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自国へと戻り、持ち帰った情報をアウトプットしていく。
基本は記憶を頼りに書き出していくのだけれど──時折、小型カメラの映像を見返したり、無音カメラで撮影した虐殺の光景を並べてみたりもした。情報を記録として残す為に、データとして残す。たったそれだけの加工を施されただけなのに、これらの惨劇は
けれどいつの日にか感じたような嫌悪感はない。全く無いわけではないけれど、あれよりは幾分マシに思えるのは自らが撮ってきたものだからだろうか?
私は頭の片隅でそんなことを考えつつ、住民達の日記帳へと手を付けた。それは誰かの言葉で描かれた、誰かの日常風景。公の場に出ることはないであろう、個人の世界を切り取った記録。本来であれば読むことのなかったであろう誰かの恥部。
タヴィア曰く、そういったものにこそ痕跡は残るのだという。マスメディアの広報は誰かの意図が組み込まれたものだが、日記はそう言った影響を受けない。世間の同調圧力に負けない強さを持った、歴史の一部分だというのだ。
彼女の言わんとしていることはわからなくもないけれど、そこまで重要な事を書き記す人がどれだけ居るのだろうか? それにもし日記の著者が精神疾患を患っていたら? おかしな宗教にどっぷりと浸かっていたら? そういった影響も無くなはない筈だ。歪んだ視点からの記録ほど頭の痛いものはないと、スミラックスも言っていた。
そしてグィナヴィアから持ち帰った日記は概ね三十冊程。そこに新聞などを含めるとかなりの数になった。
その全てをバカ正直に読む気力はないので、基本は流し読みをしつつ、気になる単語があればそれを書き出すことから始めることにする。
そうする中で、まず気になったのは各国の犯罪発生率だ。
どういう理由なのかは不明だが、グィナヴィアの新聞にはほぼ必ずそれが記されていた。これに対し、自国の新聞にはその様な情報は無い。勿論検索にかければ出てくるのだが──逆に言えばそうでもしない限り知る機会がないのだ。
そして自国の犯罪発生率は驚くほどに低く、10%をきっている年すらあったのである。ただ気になるのは本国の犯罪発生率が最も低い年──2%を記録した時にクィラムとフィーブルで戦争を行っていたという点だ。これは他の国でも確認された現象であり、他国で内戦や戦争が起きていた場合、非参戦国の犯罪発生率は大幅に落ちる。
そして何かと争いの絶えないクィラムでは、犯罪発生率が常時62%程となっており、三隣国の中で最も高い数値を叩き出していた。グィナヴィアはというと、概ね10%〜26%といったところであり、比較的安全な国として掲載されている。
……なぜ本国だけが一桁台に収まっているのだろうか? ここまで突出して犯罪発生率が低いと、ソレはソレで気になってしまう。それこそ意図的な改竄が行われているのではないか、と思う人がいてもおかしくないレベルではある。
次に気になったのは急激な流行の変化だ。その中でも特に顕著だったのが音楽だった。グィナヴィアで流行っていた曲は幸いにも、本国のアーカイヴに収録されている。
なのでそれを追いかけることは容易だった。それらの曲はどれも耳馴染みのないものではあったが、ゆったりとした優しい旋律が心地よいものである。こちらで言うところの民謡のようなものだろうか?
しかしここ数年の人気曲はどれも激しく揺さぶるような、エネルギーに満ちたものばかりである。また異国の言語を取り入れているのか、ネイティブの発音に近づけようとした崩し方が目立っていた。
……近づけようとする努力は認めるし、その姿勢は好ましい。けれどこうもアレンジされてしまっては、別の言語だと言わざるを得ないだろう。だが不思議なことに旋律とは上手く調和しているもので、悪くないものに聞こえてしまうのが面白いところでもある。
コレの他に目を引いたのは、B.M.Tの強奪事件や失踪事件といったものばかりだ。強奪事件については各国も思う所があるらしく、各々の国で犯人像をわりだしている。言い回しや言及の度合いこそ異なれど、全ての国がクィラムを疑っているのは間違いない。
……特にグィナヴィアではその傾向が顕著に出ていた。始まりこそ民間レベルの噂話でしかなかったが、時間が経つに連れゴシップ誌でも取り上げられるようになっていたのだ。そうなれば後は早い物で、半年も経たず国営の新聞までもがその流れに賛同していた。民間の報道機関であればそれでも良かったのだろうけれど、国営の報道機関が世論に迎合するのは如何なものなのだろうか?
