情になるが、もう遅く、藍は、目を輝かせながら、新田の話に食い付いてしまった。
「それって、本当に車の中に人は居なかったのですか?」
「居ませんよ――」
新田は頭を抱え云った。
「因みに凶器は――」
「あまり、部外者には公言できないんですがね――」
そう突っ慳貪に云って、藍の暴走を阻止する新田。それを受け、「そうですか――」と、しゅんと落ち込んでしまう藍。
しかし――。
「う! いたたたたた! 急に腕が痛み出しました!」
「な! 何処か打ち付けたんですか!」
そう突然、飄然とした表情でいながらも、腕を必死に抑える藍。しかし、そんな藍の素振りに驚いた二人は、眦を決した。
「だ、大丈夫ですか!」
「だ、大丈夫ではありません! あぁ、痛いぃ――この痛みはナイフで抉られるような感じです!」
「な、ナイフで?」
「ええ、私には霊感があります! きっと、まだ被害者の霊が私の周りを漂っているんです!」
「そんな馬鹿な」
そう、新田は俄に信じられないと云った風な表情をする。しかし、再び――。
「いたたたたた! きっと、被害者は怒っているんです! ナイフで刺された苦痛を私に味わせようと、被害者の霊が!」
「ふん! そんなペテンに引っ掛かるか! 被害者は、ロープで首を絞められていたんだからな!」
そう、得意げに云う新田であったが、暫くして、自分がドジを踏んだことに、気が付きはっとした表情になった。
それを受け、藍は、にこりと晴れやかな表情を新田に向けた。
「なるほど、つまり、絞殺ですね?」
それを受けて、騙されたことを改めて認知させられた新田は、苦虫を噛み潰し、「そうだよ」と吐き捨てるように云った。
「それはそれは――随分と不思議な話ですね」
「因みに、我我は後ろからあの車を追っていましたが、走っている最中に誰かが下りてきたなんてことはありませんでしたね」
と、部外者である藍に、鷹野は、まるで魅入られるかのように、ぺらぺらと当時の状況を話す。そんな鷹野に対して、新田はあまり良い顔はしないが、先程のことがあってか、むっとした表情のまま黙す。
「逆に、その時、既にアクセルを踏んだまま亡くなっていたという可能性は――」
「それは、あり得ませんね。カーブを何回も曲がりましたし、細い路地に入り込み、何処にもぶつかることもなく、車は走り抜けましたから――。死人にそんなハンドル捌きができるとは思えません」
そう云いながら、鷹野は車を追っている自分達の映像を脳裏に沸沸と浮かび上がらせる。この時点で、既に、藍が部外者だということを忘れてしまっている新田、そして鷹野は、もはや、隠すことを忘れ、赤裸裸に情報を明かしてしまう。
そうだ、少なくとも、車がふらつくまでは、ドライバーは生きていたのだ。突然、車が蹌踉(よろ)めき始めたので、二人は焦った。そして、そのまま今回のような事故が起きてしまった。
そして、隣で話を聞いている藍も、そんな二人の疑念や驚愕が手に取るように判ったため、些か、難しそうな顔で、思案する。
しかし、現状では、まだ何も解明できずに翌日の新聞の見出しには、でかでかと、『走る密室』の文字が載っていた。
竹中は、今朝コンビニで買ったパンと珈琲、そして、朝刊をディスクの上に放り投げ、椅子に不貞不貞しく座った。
あれから竹中と風間は石井の家に出向いたが、生憎の留守であった。
確かに、何処かに出掛けただけとも、考えられるが、しかし、現状を考えると、警察の手が自分へ伸びることを恐れ、何処かに逃亡したとも考えられてしまう。
一応、他の人間にも事情聴取をしたが、どの人間も被害者である島崎とは距離を置いていた。その良い加減な性格やさらには、会う度に金の話を持ち出されるため、殆どの人間が意識して島崎を避けていたようである。
しかも、島崎がなくなる少し前にも、島崎と石井は金銭トラブルで揉めており、遂には、殴り合いの喧嘩にまで発展してしまったらしい。その情報を入手して、層一層に石井への嫌疑が深まった。
石井のバイト先から、石井の写っている写真を入手した竹中は、まるで思い出したように、その写真を見た。
見た目は結構筋肉質な体型で、高校と大学では、ラグビーをやっていたらしい。バイトの中でも一番筋力があったので、力仕事は石井がほぼやっていたらしい。だが、その一方で、どこか小心な部分も持ち合わせていたらしく、ラグビーを十年近くやっていたとはいえ、決して体育会系な性格ではなかったらしい。
常に周りの意見に合わせたり、流されることもしばしばあったのだとか――。
そんな話を聞いた竹中は、そんな男が果たして、殺人など、犯せるものなのかと、一瞬は、疑問に感じたが、しかし、動機の面から推測すると、やはり、石井犯人説が濃厚になってくる。
しかも、昨日石井を手配したのだが、未だにその消息は判明しないままだ。竹中自身も、間を開けて、再び石井の家に行ったのだが、結局、帰宅した様子はなく、無駄足になってしまった。
