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「んー…………癒やされるぅ……」

 干草ホシクサの束はふかふかとしていて独特の香りがする。それは触ると少しばかりチクチクするけれど、慣れてしまえばどうということもない。そんな干草を適当に敷き詰めてシートを被せれば天然のベッドが完成する。

 それは家畜達の餌になる前しか許されないちょっとした贅沢だ。そこに仰向けになって、柔らかな日差しを浴びるのが私は大好きだった。

 兄さんにはよく「はしたない」とか「子供っぽい事はやめなさい」なんて言われるけど止めるつもりは毛頭ない。たとえ皺くちゃのお婆さんになったって続けてやるんだから。


「……急ぎの仕事も無いし、少し早いけど教会に行こうかな」

 元々教会に用事はあるのだけれど、それとは別に修道女シスターへ聞きたい事があるのだ。聞くタイミングはまぁ、その時に応じて考えれば良い。

「兄さん、ちょっと教会に行ってくるね」

「もう行くのか。それならコレを持っていってくれ」

 身支度を整えてから居間の兄へ声をかけると、手提げを一つ持たされた。その中身はいつも通り、いくつかの根菜類と甘芋のクッキーだ。

「エーギルさんにもよろしく言っておいてくれ」

「わかってるよ兄さん。それじゃ、夕飯までには戻るね」

 家から教会までは徒歩で二十分程の距離にある。崖の上に建っており、その下には岩礁が広がっていた。

 あそこの教会は小規模で、エーギルという修道女シスターが一人で管理している。その上で孤児達を受け入れ、基本的な文字の読み書きと計算を教えていた。私達も世話になった一人であり、恩師として慕っている。

 ……ただ一点。彼女の年齢がわからない、というのが引っかかるのだけれどそれ以外に気になる点はない。

 現に彼女は私達が世話になった十年前から、ずっと変わらず若々しいままなのだ。腰まで伸びた淡い金髪も艷やかで、白磁のような肌にはシミ一つ見当たらない。ちょっと前に若さの秘訣を、冗談交じりに聞いてみたけれど「信仰心の現れ──なんて言ったら信じますか?」と返される始末だ。他にも色々と謎の多い女性だけど、皆から慕われているのは間違いない。


「こんにちは、エーギルさん!」

「こんにちはラズリー」

 彼女はいつも通り、数名の子供達と共に教会の中庭に居た。私がいつものように挨拶ハグをすると、ソレに倣って子供達も挨拶ハグをしてくる。相変わらず元気そうで何よりだ。

「クッキーと甘芋に──コレはスコルツォネラですね、ありがとうございます」

「いえいえ。沢山お世話になっていますし、気にしないでください」

 子供達は各々がお礼を言った後、クッキーを仲良くわけて食べ始めている。どうやら甘芋を始めとした根菜類は暫く貯蔵するようだ。年長者の幾人かが下の子の面倒をみて、何人かの年長者は貯蔵倉庫へと向かっていく姿が見える。

「──それに、あの子達も食べ盛りでしょう?」

「えぇ、そうですね。成長期の子供というのは本当によく食べます。あの小さな身体のどこに消えていくのやら──不思議ですよね、ラズリー?」

 そう言って、口元を手で隠しながら微笑む彼女。その視線は子供達ではなく、隣に立つ私のお腹に向けられていた。

 ……この視線は私が肥っているとか、そういう理由ではない。単純に過去の事を思い出しての視線なのだ。自覚は無いけれど、兄さん曰く幼少期の私は結構な大食いだったらしい。

「……本当に不思議ですよねぇ」

「そうですか。兄のヴェルグリドよりも食べていた貴女でも分からないとは……本当に不思議なことです」

「……………あの、私そんなに食べてましたか?」

「それはもう沢山。特に甘芋をよく食べていましたね」

 甘芋というのは根菜の一種で、どんなに痩せた土地でも育つ。そして過酷な環境になるほど、何故か甘みを増していく品種だった。加えて収穫後の保存期間も長い為、殆どの区民が栽培している。そして『種を蒔くだけで勝手に育つ』と言われる程、栽培は簡単で手間要らずなのだ。

