全くもって、傷だらけ
@roki_ten
全くもって、傷だらけ
「全くもっておかしいと思わない?」
突然、何の前触れもなく。黒く美しい前髪を翻し、彼女は僕の目を見つめてそう言った。
「何が?」
そっけない僕の返事に納得のいかなかったのか、黒縁の丸眼鏡の奥に見える大きな瞳が細くなる。睨むような目線と、眼鏡は由紀の知的さを強調させるようだった。
「この状況がおかしいと思わないかって聞いてるの」
再度、彼女は同じことを言った。話の流れを全て遮った、訳のわからない問いだった。
と言っても、僕の対応は仕方がないことなのだ。そっけない対応をしたくもなる。
なぜなら、小野崎由紀はこういう奴だったからだ。突然脈絡のない会話をし始めて、反応を楽しむ。こちらの興味が出てきた頃には、話題に飽きて別の話題を展開し始める。
自由奔放とは彼女のために作られた言葉だ。
しかし、だからと言って嫌というわけではない。僕は彼女の飛んだ会話が好きだからだ。
文芸部に所属している由紀は知識量が凄まじい。タメになる知識からくだらない雑学まで幅広い分野学んでいる。読書家の彼女の話は、多少飛んだものだったとしても興味深い。
そんな由紀が、漢字テストの補習教室にいるのは意外だった。
いかにも文学少女な彼女は漢字の『書き』が苦手のようだった。小説を読むのに書く力はいらないとのことだった。
僕はしっかりと赤点をとった。由紀のように漢字を軽視しているわけではないが、なんというか、数学派なのだ。僕は。
補習は再テストを満点取れたものから退出できるというもので、先生の監視すらない。カンニングしようと思ったら余裕でできるのだが、そこまでする気力もない。
補習が始まって一時間は経っただろうか。
最初に集められた選りすぐりの漢字弱者達も、今では僕と由紀の二人だけになっていた。
ああそういうことか。
僕は彼女の「この状況がおかしい」という問いの意味を理解した。
「つまり、文学少女の自分がなぜここまで残ってしまったのかということ?」
「違うわよ!」
恐ろしく早い返答だ。
彼女から二列隣にいた僕だったが、キーンと耳鳴りがする。彼女の叫びは僕の脳を直接刺激するほどの声量だった。
是非とも録音して目覚まし時計の音声にしたい。
彼女は軽く咳払いをし、赤くなっている頬を手で覆って隠す。そのまま丸眼鏡をくいとあげ、真面目な顔つきで僕を見る。
「時計」
「え?」
彼女が指差した先は、教卓の情報にある質素なアナログ時計。針の音がうるさく、授業で集中していない時はやけに脳内で響くのが印象的な代物だ。
「ほら、時計の針が止まってる」
短針は五、長針は二の少し手前、秒針は十。
つまり、五時九分五十秒。
どんなに見続けても、五時九分五十秒。
秒針の針が溜まって見えるクロノスタシスという現象があるが、その域を超えている。
脳内で秒刻みをしても、秒針は動かない。既に十秒は経ったはずだ。だというのに、長針も動かない。
針は止まっていた。秒針も、長針も、短針も。
「電池切れか。久しぶりに見たぜ」
ドカッという音共に、僕の目の前に本が落ちる。高校漢字と書かれた本には、丸みを帯びた可愛らしい文字で『小野崎由紀』と書かれている。
投げたのはもちろん、彼女だ。
今回の返答も、彼女のお気に召さなかったらしい。
彼女は携帯画面をぐいとみせる。太陽系の壮大な風景写真に、白い数字で『17:09』と表示されている。
彼女の携帯待受を見れたことに微量の喜びを感じるていると、彼女はとんでもないことを言い始めた。
「携帯の時間も止まっている。電波は圏外。私たち、この教室に閉じ込められたようね」
***
いやいや、全く。彼女の話はぶっ飛んでいて困る。僕で無かったら鼻で笑って一蹴しているような話だ。
チラリと制服のポケットに入っている携帯の画面を見る。僕の携帯も彼女と同じ時刻を示す。電波は圏外だった。