この状況を見て、逆に石井を疑うな――という方が無理があるように思えてならない。無論、犯人と確定したわけでもないが、だが、長年刑事をやっている竹中の感が、石井は今回の事件に関わっていると、己の脳に訴えて聞かないのだ。
事件の進捗が、あまり芳しくないと感じた竹中は、溜息を吐き、朝飯として買ってきたパンと珈琲をコンビニの袋から取り出し、そして、パンを一口囓った。因みに竹中が買ったのは、焼きそばパンであったのだが、焼きそばの他に、紅生姜が山盛りに盛られており、見た目は結構贅沢なのだが、そんな山盛りの紅生姜が、一口囓る度に、ディスクの上に落ちてしまうため、竹中はパンを咥え、目を細めながら、ディスクの上を、ティッシュで拭いた。
さらに竹中は缶珈琲の口を開け、珈琲を一口含み、新聞を開いた。そして、その見出しを見た直後、驚愕した竹中は、思いっきり珈琲を吹き出した。
そう、その見出しに写っていたのは、石井の写真だったのだ。さらに竹中の視線を釘付けにしたのが、その見出しに刻まれた文字である。
『走る密室』――見出しには、その文字がでかでかと刻まれていたのだ。
見出しに写った石井の写真もそうだが、その『走る密室』という文字も、非常に気になった竹中は、目の前の囓りかけのパンと珈琲を口にすることも忘れ、無我夢中で、その記事を読んだ。
そして、その記事には、昨日の事故の様子が赤裸裸に記載されていた。
警察がスピード違反をした車を発見し、追跡したが、その車は警察から執拗に逃げ回ったこと。そしてその過程で、車が突如、不審に蹌踉めきだし、最後にガードレールを突き破り、壁に激突したこと。そして、死亡したドライバーである石井の首には、縄などで絞められた跡があり、事故ではなく、殺人事件に発展したこと。
因みに後ろからその車を追跡していた警官二人は、その最中、誰かが、車から出て行ったとは絶対にあり得ないと証言している。なにせ、車の速度は、八十から九十に達しており、それこそ、高速道路並の速度であったと云うのだから――。そんな速度で、誰かが、車から飛び出せば、間違いなく気が付くし、途中にその人間が死体となって転がっているはずである。
後は、警官達がその車に気が付いた時、すでにドライバーは亡くなっていたという説だが、それもやはり、あり得ない。警官が追っている最中、車は何度もカーブを曲がり、パトカーの執拗な追跡から逃れようとしていた。もし仮に、その時、ドライバーが死んでいたのであれば、死体がまるで、ゾンビのように動き、運転していたということになる。しかも、車は、細い路地にも入り込み、何処にもぶつけることなく、軽やかにその路地を抜けたというのだ。死体がそんな運転をするとは、まず考えられない。
だから、警官達が気が付いた時にドライバーはすでに死んでいたという説も破綻する。
つまり、この犯人は、運転中にドライバーであった石井の首を絞めて、そのまま走行中の車内から煙りのように消えてしまったということになるのだ。
正しく走る密室である。
この奇奇怪怪とした事件の大凡を頭に詰め込んだ竹中。そして、それと同時、竹中の脳裏には、ある思考が蔓延った。
それは、この事件、実は連続殺人なのではないかということだ。
石井及び、島崎はそれぞれに、接点があり、しかも、二人共絞殺と来ている。さらに、島崎が殺されたすぐ後に、この事件は起きている。ここまでの偶然を目の当たりにして、二つの事件は別別のものだとは、考え難い。
今回の二つの事件は明らかに、繋がっている。そして、二人を殺した犯人は、今も何処かで、身を潜めているに違いない。
そう思考したら、最早、いてもたってもいられなくなり、竹中は、食いかけのパンを蛇のように一気に口に入れ、珈琲でそれを流し込んだ。
その直後、血相を変えて、風間が竹中の下に駆けて来た。
「おう、風間丁度良かった! 今から――」
「せ、先輩!」
そう、風間は竹中の言葉を遮った。その風間の慌てようを見た竹中も、事件に何か進展があったと直感し、耳朶を風間に傾けた。
「――実は、島崎なのですが、とんでもないことが判明しまして――」
「とんでもないこと?」
訝しそうに眉を顰める竹中。風間は息を切らしながら続けた。
「はい。実は、島崎は、女だったんです」
「――はぁ?」
その間の抜けた言葉に、竹中は思わず気の抜けた声を出した。
「いえ、ですから、我我は昨日まで島崎は男だと思い込んでいたのですが、実は、島崎は、女だったのです」
「だが、奴の見た目は、明らかに男だったじゃないか――。あの体型は貧乳というには、無理があるぞ?」
そんな竹中の飄飄とした言葉に、「いえ、そういうわけではありません」と、些か口調を荒げて返した。
「島崎は、性転換手術を行っていたのです」
「せ、性転換手術だって?」
竹中は、驚愕した。風間は「はい」と相槌を打ち、続けた。
「それで、調べて見たのですが、どうやら、島崎が金に困っていたのは、その手術が原因みたいなのです」
「なるほど、確かに、性転換でなくとも、手術には金が掛かるからな――保険が利かないとなれば尚更か――」
