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 全ての約束事を終えた後、私はエーギルの私室へと招かれていた。この部屋は唯一窓から海が望める場所にあり、開け放たれた窓からは心地よい潮風と波の音が聞こえてくる。

「今日はありがとうございました。あの子達の遊び相手は疲れたでしょう?」

「正直言ってかなり疲れました。元気が有り余ってるどころの話じゃないですね、あれ」

 育ち盛りの子供の体力を舐めていた訳では無いが、これ程消耗するとも思っていなかった。子供はよくもまぁあれだけ元気が続くものだと、改めて思う。

 ……それを彼女は毎日、一人で相手にしているのだから本当に凄い。

「慣れてしまえばどうということはありませんよ。それに教え子達が成長する姿を間近で感じられるのですから、これ程やり甲斐のある仕事も他にないでしょう」

 ねぎらいの言葉と共に差し出されたティーカップを受け取り、礼を述べてから口にする。ほんのりと柑橘系の香りがするそれは、彼女が独自にブレンドした紅茶らしい。


「そうだ、エーギルさん。私一つ気になってた事があるんです」

「何でしょうか?」

「この間ルヴリグ山へ行ったんですけど、その時に変なモノをみつけたんです」

 これを見つけたのは一週間ほど前である。クィラムとの境界線へ続く赤水川の近くに落ちていたものだ。羊の革を使った小物袋なのだが、その中には獣避けの香草と思しき物が敷き詰められており、いくつかの小瓶が入っていた。

「──この香草、ピナには自生しないモノですね」

 ソレを手にした彼女は、単眼鏡モノクルをかけたまま断言する。曰く、この香草はピナのような温暖な気候に適していないとの事。自生に適しているのは、隣国のクィラムやフィーヴルといった亜寒帯エリアになるらしい。

「じゃあこの持ち主はクィラムか、フィーヴルの住人って言うことになるの?」

「断言は出来ませんが、その可能性は十分にあるでしょうね」

 話をしている間も彼女は小瓶の中身を調べていた。試験紙を浸してみたり、小さな試験管に移してから手で扇ぎつつ嗅いでみたり。その中で感じた事を箇条書きでメモしていく。

 書き出されたソレらを一瞥してみたけど、一つとして読み取れるものはない。共用語で綴られる単語にはどれ一つとして馴染みがなく、何を意味しているのかすら不明だった。

「ですがラズリー、彼らが境界線を越える理由がありません。本国相手であればまだしも、このピナに略奪する価値のあるものはないでしょう」

 彼女の言う通りだ。農産物は一般的に流通している品種しかないし、貴重な鉱石が出るわけでもない。飼育されている家畜だってどの隣国でも見ることが出来る。

「それにこの香草──クルパは、主に料理に使われるようなモノです。素材の臭みを消すために用いるそうですが、他国ではそれ程珍しいものでもありません」

 手渡されたソレに鼻を近づけてみると、キリッとした甘い匂いをほんのりと感じることが出来た。

「──この香草を多用しているのは、フィーヴルとクィラムです。特にフィーヴルでは、川魚の香草焼きに多用していますね。この袋を拾った場所がどの当たりか、覚えていますか?」

 そう言って彼女は、本国を中心に描いた周辺地図を広げる。本国──ラピ・ルーバス──の北西は唯一海に面しているエリアだ。そして六つの中規模自治区は海を避け、本国を囲う区画壁に沿う形で存在している。

 簡単に言ってしまえば、てっぺんの欠けたドーナツのような地理をしているのだ。中央の穴が本国であり、ソレを囲う形で自治区があり、外周をルヴリグ山脈で固められている。

「見つけたのはたしか……ここら辺です」

 北北東にある中規模自治区──ピナ。そこからやや南へ下った先のエリアで件の小袋を見つけた。とは言え、ピンポイントで指し示せている訳では無い。いくら行き慣れているとは言え、この規模の縮尺では大まかなアタリを付けるので精一杯だ。

 彼女は私が指し示した場所へピンを打ち、それを起点にしてクィラムとフィーヴルへ線を結ぶ。

「ふむ……クィラムとフィーヴルの中間地点に当たるような場所ですね。ラズリー、その小袋以外に気になるものはありませんでしたか?」

「……あります。比較的新しい山牛ヴォヴィーノの残骸がありました」

山牛ヴォヴィーノですか?」

「私もおかしいな、とは思ったんです。あの辺りで山牛ヴォヴィーノを見たことなんて一度もありませんから」

「私も聞いたことがありません。山牛ヴォヴィーノはそもそもグィナヴィア方面に生息する獣です。群れから逸れたとしても、これ程離れた場所へ来るでしょうか?」

 彼女の疑問は最もだ。グィナヴィアはここから正反対のエリアで、交易もあまり盛んではない。それに加え、近隣で山牛ヴォヴィーノを飼育している人もいないのだ。なので家畜が逃げ出して、山の獣に襲われたとも考え難い。