とにかく、国全体がそちら側へ傾き始めたあたりで何かがおかしいと感じた国民もいたようだ。しかしその多くは個人レベルの記録──詰まる所は日記なのだが──にしか残されていない。しかし誰もその声を世間に向けて発信した形跡はなく、日を追う毎に鬱屈した文言が増えていった。特にクィラムからの移民が書き記した手記には、その傾向が強く見て取れる。
とは言え、クィラムが他国民を拉致しB.M.Tを強奪していた事は確定のようだ。行方不明となっていたラピ・ルーバス国民のB.M.Tを使用し、不法に滞在していた事件が何件も記録されていた。
またこの件は他国でも確認されており、フィーブルでは国営放送にて周知されているとの記録も確認できている。逆に本国では如何なるメディアも事実を報道していなかった。
……意図的に知らせなかった理由についての記載は当然なく、それに至る為のヒントすら残されていない。かなり気になるところではあるが、これにばかり時間をかける理由にもいかなかった。
あの指揮官からタヴィアが回収したという1枚の便箋──そこに書かれていた内容が、非常に興味深いものだったから。
『Es gibt eine Überzeugung in meiner Seele,
《我が魂の中には》
die durchgesetzt werden muss.
《貫き通すべき信念がある》
Sie ist stärker als die Liebe und ist immer bei mir.
《それは愛よりも強く、そして常に私と共にある。》
Das glitzernde, tanzende Licht wird am Ende der Zeit die Sterne erreichen.
《瞬き舞う光は終ぞ星に届く》
Die Familie, die die Tochter des Sterns aufnimmt,
《星の娘を迎え入れし一族こそ》
ist diejenige, die wahre Gnade erfahren hat.
《真の恩寵を賜りしものである。》
Singen Sie zu den Sternen.
《星々の声を頼りに歌いましょう》
Oh führendes Mondlicht! Sei erfreut, auf unseren Weg zu scheinen.
《導きの月光よ、我が行く末を照らしたもうれ》
Seine Stimme ist die Gnade.
《かの声こそが恩寵である》
Mit den Worten des Anfangs werden wir das Fenster durchqueren.
《始まりの言葉を以って、私達は窓を越えよう》
Ægir.
《エーギル》
O alte Familie, die begünstigt wurde.
《恩寵を賜りし旧き一族よ。》
Über die Ozeane des Himmels
《天上の海原を超え》
Sie sind auf diesem Land gelandet.
《この地に降り立ちし彼等を》
Wie angenommen.
《受け入れたように。》
Wir werden es akzeptieren.
《我々も受け入れよう。》
So wie sie es im Himmel taten.
《天上の彼等がそうしたように。》
Lasst uns streiten, beten und uns engagieren.
《争い、祈り、捧げましょう。》
In den Schmelztiegel gießen und diesen füllen lassen.
《坩堝に注ぎ、満たしましょう》
Auch wenn ich leer und ziellos bin.
《虚ろで無為な身なれども》
Lasst uns sie mit der Wärme des Lebens erfüllen,
《天上の彼等がそうしたように》
so wie sie im Himmel sind.
《命の熱で満たしましょう》』
これを見るに、
…………もしかしなくとも、彼女がそれに当たるのだろうか? しかし彼女は
兎に角、これについては彼女に聞いてみたほうが良さそうだ。
──そうして様々な記録を読み解いていく間に、公的記録と私的記録は相互に保管し合うのではないかと考えるようになっていた。私的記録には世間の雰囲気が色濃く反映されており、公的記録にはそれがみられないのだ。
少し詩的な表現になるかもしれないが、公的記録は男の顔をしていて、私的記録は女の顔をしていると言ってもいいのかも知れない──なんてガラにもない事を考えていると、明らかに異質な手帳を見つけた。
それは動物の皮革を用いた上で丁寧な装丁を施されており、その中身は羊皮紙という拘りようだ。それもあってか、純粋な興味を唆られるモノだった。
──だがそれに触れた瞬間、酷い寒気がした。
それでも手にすることを止められない。コレを開けば酷く後悔することになると、直感的にわかっている。そう確信させるだけの何かがコレにはある。
捲るな、と本能が警鐘を鳴らす。けれど心が捲りたいと駄々をこねる。捲れば後悔することになるぞ本能は叫び続けている。その叫びが強くなるほど、捲りたい気持ちもまた強くなっていく。
あぁ。どうしても捲りたい、
『Var det interessant?
《面白いですか?》』
「……面白い訳があるか、くそったれ。
もし彼の言う通り、全てが仕組まれた事象だというのなら悪夢だ。
シナリオは既に描かれているなんて信じたくない。
彼と彼ら、そんなものは存在しないはずなのに!
もし彼らが
『Ikke så pessimistisk.
《そう悲観する事はありません。》
Det betyr noe for oss også.
《私達にも意味はあるのです。》』
「居るわけがない。そんなもの、あってたまるか」
『Skremmende fordi jeg synes det er skremmende.
《恐ろしいと思うから恐ろしい。》
Det er heller ikke forstått for øyeblikket,Det som ikke er til å unngå.
《今はまだ理解できないのも、仕方のないこと。》
Sannheten er……Det ville være en liten gåte.
《真実は……些か難解でしょう。》
Men det er greit for dere.