そう難しい顔で思案する竹中。だが、よくよく考えて見ると、あの部屋の中は、女性が好むような柄や色の物で溢れていた。それは島崎が女であったのだから、当然と云えば当然の話である。
「ところで、先輩の方は、何か収穫があったんですか?」
幾らか落ち着きを取り戻したのか、やや声調を落とした風間。しかし、そんな風間の言葉を聞いて、竹中は、目を吊り上げた。
「何か――って、お前、今日は新聞もニュースも見てないのか?」
「ええ、昨日から全然――」
それを聞いた竹中は、苦虫を噛み潰し、先程買ってきた新聞を、ばっと、風間の眼前にやった。
そこには、『走る密室』の文字と共に、石井の顔写真が載っており、それを見た風間も流石に、竹中の云わんとすることを理解し、驚愕した。
「せ、先輩! これって――」
「ああ、これは、俺の感なんだが、石井と島崎を殺した犯人というのは、同一人物なんじゃないかと考えているんだ」
仏像のように顔を凝(ぎよう)固(こ)させて云う竹中。それを受けて、風間も「確かに」と呟く。
「だから、今からその走る密室とやらの捜査に行くぞ」
「判りました」
ずんずんと、署内の廊下を闊(かつ)歩(ぽ)する竹中。そしてその後を風間は追った。
竹中と風間は、昨日の事故現場へと赴いた。
「あ、こらこら――勝手に現場内に入らないで!」
と、遠くから声がしたので、二人はその声がする方へと、顔を向けた。
「俺達は刑事だ」
そう云って竹中は、仏頂面になりながら、警察手帳を差し出した。
「ほう、刑事さんで――。で、ここに何か御用で?」
「事件の捜査だ――」
「おたくら――管轄が違うでしょう?」
と、目の前に立つ警官は眉を顰めて云った。
「それはそうなんだが――」
竹中は困惑したように云った。いちいち説明するのは、面倒臭いのだが、しかし、事情を説明しないと、中に入れて貰えないと感じた竹中は、とりあえず、ここに至る経緯を目の前の警官に説明した。
「どうだい、俺の推理。悪くないだろう?」
「んまあ、確かに、そのおたくらの抱えている事件と関係ないとは云えんかもしれないが――」
「だろう? だから、どうだろう――ここで、おたくと俺達、手を組んで合同捜査をしないか?」
「それは、こっちの一存では決め兼ねるよ」
その警官の言葉を聞いた竹中は、密かに舌打ちをした。
と、もう一人、少し若めの警官が、自分達の遣り取りに気が付いたのか、訝しそうに近づいて来た。
「新田さんどうしたんですか?」
どうやら、目の前にいる気に入らない面の警官は新田と云うらしい。
「おう、鷹野か――」
そんで、今、駆けて来た若めの警官は鷹野――。
「聞いてくれよ鷹野――」
と、まるで揶揄した口調になり、新田は鷹野に先程のことを話し出した。しかし、鷹野はきょとんした面になるだけで、特に竹中と風間に対して、嫌悪感みたいなものは抱いていないらしく、意気揚揚とした面を二人に向けた。
「それはそれは、その結論に至るまでに随分苦労したでしょう?」
「ああ、まあな。だが、これも俺の地道な捜査の成せる業だ」
実は今朝、パンを囓りながら新聞を読んで思い付いたとは、口が裂けても云えない。そして、鷹野は、新田の方に顔を向けて云った。
「新田さん。どうでしょう? この刑事さん達に僕らだけで、こっそりと協力してあげませんか?」
「おいおい、馬鹿なこと云うなよ。そんなこと――」
「問題ないですよ。それにうちの管轄に任せていたら、事件なんて百年経っても解決出来ませんよ。だって、上の連中は、何をトチ狂ったのか、いきなり霊媒師を呼んで、この事件を解決させようとしたんですから――」
「な!」
その鷹野の言葉を聞いた新田は、思わず絶句した。そして、それを聞いた竹中は、爆笑し出した。
「だはははははははははは! おい! 聞いたかよ風間! どんだけ、原始的な捜査を行っているんだよ! そんな捜査、黒澤明の羅生門でしか見たことねぇよ!」
「あ、因みに、黒澤明の羅生門は、芥川龍之介の羅生門が原作だと思っている人が結構いるのですが、実は、芥川龍之介の藪の中という作品が原作になっているんですよ?」
と、冷静に鷹野は云った。
そして、そんな鷹野の話を聞いた新田も、流石に恥ずかしくなったのか、赤面させた。
「ですから、どうでしょう? 新田さん。僕らも、えっと――」
「竹中だ」
「風間です」
と、鷹野に目を向けられた二人は、自己紹介をした。
「竹中さんと風間さんの舟にこっそりと乗りませんか? どうせ、このままじゃあ、埒が明かないのは目に見えています。下手に迷宮入りしてしまった日には、被害者だって浮かばれませんよ」
耳障りの良い言葉を吐くが、実際は、ただ単にどうやって、この走る密室を犯人が構成したのか、知りたいだけである。
だが、新田自身もやはり、このままだと癪(しやく)だと思ったのか、「判ったよ」と、玉を転がすような声で云った。しかし、そんな声を俊敏に聞き取った竹中は、意気揚揚に云った。
「良し! ならば、今から俺らは同盟を組むことにしよう!」
もはや合同捜査をする必要はないと感じたのか、竹中は云った。
