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「──……うん?」

 どうやら眠っていたらしい。そして持ち込んだ覚えのない毛布がかけられていた。

「目が覚めましたか?」

 いつの間に来ていたのか、エーギルが隣に座っている。この毛布も、いつかの日のように彼女がかけてくれたのだろう。ヒヤリとした空気を肌で感じつつ、その優しさに懐しさを覚えた。

「それで、どうですか。心は落ち着きましたか」

「ええ、お陰様で────」、そう続けようとして止めた。此方を見る彼女の視線が、何を見ているのか……なんとなく、わかってしまったから。

「──実を言うと、あまり変わっていません。こんな事を思うのは間違っているし、とても失礼な事だとわかっています。けれど、このまま胸に抱え続けるのは耐えられない」

 彼女は真っ直ぐ、私の目を見て次の言葉を待っている。

「エーギルさん。貴女は一体、何者なのですか?」

 震えそうな声を抑え、彼女に真っ直ぐ向き合い疑念をぶつけた。

「私は私ですよ」と言って目を細め、柔らかな含み笑いを見せた後、

「──なんて答えを貴女は望んでいない。そうでしょう?」

 その言葉に対し「はい」と答える私の声はか細く震えていた。正直、視線を外さずに答えられただけでも褒めてやりたい。含み笑いの後に見せた顔は、人形のように無機質で、底の見えない物だったから。

「ではお聞きいたします、ラズリー。貴女は私を何だと思っているのですか? 私に疑念を抱く理由を教えてください」

 伸ばされた右手が、そっと私の頬へと添えられる。女体特有のハリと軟らかさが残る手は、ゾッとするような冷たさを孕んでいた。外気によって冷えたとか、そう言うレベルではない。まるではじめからというものを欠いているのではないか、と直感的に想像してしまうレベルだ。

「──Αγελαία εμφάνιση老いを感じさせない容姿? Leichnam死体のような冷たさ? Suora Cattolica修道女らしからぬGedanken思想や姿勢?」

 小首をかしげながら、あの時のウタよりも多くの言語を交えて、言葉のカクテルをかけてくる。鈴の音を思わせる声で優しく、聞き取りやすい声量Volumeで。

「貴女はこの言語が怖ろしいのでしょう? 聞いたことが無いのに、識らないはずの言語なのに、──そんな事があって良いのか? 何故そんな事が起こるのかわからない。その原理がわからない。なのに結果が、現実がそこにあると貴女は理解している」

 彼女の左手が、反対側の頬にあてられた。こちらはほんのりと暖かく、人の温もりを宿している。けれど右手は変わらずの冷たさで、私の体温をじわりじわりと奪い続けていた。

「だからこそ伝えましょう。この声を聞いた貴女には教えましょう」

 慣れ親しんだ、月光を思わせる美麗な笑みで彼女が微笑む。それはとてもヒトらしい微笑みで、今まで見てきた中で最も美しく優しいものであった。とても自然で、人間らしさを孕んでいる。


「────私は『始まりの話者Anfang Sprecher』と呼ばれる者達の末裔です」


 始まりの話者──そんなモノは聞いたことがなかった。けれども何故か、その言葉はしっくりときたのだ。修道女としては異質で、どこか詩的な物言いをする彼女に『始まりの話者Anfang Sprecher』という呼称はピタリとハマるような気がしたのだ。

「私達の祖先が何時、何処で生まれたのかは不明です」

 頬に触れていた手がするりと離れていく。彼女は笑みを携えたまま立ち上がると主祭壇へ向かい、六叉の燭台に火を灯し始めた。六つの蠟燭に灯された火は不規則に揺らめきながら、独特な香りを漂わせる。

「私達の祖先はいつからか、音に意味を見出すようになった。始まりは動物の鳴き声──低く唸るような声からは威嚇の意味を見出し、耳をつんざくような甲高い声からは悲鳴を、短く鋭い声には警告を、暗く沈んだ声からは悲哀の意味を。

 そうして鳴き声という音が想起させる感情を記録し、数百年と分析し続けた。そうして築き上げた成果を元にして、祖先は私達の声帯に最適化された鳴き声言語を作り上げました。それが一体幾つあるのかは判りませんが、星見の観測機曰くそう多くはないとのことです」