席を立ち上がり、窓に近づく。外の景色はいつもと同じだ。校庭には誰もいなく、道中にも人影一つすらない。
おかしい。この時間は野球部かサッカー部が活動しているはずだ。十八時までは、校庭から人影がいなくなることなど今までなかった。
窓際の席に座っていた彼女もチラリと校庭を見た。その後、何かを話したそうにうずうずし始めた。眼鏡の位置を何度も調整し、チラチラと僕の方を見る。
受けて立つと言わんばかりに、僕は彼女の正面の席に座った。近くで見ると、やはり彼女は可愛い…、いや、話を聞こう。
「この現象を説明できるとしたら、四つの説があるわ」
「四つか、多いな」
「まあ、聞きなさい。一つ目は、たまたま時計の電池が切れたタイミングで、電波障害が起きたうえに、たまたま校庭に誰もいないという説ね。ちなみに、君の携帯回線は何?」
「僕は○○だけど」
「私は××よ。二社の回線が同時に障害が起きるという偶然も重なったわね」
まあ、この説なんだろな。隕石が人に当たるのと比べたら、こちらの方が確率は高い。零ではない限り、奇跡は起きる。
と言っても、彼女が最初に言う説は、前振りでしかないだろう。当然のように彼女は次の話題にスライドする。
「この説は単に面白くないから却下で」
「俄然興味が湧いてきたぞ。これ以外に何があるんだ?」
「二つ目の説は、かなり有力よ。実は、時計はかなり前から止まっていて、既に十八時を過ぎている。それならば、校庭に人がいないのも頷けるわね。そして、超文明の超強力な超電磁波で、携帯の回線を妨害しているのよ!」
おおっと、ここにきてファンタジー感増しマシになってきたぞ。文学少女はSFも嗜むらしい。
「一旦全ての説を聞かせてくれよ」
「そうね。三つ目は夢という説よ。漢字テストの補習は退屈すぎて、さっきまで眠たくて仕方がなかったもの」
「それはないだろう。だって、僕がいるんだぜ?」
「貴方も私の夢の一部よ」
「それは…」
まあ、仮にその説が真実だとしたらなんて光栄な話だ。彼女の夢に僕が登場するなんて、まるで彼女が僕のことを夜な夜な意識しているみたいじゃないか。
それなら、逆も言える。というか、逆の方が言える。
僕の夢に、小野崎由紀が現れる方が現実的だ。
実際、僕は漢字テストの補習より前から彼女のことを意識していた。
と言っても、三年八組の彼女と三年一組の僕が関わる機会はまったくと言っていいほど無かった。クラスが重なったこともないし、部活や委員会も違う。
すれ違ったら振り向く程度で、先ほどまで名前すら知らなかった。
紳士たる僕の、陰ながらの礼儀だった。こそこそ名前を含むプロフィールを詮索してしまったら、まるでストーカーだ。
そう言うこともあり、僕は現状を気に入っていた。夢でも構わない。漢字テストの補習で由紀は文句を垂れていたが、彼女と二人きりの空間になれた僕は逆だ。
こうして彼女とお近づきにもなれたし、名前も教えてくれた。
先生には感謝している。
この現状だけで、僕は満足した。
「四つ目は?」
「四つ目は…、四つ目は無いわよ。私ね、こう言う何個ある?って言う話をする時、適当な数字を言う癖があるのだよ。そのあと喋りながら、脳をフル回転させて帳尻合わせするのが最近の趣味なのだ」
「なのだって…。いい趣味だね」
「でしょ! わかる!?」
こう言うノリができたことが嬉しかったのか、頬を緩ませながら笑う。彼女は友達とかいないのだろうか。
と思ったら、今度は真顔に戻る。ころころと表情が変わる、忙しいやつだ。
「やっぱり、二つ目の説が有力ね」
「超文明の超強力な超電磁波?」
「そうよ。この説を裏付ける根拠が実はもう一つあるわ」
今度は正面を指差し、高らかに叫ぶ。
「犯人はお前だ!」
***
ハンニンハオマエダ?
僕が超文明の超強力な超電磁波を使って圏外にしているということ?
そもそも、超文明の超強力な超電磁波って何?