「事件解決に向けて、頑張るぞ!」
そう、皆は拳を振り上げた。
四人で同盟を組んだとは云え、基本的に事件の捜査を進めるのは、竹中と風間だ。鷹野と新田は、そんな二人を援護する――要するに、事件の詳細を逐一横流しする――側に回った。
そして、まずは、様様な証拠と思しき物が写った写真を竹中は鷹野から受け取り、それを見た。
すると、ある物が竹中の目を引いた。それは、白い曲玉のペンダントだった。
「これと、同じような奴を確か、島崎も持っていたな――」
「もし宜しければ、持ち出せますよ?」
「本当か!」
その鷹野の言葉に思わず、歓喜した竹中。しかし、その横では、新田が気に入らなそうな顔をしていた。
「どうせ、そのペンダント、誰も重要視していないどころか、もはや、証拠品としても扱われていないので――」
「なら、是非頼む!」
「判りました」
鷹野はへらへらとした呑気な面構えで云った。
「それにしても、良かったのですか? 僕らまで、その殺人事件の現場にお邪魔しちゃって――」
「良いんだよ! 俺達は同盟を組んだんだ! 流石に、そっちにだけ情報を流させるわけには行かないからな。それに情報を共有することでもしかしたら、何か良い閃きがあるかもしれない」
事件現場なのにも関わらず、「がははははは!」とこの場に似つかわしくない笑い声を上げる竹中。
大方の捜査の方は済んでいるらしく、この現場は、竹中、鷹野、新田の三人だけだ。風間は、事情聴取に行っている。
改めて現場を見ると、本当に、中は女の部屋といった感じで、最初見た時は、違和感を感じていたが、島崎が元元女で、性転換手術を行ったことを考慮すると、このカラフルな部屋にも納得が行く気がした。
「ところで、竹中さん? 犯人の動機は一体何だと思いますか? 石井が島崎を殺したとなると、金銭のトラブルなのでしょうが、二人共殺されたとなると、動機は金銭トラブルとは考え難いです。なにせ、話によると島崎と違い、石井は真面目な性格であったらしく、借金なども殆どしていなかったらしいですから――」
「そうだな。俺も、さっきからそれを考えていた。だけど、実際、二人は、田舎から出て来たばかりらしいしな――」
同盟を組んで、意気込んでいた竹中であったが、やはり、内心では八方塞がりに陥っているらしく、どことなく焦燥の色が見て取れた。
「ところで、石井は何処出身なんだ?」
何気なく竹中は訊いた。当然、それが足がかりになるとはあまり思っていない。念のためである。
しかし、その竹中の問いに対して、きょとんとした面になり、鷹野と新田は顔を見合わせた。そして、そんな二人の様子を見た竹中は、訝しそうに云った。
「おい、まさか――お前達の所では――」
「そういう細かい聞き込みは殆どやってませんね」
苦笑して鷹野が云った。それを聞いた竹中は、頭痛を覚えたように頭を抱えた。
「ってことは、なんだ? そういう細かい調査は殆どせずに――」
「ええ、一気にすっ飛ばして霊媒師に頼りました」
「お前の所の人間は、本当に警官なのか!」
つい、激(げき)昂(こう)してしまう竹中。無論、鷹野達が悪いわけではないというのは、百も承知だ。しかし、それでも、竹中は、激怒せずにはいられなかった。
「お怒りはごもっともです。竹中さん達に比べてしまうと、うちの部署はどうにも――」
「まあ、お前さんが悪いわけじゃないから、こんな所で幾ら怒っても仕様がないのだろうが――。だけど、もうちょい、そっちの部署は何とかならんのか――。絶対に何か、見落としとかあるんじゃないのか?」
「うーん、どうでしょう? 正直僕達だと何とも云えません」
「――だな」
鷹野と新田が口を揃えて云った。
そして、改めて、自分の部署の無能さを思い知らされた新田も頭痛を覚えたのか、頭を抱えて、財布の中から鎮痛剤を取りだした。それを見た竹中は訝しそうに云った。
「そりゃ、何の薬だ?」
「頭痛だよ。まったく、どうしてそんな物を――なんて、判りきった質問は止してくれよ?」
「――んまあ、その苦労は充分過ぎる程、理解できるよ」
竹中も溜息を吐いた。
「まあ、人間の身体ってのは、何とも、脆(もろ)い物でな。事故に遭ったり、変なウイルスに感染せずとも、日常のちょっとしたストレスや疲労で、軽く壊れちまう」
「――まあ、そうだな」
「こいつだってそうだ」
そう云って、新田は、鷹野を指さした。
「お前さんも何処か悪いのか?」
「ええ、僕は胃が――」
苦笑した鷹野は、医者から処方されている薬を取り出した。
「大変だな――」
「竹中さんは、何処か悪い所はないんですか?」
「俺? 俺は――」
そう云って、脂肪のたっぷり付着した自分の腹を見た。
「去年の健康診断で、もう少し痩せろと云われたよ」
「それはそれで、大変ですね」
「まったくだ」
竹中は、再び溜息を吐いて、色色と見て回った。
「ところで、島崎の出身は何処なのですか?」
「G県にあるコンビニも殆どないような小さな村だ。確か――何だったかな? 日(ひ)翌(よく)村という名前だったな――」
