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「ちょっと外に出ようか。もう2時間も撃ちっぱなしで疲れたでしょ」

 誘われるまま、私は彼女と外へ出た。日の落ちた空には、団子のようにまんまるな月が出ている。時折、冷ややかな風が吹く中を暫し私達は無言で歩いていた。

「──……やっぱり戦えない?」

 リーン、リーンという虫の音が聴こえる中、唐突に彼女が質問を投げかけてくる。その声は抑制の効いた冷たいモノではない。

「────………………ごめんなさい、多分無理です」

「どうして?」

「私は他人を殺してまで、自分が生きたいとは思えないんです」

 彼女は「そう」とだけ短くこたえると、適当なベンチへと腰掛け私にも座るよう促してきた。夜風に晒され冷え切ったベンチは結構冷たかったけど、あまりに気ならなかった。

「──そう考えるのは、人を殺したくないから?」

「はい。それにどう考えても、他人ヒトを殺してまで生きて良いとは考えられなくて」

 これはエーギルから戦争の話を聞いて以来、ずっと疑問に感じていたことだ。様々な理由があって、人間は戦争を起こしてきた。戦う時、何か守りたい物があるからとその手に武器を持って相手を殺している。

 そうして殺しに殺されて戦争が終わった後、本当の地獄が待っている。兵士一人一人に守りたい家族や居場所があったのに、何故か自分の居場所がない。戦場に適応してしまったがために、健全で安全な社会へ戻れなくなっていた。屍の山を越え、血の海を渡り帰ってきたのに、そこでは生活出来ない。

 人を殺すという行為は、どんなに高尚な理由があったとしても変わらない。を捨て去る行為だと私は思っている。

「──だからでしょうか。映画やアニメーション、漫画、小説でも人が死ぬモノは苦手なんです。特に一般人が大勢死ぬような作品は……途中で止めちゃいます」

虚構/空想フィクションであっても駄目なんだね」

「はい。ああいうものは基本、主人公サイドが無事であればハッピー・エンドになるじゃないですか。派手な事件によって群衆が巻き込まれようと、町が一つ犠牲になるような事になっても。どれ程の犠牲があったとしても、主人公とその仲間達が生きてエンディングを迎えればハッピー・エンドになるんです。逆に群衆が一人も死なず、主人公だけが死ねばバッド・エンドになってしまう……それがなんだか受け入れられなくて」

「なぜ、受け入れられないのかな?」

「──……群衆にだって主人公と同じように生活があります。人生があるんです。なのにどうして主人公と群衆の死を、別のものとして見られるのでしょう? 敵側だって同じです。アレらにも生活がある。人生があるのに、悪者だと言うだけでその死が悼まれることは少ない。みんな、同じ命なのにどうしてですか?」

「成る程ね。キミの言いたいことはなんとなくわかるよ──ただ、娯楽としての作品において、その手の現実味リアリティはウケが悪い……っていうのはわかるよね……虚構/空想フィクションくらいは気持ちのいいハッピー・エンドを見たいから、皆それを手にしてる訳だし。それに登場人物一人一人の心情を事細かに書いていたら、作品として成り立たなくなる。だから基本的には主人公以外の事件は描かない。描かなければソレは提議されず、認識されない問題として処理できるからね。

 そしてキミはそれが許せないからこの手の娯楽を楽しめない──って言うことで良いんだよね?」

「はい。だからもしも、皆が普段からそう言う事を考えられるようになれば、安易に人を傷つけることもなくなると思うんです……自分は正しいけど、相手も正しいかも知れない。自分が辛いなら、相手も辛いかも知れない。そう考えると、とても戦闘なんて、人殺しなんて出来ません」

 そういう理由なら、仕方ないね。なんて優しい言葉は貰えなかった。

「本当は自覚してるかもしれないけど、敢えて言わせてもらうね。

 ……ラズリーちゃんが言う事は、限りなく理想に近いものよ。皆がそう考えられるようになれば、なくなる争いは多いと思う。けどその考えが浸透する事は無い。そうなってしまうと、色々と都合が悪いってなんとなく思ってるからね。

