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「…………これを考えた人は、人間をよく見ているのですね」

 疲れ切った声でそう漏らしたのは、カルロチャプだった。彼女は俯いたままの姿勢で弱々しく話を続ける。

「人間は見たいものにしか目を向けません」

 これは昔、彼女から散々教わった事の一つだ。人間は見たいものにしか目を向けないから、他の事にも目を向けなさいと。

「世界がどんな構造をしているのか、どんな場所で何が起きているのか──殆どの人が気にしません。世間がどんなところで、世界では何が起きているのか。そこに目を向けて幸せになれる人はほんの一握りしかいません。多くは他人の境遇を気にし、そこに優越感や劣等感を覚えるものですからね」

 昔聞いたことがある。過去、幸福度調査で世界一になった国がインターネットを導入し、他国の情報を目にするようになった結果──その国民は幸福度が著しく低下したと。そして『知らなければ幸せでいられた』と人々は口にしたらしい。

「この手法ならば、被害者にしか虐殺の悲しさは届かない。人々の目には届かない悲しみとして処理できます。そして本国は虐殺の被災国へ支援を行い、その技術力を以って迅速な復興を実現させている」

 ……とんだマッチポンプではありませんか、と自嘲するように笑い彼女は天を仰ぎ見た。

 彼女は直接的に関与したわけではない。だが同胞が教えた秘密の言語が──自分達が秘匿してきたこの言葉が、この地獄のようなサイクルを生み出している。今更どうしょうもない、怪物を生み出しているのだと気づいてしまったのだ。

 そんな彼女が今、抱いているのは絶望の感情なのだろうか?


「ラズリー」

 重苦しい空気の中、マリアスに呼ばれる。なんだろうと思いつつ、彼女へ視線を向けると一つの古びた手帳を手渡された。

「これは私の罪の記録です。ラビ・ルーバスという天獄地獄を築くにあたり、使用された始まりAnfang言葉Sprachの法則を記しました。発音のコツも、出来る限り丁寧に書いたつもりです」

「……なぜ私に?」

「この国に生きる人間だから、ですよ」 

 擦り切れた優しい笑みを浮かべ、柔らかな声で彼女は続ける。

「この平和がなんの上に成り立っているのか。その礎となった無数の骸はどうやって作られたのか──その一端を貴女は知ったのです。自らの足元に広がる天国というテクスチャーがどうやって造られているのかを、貴女は理解したはず。だからこれを貴女に与えます」

 その赤い付箋を捲ってみて、と彼女に指示されその通りに開く。そこには本国のシステムを崩壊させるための手段が記されていた。

 それは彼女が始まりAnfang言葉Sprachに向き合い続け、編み出した攻略方法なのだという。彼女曰く、始まりAnfang言葉Sprachには致命的な穴がありソレを刺激することで効力を失わせることが叶うというのだ。

 しかしソレを行えば最後、始まりAnfang言葉Sprachが与えていた影響が抜け落ちる。全ての言語の基礎となった言語が死ぬ事で、一体どんな影響が生じるのかは未知数だと彼女は言った。最悪、言葉そのものが意味を無くす可能性すらあると。


「……貴女には時間がある。貴女は私達のように絶望し、疲れ切っていない」

 マリアスが唐突に話を再開した。その顔に浮かんでいるのは、笑顔と呼ぶにはあまりにもギリギリな笑顔だ。

「だから、考えて欲しいのです。この国の平和が維持されている間に思考を働かせてください。命が続く限り、頭が働く限り、考え抜いて欲しいのです。

 その果てに、この終末装置を使うのなら──それはそれで構いません。なのでどうか、宜しくお願い致します」


 


 ────────────了。

 



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