と、竹中が云い終えたところで、突如、部屋の扉が勢い良く開けられた。一瞬、他の警官かと思い、びくりと三人は肩を震わせたが、そこに立っていたのは、風間だった。
「せ、先輩!」
そう、息を切らしながら、部屋に入ってくる風間。その様子を竹中は、鳩が豆鉄砲を食らったような面で見た。
「大変です! 先程、事件の事情聴取のついでに、石井の出身なども調べて見たのですが――」
「お、それはでかしたぞ!」
と、その風間の話を遮るように竹中は云った。
「それなんですが、石井の出身なのですが、G県にある日翌村という小さな村らしく――」
「日翌村だと?」
竹中は、やや驚愕したように目蓋を上げた。
「はい、それで、確か島崎もその村出身だというのを思い出したので――。先輩、これは幾ら何でも偶然とは思えません。何というか、もしかしたら、その日翌村に何らかの縁がある人間の仕業ではないでしょうか?」
「確かに、その可能性はある――」
その竹中の素早い返答に、先程まで苦い顔をしていた新田も思わず頷いてしまった。恐らく、そこまで深く考える必要もないということなのだろう。
そして、その可能性に辿り付いたのであれば、もう、四人の遣ることは一つである。
「良し、日翌村に行くぞ」
その竹中の言葉に誰も異を唱える者はいなかった。
一同は日翌村に辿り着いた。
本当の竹中の云うように、周りにはコンビニ一つない。
しかも、ここまで電車で来たのだが、最寄りの駅の改札口は木箱でできており、しかも、無人だ。切符をその木箱の中に入れるという感じで、流石にそんな改札口を見た一同は驚愕させられた。
バスも一日に片手で数える程しか出ていなく、むしろ目的地までは、歩いて行ってしまった方が早いと感じた一同は、とぼとぼと歩いた。
雲雀(ひばり)前線を迎えた日翌村の木木からはひーちゅくちゅく、ひーちゅくちゅくと、鈴を転がすような雲雀の囀(さえず)りが一陣の風のように流れてきて、皆の耳朶を擽(くすぐ)った。
まだ道の端端には、綿のような雪が僅かに残っており、それを見た一同はまだまだ春は遠いなと、感じた。まだ、梅も開花していないのだから、当然だ。
「ところで、この前云っていた、証拠品は持ってきてくれたか?」
「はい、これですよね?」
そう云って、鷹野は、ポケットの中から、白い曲玉のペンダントを出した。これは、石井の首にぶら下がっていた物だ。
そして、それを真似るように、竹中も、元元黒だったのが、擦れて灰色に変色してしまっている曲玉のペンダントを取り出した。因みに、これは島崎の首にぶら下がっていた物である。
そして、竹中は、鷹野からその白い曲玉を受け取り、照らし合わせながら云った。
「このペンダントもやはり、何かしらの意味があるのか――」
「それも調べて見ましょう。どちらにせよ、二人の関係は、単なるバイト仲間というわけではなさそうですし」
と、風間。それを受けて、竹中も、「ああそうだな――」と、云って横を見た。そして、不意に足を止めた。
「どうした?」
と、新田が、きょとんとした面で竹中の顔を覗き込んだ。しかし、竹中は、まるで地蔵のように固まって何も返さない。
それを不審に思ったのか、三人は、竹中の視線を追うように横に目を向けた。
すると、そこには、長い石段があり、そして、その先には、鳥居があった。否、良く見ると、それは、鳥居ではなく、木であった。石段の両脇に生えている木の枝が、まるで手を繋ぐかのように、くっついていたのだ。
そのあまりにも不思議な光景に、一同は、足を石段の方へ向け、誘われるように、石段を上がった。
「これは、一体――どうなっているんですかね?」
「ああ、俺もこんな不思議な光景は初めて見た」
その鳥居のような奇妙な木に思わず、一同は見取れた。
そして、竹中は、木の先を見てみた。そこは、どうやら神社らしく、竹中は、吸い寄せられるように頂上に登り、境内へと足を踏み入れた。
と、境内の奥に自分達意外にも、すでに参拝客がおり、流石に、こんな辺鄙な場所に人がいるとは思わなかったので、些か驚かされた。否、むしろ、本当に驚いたのは、その人間を目の当たりにしてからだ。
境内で参拝していた客は女性なのだったのだが、その女性の横にはキャリーケースがあり、竹中はまさかと思った。そして、そのまさかが的中した。
女性は、こちらに振り返った。それと同時に、竹中は思わず声を張り上げてしまった。
「あ、藍さん! 何でこんな所に!」
そして、その光景を見て驚愕したのは、竹中だけではなかった。鷹野と新田も、藍とは面識がある。
一同の顔を見た藍は、瞠目している竹中とは相反して、落ち着きを保ちながら、きょとんと、子犬のように円らで、尚且つどこか惚けたような表情をした。
「あれま、皆さん。お揃いで――。一体どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたも――こちらは、捜査で来たんです」
「捜査ですか?」
「ええ、あ、そういえば、聞きましたよ。藍さんも、あの走る密室の現場にいたそうですね?」
