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 ──この件は知らせるべきなのか、そうではないのか。

 しかし伝えた所でなんの意味がある? 君の家族は山賊と思わしき四人組に襲われ死んだ。そして犯人はルヴリグの悪魔──緋狼人レッドヴォルグによって殺されている。君が討つべき仇はもう居ない。

 ──この真相を知った所で、彼はどうすれば良い? 彼に残された道筋は? 彼に与えられた選択肢は一体幾つある? 異国の地にただ一人、遺されたあの子は何を選択することが出来る。真相を知ったからといって、増える手札が良いものとは限らないのに──



 兄との会話を終えた日から暫くは、そんな思いが頭の片隅を占領していた。それはあの少年──パロ・パ・トトルとの面会を繰り返す度に強く焼き付いていく。

 旬の果物を差し入れ、世間話をする度に。あの子の顔が少しずつ明るくなる度に。リハビリの経過を見守る度に。何気ない過去の話をする度に。

 事ある毎に濃くなっていくあの子の存在が、私を悩ませるのだ。真相が誰の口から伝わるのかは知らない。どうやって伝わるのかは、なんとなく想像がつくけれど──どれもあまり良い結末にはならない気がする。事の顛末は凄くシンプルなものだ。しかし、だからといって簡単に飲み込めるようなものではない。あの子の場合であれば特にそうだろう。何もかもが自分の知らないところで終わっていたのだから。


 だが、というのは悪い事なのか? 仔細を知らず、結末だけを抱いて歩く事が救いになることもあるのではないか? 始まりこそあれど、終わりに立ち会うことも出来なかったのだ。私も、あの子も、誰もかもが、当人以外の言葉で結末を知ったに過ぎない。ヴィラヴィスも、エーギルも、兄も、私も。その結末だけを目にして耳にしただけなのだ。何が起きたか知っているとはいえ、全てが推察に過ぎないのである。遺された答えを元に逆算しただけ。監視カメラ映像をリプレイしたわけでもない、ただの演算結果。誰が見てもわかるように列挙された、機械的な記録。そこには──怒り、悲しみ、憐憫、畏怖のような──感情を呼び起こすスパイスはない。なんの味付けもされていない無味無臭の現実だけが存在している。



「──何を悩んでいるのですかねぇ?」

「えっ、あー…………その、大した事ではなくて」

 初めて彼女──タヴィア──と出会ってから約二週間。彼女はなんの連絡もなしに訪ねて来たのだ。服装や髪型も相変わらず胡散臭いものだが、今回は右前髪に一本の赤いエクステがつけられている。それが余計に胡散臭さを醸し出していた。

「……なら構いませんよぅ? けれどなんだか寂しいですねぇ──久しぶりに訪ねてきた友人を忘れ、物思いに耽けられるというのは……中々にクるものがありますので」

 わざとらしい抑揚がついた声で、エクステをくりくりと指先でイジる姿はという感じだ。そのくせ、サングラスの奥には悪戯心に満ちた笑みが見て取れる。こちらもジロジロ見すぎたのか、彼女は目があった瞬間ヒラヒラと手を振ってきた。


「それでどうかなぁ、ラズリーちゃん」

 抽出の終わった珈琲を彼女の前に置くと、わざとらしさも甘ったるさもない真剣な声で尋ねられた。気づけば胡散臭いサングラスも外している。

「…………臨時契約を交わすかどうか、ですよね」

「あぁ、勿論その話だよぅ? エーギルからも言われただろうけど、こういう機会は滅多にないものでさぁ。隣接する国家同士が和平を望み、それを実現・維持しようと努力するようになってからは特に、ねぇ?」

 口調こそ変わらないが、その視線は一度たりとも私から切られていない。曇りのない淡褐色ヘーゼルの双眸が、私の真意を答えを待っている。

「迷うのもわかるよぉ……ただ、最終的に選ぶのはキミ自身の意志でなければならないからねぇ」

 彼女は短い断りを入れ、未だ湯気の立ち上る珈琲へと口をつけ砂糖を一欠片入れた。

「──……物事を判断するのなら、選択を行うのなら不純物は少ない方がいいよねぇ。けれど、それではあまりにも味気ないとは思わないかなぁ?」

 ティースプーンを使い、クルクルと掻き混ぜる。混じり気のない黒が、ほんの少しだけくすんだような気がした。

「香りは良い、けれど私には少し酸味が強かったかなぁ」

 砂糖入り珈琲に口をつけ、柔らかな表情を見せた後に牛乳ミルクを適量注ぐ。そして先刻と同じようにティースプーンを使ってゆっくりと撹拌していく。緩やかに混ざりあったソレはダークトーンのクリーム色へと変化していった。

