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 彼女が帰った後、エーギルはしおらしい態度で謝罪を口にしてきた。

「気にしないでください。事情はわかりませんけど、喧嘩するのは仕方ありませんし……」

「……とはいえ、教え子の前で見せるような姿ではなかった筈です。お恥ずかしい」

 こうなると彼女はやや面倒くさいのだ。自虐的というか、ネガティブというか……兎に角話が続かなくなってしまう。普段なら強引に話題を変えたりするのだが、今回の彼女は少々様子が異なった。私の対面に座ると、いつになく真剣な面持ちで話があると言ってきたのだ。

「ラズリー、貴女は本国が築き上げた平和の真相を、成り立ちを識りたいと思いますか?」

 これまた突拍子もない話を持ち出してきたものだ。若干の驚きを隠せずにいると、彼女は話を続ける。

「この牧歌的な日々が、明日も変わらず続いていく。日の出と共に目を覚まし、家畜の世話をして家族で食卓を囲う……そんなありふれた生活が、そこにあるものだと信じて疑わない。戦争や内戦なんてものは、私達の知らない所で起きている怖ろしい出来事だと、多くの人々が思っています。貴女もその一人だった」

 だった、とはどういう意味だろう。そんな疑問が口を付きかけたが、今は口すべきではないような気がしてしまった。

「……ですが思い出して下さい。人類の歴史を、その足跡を。有史以来人間が『平和な生活』を営めたのはたったの年間しかなかった。三千八百年という歴史の中で、たったソレだけの間しか戦争のない期間を築けなかったのです」

 あぁ、そんな話もあった。だからこそ、この平和が続いて欲しいと願っている。歴史から教わった戦場を、悍しい戦禍を蘇らせないように。同種族間で殺し合うという、地獄を再び生み出さないようにと、心の底から強く願っているのだ。そうやって皆が同じ方向を向いているから、この国は戦争を識らないまま存続しているのではないのか?


「──かつて、内戦の絶えない国がありました。その国は数多の地獄を生み出しながらも、どうにかして平和を勝ち取った。他国の力を借りず、自国民の意思で、努力で成し遂げた。そうして自らで文明を興し、争うことを止めた文明人であると証明するために努力した。決して平坦ではない道を進み、自国が安全な国であると証明してみせたのです」

 この話も覚えている。その国の名はグィナヴィアで、つい最近まではその通りだった。取り引きに値する価値はない、使える資源もない──なんて言われながらも、懸命に努力を重ね、価値のあるものを自ら生み出してみせた。美しい自然を取り戻し、安心して観光できる場所であるとも証明してみせたのだ。。


「なのに、その国は再び武器を手にしてしまった。隣人を愛し、慈しむための手に──血の通わない、冷たい鉄の刃を握ってしまった。相手を傷つける為の道具を作り始めてしまった。自ら蘇らせた美しい自然を焼き払い、捨ててはいけないモノを捨てるようになってしまった」

 彼女が言う事は正しかった。今朝方に届いたメールニュースにも、グィナヴィアの惨状が大体的に告知されていたから。

 爆破され倒壊した民家。打ち捨てられた兵士の姿。大破し炎上した車の残骸。死が蔓延する地獄で独り、死んだ母親の横で泣き叫ぶ赤子。そういったモノが此処にはあるぞ、と本国が私達に伝えたのだ。しかし『なぜそうなったのかは誰にも解らない』と言う。美しかったグィナヴィアを地獄へ立ち返らせたのが誰なのか。火種を持ち込んだ理由を、誰にも見つけられずにいる。


 あの写真を見た時、私は胃の中身をその場にぶち撒けていた。それは決して写真がグロテクスだったからじゃない。この切り取られたグロテクスな現実は、その実全く現実味がない事を知っているから。あれは誰の目にも見えるよう、綺麗に脱臭された戦争の一部分でしかないのだ。

 あれには吹き出した血の匂いも。内臓のぶよぶよした触感も。折り重なった死体の腐臭も。現実味を与える何もかもが消されている。鱧から骨を丁寧に取り除くように、本質を損なわずに調整された虚構ゲンジツでしかないから、それが気持ち悪かった。

 それが引き金になったのかは解らないが、この虚構が緋狼人レッド・ヴォルグの臭いを呼び起こしたのである。だから私は朝食を床にぶちまける羽目になった。私の頭に、記憶に染み付いた死の気配がそうさせたのだ。

 

「いつか口にした言葉を覚えていますか?」

「どの言葉、ですか?」

「何故、人間には虐殺という機能モジュールが遺されているのか──初めて戦争というものを教えた日に、貴女が聞いてきたのです」

 ……あぁ、その話だったか。私が初めて戦争というものを学び、そのイメージに触れた日。彼女はある一点を除いて、歴史上の戦争を事細かに教えてくれたのだ。今にして思えば、あれは必要な目隠しマスキングだったのだろう。

 戦争とは、大量虐殺ジェノサイドとは何なのか。その全体像を想起させる為に理由は邪魔なのだ。ましてや相手は子供であり、大人のように理屈と二人三脚で覚える必要がない。ただ──戦争という事象を、虐殺という現象を、事実として記憶してくれさえすればよかったのだから。

「その問いに対して、貴女は『解らない』と答えましたね」

「……ええ、あの時点では知らせる必要が無いと判断しましたので、そうさせて頂きました」

「今も、同じ答えを?」

「いいえ。今の貴方には教えても良い。虐殺がなんの為にあるのかを教え、それを識る機会を与えても良いと思うのです──……いえ、その機会を与えるべきなのでしょうね」

 その姿勢は告解を行う者のようで、なんだか凄くチグハグとしているような気がする。その行為自体は別に誰がどんな服装で行おうと問題はないのだが──ここは世間一般的な家屋であり、主祭壇のようなものもない。私達のような一般人が談笑を交わしたり、食事をしたりする場所だ。神性や聖性を宿している訳では無いありふれた光景。そんな場所で修道女Sistarが告解じみた行為をしているのだから、この違和感はあって然るべきものなのだろう。

「そもそも虐殺Slaughterとはなにか。そこから話を始めましょうか──」


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