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「──虐殺Slaughter……それはある目的や信条の元、形成された2人以上の集団により行われる行為とされています。その条件は幾つかありますが、特に強調されるのは2点ほどしかありません。

 まず『1人以上の反抗できない状態におかれた非戦闘員、特に一般市民を殺害する』事。2つ目は『諸条約に基づき、戦闘行為以外での殺人と認められる』事。たったコレだけの条件を満たせばソレは虐殺Slaughter足り得るのです。こんなにも曖昧な定義で扱われるからこそ、感覚的な使われ方をする事が多い単語でもある。

 そしてやや強引な解釈をすれば、集団私刑リンチも虐殺の亜種と言えるでしょうね。アレは特定の集団から『ある条件』を満たした個体を排除する行為です」

 つまるところ、虐殺というものはこちらの想像よりも身近にあるものなのだろうか? 先程の2大条件をより簡略化して考えるのなら『無抵抗な存在を一方的に殺す行為』も虐殺として成り立つ。そして忘れてはならないのが──直接的に、肉体的な死を与えずとも殺人は成立するという現実だ。俗に言う社会的な殺人。村八分といった陰湿な習慣──まぁ、ソレも内情を知れば事だった。ああする他無かった、という具合に解釈され黙認されることもあるだろう。

 しかし、この場合はどの時点で虐殺Slaughterを受け入れてしまうのだろうか。非人道的な行いだと糾弾しておきながら、被害者にも非があり仕方のない行為であったと。そう判断する境界線は何処に横たわっている? この境界線を超えた上で、その行いを非難する側と、肯定する側に別れる要因は何処に潜んでいる?


「……ではそれらを踏まえた上でもうひとう。大量虐殺ジェノサイドとはなんなのか? これは特定の集団を破壊する行為です。虐殺Slaughterが偶発的に生じるものならば、大量虐殺ジェノサイドは誰かが明確な意思を持って、絶滅を目指し打ち立てる計画です。

 ──例えば、集団構成員を殺害すること。集団構成員に対し、重大な肉体/精神的な危害を加えること。全部、または一部に肉体の破壊をもたらす為、意図された生活条件を、集団に対して故意に課すこと。集団内における出生の防止を意図した措置を課すこと。集団の児童を他の集団に強制的に移すこと──こういった行為が認められた時点で、大量虐殺ジェノサイドと認定されます」

 そしてこれらは過去、実際に認められたケースが多数存在していると彼女は悲しげに語った。それらが何処で行われ、どれほどの死傷者を出したのかについては過去、彼女から教わっている。私が憶えているのはこの4つだ。


『◯◯◯◯強制同化政策』──明確な被害者数は不明。判明している範囲では混血を含む10万人の児童が親元から引き離され、故郷から遠く離れた強制収容所に送り込まれたとされる。

『◯◯◯◯◯人虐殺』──19世紀末と20世紀初頭の二度にわたり生じた大規模な虐殺である。被害者数は100万から150万人の間とされていた。

『◯◯◯◯◯・ホロドモール』──当時の政権による計画的な飢餓、または不作為による人災、人工的・人為的な大飢饉。結果として330万人を超える餓死者・犠牲者を出した。

『◯◯◯・ホロコースト』──収容所において実行された強制労働による「◯◯◯人」絶滅計画。占領地に設置された絶滅収容所では銃殺、人体実験、ガス室などの殺害行為が認められた。ただし「○○○人絶滅」が戦前からの計画の目的であったのか、戦争突入後の状況変化によって発生したものなのか。これについては研究者によって意見が分かれている。戦争捕虜、飢餓や強制労働による現地住民の死亡者を含んだ場合の犠牲者数は、900万から1100万人にのぼるとされた。


《※諸事情により個人や国家、特定の民族名を用いずに紹介されたこれらは、歴史上実際に行われた大量虐殺ジェノサイドである。ただし、国家間による認識の相違から論争が続いているケースも存在している事は留意していただきたい》


「──…………法治された集団であれば、法律に則り然るべき罰を与えることでしょう。しかし内乱により戦禍が広がり、国全体が大量虐殺ジェノサイドという地獄の中にあるとしたら? 母集団の大多数が敵を討てと声高に叫ぶ最中、和平の道を唱えられますか? 血で血を洗い、銃声は絶えず、怒号、悲鳴が湧き上がる災禍の中、冷静な判断を下し行動できますか?」

 彼女はこちらを見据えたまま、訴えかけるような姿勢で話を続ける。

「戦時下においては、往々にして思想は先鋭化し視野も狭くなるものです。殺害行為を許せるナニカが蔓延した状態では、命令もなしに一致団結することがある……先程、私は大量虐殺ジェノサイドを『誰かが明確な意思を持って、絶滅を目指し打ち立てる計画』と言いました。

 しかし、近年になってそれは間違いではないのか──そう思うような事件が増えているのです。人類が公式な法令として殺害を命令せずとも、担当する閣僚や特定の官庁が存在せずとも、それは起こり得る事でした。誰かが実行計画を立てずとも、大量虐殺ジェノサイドは発生すると歴史が証明し始めている──!」

 嘆きの色に染まった声で、彼女は静かに吼える。彼女にいかなる事情があるのかは知らない。それを今更知ろうとは思えない。理由はわからないけれど、その過去を識ったら元に戻れない気がする。