 そんなスーパーフードである甘芋だが、一つだけ問題がある。蒸し焼きにするだけでも下手な甘味スイーツよりも旨いという点だ。なのでつい食べ過ぎてしまうのも仕方ない事だと思う。


「──……それはそうとラズリー。ここ最近、妙な噂を耳にしたのですがご存知でしょうか?」

「妙な噂ですか?」

 甘芋のポテンシャルについて熟考していると、真剣な面持ちで彼女が尋ねてきた。しかし残念なことに、妙な噂とやらには心当たりがない。

「なにやらルヴリグ山でとの事で、既に四人程行方知れずとなっているのです。ラズリーも、山へ向かう際には気を付けてください」

「ルヴリグ山で……?」

 それは三つある隣国との国境線に相当する山脈だ。山の麓でも山菜や川魚といった豊富な資源を抱えており、私達もそれなりの頻度で訪れている。

 そしてルヴリグには、決して立ち入っては行けない場所がある。その境界線となっているのは赤水の流れる川であり、それより奥は禁域とされていた。指定された範囲エリアは広く、山脈をくり抜くようにして存在する平地がソレにあたる。

 ……そこは山越えをせずに隣国へ渡れる、唯一のルートでもあった。百年程前には道路整備の計画もあったらしいのだけれど、ある事件をきっかけに頓挫したという。また、それに付随して禁域指定を行ったとも聞く。

 曰く、あの平野はの縄張りであり、立ち入ったが最後──頭を噛み砕かれて腸のみを食われるのだと。

 ──それは九十年程前から現れた獣だった。

 緋色の体毛が特徴的な狼で、体高はニメートルを越える大型の獣だ。そして厄介な事に、猟銃やトラバサミといった罠を避けるだけの知能がある。加えて火を恐れないなど、おおよそ一般的な獣らしからぬ習性を持つ。

 そんな獣を危険視した私達の祖先は、アレを駆除する方向へ舵を切った。しかし作戦は尽く失敗し被害は増える一方。相対する度に狡猾さを増していく獣を前にして、とうとう人間側が折れてしまったのだ。

 しかしその中でも判明した事がある。アレは幸いな事に、特定の周期で決められた範囲エリアだけを徘徊していた。先祖達が命と引き換えに遺した事実を元に禁域は指定され、今に至るという。

 それとほぼ同時期に獣は『緋狼人レッド・ヴォルグ』と呼ばれ、畏怖の念と共に伝承されるようになったのだ。


「……ラズリー、この件は緋狼人レッド・ヴォルグの獣害だと思いますか?」

 逡巡していると、憂いと哀れみを帯びた表情で彼女が聞いてくる。

「そんな気もしますけど、その……証拠となるようなものが見つからない限り、何とも言えません」

「証拠? 例えば遺体──その類のものでしょうか?」

 私の答えに対し、彼女は特定の単語を強調して返してくる。まさか私がわざと明言しなかった部分をピンポイントで強調してくるとは。

「……まぁ、はい。そういう証拠があれば言えるのでしょうが」

「珍しく歯切れが悪いですね」

「そりゃまぁ……子供達がいますし、あまり直接的な表現はちょっと」

 実を言うと、昔から彼女のこういう所が苦手だった。加えて性質タチが悪いのは、彼女がソレをにやらかしているという点だ。時と場所と場合、その全てを理解した上でやらかすのならまだいい。そういったのなら、何処かに落とし所もあると諦めもつく。


「──あぁ、なるほど。ですがラズリー、あの子達が居るから直接的な表現を避ける。その理由が私にはよくわかりません」

 これにはどう返したものか、と頭を悩ませる私を他所に彼女は話を続ける。

「ラズリー。私達年長者は彼らの成長を見守り、時に正す義務があります。また有害なモノから遠ざけ、身を挺して護る必要もあるでしょう。

 ですがあの子達にも選択する権利が、あるのです。その権利を、自由を約束するためには数多くの経験や知識が必要になる。だから私はあの子達に様々なモノを与え、学ばせています」