「意味がわからないと話を終わらせてもいいが、話を聞かせてもらおうじゃない」
僕が腕と足を組み臨戦体制に入ると、彼女はやや警戒したように椅子を引く。
「根拠はあんたが私のストーカーということよ」
「ドキッ」
「あ!ドキッって言ったこいつ! やっぱりストーカーじゃん! 変態!!」
机を叩き、由紀はこちらに詰め寄る。机がなければ、彼女は目の前まで迫っていただろう。
否、断じて違う。
僕はストーカーではない。
ただ、彼女がいたらつい目で追ってしまうだけの、青春男子高校生だ。
二年次の体育祭もそうだ。徒競走に参加した彼女を僕は見ているだけだった。
ゴールラインを圧倒的最下位で駆け抜けたあと、彼女は派手に転んだ時も、僕は見ているだけだった。
丸眼鏡が派手に吹き飛び、半泣きになった彼女のことも、見ているだけだった。
不器用に口角をあげ、誰に対してかわからないが泣いていないアピールをした時も、僕は見ているだけだった。
「断じて違う!」
今度は僕が机を叩き、立ち上がる番だった。
そんな僕を呆れた目で、由紀は下から見つめる。
「じゃあ、なんで私の名前知ってるのよ」
「え?」
「随分と手の込んだことをするじゃない。教室で二人きりで何をする気なの?」
もう、僕がストーカーであること前提で話が進んでいる。
「名前を知っていると何も、由紀ちゃんが自己紹介したんじゃないか。ええとなんだっけ。三年八組出席番号五番小野崎由紀。好きなジャンルはミステリーで、好きな異性のタイプは頼りになる男、でしょ?」
「詳しすぎるわよ、超変態!」
「まあこの際、超変態であることは認めるよ。でも、ストーカーではないぜ、断じて」
僕はやれやれと話を流す。彼女も僕がストーカーという話に飽きたのか、同じように肩をすくめる。
「私の自己紹介テンプレと同じだし、本当に自己紹介したみたいね。全く記憶にないけど」
「ええ…、つい十分前くらいの話だぞ」
確か、五時ちょうどくらいだった。僕と由紀以外の最後の一人が教室を後にし、軽い沈黙が包んでいた時だ。
僕が「いやぁ、このテスト難しいね」とニ列隣の彼女に話したことから始まる。テストによるストレスからか、彼女はマシンガントークを繰り広げ、自己紹介もした。
その後の流れは冒頭と同じだ。突然、「おかしいと思わない?」と言いはじめた。
彼女は人差し指を頬に当て可愛らしく首を傾げた後、口を小さく開ける。
「あっ、そうか。じゃあ三番目の説だ」
「ここに来て夢?」
「だって私、貴方の名前知らないもの」
静寂が教室を包み込む。普段だったら、チッチという音共に秒針が刻まれていくだろう。生憎、秒針は動かないので僕たちの呼吸音だけが聞こえる。
「ショックだ」
「本当よ。ほら、そうだ。私のことを貴方は詳しい。でも、私は貴方のことを何も知らないし見たことすらない。それって、夢でよくあることじゃない?」
知らない異性が夢に出てくることはよくあることだ。自分の別側面を表すとも言われている。夢の中では、あたかも親友のように話したり、家族のように振る舞ったりする。
確かに、彼女のいうことが事実なら夢のような展開だ。
僕の意識があるということを除けば、の話だが。
そんな呆気に取られている僕を置いて、彼女は両手を高らかに天に向ける。
「夢よ、覚めよ!!」
シーン。
勿論、何も起きない。
彼女は現状に文句を言うこともせず、今度は正面に手を伸ばす。
「私のことが好きなイケメンよ、現れよ!」
シーン。
勿論、何も起きない。
しかし、すぐさま正面を指差し、口を大きく開ける。人差し指の先には、僕がいた。
「で、でたーー!」
「いやいや、自分のことを言うのは悲しいが、イケメンではないよ」
「そう? 割と顔は嫌いじゃないわよ?」
「え、まじ?」
「でも性格はダメね。全くもって頼りにならない」
口を大きく開けるのは僕の番だった。と言っても、声は出なかったが。告白してもないのに振られた。
自己紹介で言っていた、『好きな異性のタイプは頼りになる男』に僕は該当しなかったようだ。そりゃそうか。
失礼極まりない彼女は、今度は手を大きく広げる。黒いブレザーの隙間から見える灰色のセーターについ目が吸い込まれる。
