▼ 21 ▲
「──ここが目的地だね。彼女は今この中にいる」
辿り着いた先にあったのは、比較的損傷の少ない邸宅。その周辺には歩哨の姿が多く、道中見かけた者よりも真面目に哨戒しているようだ。この分では恐らく、邸宅内部にも多くの護衛がいる事だろう。
──……だからこそ、私は一人で進まないといけない。人数が多ければ多い程、痕跡は残り発見されるリスクが高くなる。もし見つかってしまえば全てが水の泡──確実に全員が命を落とすことになるだろう。それもただ死ぬだけでなく、人としての尊厳を踏み躙られた上で殺される。
……そんな最期はまっぴらゴメンだ。それは彼女達も同じことだろう。私達は互いの光学迷彩に不具合が起きていないか確認して、全ての準備を整えてから潜入した。
──想定通り、邸宅の中には多くの護衛が居た。
如何に高性能な光学迷彩があるとはいえ、その姿を完璧に消せるわけではない。外のような暗闇であればそれも叶うのだろうが、屋内には無数の灯りがある。壁や床に同化していたといても──そこになにかが居るという痕跡は残ってしまうものだ。
なので屋内へ直接侵入するのではなく、建物の隙間を狙うことにした。暗闇というアドバンテージを活かしつつ、床下へと通じていそうな穴を探す。それから程なくして、人一人が通れそうな穴を見つけることができた。入口には格子がかけられていたが、嵌め込み式ではないので簡単に外せそうだ。極力音を立てないよう、慎重に格子を外しその中へ身を滑り込ませる。予想通り、屋内の床下へと繋がっていたようだ。厚めの床板を挟んだ上で護衛達が公共語でなにかを話していた。訛が混じっていて聞き取りにくいところもあったが、その多くは他愛もない雑談である。
……ここには市街地のような、重苦しい死の気配は無い。ありふれた日常の一コマを感じさせる空気があった。その中でも時折、処刑を行う銃声は聞こえてくる。けれどそれには、テレビのニュース映像のような遠さがあった。あの光景を目にしてから30分も経っていない。脳裏にはあの時目にしたモノが焼き付いているというのに、どうしてだろうか?
疑問を胸に抱きつつ、私は暗く湿った床下を匍匐前進で進んでいく。その中から時折、肉の腐ったような臭いがすることもあった。恐らくは何処かに死体が放置されているのだろう。その臭いの発生源を避けつつ、頭上から聞こえる会話を頼りに目的地へと向かった。
そうやって進む内、床に穴が空いている場所を見つけた。床板の隙間から上を見るが人影はなく、付近にも誰かがいるような気配はない。慎重にあたりを伺いつつ穴から頭を出すと、タヴィアの後ろ姿を見つけた。どうやら今、彼女はターゲットを拘束しているらしい。
「そのままゆっくりとこちらへ来てくれよぅ」
私に気づいたのか、彼女が静かな声で指示をしてくる。音を立てないようにしつつ、急いで彼女の所へ向かう。彼女は片腕のみを使ってターゲットの両腕を決め、その喉元へとナイフを突きつけている。突きつけられた側の男は、酷く落ち着いているように思えた。
私はタヴィアに促されるまま、彼女らの正面に立つ。そこにいたのは、どこにでもいそうな成人男性である。彼女曰く、この男が武装勢力の指揮官なのだとか。とてもじゃないけれど、そんなふうには見えなかった。私はそんな事を思いながら光学迷彩を解き、彼へ銃口を向ける。
彼は突然現れた私に驚いたようだったが、すぐに先程の表情へ戻り静かに私を見据えていた。
「……貴方がこの虐殺を?」
「虐殺ではない。平和をもたらすために、仕方なくやっていることだ」
抑制の効いた声で男が静かに答え、続ける。
「今ここで殺しているのは皆、クィラムからの移民達だ。彼らは自らの意思で祖国を捨て、この国の民となることを選んだのだ──」彼の声に、微かな怒りの色が滲み始める。
「だと言うのに、彼らは捨て去ったはずの
「……それで内戦を起こしたというの?」
「違う。先に手を出したのはあいつ等の方だ」
「どういうこと?」
「彼らは和平を望んだ我らの王を殺した」
クィラムからの移民がグィナヴィアの王を殺していた、なんて話は聞いたことがない。グィナヴィアでの内戦を知らせるニュースこそあれ、国王の死については触れられていなかったはずだ。そんな私の疑問を他所に、彼は言葉を続ける。
「我らの王は自分の文化と同じように、他文化を愛し重んじていた。その為に、互いの文化を受け入れる寛容さを持ち合わせようと謳っていた。王の思想に賛同し、その精神を以って私達は……グィナヴィアを美しく良い国へと──……そう、導き歩んできた筈、なのだ…………」
ここに来て男の声に始めて戸惑いの色が浮かび上がる。その瞳には怯えとも悲しみとも、困惑とも取れぬ奇妙な色があった。今までの人生で、こんな目を見たことは一度たりともない。語ることを止めた彼は、一体何を思っているのだろうか?
