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「くぅ……! 今年のはデカイなぁ」

 結局私は欲望に負けて、ルヴリグの麓へと来てしまった。恐らく私だけが知るこの秘密のスポットは、例年通りの──いや、例年以上の実りを見せていたのだ。

 そして思った通り、青果店に流通しているものよりも色艶がよく、手に取るとズシリとした重みを感じられる。珊瑚コーラルのようにザラザラとした硬めの外皮は濃い桜色で、特徴的な甘みの残る香りはしっかりと感じられた。もしもこれを収穫して市場へ流したら、かなりの高値が付くはずだ。ここ数年で一番の出来かもしれない。

 だがそうしたら最後、私は兄にこってりと絞られるに違いない。そんな未来は願い下げなのだが──これを諦めろというのも酷な話である。


「──……、──……──……!」

 背後から聞こえた音に、私は心臓を握り潰されたかのような感覚を覚えた。咄嗟に近くの茂みへと身を隠したが、心臓は暴れ狂ったまま。それこそ周囲に聞こえてしまうのではないか、というくらいには煩い。

 ──そうして身を隠したまま、どれ程の時間が経っただろうか? あれ以降、人為的な音は一切聞こえてこない。何処かへ行ってくれたのならそれはそれで良いのだけれど、もし待ち伏せなんてされていたら最悪だ。しかし何時までもここに潜むわけにも行かない。いくら麓とは言え、暗くなれば相応の危険を孕む。それに遅くなり過ぎるとまた兄から説教されてしまう。


「……………え? 嘘でしょ──!?」

 意を決して茂みから離れると、少し離れた場所に子供が倒れていた。気を失っているのか、うつ伏せになったまま動く気配もない。

「脈は──ある。呼吸も止まってない……けど、これは……!」

 衣服はボロボロで、所々に大きく切り裂かれた場所がある。骨や腱といったものは見えていないが、相当に深い傷だ。早急に手当をしなければ、近いうちに命を落としてしまうだろう。

「痛いだろうけど、ごめんね」

 スカートの裾を引き千切り、大きな傷口の圧迫止血を行う。しかしこんなものは気休めに過ぎない。その他の出血部位も可能な限り強く縛り付けてから、子供を背負って教会へと急いだ。

 本来なら治療院を目指すべきなのだが、この時間では閉まっている可能性が高い。それにここからでは遠過ぎる。馬でもあれば充分に間に合うのだが、そんなモノは望むべくもない。


 ──そうして走る事二十分。教会の正門は閉ざされており、近くに人がいる気配もない。後で叱られるだろうが、仕方ない──

「……──すみませーーん!! 誰か、居ませんか!!!!」

 あらん限りの声で叫ぶと、数分も経たず門が開かれた。出迎えに現れたエーギルの表情は予想通りだったが──

「ラズリー、こんな時間に──?! ……直ちに療養室へ!」

 一目で状況を察したのか、すぐさま彼女の表情が変わる。

「ありがとうございます!」

「いいから早く!」

 入室と同時に彼女は処置を始めていく。となれば私が補助役として動くのは必然だ。もとより何もせずにおまかせするつもりはなかったのだが──彼女の手際が良過ぎて役に立てている気がしない。現に「手を止めないで、そこの鉗子かんしを早く!」などと叱咤される始末だ。過去に手解きを受けた時にも思っていたけど、本当に彼女は何者なのだろうか?


「──……それで私の所へ来た、ということですか」

「ごめんなさい……」

 子供の手当を終えた後、少しの休憩を挟んでから治療室にて事の経緯を包み隠さず話すと──正門での大声を含め、決して短くはない小言を頂く羽目になった。自身の行いを鑑みれば当然なのだろうけど、この正座という姿勢がかなりキツイ。

「まだいくつか言いたい事はありますが、一先ずはここまでに致しましょう」

 誰が見てもとわかる程の溜息を漏らすと、ようやく正座を崩して良いと許可が出た。

「──゛ん゛い゛ッ!?」

「ゆっくりと動きなさい。そうすれば少しはマシになります」

 そういう事は早めに教えて欲しいものである。普段とらない姿勢により痺れきった足では、座り直すことは疎か立つことすらままならなくなっていた。結果として、痺れが抜け切るまで四つ這いの姿勢で過ごす事を余儀なくされたのである。


「それはそうとラズリー、貴女が見つけた子供──あれはどうも難民のようです」

「え、ピナの住人ではなかったんですか?」

 どうにか動けるようになった矢先、彼女の口から衝撃の事実が告げられた。なんでも上着の内ポケットにパスポートが入っていたというのだ。それの証明写真も子供のモノで間違いないらしい。