《けれどあなた達はそれで良い。》
Vi ser ned på deg.
《私達が見下ろしている。》
Stirrer ut av vinduet.
《窓の外から見つめてる。》』
「窓も瞳も有りはしない。お前の言葉は全て幻だ、嘘だ」
『Men du har blitt hørt.Nåde, ta imot.
《けれど貴方の耳には届いている。恩寵を、拝領せよ。》』
「恩寵とやらは要らない。お前たちも必要ない」
『O dere som hører vår røst.
《私達の声を聞き届けし者よ。》
Avviker og overskrider deg.
《逸脱し、超越し者よ。》』
「黙れ、神を自称する怪物め。俺は逸脱していないし、超越もしていない」
『|Du kan kalle det hva du vil.
《好きに呼ぶと良い。》
Det finnes ikke noe opprinnelig navn.
《元より名など無き故に。》』
「……お前は何なんだ? なぜ私に目をつける」
『Hva er poenget med å vite hvem vi er?
《私達の正体を知ってなんになる?》
Hva om jeg sier at det ikke betyr noe spesielt?
《特に意味はないと言ったら?》』
「巫山戯ているのか? お前は何がしたい」
『Nei? Trenger du en grunn til å elske kjæledyret ditt?
《いいえ? 愛玩動物を可愛がるのに理由は必要ですか?》』
「可愛がるだと? もしこれがお前達の言う恩寵だというのなら狂ってる。こんな世界は誰も望んじゃいない」
『Fra mitt synspunkt,Det er dere som er gale.
《私からすれば、狂っているのは貴方達の方。》
Du burde leve friere.
《貴方達のは自由に生きるべきです。》
Hvorfor er den designet for å slåss?
《折角戦う為に貴方達をデザインしたのに、なぜ?》』
「戦う為にデザインした? だったらなんだ。私達の本質は争い、殺し合うことだと?」
『Og i så fall?
《そうだとしたら?》
Det er faktisk slik vi vokser.
《現に、私達はそうして成長している。》』
「成長する為に、争う必要があると?」
『Nettopp.
《その通り》』
「だからお前達は宇宙から落とすのか?」
『Ja. En liten gave fra oss til de som fortjener det.
《はい。資格あるものへ、私達からのささやかな贈り物です。》』
「ならやめてくれ。お前達の贈り物が、私達を狂わせる」
『Vi kan ikke gjøre det. Fordi vi elsker deg.
《それは出来ません。私達は貴方達を愛しておりますので。》』
「やめろ。そんなものは望んでいない。私達を愛しているのなら、私達を見るな、放っておいてくれ」
『Ikke si at dere kommer til å savne oss.
《寂しいことを言わないで下さい。》
Vi vil fortsette å holde øye med deg. Langt, langt borte.
《私達は貴方達を見続けます。遥か彼方のソラから。》』
……何故、私はこれを読めるのだ? 片方は公共語だから読めて当然なのだけど、もう片方を読み取れるのが不思議でならない。
だがこの奇妙な感覚を、私は既に一度味わっている。エーギルの口から初めて『
けれどこれは──あの時よりも異質なのだ。あの時確かに彼女は『
別の検索エンジンにかけても結果は同じ。最大手の検索エンジンですらロクな結果は出てこない。よく見かける「もしかして『〇〇〇〇』ではありませんか?」というメッセージすら現れなかったのだ。
もう一度、別の単語を切り取って打ち込んでみるが結果は変わらない。一文まるごと検索にかけても変わらなかった。どう調べてみても、この異質な言語の正体にはたどり着けないのだ。
そして疑問はもう一つある。この日記は何故、対話形式を取っているのだろう? 加えて公共語で綴る人物と異言語で綴る人物の筆跡は非常によく似ている。筆圧こそ異言語のほうが弱く線も細いが、字体のバランスや文章のリズムは公共語と遜色ないモノだった。
……もし。もしもこれが自らの深層心理へ触れる為の『自己対話ノート』だというのならソレで良い。寧ろそうであってくれたほうがマシだ。
けれど文章を読む限り、そのような気配は微塵もない。ノートを窓口として、誰かと言葉を交わしていると思ったほうが自然なのだ。
では、この筆者は誰と会話していたのだろうか? もう少し読み進めれば解るのだろうか、それとも、さらなる深みへと誘われるだけなのだろうか。
──本当に、この先へ進むことが正しいことなのか?
たった一枚、数ミリもない厚さの紙を捲る。それだけの事なのに酷く悩む。ここで引き返して、今読んだことを忘れるのが正しい道なのではないかと。けれどこれを忘れることは出来ないのだろうと、心の何処かで思っているのも事実。
羊皮紙にかけた指を離そうとした瞬間──冷たい夜風が吹き込んで来た。それは僅かに捲られた隙間に入り込み、一気に捲り上げてしまったのである。
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