「…………おお、そうだとも。私達は他文化を愛し、重んじ、受け入れようと誓ったはずではないか……? それなのに、なぜクィラムの移民達を排除しようと声を上げてしまったのだ?」
暫しの沈黙を挟んだ後に上がったのは、声が震え上擦る程の困惑を浮かべる彼の言葉だった。そこにあの余裕は無く、静かに燃え滾るような怒りもない。あるのはただ、純粋な困惑だけ。
「しかし……あぁ、なぜだ? なぜ私達はその手に鉄と火を握ってしまった? 過去の過ちを繰り返すような真似をしてしまったのだろう」
男の視線が泳ぎ始める。この仕草は恐らく演技ではない。演技ではないとわかるからこそ、恐ろしいと感じてしまった。今の彼は、ある種の恐慌状態にあると言えるだろう。そうなってくれば、何を仕出かすかわかったものではない。
だからそうなってしまう前に、言葉を交わす必要がある。なぜ私が彼と話をしなければならないのか──その理由をまだ見つけられていないから。
「貴方はさっき
「そうだ。たしかにそう言ったが……あぁ、わからんのだ。私は……私達は一体、何時からそんな事を思うようになった?」
迷いながら泳いでいた視線が、突然私に向けられた。加齢によってほんの少し白濁した瞳が、形容し難い悍ましさを孕んだ視線を向けてくる。濁った水面のような瞳──その奥にあるのはなんだ?
「そんな事、部外者の私達にはわかりません──!」
叫びそうになる心を必死に抑え込み、銃口を彼の額へと向ける。これ以上そんな目を向けるな。言葉を発するなという願いを込めて、突きつけた。
「やめろ、そんなモノを向けるな……っ、ぐぅ!」
男の異様さに危機感を覚えたのか、タヴィアが男の腕を強く決め、喉元に突きつけたナイフを軽く食い込ませた。それは薄皮を1枚割裂いたのだろう。赤黒い血が、つぅ──と流れその襟を汚した。
「あぁ……誰か、誰かわからんのか。この国が、美しかった我が祖国を……荒廃させた理由を教えてくれ…………」
男が涙混じりの声を上げ、天を見上げる。その姿は告解を行う信者のようでありながら、一人路頭に迷う幼子のようでもあった。
「私達は……なぜ、殺して……きた、のだ……?」
この頃にはもう、男は心底怯えきっているようだった。疑問と恐れ以外の感情が消え失せたかのような声は、歯の根が合わなくなってきているのかまともに聞き取れたものじゃない。
「何故──なぜだ……答えてくれ…………誰か、教えてくれ。頼む……!」
か細い悲鳴のような問いかけは、さながら呪言のようであった。蛇のような滑らかさで侵入し正気を少しずつ犯していく。真綿でゆっくりと絞め殺すような丁寧さで、此方の精神を蝕んでいく悍ましさがあった。
「私達が知るわけ無いでしょう……!」
「なら、誰でもいい……私の疑問に答えられる、ものを……! 答えを知っているやつを、彼女を連れてきてくれ……なぁ、頼む……教えてくれ……!」
伽藍堂、という言葉がピッタリな瞳。まるで屍人のように虚ろな瞳が私を捉えて離さない。その間も絶えず男は呪言を吐き続けていた。
「黙ってよ……!」
纏わり憑くような言葉を振り解くように、出せるだけの圧を込めて言い放つと男は口を噤んだ。男の頬を一筋の涙が伝っていく。はっきり言って異様な光景だと言わざるを得ない。