「夢なら夢でいいや。ほら、私の体を自由にしていいわよ。飛び切りの超変態プレイを所望するわ」
「え、いいの?」
「だって夢だもの。めちゃくちゃできるのが明晰夢の醍醐味でしょ」
小野崎由紀は飛んだ会話をするが、彼女こそが超変態だった。
いや、訂正しよう。誰しもが同じことをする。
明晰夢とは、夢だと自覚できる夢のことである。その中ではあらゆるものを想像でき、自分の思い描く世界を作ることができる…。
かく言う僕も、たまに明晰夢は見る。その中では空を飛んだり、ビルを破壊したりとやりたい放題やったものだ。
ごくり。
思わず唾を飲み込む。
僕は両手を振るわせながら、彼女の灰色のセーター目掛けて前進する。僕と彼女の間にあるのは一つの机だけだ。その上空を抜け、一センチずつ進んでいく。
女性の頼みを断るなんて恥知らずもいいところだ。超変態プレイを所望しているのは彼女、期待に応えるのが男だぜ。
一センチ、一センチと指を進める。
目的地まであと十センチと言うところだ。
一センチ、一センチ、風が吹けば胸に当たる…、と言うところで、進軍は止まった。
「ありゃ?」
彼女は黒目だけ下方に移動し、ぴたりと止まった僕の腕を見る。
「辞めようぜ、こんなこと」
「どうして?」
「まだ夢だと決まったわけじゃない」
時計を見ると、変わらず五時九分五十秒だ。校庭には誰もいない。携帯は圏外。
それでも、夢じゃない可能性は一パーセントはある。
零じゃないと、僕は動けない。
「僕は二つの選択肢がある時、必ず後悔しない方を選択する。もしこれが夢だとしたら、超変態プレイをして最高だったろう。だが、夢じゃなかったらどうする。僕は警察に捕まるし、何より由紀ちゃんに嫌われるだろう?」
「…」
「例え、由紀ちゃんからの願いだとしても、傷つくのは由紀ちゃんだ。最悪の可能性を考えたら、ここで超変態プレイをするのは得策じゃない」
「私の超ボディに触れなかったことを後悔しないでよね。後から言い出しても遅いんだから」
「僕は一度選択したら二度と後悔しないと誓っている」
「君、超めんどくさいね」
「由紀ちゃんだけには言われたくないね。そして、僕の名前は君じゃない。僕の名前はミノル、佐藤実だ。二度と忘れないでくれ」
***
「何なんだ、あいつ…」
僕は小言を言いながら、五階から四階へ階段を下る。
室内の探索を終えた僕らは、教室の扉に手をかけた。びくりともしないその扉に冷や汗をかいたが、その右下にある扉から外に出れた。
地窓というらしい。文芸少女はペラペラとその扉の意味を語り始めたのはいい思い出である。
しかし、彼女の自由奔放さは相変わらずだった。「学校を探索するわよ!」と息巻いて立ち上がったかと思えば、「やっぱり行かない…」と小さく声を漏らす。
「実くんが一人で行けばいいじゃん!」と謎に逆切れしたと思えば、「寝る…」と言って俯いてしまった。そのまま机に突っ伏した彼女を、僕はどうすることもできなかった。
全くもって気分屋にも程がある。
彼女は夢派で、僕が現実派。そう言った勝負だと僕は思っていたのだが、夢派の彼女が「寝る…」と言ったと言うことは敗北宣言ということでいいのかな?
それとも、この件すら飽きたのか?
四階は理科室と図書室が広がっていた。扉の鍵は閉まっていて、スモークガラス越しに中の様子を見ることはできない。光が漏れていないことから、照明はついていないようだ。中には誰もいないだろう。
四階から三階へと降りる。特に急いでいるわけではなかったが、一段飛ばしで降りていく。
三階から二階へ降りる。二段飛ばしで階段を降り、最後は三段飛ばしで着地する。
大きな音を立てることで、校内にいる人を誘き寄せる作戦でもあったが、誰も向かってくる気配はない。というか、音が全くしない。
二階には職員室がある。しかし、照明はついていなかった。残業をしている先生がいてもおかしくないのに。
四段飛ばし、五段飛ばし、五段飛ばしで踊り場に着地する。どうやら、階段は十三段で踊り場にいくらしい。そんな余計なことを考える。
僕の身体能力も中々いいな。これはもしかして、十三段飛ばしもできるのではないか?
