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「ねぇ兄さん、どうして身元不明のまま報じられたのかな?」

「多分んだろうさ。仲間内から聞いた話だが、遺体は酷い有り様でな。首はなく腸もない。加えて個人を特定する個体情報識別帯バイオメトリクスタグすら無いんじゃあ、そうする他ないだろう」

 そう語る兄の声は疲れ切っており、若干の苛立ちが混ざっていた。そんな兄の言う個体情報識別帯バイオメトリクスタグ──通称B.M.Tは身体の何処かに埋め込まれるナノチップだ。本国とその自治区、及び同盟国の住人は産まれてから一週間以内に、身体の何処かへコレを埋め込まれる。

 これは個々人の生体情報を絶えず記録する代物で、身分証としても扱われているのだ。加えてかなり高性能なモノらしく、オルヴィエート研究機関にしか製造出来ないという。

「……あと被害者の映像データも見たが、これじゃあ個人を特定するのは無理だ」

「そんなに酷いの?」

 兄は目頭を摘み、忌々し気な溜息を漏らす。そして寸秒の間を挟んでから「見てみるか?」と聞いてきた。正直気にはなるけれど、私自身がそういったモノに耐性がないことは自覚している。

「悪い。変なことを聞いた」

 兄はバツの悪そうな表情を見せた後、静かにパソコンの画面を落とし私の方へと向き直った。

「あ、ううん。気にしないで……それより兄さん、なんであの人達は禁域に行ったんだろう?」

「さぁな……緋狼人レッド・ヴォルグの事を知らない様な奴は居ないだろうし、皆目検討もつかないよ。せめてB.M.Tさえあれば、薬物による異常行動かどうかくらいは判るんだが」

「怖い事言わないでよ兄さん」

「ってもなぁ……素面シラフ緋狼人レッド・ヴォルグの生息域へ行けるか、普通?」

「無理、絶対に無理」

 そんな自殺行為を誰が選ぶというのか。死んでから食い荒らされるのならまだしも、生きている間に食い殺されるなんて絶対に嫌だ。人として生まれたのだから、私は人として死にたい。


「──……けどなラズリー、国によっては、というか人によっては緋狼人レッド・ヴォルグを神聖視している。そういった価値観の奴らからすれば、緋狼人レッド・ヴォルグに食われる事が名誉になったりするんだ」

 兄はやや呆れ気味にそう語り、タバコを手にするとベランダへと出た。その後を追って外に出ると、ヒヤリとした空気が頬を撫でる。それに乗った何とも言えない、タバコ特有の香りが鼻腔をくすぐってきた。臭い筈なのに、なんだか嫌いになれないのは何故だろう。これも兄の情報の一つとして認識しているからだろうか。

「……あとあれだ、サレニ姉が言ってたのを覚えてるか? 誉れのために自身の命を差し出せるのは、精神が成熟した証でもあるって話」

 勿論その話も覚えている。ソレはたしか『自己主導型知性』という段階に見られる行動の筈だ。あの段階では、自分自身を超えた『本当に大切なもの』に従い行動する。そんな世界観を持つようになると彼女は教えてくれた。

 しかし自分自身を超えた本当に大切なもの、とはどの様にして見つけるものなのだろう? 今のところ私は、自分自身が一番大切だと考えている。しかしなにを以て自分自身か? などと問われてしまうと私は答えられない。

「──まぁ一先ずその話は置いておこう。今回の件は十中八九ヤツの仕業だろうけど、万が一の事もある。ルヴリグには極力近寄らないようにしてくれ、ラズリー」

「あ、うん……そうだよね。極力近寄らないようにするよ」

 そろそろ珊瑚桃コーラルピーチが収穫出来る時期だったけれど、こればかりは仕方ない。いくら山の麓で収穫出来るとは言え、現場からはそう離れていないのだ。

 アレは基本的に禁域から出ないとされている。とはいえそれは今までそうだったと言うだけの事。アレが絶対に赤水川を越えて来ないという保証はどこにもないのだ。

「……珊瑚桃コーラルピーチは買ってきてやるから。絶対に行くなよ?」

「はーい……」

 どうやらこちらの魂胆はバレていたらしい。去り際に刺された釘には、これでもかという程の呆れが込められていた。

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