「……長い歴史の中で、私達は虐殺Slaughteが単体で働かない機能だと定義するに至りました」

 寸秒の間を挟んだ後、彼女は抑揚の薄い声で続けた。

虐殺Slaughteの機構が発動するのは、種の総体数が一定量を超えた場合です。許容される総体数がどうやって決まるのかは、種によって様々ですが上限は必ず存在しています。

 上限を決める要因として、飲料水や食料といった資源問題は必ず含まれる。そうした場合、同種間での殺し合いに発展することはどの生物にも見られるそうです。中には新天地を求めて分裂することもありますが、箱庭の中ではそれが起き得ない。そして資源は有限だと気付いた瞬間に、同種を殺す事を躊躇わなくなる。

 足りない資源を分け合い、共倒れするよりかはマシであると。そう考えるようになるのです」

 ……なら戦争もそれに当てはまるというのか? 虐殺Slaughteはそういった、ある種の自浄作用とも呼べる行動を取れるようにするためのスイッチであると。同族を殺すという精神的呵責に悩まされ、自殺しないようにするための精神的防衛機構セーフティだとでも言うのか。

「──だというのに、人間は虐殺Slaughteの機構を稼働させているようなのです。分け合う資源も豊富に存在しているのに、何故か同種間で殺し合っている」

 薄氷のように鋭く、冷たい怒りの籠もった声で彼女は続ける。

「私にはその理由がわからない。先人達の知恵とこれまでの経験を以ってしても、虐殺行為に走る理由がわからなかった。虐殺が。大量虐殺を引き起こすメカニズムも理解しています。

 過去に行われた軍事演説、プロパガンダ映画、ホロコーストに対する論文など汎ゆるモノにその痕跡はありましたからね。

 そうやって多くのに触れましたが、理解する事はできても納得ができないのです」


 彼女は悲しみの色濃い表情を見せ、優しく包み込むような手付きで私の手を握る。

「──誰かの言葉で語られる事実では、真に理解することは叶わないのです。大量虐殺を経験した私ですら、貴女にそれを教えることは出来ない。

 大海嘯のように次々と沸き起こる虐殺を、果てのない殺戮を伝える事は出来るかもしれない。けれど貴女にその実態を、言語では伝えられない狂気の奔流を知らせることが出来ないのです」

 私の手を握る力が強まると共に、彼女の声に力強い熱が宿っていく。

「……こればかりは、実際に目の当たりにするしかありません」

 ここに来て、ほんの少しだけ声に迷いが混じった。

「理解し、納得するために──貴女自身の目で見て、耳で聞いて、肌で感じる必要がある」

 その声からは、先程よりも強く迷いを感じる。

「──私達が甘受している平和の礎がなんの上に築かれているのか。それを識る機会というのは稀有なものです。しかし、誰の言葉でも語られていない現実を目にする……この行為は危険なものです。貴女の心が耐えられるという保証は何処にもなく、命の危険すらある」

 後半はもう、殆ど声が震えていた。言葉を追うごとに視線は下がり続け、終いには縋るような姿勢へと変わってしまった。

「──ラズリー。私は怖いのです」

「怖い……?」

 彼女の口から出たのは、全く予想外のものだった。

「貴女を失う事が怖いのです」

 涙混じりの声で、彼女は答え、言葉を続けた。

「私と貴女は、元教師と教え子という関係にあります。ですが10年以上、傍で成長を見守ってきたとなれば情が湧くのも当然でしょう? 私は関わった全ての子供達が幸せに生きてくれれば良いと、常々思っています。ここを出た後であっても頼ってくれるのなら、私に出来得る限りの事をしようとも考えているのです」

 ……どうしてそこまでしてくれるのか? などと言う野暮な質問は浮かばなかった。教会兼孤児院となっているあの場所で、彼女は一人奔走しているのだ。その姿を見て、愛情に触れて育ったから、大人になった私達は彼女の為に出来ることをしている。

 普段は中々口にできないが、親を亡くした私達にとって彼女はもう一人の親なのだ。その事は、恐らく彼女も気付いている事だろう。

「この思いは迷惑かも知れません。私が思い上がった末の妄言かも知れません。ですが、敢えて言わせていただきます……私は貴女達を、自らの子供だと思っています。腹を痛めて産んだ訳でもない、血の繋がりが無いとしても──貴方達を我が子のように愛おしいと、そう思っているのです」

 ──唐突な告白だった。その声は未だ涙に濡れているのに、妙な力強さがある。

「だからこそ迷うのです。貴女がもし、タヴィアの誘いに乗れば現実を識ることが出来る。けれどその身命には不可逆的な傷を負う事でしょう……はっきり言って、これは識らなくても良い事柄でもあります。貴女は戦争や虐殺というものを、自らの世界に持ち込まず生きていたっていいのですから」

 力強さを宿した声の中には、未だ色濃く迷いが残っている。

「それでも貴女が識りたいというのなら私は止めません。先述の通り、コレを識る事が出来る機会は稀有なものです」

 そこには『親として危険なところへ行って欲しくない』という希望と『師としてその機会を逃して欲しくない』という相反する感情があるのだろう。故に彼女はあんなにも複雑な表情を浮かべているのだ。

「貴女はもう、子供ではありません。自身の頭で考えて結論を出して下さい。選ぶも選ばぬも、全ては貴女の自由です……──どうか後悔のない選択を」

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