「あぁ、うん。これくらいが丁度いいねぇ」

 表情を見るに、満足のいく味と香りになったのだろう。単に柔らかいというのではなく、少し気の抜けたような優しい顔つきになっている。

「ただ事実を知るだけなら、歴史を学べばいい。国営図書館にでも行けば、知りたいことの殆どは網羅できるだろう? ……尤も、この御時世では電子百科事典に頼る人が殆どだろうけどねぇ」

 誰でも閲覧、編集の出来る情報を盲目的に正しいと信じられるのはある種の才能だと言って、彼女は乾いた笑いを浮かべる。

「けどそうして獲た知識は所詮借り物の知識さねぇ。先人達が集めた記録に触れて、わかったつもりになっているだけなんだよぅ」

 言われてみればそうだ。自分が知らない情報が、知っている誰かの言葉で残されているのだから。見知らぬ調味料に出会ったとしても、誰かが記録しているのならどんな風味の調味料なのかを、どんな料理に合うのかを知ることが出来る。

「感覚としてはまぁ、アレだね。違法アップロードされた切り抜き映画──……ファストムービーといったかなぁ? あれを見て、有名な一般人が述べた感想を読んで。あたかもその作品を理解したように語り、批判する。実体験を伴わない知識なんてものはコレと同じなんだよねぇ」

 ……何ともまた微妙な例えをしてくるものだ。しかし言わんとしていることはわからなくもない。

 あの手のモノはけれど、美味しい部分は味わえる。話題になっている作品の、皆と共感出来る部分だけを口にできるのだ。最近よく言われるコスパやタイパが良い、というやつなのだろう。だからこそ流行っている。

「その結果として──よくわからないけど、皆が美味しいというから。予告も何も見ていないけれど、皆が面白いというからこれは──といった風潮が蔓延するようになってきた。そしてコイツは洒落にならない恐ろしさを秘めているのだが……それが何か理解わかるかなぁ?」

「同調圧力的なものですか」

「惜しいかな。それもあるが、もっとヤバい奴が潜んでいる」

「…………判断基準を他人の評価にしてしまっている?」

「良いねぇ、ほぼ満点の回答だぁ」

 ほぼ、とはどういう事だろう? 何かが足りてないのだろうか。それとも解釈の範囲を広げすぎたのか?

「私が言いたかったのは『評価基準を世間任せにした』上に『情報の正確性を重要視しない』という点なのさぁ。そしてこういう空気が蔓延した先には、ほぼ確実に『』が待っているんだよぅ」

 楽しそうな声音ではあるものの、その目はゾッとするくらいに冷ややかなものだった。

「だが何故か、本国ではんだよねぇ」

「えっと……それは、その……どういうことですか?」

「──さぁ? 私にもよくわからない。けれど事実として建国以来、本国はただの一度も戦争を経験していないし虐殺行為も確認されていないんだよねぇ。隣国ではそれなりの間隔で発生しているというのに」

 彼女はすっかりと冷めてしまった珈琲を一息に飲み干すと、残っていた角砂糖を一つ摘み上げそのまま口にした。

 ……もしかしなくとも、かなりの甘党なのだろうか?

「そしてこれはあまり良い話ではないが、自分の生活圏内から程よく離れた場所で戦争が起きている場合、人々は争わない傾向にある」

 もう一つ角砂糖を口にしてから「恐らくは防衛本能からくる物だろうがね」と付け加えた。その理屈はなんとなくわかる気がする。目に見える場所でいさかいが起きているのに、仲間内で争うような馬鹿は居ないのだから。

「隣国で戦争が起きているから本国では発生しないのか、はたまた別の要因があるのかはわからない。だからこそ現地へ赴く必要があるんだよぅ」

「……あの、タヴィアさんは何故、虐殺を識ろうとしているんですか」

「今の飼い主からそう命令されたから──っていうのは建前でねぇ。ただ個人的な理由で知りたいだけなんだよぅ」

 個人的な理由、というのはなんだろう? 初めて会ったあの日、エーギルに向けて放った『お前達の言語が元凶だ』という言葉に関係があったりするのだろうか? しかし私は、それについて聞く資格を持っていない。あれば間違いなく二人だけの問題なのだ。

「ちなみにキミは、どうして識りたいのかなぁ?」

「……私は虐殺の機構が遺された理由を識りたいんです。どうして人間だけが虐殺という行為を取れるのか、それが識りたい」

 ──これはこの2週間、ずっと考えて出した答えだ。その選択に後悔はない。私は署名済みの書類を彼女へと手渡し、頭を下げた。


「君の覚悟と、勇気に感謝を──……」








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