 主祭壇に捧げられた珊瑚桃コーラルピーチを一つ手にとり、硬い外皮を造作もなく剥いていく。剥き終えたソレを器用に二分すると、片方を投げて寄越してきた。

「外皮を剥いたとて、それが珊瑚桃コーラルピーチであるという事に変わりない。本質を指す言葉──ソレがそれであると言う事を伝える音さえ失っていなければ、それは言語として機能します。私達が扱うのはそういった音声であり、ソレを伝える為の文字は存在していません。存在していないというより、作り出せなかったという方が正しいかも知れませんね」

 文字もなしに受け継いで来た。私にはそれが少し引っかかる。言語と言うものを正確に伝えることは難しい。同じ文字列の言語を発音したとしても、個体や地域によって絶妙なイントネーションの違いを生じる事は多々ある。これについて質問を投げかけると、彼女は嬉しそうに答えてくれた。

「それは尤もな疑問ですが、大した問題ではありません。寧ろそういった個体や地域による、同一言語圏における言語の差異に気付くことが出来るかどうか。ソレを私達は重要視しています。

 私達は源語とも呼べる『始まりAnfang言葉Sprache』を保有していますが、そのまま使用することはありません。何故だかわかりますか?」

「相手がそれを知らないから、ですか」

「いいえ? 『始まりAnfang言葉Sprache』は耳聡い者であればある程度は通じてしまいます。貴女が初めて私達の『始まりAnfang言葉Sprache』を耳にした時と同じ様に。理屈はわからないけれど、相手が何を言おうとしているのか解ってしまう──そんな現象が起きてしまうのですよ」

 あぁ……なるほど、そういう事か。いきなりアレを経験したとなれば強い恐怖を覚えるに違いない。そうなってしまえば彼女達『始まりの話者Anfang Sprecher』にとっては都合が悪いのだろう。

 言語の壁というのは、私達が思う以上に重要なものである。異民族間においてソレは、円滑なコミュニケーションを阻害する要因足り得るものだ。しかし、それがあるからこそ生まれない争いもあると彼女は昔教えてくれた。

 その中の一つとして、非合理極まりない行為ではあるものの、ボディランゲージを用いて両者間の言語の壁を超えるというものがある。この行為には『互いに協力的な姿勢を見せる』という意味合いを多分に含む為、仲間意識のようなモノが芽生えやすいという。

「──そういう事です」というと、私の表情から察したのか彼女は『よく出来ました』といわんばかりの表情で微笑んでくる。

「だから私達は『始まりAnfang言葉Sprache』を使わず、あえて。そうして相手の言語体系を模倣しつつ、自身の持つ『始まりAnfang言葉Sprache』を最適化チューニングしていく」

 彼女がいう最適化チューニングというのは、言語のスキマを狙うようなものらしい。相手の言語を完璧に模倣するのではなく、敢えて崩しつつ曖昧なカタチに馴染ませていく作業なのだと。そうして時間をかけつつ、ゆっくりと自分自身をその集団へと馴染ませながら、自身の持つ源語の種を撒いていくらしい。

 どうして源語の種を撒いて行くのかについては、彼女もよくわからないそうだ。なので彼女は、一度たりとも源語の種を撒かずに来たと言う。だがもしも──もしも源語を聴き取れる者が居ればその種を預けようとしていたらしい。

「とは言え、無理に押し付けるような真似は致しません。そもそも『始まりAnfang言葉Sprache』に触れて正気を保てる人が少ないもので……」

 クスクスと忍び笑いを漏らしているが、サラリととんでもない事を言うものだ。今までとは異なる怖気を感じつつ、珊瑚桃コーラルピーチを口にする。口にした瞬間、少しトロみのある食感を残しつつ独特な甘さが広がっていく。

「そして私達が模倣をするのは、言語のみではありません。対象とした集団の文化や歴史、宗教的価値観などを踏まえた上で──親しみやすく、世間一般的な善人像を模倣いたします」

 そう締め括ろうとした刹那、何かを思い出したような仕草を見せ話を続けた。

 「……あと、勘違いしては欲しくないのですが──修道女Sistarとしての姿は私の理想像であり、故郷では叶わなかった夢のようなものです。教えを説いてくれた者はありませんが、私なりに努力したんですよ。貞淑で敬虔な乙女として、私の理想像に恥じないように……ね?」

 気恥ずかしそうに笑いながら「尤も、私は感情の抑制が下手なので時折やらかしてしまうのですが」とも付け足してきた。そう言って笑う彼女はとても人間臭くて、どこか幼さを感じさせるものだった。


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