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 翌朝。彼女に礼を伝えてから家に戻ると、玄関を開けた途端兄に抱きしめられた。

「……ごめんね、兄さん。心配かけちゃって」

「頼むからあまり心配させてくれるな」

 兄の背を擦りながら、私達は暫しの間だけ抱き合っていた。

 そこからはいつも通りの日常だ。私は家事全般を済ませてから、干草をまとめ山羊小屋の清掃を行う。そのついでに山羊たちの様子を確認したり、ちょっと遊んであげたり。四頭の山羊達は相変わらず元気そうで安心した。

 兄は午後から仕事らしく、それまでは仮眠を取ることにしているらしい。なんでも昨日の夜から私の帰りを待っていたらしく、心配で眠れなかったとのことだった。


 昼食を済ませ兄を見送ってから暫くして──

「ラズリー。いらっしゃいますか?」

 自宅の居間で読書に耽っていると声がかかった。声からしてエーギルなのだろうが、なにかあったのだろうか? もしかして昨晩、忘れ物をしてしまったのだろうか。

「お待たせしました」

 そんな事を考えつつドアを開けると、そこには予想通り彼女が居て──その傍らに見知らぬ女性が立っている。

 淡い銀髪をギブソンタックにまとめ上げ、レンズの小さな中華風サングラスをかけた女性は自らを『タヴィア』と名乗り微笑んだ。人好きのする笑顔なのだが、右肩のはだけた中華服を着ているなど、見慣れない格好のせいもあってか、何とも言えぬ胡散臭さを覚えてしまう。その矢先に『という事で、よろしく』といった感じで手をヒラヒラと振られてしまい、反応に困っているとエーギルが助け舟を出してくれた。

「──彼女は私の知人ですよ。貴女が聴こえる人だと伝えたら、是非会いたいと言われまして」

「まぁそういう訳だから、一つよろしく頼むよぉ」

 ニコニコと人好きのする笑顔を見せながら、彼女が右手を差し出して来る。その手を握り返した際に思ったのだが……彼女もエーギルと同様に、シミ一つ無いキメ細やかな肌をしていた。そしてこの妙に間延びした語尾は、一体何処の訛りだろうか?


 玄関先での立ち話も申し訳ないので、二人を室内に招き入れると色々な話を聞かされることとなった。

 まずタヴィアついてだが──彼女は星見の一族でありながら、高い医療技術と知識を持ち合わせているとの事。今でこそ本国の治療院に身を置き、それなりに高い地位を与えられているが、やる事は新米の頃と変わらないらしい。先日発表された遺跡の大規模調査にも現地医療スタッフとして同行し、様々な事を経験してきたそうだ。

 また、そこではサレニも居たという事で、彼女についての話も幾つか聞くことができた。相変わらず自己犠牲の精神は強いようで、他人への施しやらなにやらでお財布事情はカツカツとの事。それ故か、現地の拠点では一番安い麺類ばかり頼んでいたらしく、医療スタッフの彼女としては見ていて心配だったそうだ。


 そうして楽しく談笑していると、タヴィアが何かを思い出したような仕草を見せ、一枚の書類を懐から取り出してみせた。

「臨時契約書……? 一体何ですか、これ」

 手渡されたそれには細かい文字がびっしりと詰まっており、一番下には署名欄がついている。契約内容については『現地調査における作業の補助を主業務とする』としか書かれていない。給与や待遇については簡潔に纏まっていてるのに免責事項やらは事細かに書かれている。正直不安を覚えるものばかりだ。

「まぁ早い話が君をスカウトしに来たって訳さぁ。本国の同僚はちょっと扱いが難しいし、何より土地勘もないからねぇ……何かと不便でしかたないんだよぅ」

 わかってくれるかい? とでも言いたげな視線を投げかけてくる彼女だが、どうにも仕草が露骨というか、大袈裟だと感じてしまう。あまり思いたくはないが、少し苦手なタイプかもしれない。

「けど何故私を? 自分でいうのもアレなんですが、何の資格もありませんよ」

「そんな事はわかってるよぉ。けれど君は彼女の教え子なんだろぅ?」

「まぁ、そう……ですけど」

 相変わらずの語尾だが、その目つきは変わっていた。先程まで感じていた軽薄さが無くなり、見定めるような鋭い物になっている。

「──そして君はある一点において、とても優秀だと彼女からのお墨付きを貰っているからねぇ。是非同行してもらいたいんだよぅ」

 彼女が隣に座るエーギルを一瞥したということは、恐らくそういう事なのだろう。ただそれはそれで疑問が残る。医療従事者である彼女の業務に、なぜその能力が必要なのだろう?