 だから大体の人間は自分自身や身内、帰属している世界に対して甘いの。自分自身の行動や、選択の責任を他に求めたほうが楽だから。他人の視点に立ちたくないから、無意識の内に理由を見つけて身内を守ろうとする。大体の人からすれば、それは当たり前の考え方。この方が、程よく楽な生き方になるからそうしてる」

 身内に対して甘くなるのは仕方ないと思う。私にだってそういう部分はあるけれど、それを意識した上で相手の立場で考えようとはしている。

「なのに大衆は『命は平等だ!』と声高に叫ぶ訳でしょう? そうして屠殺人や狩人ハンター、軍人なんかの汚れ仕事ウエットワークを忌避したりする。そのついでによく『他生命の命を奪うな!』なんて趣旨の言葉を耳にするよね」

 ──市街地へ侵入した猛獣を駆除した狩人ハンターへのバッシング、調査捕鯨反対団体やなんかの問題提起があると、必ずと言っていいほど耳にする言葉だ。確かに命を濫りに奪う事は良くないけれど、基本的にはそうせざる選ない理由がある。ヒトの味を憶えた獣の危険性も知らず、調査の理由も知らずに、大衆は反対してきた。

「──私ね、あれが凄く滑稽に思えるの」

 そんな事を思い返していると、柔らかな笑みで彼女はそう言ってのけた。

「自分達はスーパーで肉を買って、仲間内で楽しくバーベキューをしたりするのに。どうしてそんな事を真面目な顔して言えるんだろうって思ってさ」

 そう言ってケラケラと、楽しそうに嘲り笑う。

「他生物の死骸を食ったその口で、よくもそんな事が言えるものだよ。人間というのは旧口動物から進化し損ねたのかな?」

 彼女なりのジョークなのだろうか。それにしては少々エッジが効きすぎている気もしない。

「……本当に身勝手と言うか、都合がよいというか。人間はペットの犬が死んだら悲しむくせに、道端でドブネズミが死んでいても何も思わない。命は平等だと言っていた筈の口で『汚らしいから処分して』なんて平気で口にする。どうしてそんな事が言えるかって聞いたら『ドブネズミとペットが同じわけないでしょ』って言うんだもの。酷い矛盾だと思わない?」

 彼女の声がほんの少し、怒っているように思えたのは気の所為だろうか。先程から皮肉って笑っているけど、内心は隠しきれていない気がする。

「そんな事を言うくらいなら『命は平等』だ、なんて口にしないで『命は大切なものだ』って言って欲しかったかなぁ……命に優先順位をつけるのは何も悪いことじゃないのに。何故かそれは悪いことだと考えて、耳触りのよい建前を口にするんだもの」

 悲し気な声で「人間のそういう所は、正直嫌いかな」と付け足してから、彼女は空を見上げた。


「死は本来平等なもので、個々の死が種に与える影響は殆どない。だから幾ら派手な戦争を起こしても、人間という種は続いていくだろうね。そしてラズリーちゃんは、自分と相手、どちらかが死ななければならないのなら──自分を犠牲にしてしまうのかな?」