「……だとすると、誰かが連れてきたと言う事になりますよね」

「しかし連れて来る理由がありません。アレは食用獣として認知されていますが、輸入する事はまずありえないのです。本国を含めた全ての国家間で、未処理の食肉が輸入禁止となっているのは貴女も知っているでしょう」

 これは余談になるけれど、衛生上の理由から生鮮食品の輸入は殆ど禁止されている。野菜等であればある程度は認められているが、生きた家畜等は厳格に取り締まられているのだ。

「では密輸入の為に?」

「……だとすれば、あまりにも計画性がありません。鈍足の山牛ヴォヴィーノを連れて、緋狼人レッド・ヴォルグの縄張りを抜けるなど自殺行為に等しい。それにそんなモノを持ち込んだとしても、誰が購入するのですか? 未登録かつ未処理の獣を食したい、なんて方がいるとは思えませんよ」

 用途は何であれ、生きたままの獣を密輸入したとなればそれ相応の処罰が下される。場合によっては十年以上の禁固刑もあるだろう。これは未知の病原体や、既存病原体の変異、生態系への影響を考慮しての事らしい。

「あと一つ確認しておきたいのですが、その残骸はどの様な状態でしたか?」

「首がへし折られていましたよ。腸は幾らか残っていましたけど、殆どはなくなっていました。あとは右後脚がなくなっていましたね」

「…………緋狼人レッド・ヴォルグの食べ跡、ということですか?」

「そんな気がします。人間に山牛ヴォヴィーノの首を折る程の膂力りょりょくがあるとは思えませんし」

 事実、生物の首をへし折るのはかなり難しい。死骸の首を刎ねるのならまだしも、生きた生物の首をへし折るのは無理だ。それに山牛ヴォヴィーノの体高は平均一メートル前後もあり、首の周径は人間の胴回りを軽く越える。そんなモノを人の手で折れるのなら、是非やり方を教わりたいものである。

「……まぁ、そう考えるのが妥当でしょう」

 ここに来て、始めて彼女の手が止まった。単眼鏡モノクルを外し、使用した機材を手早く片付けると対面に座るよう促される。


「──この小瓶の中身がなんなのか、大凡のアタリがつきましたよ」

「それで、中身は何だったのですか?」

 あの短時間でよくアタリをつけられるものだ。本人は一介の修道女シスターでしかないと言うが、これ程学に明るい修道女シスターが居るものだろうか? あくまでも個人的な見解だが、修道女シスターに異国の言語や動植物の植生、簡単な外科的処置といった知識が求められるとは到底思えない。

「この中身はある種の麻酔薬──ですが、これ単体ではあまり意味のない代物です。傷口へ直接塗布すれば、痛みが多少マシになる程度の効能はあるかも知れません」

 興味有り気な視線を小瓶へ向けているが、声のトーンはかなり落ちている。声だけ聞けば、呆れていると判断しかねない程だ。

「料理用の香草に低品質、低機能の麻酔薬……これの持ち主は恐らくクィラムの住民でしょう」

「なぜそうだと言い切れるんですか?」

「単純な話ですよ、ラズリー」

 そこからの彼女は見るからにやる気がなかった。

 また、彼女がそう判断した理由に付いてだが──あの麻酔薬が一番の理由らしい。曰くあの薬は神経系に後遺症が残るもので、痛み止めとして使う馬鹿はいないとのこと。加えて中毒性があり、若干の多幸感を覚えるので貧困層が好んで買うのだという。

 要するに、安価で大量生産の効く脱法ドラッグだ。表向きは医療用麻酔薬として販売されているので、購入する際に抵抗感を覚え難いとの事。そしてこれはフィーヴルやグィナヴィア、本国において使用を禁止されている。特に本国では一切の所持を認められておらず、その存在を知らない者も多いと聞く。

 そしてクィラム国内では近年、この麻酔薬による中毒症状が問題になっている。だが所詮は対岸の火事であり、他国が何かをする素振りはない。唯一本国のみが、クィラムに対して中和剤のレシピを贈ったそうなのだが──あの小袋を見る限り、本国の好意は無駄になったのだろうか。