「はい。いましたね」
状況を理解していない藍は淡淡と答えた。
「藍さんは、ここら辺に住んでいらっしゃるのでしょうか?」
「いえ、私は、観光です」
「か、観光?」
こんな辺鄙な片田舎に観光とは、随分と変わっているなと、一同は思った。
「見て下さい。この木――これは、連理木と云って、二本の樹木の枝がまるで、手を繋ぐように癒着結合した非常に珍しい物なんですよ?」
「そ、そうなんですか――」
「はい、一部の人間の間では、この木は非常に有名でして、これをわざわざここまで見に来る人間もいるらしいです。それで、私もその一人です」
そう、にこりと、ポケットの中から小型のデジタルカメラを取り出した。そして、そんな藍の笑顔に、思わず、竹中は胸を撃たれるも、平静さを何とか貫いた。
「連理の枝という言葉がありまして、この言葉は、男女の純愛や、夫婦の絆が非常に深く、仲睦まじいことを意味します。そして、この神社も、連理木が御神体の役割を担っているためなのか、縁結びの御利益があると云われています。見て下さい。あの繋がった枝。まるで、男女が仲良く手を繋いでいる風に見えませんか?」
「ええ、確かに――」
一同は、再びその木に視線を遣った。そして、暫くは、そんな連理木に圧倒され、我を忘れるも、ここに来た理由を思い出した竹中は、眦(まなじり)を決した。
「って、いかんいかん! こんなことをしている場合じゃない! 捜査をせねば!」
その言葉に藍は、きょとんとした。そんな、藍は惚けた表情を見た竹中は、あることを思い付いた。
そう、それは、この藍も仲間に引き入れて事件を解決しようというものだった。過去に藍は、ラーメン屋で、城之崎家の炎上事件を解決した。事件解決をできなくとも、何かしら面白い発見を、この藍ならするのではないかと思い、藍の頭脳に肖(あやか)ることにしたのだ。
「藍さん。実は、聞いて欲しいことがあるのですが――」
「何でしょう?」
「事件のことです――」
竹中は、島崎殺害と石井殺害の事件が結び付いたことやここを訪れることになった経緯など、すべて、藍に話した。
最初、皆は大丈夫なのかと、藍の存在を訝ったが、竹中が一押しする人物であるがゆえに、皆も無闇矢鱈に反対することができなかった。
そして、そんな竹中の話を藍はぽよぽよとした間の抜けた表情で聞いた。その表情を見て、本当に大丈夫かと一抹の不安が皆の脳裏を過ぎるが、竹中が話し終えた後、藍は、「はい、判りました。では、事件を解決しましょう」と、皆の方に顔を向けた。
「じ、事件解決って――こんな少ない情報で?」
そう、風間は素っ頓狂な声を上げた。
「はい。これだけの情報があれば、事件解決は容易にできると思います」
至って淡淡とした雰囲気であるが、藍の放つ言葉は、明らかに常軌を逸したものであり、誰もが、その言葉を信じられないでいた。なにせ、自分達は、更なる情報を探るために、この村を訪れたのだから――。
何より、まだ犯人の目星が全然付いていない。この状況で一体、どうやってこの複雑怪奇な事件を解決するつもりなのか――。一同は――勿論、それは竹中も含めて――訝しく思いながらも、心中奥底では、非常に興味があった。
果たして、藍は、一体どんな推理を展開させるのか――。
だが、次の瞬間、その間の抜けた言葉に、一同は一気に肩を抜かすのであった。
「とりあえず、お茶にしませんか?」
境内のすぐ横には、座ってゆったりと連理木を眺められるようにと、木でできた椅子とテーブルが設置してあり、一同はそのテーブルに座った。
そして、藍はキャリーケースの中から、愛用のティーセットを取り出した。
竹中はすでに一度見ているから、驚かなかったが、他の三人は、唖然とした表情を見せた。
「これは何ですか?」
どもった声で、鷹野は云った。まあ、最初は皆、同じような反応をするのだ。
「ハーブティーです。今日は、バレリアンをベースにオレンジピールとジャーマンカモマイルをブレンドしてみました」
「れ、バレリアンって、この凄い香りがする奴ですか?」
そう、竹中は苦い顔で云った。
「ええ、そうです。バレリアンは非常に香りが強いハーブですので、妊婦や子供への仕様はなるべく避けて下さいね――。ん? 妊婦?」
そう云って、脂肪のたっぷり付いた竹中の腹を、きょとんとした面で見た。それを受けて、竹中は赤面しながら、「これは、違う! そもそも俺は男だ!」と、口調を荒げた。
「なら、大丈夫です。バレリアンは、精神安定及び鎮静作用がありまして、ストレスから来る頭痛や胃痛にも効果があるんですよ?」
それを聞いた鷹野と新田は、「ほぉ」と、口を揃えて、表情を弛(し)緩(かん)させた。二人は、胃痛やら頭痛やらに悩まされているのだ。正しく、バレリアンは二人のために用意されたと云っても、過言ではない。
「また、緊張や不安の軽減にも役立つので、興奮して眠れない夜に飲むのも良いかと思われます。後、バレリアンは、第一次大戦時にイギリスで、緊張を解したり、精神を安定させるために使われていたと云われています」