「これによるとあの子供は『パロ・パ・トトル』という名前のようです」

「それ以外にわかることって無いんですか?」

「あまり多くはありませんね。記載されていたのは発行国のコード、姓、名、性別、国籍、生年月日、発行年月日、有効期間満了の年月日といった基本的かつ必要最低限なものだけです。クィラムやフィーヴルのように、身分や婚姻の有無といったモノはありませんね」

 手渡されたパスポートは一般的なソレと大差ない外観だが、記載された内容は味気ないものだ。デザインもシンプルで、見やすさ重視という印象を受ける。

「この子、グィナヴィア国籍だ……」

 国籍を確認した瞬間、背筋に冷たい物が走った。

「それがどうかしましたか?」

「あそこは今内戦の真っ只中なんですよ! だとしたら、この子は──」

「────静かに、落ち着いて下さいラズリー」

 彼女は凪いだ声音で、人指し指をこちらの上唇にそっと乗せてくる。その視線は私ではなく、後ろで眠る子供へと向けられていた。

「その件については私も把握しています。あの国では実際に内戦が起きている。そして貴女が今から何をしようとしているのかも、概ね予想がついている」

「なら、早く──」

「──そのような格好では貴女が怪我をしかねません。圧迫止血の為に自らの衣類を使う……その献身は称賛いたしますが、下着パンツを露出させたままというのは、褒められた物ではありません」

 彼女は呆れ果てた様子で視線を私に戻すと、近くにあったシーツを手渡してくる。着替えを用意する間、これを腰から巻いておけということらしい。


 そうして待つこと数分。山間部でも動きやすい格好に着替えた彼女が、厚手の上着とズボンを手渡してきた。

「貴女は着替え終えたら、備品庫から夜間探査用の道具を見繕ってください」

 そう言うや否や、再び彼女は部屋を後にする。退室する前に、子供の様子を見てみたが目を覚ます様子はない。呼吸や脈拍は問題無さそうだが、一人残すというのも心配だ。

「? どうぞ」

 誰かに声をかけておこうかと思った矢先、三度扉をノックされた。入室してきたのは一人の少女──カスパーだ。

「こんばんは、ラズリーさん。その子供の面倒は私が見ますので、貴女は正門へお急ぎ下さい」

「ありがとうカスパー。その子の事、宜しくね」

 彼女であれば大丈夫だろう。看護師を目指し、日々研鑽を積んでいるのは私も知っている。急ぎ備品庫へ向かい、諸々の準備を済ませてから正門へと向かう。そこには既に準備を済ませたエーギルが立ち、傍らには二頭の馬がいた。

「発見場所は覚えていますね?」

「はい!」

「では貴女が先導して下さい」

 馬へ跨りそのポイントへと急ぐ。既に日も落ちた中、決して充分とは言えないランタンの灯りを頼りに進むのは危険だ。土地勘があってもそれは変わらない。速度を維持しつつ、慎重に進んでいくと前方に一つの灯りが見えた。

「そこの二人、止まりなさい!」

 此方が灯りを視認した次の瞬間、強い口調の警告が飛んでくる。足を止めた下馬した直後、見慣れない制服に身を包んだ一人の男性が向かってきた。

「──貴女でしたか、エーギルさん。お久しぶりです」

「お久しぶりです、ヴィラヴィス。貴方なら来てくれると信じていましたよ」

「貴女の頼みであれば応えない訳にはいきません。して、件の場所はどちらに?」

「それについてはラズリーが案内いたしますので、急ぎましょう」

 再度馬へ跨り件の場所へ向かう途中、濃い珊瑚桃コーラル・ピーチの甘い匂いが漂ってきた。だがそれには微かな獣臭さが混じっている。それは嗅ぎ慣れた家畜の臭いとは異なる臭い。野生の中で生きる純然たる獣の臭いだった。

 その臭いが緊張感を一気に強める。この頼りない光源は私達の視界であると同時に、その存在を知らしめるモノでもある。多くの獣は火を恐れ、遠巻きに様子を窺うだけだが──何事にも例外がある事を忘れてはいけない。極稀に生まれる人食いの獣マン・イーターが、その最たる例だろう。

 遠くで獣の遠吠えが聞こえた。しかしその影は見えない。射るような無数の視線は感じるのに、どれ一つとしてその姿は捉えられないのだ。聞こえるのは私達の息遣いと馬が地面を蹴る音だけ。姿のない追跡者達の視線は、つかず離れずの距離を保ったまま私達を正確に捉えている。

 ……狙われ続ける事が、これ程恐ろしいものだとは思わなかった。






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