 彼女の言う事も一理ある。私達が何かを選択する際、情報や経験が乏しいと選択肢は狭まってしまうものだ。誰しもが一度は『知っていれば、こんな選択をしなかったのに』と後悔した事だろう。

「……知らない、知らされてない、知ろうとしない──この中で最も危惧すべきは、知選択をした者です。

 こればかりは救いようがありません。与えられたモノを鵜呑みにするばかりでは、何も選べず飼い殺されるだけ。それでは家畜となんら変わりがない。自ら餌を取る事もせず、外敵も居ない楽園で緩やかに死を迎える。与えられた平和に甘んじて生きる姿は、傀儡と変わりがない──そう思うのは、おかしな事ですか?」

 やや過激な言い回しにも思えるが、言っていること自体は間違いない。間違っていないけれど、あまり大きな声で言えないのもまた事実である。

 何故かといえば、私達自身がそうだから。今一度考えて見て欲しい。私達は自らの生活圏内に無いもの、直接関わらないと判断したものに対してどれだけの関心を持っている?

「少し、話が逸れましたね」彼女は視線を子供達へと移し、「先程の三つのうち、私達が意図的に行えるものが一つだけあります。それがなんだかわかりますか?」

「…………知らせない事、ですか」

「ええ、その通りですよラズリー。意図的に知らせない事、機会を奪う事──情報のマスキングは私達に与えられた自由の一つです」

 私の答えに満足しているのだろう。彼女はワントーン程明るい声で続けた。

「例えば──そうですね。わかり易い例として、教育に悪いという理由で映画の暴力シーン、性行為セックスシーン等を観せない等があります。殺害動画スナッフフィルムやアダルトビデオと言った、それ自体が主目的となっているモノは別として──それらのシーンは、作品において組み込まれたシーンなのです。何故必要なのかを説明もせず、という曖昧な理由で機会を奪うのは、褒められた行為ではないと私は考えています」

 その声には先程迄にはなかった、微かな憂いと怒りの色が混じっていた。視線は子供達から外され、晴れ渡る空の彼方に浮かぶ雲へと向けられている。

「そうした意図的なマスキングが及ぼす影響は、私達の想定よりも遥かに大きいものです」

 エーギルのやや切れ長な瞳が、答えを探るように内へ向けられる。

緋狼人レッド・ヴォルグについて、子供達はよくわかっていません。かと言って実物を見せる事は出来ませんから、少しずつ話せる時に恐怖を散りばめているのですよ」

 恐怖を散りばめる、とはまた回りくどい言い方をするものだ。とは言え、このやり方が間違っているとも言い難い。

「……常日頃から繰り返し聞いているモノは、自分達が思うよりもずっと深い所に根付くものです。誰かの口癖や、教師からの諸注意といった、普段なら気にも留めない言葉の欠片。知らず知らずの内に蓄積したソレらは、危機的状況下において呼び起こされる。貴女も身に覚えがあるでしょう?」

 そう言って、彼女は懐かしむように微笑む。

「──……それに緋狼人レッド・ヴォルグは特徴的な殺し方をしてくれています。加えてその正体は判らず、語り合う言葉を持たない。子孫もなく、死体もない。アレは怪物として非常に存在です。ヒトがおそれるには丁度良いと思いませんか、ラズリー?」

 優しく諭すような声で語られた彼女の話は、あまりにも突飛なものだ。それに、とはどういう意味だろう?

「まぁ、それはどうでも良い事です。貴女がどう思おうとアレの在り方は変わらないのですから──」

 彼女は見慣れた柔らかい笑みを浮かべると、子供達の居る中庭へと戻っていく。

子供達の相手をお願い致しますね、ラズリー」







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