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「──……虐殺の空気は理解出来た、ということでいいのかな」

「そう、なの……かも、知れません」

 声も出しにくいし、何より言葉の切れが悪い。そんな私を見て彼女は「気休め程度だけど」と言って、ポケットからフィンガーチョコレートを一つくれた。

 銀白色の包紙は光沢があり、ぼんやりと周囲を映し出している。そこに映る私の顔は酷いもので、自然とスウィートビターな苦笑が漏れる程だ。

 ……どうやら言葉のキレも悪ければ、ジョークのセンスもイカれたらしい。元よりセンスのある方ではなかったけれど、今日は一段と酷い気がする。


「正直難しいよね。言葉や経験によってそれが何なのか理解出来ても、上手く消化して飲み込めない」

 そう言い終えると、一口サイズのブロックチョコを頬張る。静かな室内にあって、硬めのチョコを噛み砕く音はそれなりによく聞こえた。

「実を言うと、私もタヴィアもエーギルさんも大量虐殺を経験しているんだよね」

 咀嚼し終えると、別のチョコを取り出し再び口へと放る。表面を何かでコーティングしているのか、先ほどよりも少し音が軽い。

「それがどうして起きたのかっていう原因は理解出来ているけど、それは到底納得できるような理由ではなかったんだ」

 当時の出来事を思い返しているのか、彼女の表情に段々と陰りが見え始めた。

「タヴィアも長いこと人間を観察し続けているけれど、未だに納得できる理由に出会えた事がないんだって。私もその理由を聞いたけれど、怒りを通り越して呆れるようなものもあったんだよね」

 彼女が教わったという理由を聞き、私は酷く空虚な気持ちになった。

 その中で最も理解出来なかったのは──古くから信仰されている宗教において、イコンとなる者の死を招いた人物と同じ民族であるという理由で大量虐殺の対象とされた事件だ。

 宗教によって古くより根付いた強い差別意識。一度広まり息づいたソレは、理由を含めて継承される事もあったのだろう。けれど大多数は『皆がそういう風に感じているから、アレは差別されても仕方ないのだ』と思っている。明確な理由も歴史も知らず、母集団の持つ雰囲気に馴染むことを選んでいるのだ。

 そうして生まれた土壌の中で、思想に極めて強い影響を受けた者が偶然火を焚べてしまっただけなのである。多くの虐殺はそんな理由で起きているのだと──タヴィアは結論付けているらしい。

 また、彼女はそれに伴い『人々が異なる言語を扱うようになったのは、そういった延焼を防ぐ為ではないか?』という考えを持つようになったのだとか。


「……そういえばタヴィアさんが言っていたんですけど、エーギルさんの扱う特異な言語──始まりAnfang言葉Sprache──が元凶というのは、どう言うことなんでしょう?」

始まりAnfang言葉Sprache? なにそれ」

 どうやら彼女は知らないらしい。私がソレについて知っている範囲の事を伝えると、難しい顔をして首を傾げてしまった。

「仮にそんな言葉? があるとしてもキミのように限られた人にしか聴き取れないんでしょう?」

「多分そうです。タヴィアさんも聴き取れない様子でしたから」

 そう、彼女達にはあの言葉を聴き取ることが出来ないようなのだ。現にグィナヴィアの指揮官と相対した際には『導きの月光』という言葉を理解出来なかった言っていた。私がその言語を再現出来れば良かったのだけれど、残念ながらそれは叶わない。どうにかして聞かせることが出来れば良いのだが──ふと、あの手帳の事を思い出した。

 それと同時に先刻の記憶が蘇ったが、あれくらいしか証拠になり得るものがないのだ。恐怖心を押し殺し、件の手帳を彼女へと手渡す。


「──……なにこれ気持ち悪い。を使うなんて悪趣味にも程があるよ」

 それを見た彼女は嫌悪感たっぷりの表情を見せつつ受け取り、装丁の丁寧さに驚きを隠せないようだった。手にした後も中々開こうとはせず、数分してから「タヴィアもよくこんなもの回収するなぁ」と呆れたような声を漏らしつつページを捲り始める。その様子を隣で見ていたけれど、記載されている内容に変わりはない。当然、彼女は例の文字──暫定的に始まりAnfang文字Buchstabeとしておこう──を読めないようだ。彼女もソレを翻訳機にかけてみたが、私と同様の結末を辿った。

 なので私が翻訳して彼女へ伝えたのだけれど──先程のような得体の知れない恐怖を感じることはなかったのである。

「……中々に独特な言い回しをするんだね。窓の外とか導きの月光とか──さっぱり分かんないや」

「あまりにも抽象的ですからね。それよりここ、エーギルという一族に何か聞き覚えがあったりはしませんか?」

「……無くなはないかも。勿論キミの知ってるエーギルさんとは違う人だけど──ちょっと待ってて」

 そう言って彼女は携帯端末を操作し、何かの名簿を見せてた。

「これはグィナヴィアからの避難民名簿なんだけど、見つけられたかな? エーギル・マリアスっていう人で……この人、数年前にグィナヴィアへ移住したみたいなんだよね」

 エーギル・マリアス。36歳女性、配偶者なし。出身はアルグィアランヴィス地方。

 この出身地に聞き覚えがないので検索してみたところ、海を超えた先にある僻地だということが判った。そしてここも嘗て大量虐殺を受けた場所であり、彼女はそこにいた原住民の末裔だと証言していたらしい。またグィナヴィアでは自らを巡礼者と呼び、各地の村落へ教えを説いていた事がわかっている。

「そして彼女、今度はフィーブルへ移民申請を出してるみたいなの」

「フィーブルに?」

「あそこはグィナヴィアと近い気候だし、文化的にも近しいものがあるからね。馴染みやすいんじゃないかな……他にもフィーブルへ移民申請しているグィナヴィア人もは多いみたいだし、あっちも受け入れを強めているもの」

 そういう事なら彼女の選択も自然なものだと言える。だが少々引っかかるところがある。マリアス──その名前にどこか聞き覚えがあるのだ。何処かであの名前を、私は耳にしていたのではないか? 


「──そういえば彼女、今は国内の難民キャンプに居るはずだよ。移民申請許可が出るまでは動けない筈だし、会いに行ってみる?」

 逡巡していると、彼女が驚きの提案をしてきた。なんでも難民キャンプの職員の一人と懇意にしているらしく、多少の融通は聞くというのだ。あとはまぁ、マリアス氏が面会を承諾してくれるかどうか、というところになるが。

「……今からですか?」

「まさか。行くとしたら明日のお昼ごろだよ?」

 軽く笑うと、そういうわけで明日はよろしくね。といって彼女は席を立つ。そして去り際に「君もゆっくりと休むんだよ」と言う言葉とともに可愛いウィンクを残していった。








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