小学校の時、やんちゃな子が前段飛ばしに挑戦していた。もはや、飛ばしではなく飛び降りだが。何だか今の僕ならいける気がする。なんせ、これが夢ならば怪我なんてしない。
「は。由紀ちゃんに感化されてら」
これが夢ならば、なんてファンタジックな選択をしてはならない。僕らしくないぞ。
最後は一段ずつ降り、一階のホールに辿り着く。
ホールのアナログ時計が付けられている。時間は三年一組と同じ、五時九分五十秒を指していた。秒針はピクリとも動いていない。
全ての時計が止まっているのは、間違いないだろう。いよいよ、二番目の説が最有力になってきた。超電磁波とは言わないまでも、全ての時計を止める機械は作ろうと思ったら作れる気がする。
僕はそのまま下駄箱に向かい、正面口の前についた。ガラス張りの扉の先に広がる校庭には、相変わらず人一人いなかった。
扉を押すと、何ら抵抗なく開く。
サーと、夜風が扉の隙間から吹き込む。
「…」
僕はそのまま、扉を閉じた。
「せっかくだから一緒に外に出るか」
外に出られることも確認できた。あとは、なぜか不貞腐れている由紀ちゃんと一緒に脱出をしよう。閉じ込められていたわけではないから、脱出という表現は正しくないが。
少し駆け足で、僕は階段を登った。
***
「戻ったぞーって、ええ!」
三年一組の扉を開けると、窓際の席に由紀は座っていた。だが、その服装は大きく変わっていた。
黒いブレザーに灰色のセーターではなく、白いシャツ一枚。それに加えて、長く美しい髪を後ろにまとめ、ポニーテールになっている。丸眼鏡も外し、裸眼になった彼女の瞳は少し大きく見えた。
「イメチェン?」
「違うわよ。実くん。良い話と悪い話、どっちから聞きたい?」
不貞腐れていたところから立ち直ったようだ。
ポタポタと、なぜか彼女は汗を流していた。
そこまでこの部屋は暑いだろうか?いや、暑いから上着を脱いだのか。
「じゃあ、良い話から」
「このまま行くと、五秒おきに私は服を一枚脱ぐ。十秒経てば全裸よ」
「よっしゃあ!」
彼女がまさか、露出狂の超変態だったとは。ショック五割、狂喜五割と言ったところだろうか。好きな女の子の霰もない姿を想像し、僕の頭もクラクラしてきた。
否、実際に目眩を起こしていた。
「悪い話は?」
「このまま行くと、十秒後に私たちは死ぬわ」
大量の汗を流しながら、由紀は呟いた。
カチッ
先程まで聞こえなかった音が鳴り始める。
それは世界が元通りになった証明でもあり、二人の物語の終わりを示していた。
秒針が動き始めた。
***
頭が痛い。
足元がおぼつかない。
息苦しい。
吐きたい。
「な、んだこれ…」
暑い。
肌が焼けるほど暑い。
痛い。
痛い。
頭が割れるように痛い。
瞬きをすると、視界が鮮明になっていく。
燃える教室。
崩れる天井。
そして、粉々になった窓。
周囲は黒い煙が立ちこめ、視界は悪い。
もう一度瞬きをすると、先程までの静かな空間に戻った。
「由紀ちゃん、足を見せろ」
「嫌だね。超変態」
僕はあることに気が付き、彼女の方へ近づく。窓際に座ったままの彼女へと。
「いいから」
「いや!」
超変態の称号は甘んじて受け入れよう。僕は彼女に蹴られながらも、机を移動させる。そのまま、壁際の左足を見る。
そこにあったのは女子高生の綺麗な生足ではなかった。
赤黒く、血生臭い。
細かいガラス破片は太ももに無数に刺さり、血が溢れ出し、骨まで見えていた。
体育祭の時に見た、彼女の若々しい肌色の足はミンチになった肉片のように変貌していた。
思わず、口を押さえる。
何だこれは。
いつからだ。
いつからこんなことになっていた。
教室の外に出ようとした時の彼女を思い出す。
あの時の豹変ぶりは流石の由紀ちゃんでも異常だった。あの瞬間に、自身の左足の異変に気がついたのか?