「こ、これがねえ」
鼻を刺すような香りに未だ慣れないのか、竹中は、訝しみながら云った。
「それにブレンドしたジャーマンカモマイルですが、ジャーマン種はカモマイルの中でも甘さがあり、苦味を帯びたバレリアンと相性が良いのです。しかも、今日は寒いですからね――」
この境内の隅にもまだ、雪がちらほら残っており、それが層一層、寒さを引き立たせる。
「カモマイルには、発汗作用がありまして、身体を温めたりするのに効果的なんです」
そう云って、藍はハーブティーを皆のカップに注ぐ。カップから燻る香りは、先程の強い香りから穏やかな物へと変化していた。これは、先程、藍が云ったようにジャーマンカモマイルの持つ性質がバレリアンの香りを緩和させているのかは、定かではない。
しかし、これなら、躊躇なく飲めると一同は、感じ、一斉に口を付けた。
「美味しい――」
そう、風間はぼそりと呟いた。それに引き続き、鷹野も「それに身体が何か温まってきました。これもジャーマンカモマイルの御陰なんでしょうか?」と、喜喜とした表情で云った。
「はい、カモマイルは、風邪の引き始めや冷え性改善にも役立ちますので、私も重宝しているんですよ?」
「うう、冷えた身体に染み渡る」
と、新田も、表情が綻(ほころ)んだ。
そして、しばらくは、無言になるも、テーブルに視線を遣った藍は「おや?」と、きょとんとした表情になり、云った。
「このペンダントは何ですか?」
藍の目に写ったのは、あの黒と白の曲玉のペンダントだった。
「ああ、それは、被害者の遺留品です。まあ、何か関係があるような気がしたので、一応持ってきました。二人を繋ぐ唯一の品だったので――」
「なるほど、少し、拝(はい)借(しやく)しても大丈夫ですか?」
「ええ、構いませんよ?」
竹中の許可を得た藍は、不思議そうにそのペンダントを手に取った。
「なるほど、このペンダントが、あの二人を結び付けていると――。少し興味深いですね」
そう、淡淡とした雰囲気を崩さずに、その曲玉のペンダントを様様な角度から見た。
「それで、なんですが――。藍さんには、すでに事件の全貌が判っていると仰いましたね?」
「ええ、大体判りました」
「い、一体、どうやって――どうやって、犯人は、あの走る車の中から姿を消したのですか――否、そもそも、犯人は一体誰なんですか!」
我慢できなくなった竹中は、口調を荒げる。しかし、そんな竹中とは相反して、ゆったりとハーブティーを飲む藍は、ほっと、息を吐いた。
「皆さんは、今回のことは連続殺人と思っているようですが――」
その言葉に一同は頷いた。しかし、藍の見解はまったく違うようであった。
「残念ながら、今回殺されたのは島崎さんただ一人です」
「な! じゃあ、石井は――」
そう驚愕したように新田は云った。
「恐らく、あれは、単なる事故なんだと思います」
藍は、目の前に聳(そび)える連理木に目を向けた。
「今回の事件は、あの連理木と同じように二つで一つの事件であり、それ以上でも以下でもないのです」
「それは一体、どういう――」
「順を追って説明します」
そう、驚愕する風間の言葉を藍は遮った。
「まず、島崎さんを殺した犯人――これは、石井さんです」
「石井が――島崎を?」
「はい、そうです」
藍は断言した。無闇矢鱈に話を遮るのも悪いと皆は思っているのか、なるべく余計なことで話のペースを乱さないように努める。
そんな静寂の中で、藍の話は続いた。
「正確には、島崎さんが石井さんを殺そうとしたのです。島崎さんは、石井さんを殺害するために、自宅に呼び出し、そして、後ろから縄か何かで石井さんの首を締め上げました」
そこで、一旦話を切り、ハーブティーを口に含んだ。乾燥している所為なのか、こまめに水分を補給しないと、喉が荒れるのであろう。
「ですが、元元女性であった島崎さんは、腕力で石井さんに負けてしまいます。恐らく、島崎さんの腕に付いていた傷は、石井さんが締め上げられていた時に、必死に抵抗して、引っ掻いた跡だったのでしょう。石井さんは、死ぬか生きるかの瀬戸際の中で、必死になって、島崎さんの腕を引っ掻いたんだと思います。ですから、島崎さんの腕には、まるで、獣にやられたような痛痛しい傷が残ったのです。そして、今度は、石井さんに形勢が傾き、島崎さんの魔の手から逃れられた石井さんは、そのまま島崎さんの首を絞めます。当然です。殺さなければ、自分が殺される状況なのですから――」
「なるほど、結果的には石井が殺したが、石井自身には殺意はなく、あくまで自己防衛のために島崎を殺した――ということですね?」
「はい、そうです。そして、無我夢中で島崎さんを殺してしまった石井さんは、気が動(どう)顛(てん)して、その場から逃げるように立ち去ります。まあ、突然、殺人者になってしまったのだから、当然でしょう」
「だけど、これは、正当防衛が成立する案件です。そうなれば、石井は無罪になると思うのですが――」