「タヴィアさん。この現地調査っていうのは、何を行うんですか? 何かを採取したりする感じでしょうか」

「痕跡の確認、及び現状の調査──場所はグィナヴィアさぁ」

「グィナヴィアですか? なぜあんな場所に……」

 示されたのは、内戦真っ只中とされるグィナヴィアだった。そんな場所で彼女はなんの痕跡を探し、調査するというのだろう。

「火種が何処にあったのか──それを調べなくちゃあいけなくてねぇ。とある声を聴き取れる人が居ないと、とても困るんだよぅ」

「──誰の声を聴かせようというのです、タヴィア」

 そっと私の手を取ろうとした彼女をエーギルが諌めた。その声からは、静かな怒りがひしひしと伝わってくる。

「エーギルもそんな怖い顔をしないでおくれよぅ。別に死者の声を聴かせようって訳じゃないんだしさぁ」

 コレに対し彼女は、手をヒラヒラとさせながらカラカラと笑ってみせた。煽っているようにも見えなくはないが、その目つきだけは真剣そのものである。それを知ってか、エーギルも声を荒げる様な事はしなかった。

「……ではなぜこの子を? 貴女は始め蓄声機のデータ検証の為に必要だと仰っていたではありませんか」

「それもあるんだけど、やっぱ現場で直接聞いて欲しいって上から指示されてしまってなぁ」

 それについては彼女も本意ではないらしく、可能な限り交渉を重ねたらしい。しかしそれでも決定は揺るがず、少人数での調査を命じられてしまったとの事。加えて特定の人物から話を聞いて欲しいという、無茶な要望も付け加えられているらしい。

「正直クソ喰らえだとは思うけどさぁ──コレについては私達がやらなきゃいけないんだよぅ。ソレはエーギルもよねぇ?」

「──貴女、よくもそんな事を……!」

 エーギルが立ち上がり、彼女を睨みつけた瞬間──彼女の雰囲気もまた、変わっていた。

「解ってるんだろ、深淵狗HoundAbyssってことくらい」

 そこに先程まで軽薄さは微塵もない。彼女は座ったまま、臆することなく睨み返している。その膠着状態は暫く続き、最終的にはエーギルが折れた。諦めなのかは判らないが、一つため息を漏らした後に席へと着く。


「エーギル。本当はキミを連れて行きたいところだが……生憎と私達には首輪がない。それに加えて、キミが愛する飼主ハンドラーも行方知れずのままだ」

 彼女は口を噤んだまま、微動だにしない。ただまっすぐにタヴィアを睨みつけている。そこにあるのは単なる怒り、というわけではなさそうだ。

「そして君は今、人を導き育てる為に袖を通し、与えられた役割を演じるている。事実、キミは多くの成果を生み出してきた……上もそれは理解しているから、国外へ連れ出すことを認めないだろう」

 それを受け止めながら、彼女は淡々と言葉を続けていく。

「キミも私も、様々な役割を背負い過ぎた。それ故に動けない、助けられない。それは本当に心苦しい事だ。しかし私達が今の役割を放棄してしまえば、その皺寄せは何処かに生じる。生まれた皺が何を意味し、どんな事件を引き起こすのか解らない以上、私達はその役割を全うする他ないのだよ」

 感傷の籠もった声で言い終えると、彼女は私へと視線を向けてきた。その目には後悔と謝罪の念が混在しているようにも見える。

「エーギルも私も、こんな未来を望んでいた訳ではなかったのさ。この国を──世界を平和にしたかった。これだけは紛れもない本心だよ」

 そう言って彼女は立ち上がり「近いうちにまた尋ねる」と言い残し、書類と名刺を置いて帰路に着いてしまった。


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