「それは……その…………」

、とでも?」

 そのとおりだ。どうしても、どちらかしか生き残れないのだとしたら話し合ってどちらが死ぬかを決めようとするのだろう。

「そしてキミはを話し合いで決めようと考えている。だとしたらその話し合いは無意味だよ。相手が余程の聖人君子でもない限り、キミは殺される側になる」

 違う、と言いたいところだけど。恐らくは彼女の言う通りになるのだろう。見知らぬ他人の為に自ら命を差し出す、なんてことが出来る人はそうそう居ないのだから。

「キミはさ。キミの言い分を理解しない、しようとしない人達への反動から生まれた理想に殉ずるつもりなの?」

 そんなつもりはない。理想に殉ずる覚悟なんてものはなかった。

「私はこの会話の中で、何度かキミの思想を理想でしかないと言った。否定するような一言も言ったんだけど──ただの一度も否定しなかったよね?」

 言われてみればそうだ。否定したかったけど、結局は否定出来なかった。

「──だったらわかるよね。私達が生まれながらにして背負っているごうと、責任について」

「…………はい」

 ──それが何なのかは、なんとなく想像できる。言葉には出来ないけれど、その輪郭だけはある程度掴めたから。

「私の口から、説明したほうがいいかな」

 私の反応から察したのだろう。彼女は優しい声で、提案してきた。

「……お願いします。私はその業と責任を、なんとなくの雰囲気でしかわからないので」

「そう。わかった」


 ──人が生きる事。生きるために必要なモノは沢山ある。

 そしてそれらを得るためには、他生命の可能性を、未来を摘み取るしかない。人体が生成できない栄養素は、他の命を奪うことで補完する。植物を摘み取り、動物を殺して食らう。これは命であるならば皆同じ事。キリストやブッダであってもソレは変わらない。

 命というのは基本的に、他生命の犠牲にしなくては成り立たないものだ。

 生命讃美を謳うことは良いことだが、先ずは生命がなんの上に成り立つものかを識らなくていけない。実態を知らずに語る言葉ほど、無意味で無責任なものはないのだから──

「──今は本当に良い時代だと思う。なんの心配もなく、明日も生きていられる。今日と変わらない平穏で、牧歌的な日々が続いていく。大多数の人間がそう思えるんだもの。けどそうした中で忘れているものもある」

 ソレは例えば──家畜の肉を食べる事。それがどういうことなのか。命というのは『等しく大切なものだ』といいいながら、無意識に優劣をつけている。この平和な日常を維持するために、どれだけの命が利用され、消費されているのか。

「そしてこれらは当然、同種である人間にも言える事。生きるために危険な労働に従事して、事故死することもある。誰かの犠牲があったから、見直されたものもあるし、出来上がったものだってある。帰属する国のために戦うことで、平和を築いた者達も居る」


 ──それらは本来、大人達が語り教えるべき事柄だ。

「けれどそういう事を語ろうとしなかった。大人達はそういうモノを知らなくていい、負の側面として遮断マスキングすることを選択してしまったの」

 ──ラズリーという存在が今、ここにあるのは。

「……貴女とその祖先が、数多の生命の犠牲の上に成り立っているから貴女は此処に居る。いまを生きている」

 ──それが、私達が生まれながらにして背負っている業。

 生きる以上は背負わなくていけないモノ。

 いつの時代からか、大人達が口を噤み遮断マスキングしてしまった生命の業。語るべきではないと、誰が言い始めたものではないが、蔓延する空気がそうさせてしまった語るべき本質の一つ。

「だからこそ命を軽んじてはいけないの。無益で安易な殺生は避けるべきモノで、卑下されるに値するものよ」

 その直後に、勿論『安易な自己犠牲もそこに含まれる』という点を忘れてはいけないと、釘を差されてしまった。

「しかし、身内と自己の生存のために行う殺生は卑下されるものではない。それはわかるよね?」

「……はい」

「だったら、生きる努力をしなきゃいけないよね」

 彼女の言うように、私達は生まれたときからこの業を背負ってる。私の命は、既に私だけのモノではない。今まで犠牲にしてきた命の姿が、今の私なのだ。それをわかった上で、今までのような結論に至る程私もバカではないし、甘ったれな人間にはなれない。

「──その命を無駄にするような真似はしないって、約束できる?」

「はい」と返すと、彼女の顔は優しいものへと戻っていく。

「……よろしい」

 ここへ来たときと同じように、彼女の後に続いて訓練場へと戻っていく。そして、先刻と同じように射撃訓練を再開する。

 先刻までと違うのは、自分の意志で銃を握っているということ。

 そして心の何処かで感じていた、やらされているという感覚が無いということ。

 今の私は私の意思で、人形的ターゲットへ銃弾を撃ち込んでいる。身を守る為の技術として、コレを扱えるようにするために。


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