「確かにそうですね。しかし、石井さんは非常に気の小さい方だと聞いています。そんな彼からしたら、犯罪かどうかではなく、自分が殺人を犯してしまったという、その事実の方が遙かに恐怖の対象となったことでしょう――」
「まあ、確かに、奴の性格ならあり得るな」
藍は頷き、最後の一口を飲み干した。
「そして、動揺しながら、車で現場から逃亡する石井さんにさらなる不幸が訪れます。それは、スピード違反で、警官に追われたことです」
その言葉で、鷹野と新田は、ぴくりと目蓋を痙攣させた。
「無論、冷静に対処していれば、問題なかったのでしょう。しかし、石井さんは、動揺していて、あろうことか島崎さんを殺した後に手を洗い忘れていたのです」
「手を――ですか?」
と、鷹野。
「はい、なにせ、石井さんは、島崎さんの両腕を思いっきり引っ掻いたのです。その所為で、石井さんの両手には、島崎さんの血が大量に付着していたのです。そして、そんな光景を警察に見られたら――」
「間違いなく、その場で尋問されて逮捕でしょうな? まあ、いずれは、正当防衛で無罪になったのでしょうが――」
「ですが、小心者の石井さんは、そんな光景を見られることを恐れ、必死にパトカーから逃げました。そして、ここで、第三の悲劇に襲われるのです――」
「だ、第三の悲劇――」
「はい。人間の身体というのは、何とも脆い物です。事故に遭ったりしなくとも、極度の緊張などから、軽く壊れてしまいます」
その言葉を聞いた新田と鷹野は、思い当たる節があり、頷いた。そうだ、二人も良く、ストレスや疲労による頭痛や胃痛で悩まされているのだから――。
「この時、石井さんが病んだのは心臓です」
「し、心臓――」
「ええ、石井さんは、極度の緊張により、運転中に心臓麻痺を起こしてしまったのです」
「じ、じゃあ、不審に車が蹌踉けだしたのも――」
「恐らく、その時に発症したのです。直接的な死因は、心臓麻痺によるものなのか、それとも、壁に激突した衝撃で死んだのか――調べてみないことには、判らないのですが、少なくとも、心臓麻痺があの事故の引き金になったことは確かだと思います」
「それは、できる限り、こちらで調べて見ます」
と、竹中。それを受けて、藍は「有り難う御座います」と、竹中に満面の笑みを向けた。そして、竹中は、頬に紅を散らせた。
「ですが、その時、石井さんの首には、縄で絞められた跡がありました。ですから、皆は、この事故を殺人事件と勘違いして、新聞は走る密室などと云った見出しで載せましたが、その絞め跡というのは、一番最初に島崎さんに絞められた跡が、ただ単に残っていたに過ぎません。まさか、今、事故に遭った人間が、数分前に、ある人間によって、殺されそうになっていたとは、誰も考えませんしね。それに、あのような大事故を起こしてしまった所為で、手に付着した島崎さんの血もまったく違和感なくなりましたしね」
「石井は頭から大量に出血していましたからね」
「ええ、そうですね。そして、二つの事件は、あの連理木のようにくっつき、一つになりました」
そう云って、藍は、二つの曲玉のペンダントをくっつけて、対極図を描いた。そして、曲玉のみならず、事件も二つにくっつけて一つにしてしまった。まるでパズルをはめるように――。
誰もが、その藍の頭脳に感嘆せざるを得なかった。
だが、それでも、ただ一つ、残った謎があった。それを竹中は藍に訊いてみた。
「ところで、動機の方は――やはり、金銭トラブルが原因だったのでしょうか?」
島崎が石井を殺そうとしていた――ということは、再び金銭トラブルが動機の可能性が浮上してきた。しかし、それを藍の表情には暗雲が漂った。
「私は、島崎さんが石井さんを殺そうとした動機が、金銭トラブルといった浅はかなものだとは思えません。まあ結局、二人は亡くなって、その真相も知ることができなくなってしまいましたが――」
一同は、残念そうに顔を歪めた。
「島崎さんは、手術までして、女でいることを辞めました。無論、女として生まれてきた以上、女を捨てることはできません。性転換の手術を行っても、女は男に、男は女になることはできません」
「と、云いますと?」
「島崎さんは、女と男の中間に位置する存在になったということです。今の人間の技術では、それが限界なのです」
そう云って、藍は、島崎の持っていた、黒が霞んで灰色になってしまった曲玉のペンダントに視線を落とした。
「女を辞めようとした島崎さんの中心には、石井さんの影があったのではないでしょうか?そして、殺人の動機もここにあると私は感じています」
「――もう、こうなってくると、我我には想像も付きませんね。金銭トラブルでもなければ、ちょっとした痴情のもつれというわけでもなさそうですし――」
「そうですね。ですが、確かに一つ云えることは――あの二人は、あの木のように幸せには、なれなかったということなのでしょう」
そう云って、藍は連理木を見た。
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