 エーギルの話では、クィラム国内で生産と流通は完結しているらしい。それに加え、中和剤は他国で売れないような代物である。だと言うのに──クィラム国内では法外な値段で取引されているのだ。これについては流石に手出しする訳にもいかず、黙認されているという。誰かを救いたいという純粋な願いが踏みにじられ、新たなる利権構造を生み出しただけだと非難された事もあったとか。

 それらに関してのみ、彼女は心を痛めているような口ぶりだった。


「──なので、ソレの持ち主はクィラムの住民である可能性が高いのです」

 彼女は小さなため息をつくと、さらに続ける。

「あの国は昔から変わりません。生まれが人生の殆どを決めてしまうような場所なのです。都市部に富が集中し、郊外へ行けば行くほど貧しくなる。そうした貧しい人達から搾取を繰り返し、頭の良い者だけが更に富んでいく。

 ──いくら個人が富を抱え込もうが、国の発展に貢献することはありえないというのに……他者を出し抜き自分だけが優位に立とうとする。理解しているとは思いますが、そういった者達は自分を最優先に考えています。自らにとって不利益だとなれば、簡単に裏切り鞍替えする事でしょう」

「酷い国ですね」

「──ええ、それは認めましょう。けれどアレは先人達の通ってきた道なのです。他者を出し抜き生き残る事は、種の存続において必要な素養の一つなのですよ」

 彼女は憂いを帯びた声で最後に『ただ、それは極めて原始的な段階であり褒められた物ではない』と付け足した。彼女曰く、社会性にはいくつかの成熟段階があるらしい。本国は最も成熟しており、グィナヴィア、フィーヴル、クィラムの順に成熟しているとのことだ。

「それよりもラズリー、今夜はいかが致しますか? このまま泊まられるのであれば、私の部屋で過ごして頂く形になりますが」

 室内の時計に目をやると午後七時を示していた。夕飯までには戻ると伝えたのに、ついつい話し込んでいたようだ。

「すみませんエーギルさん! 家で兄が待っているので急いで帰ります」

「そうですか。とはいえ──日も落ちきった時間帯に、貴女を一人で帰らせるのも心配です」

「大丈夫ですよ。獣除けの香もありますし、エーギルさんに仕込まれた護身術だってあるんですから」

「ですが……」

 と、彼女は暫し心配そうな面持ちで視線を泳がせ、あれやこれやと提案をしてくる。そんな提案を全て断り半ば強引に帰路へつくと、中程まで来たところで兄と鉢合わせた。


「遅いから心配したんだぞ、ラズリー」

「ごめんね兄さん、ついつい話し込んじゃって……迎えに来てくれてありがと」

「まぁいいよ。どうせそんな事だろうとは思っていたから」

 いつものように兄の手を取り、二人で帰り道を進む。柔らかな月光に照らされた道は少し暗いが、全く見えない事はない。

「みんなは元気にやっていたか?」

「うん、みんなすっごい元気だよ! それとほら、サレニお姉ちゃんの事は覚えてる?」

「あぁ覚えてるぞ。クィラムからの難民だったアイツだよな」

「うん。お姉ちゃんね、本国の研究機関……ええと、なんだっけ? あそこに就職したんだって」

「オルヴィエートか? だとしたら凄いな。超エリートどころの話じゃないぞ」

 ソレは本国において最も優れた研究機関であり、数多くの成果を上げ続けている。私の好きな甘芋もその一つだ。また、あくまでも噂に過ぎないが──大量破壊兵器の類も開発、生産を行っているとも聞く。ここまでくると最早都市伝説だが、補助脳と呼ばれる生体機器を埋め込んだ半機械人間サイボーグがいるとかなんとか。それに付随して、拡張義体という強化外骨格を開発中だという噂もある。

「でもたしかサレニ姉さん、精神医学と機工学を専攻していたんだよな? オルヴィエートで何を作ってるんだろう」

「想像つかないよね。教えて欲しいけど、絶対無理だろうし」

「まぁな。あそこは情報漏洩が起きないよう、二十四時間監視が付いてるって噂もあるし」

「ありそう……手紙も全部検閲されるっていうし」

 となると、恋人からの手紙も全て読まれてしまうのか。それはさぞかし恥ずかしい事だろう。私なら絶対に耐えられない──なんて言ったら、兄からはまず恋人を作れと言われてしまった。







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