この男は一体、何なんだ? 発狂しているのならそれでいいのに、まだ正気が残っていると感じてしまう。タヴィアも同じ意見なのか、そのナイフを引き抜く事が出来ずにいるようだ。
「────……あの声を、もう一度聞かせてくれ。マリアス、
────
何の変哲もない言葉でしか無いはずなのに、一瞬にして全身が総毛立った。どうか聞き間違いであってくれと、そう願わずにはいられない程の恐怖が私を捉え、飲み込もうとしてくる。だがここで折れるわけにはいかない。たとえ単語の一欠片であろうと、彼は『
「貴方、その言葉をどこで聞いたの?」
銃口を額へと押し付け、できる限りの圧を孕んだ声で問いかける。
「……? 言葉とはなんのことだ?」
「導きの月光──貴方はその言葉を誰から教わったのか聞いてるの──!」
酷く歯痒い。私はその言葉を聞き取ることは出来ても、話すことは出来ないのだ。そもそも真似ようとしても、たった一度聞いただけの言語を再現することなど出来るはずもない。
「
だが男は反応を見せた。未だ涙の溢れる瞳で、こちらを真っ直ぐに見据えてきたのだ。食い気味──という言葉すら生温い。餌を目の当たりにした餓鬼にも似た圧を感じる。とてもではないが、ただの人間が出せるようなものではない。
その異質さを押し退けるために突き付けた銃口がゴリ、と男の額に食い込むが──そんなことはお構いなしに、なおも距離を詰めようとしてくる。そうなればタヴィアが突きつけた刃が喉に食い込むのだが……男はそれすら気にしていない。
「
「知らない、そんなもの知らない──!」
あの言葉を口にすべきではなかったのか? 逡巡する間中、男は縋るように前進し続けている。前に進めば進むだけ、刃は男の喉に食い込んでいく。そうして気道にまで刃が食い込んだのか、男の声は水気を含み始めゴポゴポといった異音が混ざり始めている。
「教えでぐれ、
私も彼女も限界だった。私が引き金に指をかけた瞬間、彼女はナイフを力強く引き斬ったのだ。瞬間、彼の喉から血が吹き出し──私の顔面を赤く染め上げ、勢いそのままに壁をペインティングした。
倒れた男は喉を掻き毟るような仕草を見せながらも、なにかを口にしていた。ゴポゴポと溺れた声にならない声で、意味をなさない音を吐き出し続けていたのだ。
──その命の灯火が消える、その瞬間まで。
事切れた指揮官の死体を前に、私達は動けずに居た。顔面に付着した血液のぬめりも、臭いもなにもかもをそのままに──ただ、彼の死体を見つめることしか出来なかった。ここが敵陣のど真ん中で、あと1時間もしない内に陽が昇るとわかっていても。
「…………彼なんて言っていたのかなぁ」
「導きの月光……そうとだけ、繰り返して……いまし、た──」
「そうかぃ」と力なく口にすると、彼女は私の顔についた血液を拭き取って光学迷彩を起動させる。予め確保していたという退散ルートを使い、私達は邸宅を後にしてスミラックスと合流した。この国へ侵入した時と同じように、巨大な排水管を進み国外へと脱出。
その後は待機させておいた二脚車両の自動運転機能を使い、私達は自国への帰路へと着くことにした。
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