ふと、教卓の情報の時計を見る。
『五時九分五十二秒』
二秒進んでいる。いつから。
いや、そんなことはどうでも良い。
逃げなくては。
再び瞬きをすると、彼女は虚空を見つめて倒れていた。額からは赤黒い血が流れ、力無く開かれた手は虚空を掴むかのように震えていた。
彼女の美しい黒髪を燃やすように、炎は広がる。
ゴオオオという音が、脳内をぐちゃぐちゃにかき混ぜる。
一歩近づくと、ガッシャという音がする。足元を見ると、彼女の視力を補強してきた眼鏡が粉々に砕け散っていた。
再び瞬きをする。
カチッ
秒針が再び動く。
静かな空間に戻る。
由紀は椅子に寄りかかり、天を仰いだ。
「ねぇ、実くん。四番目の説、思いついた。走馬灯。死に際に、人生の軌跡が見えるってやつ」
「おい!」
「実くん、知ってる? 走馬灯って、死にたくないから見るらしいよ」
瞬きをすると、地面が崩れる。
場面が真っ赤に移り変わり、災害の現場に戻る。
縁起でもないこと言うなよ。
思わず彼女を抱き抱えた。びっくりするほど軽く、力のない体だった。
秒針の音が脳内で響き、再び瞬きをする。
完全に思い出した。
漢字テストの補習を受けていたところまでは現実。教室で二人きりになったのも現実。由紀の自己紹介を聞いたのも現実。そこからは夢と現実の狭間だ。
彼女が僕の名前を尋ねた瞬間だった。校舎を大きく揺らす地震に加え、下の階層で爆発が起きた。恐らく理科室。
窓ガラスは激しく割れ、天井は崩壊し、大火災は辺りを地獄へと変えた。
現実の悲惨さに気がついていながらも、彼女は笑った。口角を大きく上げ、泣き顔を隠しきれていなかった。
「ばいばい」
彼女はもう歩けない。動けない。この火災から逃れることはできない。
髪のように全身が燃え、左足のようにミンチになってしまうのだ。
そして、それは僕も同じだ。
彼女の言っていたことがわかる。
五時十分に、この教室は崩壊する。中にいる僕らは死ぬ。
時計の針は、また動く。
「ふざけんなぁあ!」
僕は彼女を抱き抱える。お姫様抱っこをしたまま、僕は教室の扉に向かう。
天井が崩壊し、破片が僕に当たる。どこかに刺さったのか、夥しい量の血液が流れる。
知ったことではなかった。
人を抱えて逃げるなんて、心中と何ら変わらない?
だからどうした。
僕は二つの選択肢がある時、必ず後悔しない方を選択する。
彼女を見捨てて生き残るか、彼女を抱えて逃げるか、どちらが後悔するかなんて考えるのに一秒もかからない。
それに、僕は一度選択したら二度と後悔しないと誓っている。
その選択で二人とも死ぬことになっても、本望だ。
扉は歪んでびくともしなかった。レールごと地震で歪んだのか、開くことはないだろう。
『地窓は?』
彼女の声が脳に響く。地窓って何だっけ、と思わず僕は返した。
匍匐前進で地窓を通って外に飛び、彼女も引っ張り出す。
再び彼女を抱き抱え、廊下を走る。
壁は倒壊し、天井も崩れ、地割れが起きていた。
それでも僕は、階段を降りた。
階段を飛び、全ての段を一度で越える。
足の骨がどこか折れたのか、鋭い痛みが走る。
それでも、僕は飛んだ。
一階のホールに辿り着いた頃には、時計の針はいつものように動いていた。
『五時十分』
時計は地面に落ちていたが、秒刻みで動く。
僕は震える足のまま、下駄箱の先にある出口を目指した。
***
「あら、起きた?」
目を開けると、鼻の先が当たりそうになるほどの距離に、由紀はいた。
頭の痛みも、暑さも、吐き気も、息苦しさも、何もない。
視界もクリアで、空気が美味しい。
「お、おのざきさん?」
「そうよ、小野崎由紀ですよ」
「無事だったんだ」
白いベッドに白い天井、聞かなくても病院だとわかるその部屋は、僕と小野崎だけがいた。
二人で狭い部屋にいると、何だかソワソワするのは何でだろう。
小野崎は車椅子に乗って、包帯がぐるぐるに巻かれていた。美しい黒髪の無事は確認できないが、目をぱちぱちとさせる彼女が相変わらずの可愛さで満足だった。
という僕も、全身が包帯でぐるぐる巻きだった。特に足は酷く、全く動かない。大分無茶したらしい。
「君のおかげでね」
「そうだっけ? 地震が起きた後あんまり覚えてないんだよなぁ」
そういえば、眼鏡をかけていない小野崎は初めて見た。黒縁の丸眼鏡は彼女の知的さにマッチしていたが、童顔さが増す裸眼はこれはこれで良いな。
「そうだ。君じゃなくて、実くんだったね。ごめん」
「あれ? 僕、名前言ったことあったっけ?」
彼女は口角を大きく上げ、にんまりと笑った。
僕の問いには無視し、自分の話を進める。
そうだ。彼女はそう言う奴だった。
小野崎は僕の胸に飛び込んで、こう言った。
既視感のある言葉だったが、僕には覚えはなかった。
それでも、何だか嬉しかったから。
僕は満足した。
「全くもって頼りになる男だよ」
全くもって、傷だらけ @roki_ten
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